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明日は絞首台の露と消える。テロリストの男と、ストリートの女と。これほどに哀しい恋もまたない。 明治二十六年、兵庫県明石の零落した商家に生まれる。病弱で高等小学校も出られず、十二歳で大阪に出て株屋の丁稚となる。ここで俳句と出会い、河東碧梧桐に心酔。二十歳のとき困窮して、放浪、漂泊から社会主義者となり、上京して大杉栄らのアナキズム運動に加わった。 大正十二年九月一日、関東大震災。混乱の中で大杉栄・伊藤野枝夫婦が虐殺される。この白色テロに久太郎と同志らは報復を誓う。このとき彼に愛しい女がいたのだ。 その年二月、那須温泉元湯。「僕の体は、冬が来ると淋梅連合軍が活躍する。情けない活躍だ」と自嘲する久太郎は、当地に逗留していた作家の江口渙を頼り性病治療に来ていた。ここで彼は同じ出養生にあった一人の女と出会う。浅草十二階下(浅草公園の名物十二階建ての凌雲閣周辺の有名な私娼窟)の女、堀口直江である。江口は書いている。「それは三十歳の久さんにとつて、まことに驚く可き初恋だつた。それまで女を、恋愛を、結婚を、軽蔑し、否定し続けて来た久さんは、彼女に依つて生れて始めて女の価値を、恋愛の力強さを知つたのである」(「恋と死と生」) 当初、一ヶ月の予定だった。しかし久太郎は直江との愛欲に溺れ三月が過ぎ四月になっても腰を上げない。 五月、ようやく那須を引き上げた久太郎は浅草千束町に部屋を借り、そこに直江が商売のあいまに通って来る。久太郎の遺書『獄窓から』に「あくびの泪」と題して短歌百五十首ほど集めた一章がある。なかに「彼女の歌」として詠む。 浅草の頃 得飲まざる我を嘲けり「飴ちよこを舐めて居なよ」と酒をあほりぬ 「あたいだつて本を読むよ」と投げ出しぬ霞お千代が出刃をかざす絵 ぬばたまにほのと浮べる辻占の紅提灯を見つめて答へず 病院に行きは行きしが苦が薬皆な捨てたりと言ひて噤みぬ 蛆虫と自ら称する男と、身体を切り売りする女と。病毒に蝕まれつつ、二人は愛をむさぼるのだ。この真っ暗な恋の行く手は……。 大震災。浅草十二階は、八階から崩れ、私娼窟も潰滅した。直江の生死は不明。久太郎は必死に探した。やがて直江が埼玉県妻沼の兄宅に居るのを突き止める。そこに迎えに行く。するとなんと酷いことに。彼女はひどい虐待を受けていたのだ。納屋に捨てられたようにして、蒲団も与えられていなかった。一緒に帰京して養生しよう。しかし直江は頑是ない。ついに救いを拒むのだ。だがもうそのときには性病に病み崩れ動けぬ身となってもいたろう。久太郎は黙って辞する。そしてそれが最後となった。江口宛の手紙にある。 「然し奴も死んだ。可哀さうでもあつたが、奴らしい死方だつたとも考へられる。あの醜悪な悲惨な姿となりつつ「いいよ。何処へも行かないよ。放つといておくれ、妾は此所で斯うして死んでやるんだ」と、言放つた奴――あれが即ち奴だ。奴の全部だつたのだ。いい所でもあり、短所でもあつた。しかし、ああした心持ちは、俺にはよく解るんだ。で、黙つて帰つて来た。奴は死んだ」(大13・10・14) 死を覚悟したテロリストが愛を捧げるにふさわしい泥中の蓮。堀口直江、生没年不詳。「彼女の歌」のべつの三首に歌われる直江は余りにも哀しい。 妻沼の里 悪毒にくずおほたる体よりなほ巻き舌を強く放ちき 村芝居掛ると言ひし若者に爛れし顔を「どうだ行かうか」 この二首にここに掲げる歌がつづく。「直江が死んで、やっと気掛りが自由になった。これからはもうどんな事でもやれるようになって、さっばりしたよ」。久太郎は江口に言っている。「我悲しまじ」。ときに彼の覚悟は決まった。生きるも意地、死ぬるも意地……。 十三年九月一日、大杉・野枝虐殺から一年。ときに久太郎は、戒厳司令官・福田雅太郎へピストルの銃口を向けるのだ。 だがしかし、やんぬるかな。狙撃は失敗。あっけなく捕縛されるしまつ。九月、無期懲役の判決を言い渡され、市ヶ谷の未決監より秋田刑務所に移される。 昭和三年二月、独房にて縊死。享年三十五。辞世にある。 もろもろの悩みも消ゆる雪の風 (獄窓から』昭2) |