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齋藤茂吉と妻輝子。じつに大変な夫婦である。前項でみたように輝子はちょっと尋常じゃなかった。同様にいっぽうの茂吉もどうにも埒外なところがある。 輝子のスキャンダルは茂吉にとってショックだった。茂吉は輝子に別居を命じる。さらに反省を求め、輝子を郷里上山の弟が経営する旅館「山城屋」に預ける。そして茂吉は心痛を紛らわせるように人麿研究に邁進する。しかし心に開いた穴は埋められない。 スキャンダル事件の翌九年九月、正岡子規三十三回忌歌会が向島百花園で催された。その折、茂吉は若く美しい女性と声を交わす。永井ふさ子である。 明治四十三年、ふさ子は愛媛県松山市に医院の四女として生まれる。子規と遠縁に当たる。アララギに入会したてで、歌会への参加は初めてだったが、子規との縁で話が弾んだらしい。ときに茂吉五十二歳、ふさ子二十四歳。それから二度ばかり会ううち、ふさ子は茂吉の家庭事情を知り、同情がやがて恋情へとうつろってゆくのを感じつつ、その年の暮れ松山へ帰る。日置かずに手紙が届く。 昭和十一年一月、上京。二人で浅草観音に詣で、その夕、ふさ子は茂吉に唇を奪われる。さらに六月、上京。いつか二人は深間になっている。以前にもまし頻繁に手紙が行き交う。 「○ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか」(昭11・11・26) 「ふさ子さん、……ああ恋しくてもう駄目です。しかし老境は静寂を要求します。忍辱は多力也です。忍耐と恋とめちやくちやです。……あゝ恋しいひと、にくらしい人」(昭11・11・29) 茂吉の心は千々に乱れる。なかにふさ子の写真を前に苦しい胸中を訴えるこんな一通もある。「……写真を出して、目に吸ひこむやうにして見てゐます、何といふ暖かい血が流るることですか、圧しつぶしてしまひたいほどです、圧しつぶして無くしてしまひたい。この中に乳ぶさ、それからその下の方にもその下の方にも、すきとほつて見えます、あゝそれなのにそれなのにネエです。食ひつきたい! ……尊い、ありがたく、甘い味あひのしたあのへん!」(昭12・3・19) さらにまた別の日の手紙にこんな歌まで記されている(昭11・10・28)。 狼になりてねたましき咽笛を噛み切らむとき心和まむ もう身も世もない。しかし許される仲でない。恋を諦めるには、身を引くしかない。十二年四月、ふさ子は見合いをし、結納までする。相手は牧野という岡山の医師。しかし何あってか。ほどなくふさ子は婚約を解消しているのだ。 ふさ子はみずからを罰することでこの恋にピリオドを打った。その後、二人は幾たびか逢うことがあったが「交渉はなかった」らしい。 平成四年、生涯嫁ぐこなく、ふさ子死去。享年八十三。 ここに掲げる歌をみよ。これは十一年十一月になった二人の合作。上句が茂吉、下句がふさ子。いまごろ二人は天にあってひとつ枕に微睡んでいようか。この一首を評して茂吉は言った。「人麿以上だ」 (『斎藤茂吉・愛の手紙によせて』昭和五十六) |