灘岡湖 竹下 力
父さんの背中に時計の秒針がカチカチ鳴って
埃が温かな茶色の部屋に舞ってフワフワと
ザーザー窓の向うに水平線が黄色く波打ち
キラキラひかる湖に穴が開いて12月の風が
水色のセーターにジーンズの父さんの
薄くなった髪をフワリとなびかせて
丸首のセーターを喉もとまでずりあげて
ガタガタ体を震わせ髪を梳けば窓の向うに
湖岸にお腹の膨れた母親が
子供の手を握り湖のひかりに影になって
玩具のプロペラ機を飛ばしブウウンと唸って
湖岸を影に飛んで湖の穴に落っこちて
うえーとかぐえーとか子供は母親の首根っこに掴まると
キャッキャとクルクル湖岸をプロペラみたいな影は
広がる空を覆って雲間に消えて真っ暗に
なにもかも適当にはりつけた影絵みたいなこんな日の
ゼロ戦を描いた父さんが小学校の朝会で鈴木米太郎賞を
もらった居心地の悪そうな顔は
父さんが母さんの寝てる様子をながめてるのと同じかな
曲がった父さんの背中にみえる顔が空洞にしかみえないよ
届きそうにない表情が母さんの臨月の腹に呼吸で重なって
雲はグイグイ部屋の中へ母さんはウンウン唸ってる
6畳のアパートに母さんは掻き出される胎盤をおさえ
弟なんて産みたくない掻き出してやるわなんて精神をやられて
父さんは頭を掻いてフワリと髪が生温かい風になびき
丸首セーターに顔を収めもういやだと首振って
この瞬間がお終いだって父さんも精神をやられてる
雲間が開きひかりがあふれ湖は真っ白に
部屋は焼夷弾みたいな真っ白でX線みたいな骸骨の父さんは
またいで首しめて母さんの臨月の腹を殴ってお終いだ
なにもかも全部破水させちゃうんじゃないかって
窓から玩具プロペラ機が落ちてきてみんな真っ白に
秒針が重なる壁掛け時計の音がただカチカチと。
説明……なんどもなんども今までに書いたことなのに、書いているだけで泣き出したくなります。たぶん、寒い夜で、どこにもいくあてがなくて、どうしようもなくて、誰かにすがれなくて、誰にもすがれないから、絶対に外でタイヤの軋む音が聞こえる。救急車が通り過ぎて股に手を挟んでビクビク震えて、ひとりの部屋じゃ、幽霊じゃないかと思う。父さんの兄さんは頭のおかしな嘘ばっかりつくピエロで、反転の反転みたいな感じの笑い方はすごくひでえ姿でびくついてた。ほら、そこ。父さんと母さんは反転に反転に重ねてゴロゴロとバタンバタンと落下する寝室で空中ブランコみたいだ。天井を眺めてると、糞ったれだって、糞野郎だって、10代の苦悩に満ち満ちてます。みんなどこかおかしいし、絶対おかしいし、おかしくないなんて思わずにはいられない。実際におかしい。僕だっておかしくなりそう。どこかおかしい。でも、書いてたらなんのことだかわからないし、なんだかよくわからないのです。
灘岡毎日ボーリング場
父さんは50歳になるまえに絶対死にたくないとは思っていてたぶんそれは採掘夫だった49歳の父さんの父さん
灘岡トンネルを掘ってるときに誤まってダイナマイトでボーリングのピンみたいに粉々に吹き飛ばされたからだといった。
300個ぐらいに体はバラバラになって灘岡の土の中うまって跡形もなく舗装道路に埋められたりした。
父さんは人生でストライクをだすときは死ぬときだもんなってそんな死に方のぞまないものねなんて笑ってた。
だから父さんが49歳のときには死ぬ前にしたいことなんて山ほどきっとあってそれはたしかなことで
でも父さんのできることなんて灘岡トンネルを抜けてそこは暗くてジメジメしてそんなとこで死にたいくはないけど
いきつくところは32レーンある毎日ボーリング場で結局灘岡になんてそんなところしかないしするべきこともない
県道64号線を下って天竜浜名湖線の踏みきりを跨いだその場所は今じゃ駐車場の白線は消え草が生え
ネオンは昼間からパチパチと漏電しでかいピンの形をした「ようこそ毎日ボーリング場」と描かれた看板はペンキが禿げている。
父さんはそこになにをみいだしたのかなんていまじゃもうぜんぜんわからないけどそういうのってなんとなく
父さんがみいだしたものがあってそこは1ゲーム390円で貸し靴に300円で3ゲームでコーラ買って2000円でお釣りがくる。
僕は嫌いだったけれど。
うん、たしかに大嫌いだった。
だって32レーンすべてにおじいちゃんが粉々になって転げ落ちるさましかみえなくてあるいは父さんかもいや父さんに違いないかな。
僕はおじいちゃんの顔をしらないし。
もっといえば父さんの顔だってよくわからない。
もっともっといえば僕は父さんが誰かだってわからない。
誰かだってわからないって変だけどわからないんだからね。
でもボールに指を突っ込みボールをじっとみて蝋の塗られたレーンを眺める父さんがいて目があうだけで背けるような瞬間があって
僕は思うことはあったんだよ。9歳のころだ。そのときは
5回スペアと2フレーム9本ピンを倒し10フレーム目には2回目に5回目のスペアをだし9本倒して150のスコアを叩き出した。
どうだいと父さんは笑った。
300の半分も出したんだよといった。
パーフェクトの半分だぜといった。
これぐらいがいいんだよなといった。
まだまだ父さんは死なないんだなと父さんは手を振った。
その意味なんてぜんぜんわからないけれどだいたい父さんがすることにわかることなんてなにひとつないじゃないか。
いや、よくわかってた。たしかにそういわれてみれば、うん。
だって父さんは胃潰瘍で49歳を少し過ぎた夏に胃を半分切り取ることになって入院中に聖隷病院から逃げ出して結局やってきたのは
いつだって毎日ボーリング場でしかなかった。
こんなとこでしかないなんてひどいとことだ。18歳のころだ。
父さんは黄色の体でギョロギョロの目は落ち窪み32キロの体に助骨が透けて入院服に回りの目がジロジロとそんななか
ストライクを3回とスペアを3回に最後の10フレーム目はターキーでストライクは6回ってことで210を叩き出したんだ!
