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恋歌 恋句 2002‐2003




8. 富田木歩

かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花


 背負はれて名月拝す垣の外

 「病境涯の俳人」富田木歩。まったくその生涯ほどにいたましくも胸塞ぐものはない。
 明治三十年、東京は本所向島に鰻屋の四男に生まれる。二歳のとき発熱が原因で生涯歩行のかなわぬ身となる。学齢に達しても通学のできぬ木歩は「いろはがるた」や「軍人めんこ」で文字を覚える。四十年、またその三年後と、再度の大洪水に遭い、一家はどん底の生活を余儀なくされる。二人の姉が芸妓に売られ、木歩は口べらしに近所のカタ屋(友禅型紙彫刻師)へ徒弟奉公に出されている。その間、わずかに少年雑誌の愛読と句作で慰めを得る。木歩の号は次の一句にちなむ。

    哀れ我が歩みたさの一心にて作りし木の足も、今は半ばあきらめて、
    其の残り木も兄の家の裏垣の枸杞茂る中に淋しく立てかけてありぬ。
  枸杞茂る中よ木歩の残り居る

 大正六年、新井声風を知り、生涯にわたる親密な交友を結ぶ。だが木歩に不幸は相次いだ。この年、女工をしていた上の妹まき子までが苦界に身を沈めるのだ。兄は妹の身を想うほかない。

    身を売りし妹の朔日の宿下りとて来れども、
    奉公馴れぬためにやいたく窶れしさま憐れなり
  居眠りもせよせよ妹の夜寒顔

 苦患はさらなる苦患につながる。唖者の弟利助が肺結核で病臥し、自身も健康を損ねる。

    病臥
  我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮

 肺患にながく静臥している肩に糸を張りはじめた蜘蛛。なんとも凄まじい絵ではないか。しかし木歩は木の人形ではない。十八歳の年、隣家の娘子鈴に淡い想いを寄せる。また二十二歳の年、俳句の女弟子、女工石川伽羅女を秘かに恋する。だが子鈴は芸妓になり、伽羅女は二年後に胸を病み死ぬ。そんな哀しい彼をじつはもっとも愛したのが他でもない。まき子である。まき子はことのほか兄想いの愛苦しい娘で、家にあっては兄の手足になって何かと面倒を見た。また木歩も利助とまき子を格別に大切にした。
 七年、二月に利助が逝く。翌三月、まき子も同じに肺を病んで家に戻った。五月、まき子の病状が悪化する。

  病む妹の枕ずれ云ふ春の暮
    病勢の急に怠りし妹頻りに母の読経をもとむ
  今宵名残りとなる祈りかも夏嵐
    病妹
  眠る妹に衣うちかけね花あやめ
  病む妹に夜気忌みて鎖す花あやめ
    病妹悪し
  医師の来て垣覗く子や黐の花
    病妹
  床ずれに白粉ぬりぬ牽牛花
    臨終近しとも知らぬ妹こまやかに語る
  涙湧く眼を追ひ移す朝顔に
    納骨式
  死装束縫ひ寄る灯下秋めきぬ
    妹の棺を送る
  明けはずむ樹下に母立ち尽したり

 木歩は不自由な「犬猫と同じ姿」でまき子を看病する。ここに掲げる句もこの一連にある。いましも死に近い妹の咽頭が微かに息を通わせる。また「鳳仙花」は別名に「つまくれなゐ」「つまべに」とあるように、その紅色を絞って女の児らが爪を染めたりして遊ぶ花だ。あるいはときに兄は妹の幼時を眼の裏にしているのだろう。
 だけど詮ないか。七月、まき子死去。ところで木歩とまき子というと、ことはだいぶん違うが似ていなくはないか、そうあの賢治とその妹トシと。ちょっとこの死の床の妹を詠んだ句は想い出させないか。「永訣の朝」を、「無声慟哭」を。

    病床未だ離れがたき身の声風が手すさびに写真を撮りて
  面影の囚はれ人に似て寒し

 これはおそらく自影をいうだけではあるまい。「囚はれ人」とは、愛妹まき子の面影でこそあろう。しかし酷いよな。
 十二年九月一日、関東大震災。駆け付けた声風に背負われて猛火の中を逃げたが、隅田川の堤で一命を落とす。享年、二十六。

(『決定版 富田木歩全集』昭三十九)



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