home
尾形亀之助 『障子のある家』 私註



『障子のある家』 第一日 〔07・01・27〕 
   口上
0. プロローグ
1. 自序


● 口上


 尾形亀之助。
 世の人は詩人は無用の者と言う。すると亀之助ほどにこの言葉を真の意味で徹底してみせた究極者はいない。亀之助という存在。これは理解するに易しくない。おそらく多くが頭を抱えるだろう。ほんと大抵でなく難しくある。例外的すぎる人間。
 詩人は生前、第一詩集『色ガラスの街』(大正一四)、第二詩集『雨になる朝』(昭和四)、第三詩集『障子のある家』(昭和五)を刊行した。これら三集はそれぞれ詩人を理解するうえで重要である。しかしながらいま三集ぜんぶを評釈するのは、はっきりと評者ごときの器量にあまること。ゆえにここでは最後の一集を俎上することにかぎる。
 あえてそれを最後のものとする、そこには詩人がその生涯をかけて、たどりついた究極があるのでは。ついてはこんな言葉があるのを記憶にとどめておこう。
「この表題未定の一本(註、『障子のある家』)を最後とすることには何の意味もない。もうこれでたくさんだといふことゝ、自分の将来にもさうしたことをする義務もなければ何もないといふことをはつきり考へたにすぎない」(「机の前の裸は語る」)
 さてそれでは以下、私註をはじめたい。




● プロローグ




あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)


 『障子のある家』。まずその一集の扉書きに前掲の一行がみえる。これは何なるか。あえてプロローグとして引いているのである。ここにはつよく訴えたい何かがあるはずだ。だけど思うのだ、これまたなんとも、意味不明、それこそ尾形亀之助そのもの、文脈無視、わけのわからない、ニホン語だろう。
 だいたいこの「あるひは」という、ごくふつう一般の接続詞また副詞の用法としてみて、それからしておかしいというか。はぐらかし、捻転撹拌、ではなくて?
 つづく「(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)」もそう。これはつまり詩人はこれまで「つまづく石」とするもの、比喩としてもその生涯を決定するだけの一事、それほどの何かについに出会さずにきたということか。
 すると「私はそこでころびたい」という。このことは何事を意味するのやら。よくわからない。だがわたしは思うのである。ひょっとすると、それは「死」ではと、はたしてそうでは。
 なぞとしかし慌ててはならない。そんな「あるひは」「あるひは」なんて。まあゆるりと参ろうこのさきは。





● 自序



 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。
 私がこゝに最近二ケ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらうためにではない。私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知らない場合、それは如何にも気の毒なことであるから、その時の参考に。同じ意味で父と母へ。もう一つに、色々と友情を示して呉れた友人へ、しやうのない奴だと思つてもらつてしまうために。

  尚、表紙の緑色のつや紙は間もなく変色しやぶけたりして、この面はゆい一冊の本を古ぼけたことにするでせう。

 またまたなんという「自序」であることだろう。じつはこの詩人にとって、「自序」としたり「序」とするものは前書きのたぐいでなく、よりもっと重要なるなにか。それこそ一集を要約する巻頭の一篇とおぼしい。ついては先行二詩集をみられよ。前者には「序の一 りんてん機とアルコポン」「序の二 煙草は私の旅びとである」、後者には「序 二月」「序 冬日」と、それぞれ二篇も掲載している。いまここで引用しないが、そのいずれもよく詩集の成立の消息をつたえて、いかにも詩人らしいものだ。
 さてまずはこの冒頭はどうだろう。

 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。

 これでもっていったい何を言おうとしているのか。いやまあへんてこりなこと「これまたなんとも、意味不明、それこそ尾形亀之助そのもの、文脈無視、わけのわからない」プロローグとおなじたぐい。わたしなどはすぐ思ってしまうのだ。「それからその次へ」とはやはり、「全くの住所不定へ」を字義通り(?)に解し、どうしたって「死」ではないか、と。
 しかし慌てまい。つぎを読みたい。

 
私がこゝに最近二ケ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらうためにではない。

 とあるここで立ち止まってみよう。これが「最近二ケ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめた」はず。なのに「作品として読んでもらうためにではない」とは。いったい一集として問うにあたって、なんと身も蓋もない、どうにも解せない一言ではないか。これについては「作品」であらずなら、それはなんと名付けるべきものか。やはりもうどうしたって、あとにつづく文脈からおしても、そうなるのではないか。つまるところ「遺書」ではないかと。などというとまた先走った短慮なとなるかどうか。つぎを引きたい。

 
私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知らない場合、それは如何にも気の毒なことであるから、その時の参考に。同じ意味で父と母へ。……

 これはどう読んだらいい。あとに遺してゆく「二人の子がもし君の父は(何者?)と問はれて」答えに窮する「その時の参考に」この一集をという父としての思いやり。つづき子として「同じ意味で父と母へ」という気づかい。そしてさいごに「友人へ、しやうのない奴」のかたみにでも、と。
 ところで詩人について、生活乃至性格破綻者、まがいの伝説というか。そのての根拠のないデマゴギーのエピソードばかりが流布してきた(かくいう小生も同罪であるが)。ついてはこの箇所をよく味読すれば理解されるのでは。じつは詩人はことのほか子供、父母、交友を大切にしてきた人間であると。なおこのことにかかわり、「後記」に「泉ちやんと猟坊へ」と「 父と母へ」の二篇、あることをしるしておく(後述)。
 彼はつたえられる、彼ならずといおう。
 それで終い。そうかと一行おいてポイントを落としてつぎのような注記がみえる。これは何か。

 
尚、表紙の緑色のつや紙は間もなく変色しやぶけたりして、この面はゆい一冊の本を古ぼけたことにするでせう。

 どういったらいい。いやこのなんとも心憎いまでの配慮はといったら。わたしがごとき浅薄ものには言葉がないのである。そうだただひとつ。いつかわたしは仙台文学館でこの原本を手にしているのである。みるとそれは詩人の思惑どおりに「変色しやぶけたりして、この面はゆい一冊の本を古ぼけた」ものにする風化の過程をたどっていた。
 いまここまで綴ってきた。そうして思うのである。わたしがその初めから大間違いを犯していることを。意味不明、文脈無視……。そのように書いてきた、それこそ正反対であって、まったき誤りといおう。
 詩人はその詩をもって誠実に正確に意味を伝達せんと欲する。しかしながらその内奥は通り一遍の語法では十全を期せるものではない。かくして結果として、詩人独自、かくなる語法となる。
 そういうことなのである。つまり意味不明は、あまりなまでに明晰さをのぞむため、さらに文脈無視は、それゆえにする錯綜ということだろう。ここではこれにとどめる。





contents library contents home