歓声だってあがった。おおっておおっとね。
ねえ、あの人今にも死にそうよとどこかのカップルがいって
うん、死にそうだぜあのおっさんと
おい、あんまりいいすぎるなよな
だって、たしかにあの人は死ぬんだもの。
うん、たしかに死ぬんだけどね
そうだね、ようやくましになったなと父さんはいった。
こういう風に生きることがねといってゼーゼーとふらついた。
指を折って何かを確認して人生の7割は生きちゃったから5割よりはマシな生き方をしたからストライクだすなんてなあって笑った。
これで死んでもいいかななんて冗談もいった。
これで死んじゃってもいいんだろうなって冗談もついでに。
これで体中を早く粉々にして欲しいよ薬とか点滴とか母さんの金切り声とか親父がパーフェクトに粉々になることとかもうどうでもね。
でも誰が冗談なんてわかるのだろう。
その後父さんはボーリング場のトイレで死ぬほど吐いて胃を全部摘出しなくちゃいけなかった。
頭のおかしな渡辺先生がボーリングの玉みたいな胃をホルマリン漬けにもっていかかです?って意地悪そうに腕を振って笑った。
父さんは目をつぶって謝ってるように首を振った。
ホルマリン漬けの瓶がピチャピチャ音を立てていた。
病院の天井は蝋みたいにツルツルしていていやに気持ち悪かったな僕や父さんが映って僕は父さんが目を開くことを期待してたのかな。
もうこういうのってうんざりだよ。
こういうのっていつまで続くのだろう。
いつだって死ぬだけでってこのまま死ぬって踏みつけられてボーリングみたいに転がされて粉々でこのざまじゃな。
そんでもってやってくるのはたしかなここに逃げ出して。
草の生えた駐車場も漏電したネオン看板もフォークリフトに粉々の建物も今じゃ誰だっていやしない。
こんどはクレーン車に釣り上げられた毎日ボーリングの白地に赤の看板は傾き4トントラックにのせられてどこかに消えていく。
まったく何を見出してたなんてわかりゃしないよな。
そんなことあっというまに終わっちゃうからとっても変だよな。
説明……ひょんなことで僕は灘岡警察にいかなくちゃいけなくて、免許を書きかえるぐらいのことだったけれど、ちょっとした技術的なミスで10分ほど遅れちゃったんだ。道が込んでたとかその程度のこと。20歳の夏だった。とても暑い日だった。そこで僕は、増井武郎って馬鹿な警察官に最低の扱いを受けた。まだ灘岡大学でたての青臭い汗臭い交通課の人で、僕の先輩だとかいってたけれど、その内容はすごく長いのであんまり詳しくはいえない。僕がされた経験のなかでも最悪なものだった。取調室で汗でべとつく尻を触られて、肛門を舐められたんだ。チンチンをカチコチに液体窒素で固まらせて、釘をうって粉々になった気分だった。28歳になったいま思うんだけれど、よくあの、「マスカキ糞やろう」、を許せたと思う。その当時はただ惨めだったけれど、今だったら絶対無理だろうな。その時のこと。ひらめいて、悪くないなって。甘い甘い恋人を最初は甘い甘いケツの吸いつき具合に舌先の感覚を想ってたのに、一緒にいて欲しいよ一緒に神様みたいに寝てください母さんもう一緒にゴミ溜めを覗かないで僕を布団から引っ張り出してそろそろ神様をひかり輝かせて煌煌となんて煌煌と僕はひれ伏して腸の中を這いずりまわってる三葉虫ですこいつはたまりませんアソコのジャブジャブ具合が3億年前のくねりの時間ですなんていってたのに、寝てる最中になんだかひんまがったゴキブリが這いつくばって寝顔にいびきをかいてウンウンうなって反吐を吐きそうな顔をしてやがってつばを吐きかけたくてこのブス死ねってベッド脇の灰皿でついついぶん殴っちゃってカーンと、とっても静か。顔押さえウンウン唸ってそれでも眠っているこのブスめがってメンソールをプカプカ吸ってるようなスカスカの気分です。
|