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【大逆罪】天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太孫に対し危害を加え、または加えようとすることによって成立、死刑に処せられる罪。昭和二二年の刑法改正で廃止。(『広辞苑』) 明治四十三年、明治天皇暗殺計画の大逆罪に問われ、処刑された一人の女性がいる。 管野スガ(筆名、須賀子)。明治十四年、大阪生まれ。幼少時より父の事業(鉱山師)の失敗で各地を流浪。最初の結婚に失敗後、小説家を目指し、大阪の文学者宇田川文海に師事。新聞記者、婦人運動の活動を通し、堺枯川(利彦)に出会い、社会主義へ傾斜する。堺の推薦で仏教的社会主義を掲げた「牟婁新報」に入社、文筆は際立った。ことに男社会を撃つ筆鋒は鋭かった。「肘鉄砲」なる一文にある。「横暴なる男子を排斥せよ。貞操なき男子を排斥せよ。堕落せる男子を排斥せよ。……奮起せよ婦人、磨け肘鉄砲を」(「牟婁新報」明39・4・15) スガの進む道は定まる。その後、堺を介し荒畑寒村を知り結婚。上京し「毎日電報」(現、毎日新聞)の記者となる。四十一年、赤旗事件に連座。未決監で拷問を受け、権力への復讐を誓う。スガは無罪判決、寒村は懲役刑。出所後、スガは幸徳秋水と情を通じ、助手として平民社に住み込む。 翌四十二年、「自由思想」を創刊、無政府主義を高唱。秋水は「発刊の序」に謳った。「一切の迷信を破却せよ、一切の陋習を放擲せよ、一切の世俗的伝説的圧制を脱却せよ……」。その同じ一面にここに掲げる一首を含むスガの歌「小さき虚偽」五首が載る。これをどう読んだらいいか。 「責(攻)太鼓」とは、昔の戦いで敵に攻めかかる時の合図に打ち鳴らした太鼓。その音が「迫り来る日」をおぼえつつ、今宵一夜、愛する人の「み手に眠らむ幸」。 やがてその時が来ている……。ときにスガは宮下太吉、古河力作、新村忠雄らと図り、爆弾計画を押し進めた。秋水には秘密にして。自分は死ぬと決めている。秋水に累を及ぼすまい。いかにしてもこの人は生き抜いて、さきの世を照らしつづけてほしい。 四十三年五月、計画が官憲に洩れ前記の同志らとともに検挙。「爆発物取締罰則違反」容疑から、「刑法七十三条」に定める「大逆罪」にとでっち上げられる。これにより計画に関与しなかった秋水も捕縛。さらに弾圧は苛烈さをまし、数百名を検挙、二十六人が公判に付され、二十四人に死刑判決。うち十二人は無期減刑、十二人に死刑が執行される。近代最悪の暗黒裁判だ。ときにその出廷の様子がつたわる。「すが子は髪を銀杏返しに結び、納戸色紋羽二重三ツ紋の羽織に、琉球飛白の綿入を著し」(「東京日日新聞」明43・12・11) 往き返り三つ目の窓の蒼白き顔を見しかな編笠ごしに 「編笠」を被されたスガは取り調べの「往き返り三つ目の窓の」愛しい「蒼白き顔」を認める。聴取はほとんど拷問にちかい。スガは額を上げ申し述べる。「天子なるものは現在に於て経済上には略奪者の張本人、政治上には罪悪の根源、思想上には迷信の根本になつて居りますから此位置に在る人其ものを斃す必要があると考えて居た」(「聴取書」明10・6・3) 四十四年一月二十四日、スガは「ほゝ笑み」絞首台の露と消えた。享年二十九。辞世に歌う。 やがて来む終の日思ひ限りなき生命を思ひほゝ笑みて居ぬ (「自由思想」明治42・5) |