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山旅ノートから(連作) …上河内岳夫
岩魚 …正津 勉
灘岡町段子川 …竹下 力







山旅ノートから(連作
     上河内岳夫

27 

皇海山(すかいさん)の秋
皇海山という奇妙な響きをもつ両毛国境の奥深い山は
深田久弥が日本百名山に選ばなければ
今のように知られることはなかったであろう。
かつてはアプローチが難しかったこの山も
栗原川林道が一般車に開放されて
沼田側から簡単に登れるようになった。
とはいえ長い林道は落石が転がる悪路だったから
登山口の皇海橋で駐車に苦労したのは予想外であった。
不動沢のコルまで沢沿いの登山道を登り、
まだシーズンには早いがところどころ
紅葉の進んだ広葉樹の森が私を喜ばせた。
不動沢のコルから右に折れると
鋸山から庚申山を経て足尾へと抜ける
かつて深田久弥が辿った険しいルートが連なり、
左に折れると皇海山への最後のひと登りとなる。
苔むす倒木を眺めながらあっけなく頂上に到達すると
狭い山頂は人、人、人で溢れかえり、
山頂標識には記念撮影の待ち行列ができていた。
これも百名山ブームに起因することは間違いないが、
自分もブームに乗って来たのであるから
文句を言える立場にないと頭では理解していた。
それでもどこかの旅行社が企画したツアーであろうか、
そろいの装備で固めた中年女性のグループが
まるで小学生のように隊列を組んで行進するのを目にして、
強い違和感を覚えたのであった。
ところが不動沢のコルまで下って小休止をとっていると、
くだんの中年女性のグループが
足尾に抜けるルートを足早に進んで行くではないか。
たちまち違和感は消えうせ、
現代における中年女性の元気さの一端に触れて
清々しい気分になったのには我ながら驚かされた。
皇海橋まで戻ると駐車台数がさらに増えていた。


28 

初冬の大岳山
大岳山の頂上で
コガラが餌を求めて
近づいてきた
手のひらに
柿の種をのせると
すぐに咥えて飛び去った
餌をもらえると信じたか
木の枝に何羽もとまって
順番を待つ風情である
冬の蓄えは分かるけれど
この大胆さはどうしたものか
これは私が食べるもの
君たちの餌として
持ってきたのではないのだから


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岩魚
         正津 勉

石づたいに流れを渉ろうして
ちらと水溜まりのそこに魚影をみた
ときにふっと頭に浮かぶやもう
なんだって気が違ったみたい

そやつをば手づかみせんと
やおら荷物を下ろし靴を靴下を脱いで
ズボンをシャツを捲りたくしあげ
そっと足を水の中に入れる

雪解けの水の猛烈なる冷たさ
隠れた石のそこのところに手を入れる
そのときその感触もありありと
はっきりと甦ってくるのだ

九頭竜川にあった河童時代
さながらにまで素早くとはいかぬも
わたしは暴れる尺近くあるのを
しっかりと両手にしていた

だがなんたる満面笑みのそのとき
ぐっと急に躍り上がり掌を滑るかと
ポッシャンと速い流れのなかに
そやつは掻き消えていた


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灘岡町段子川
          竹下 力

川の音が聞こえてきた。
2月12日の午後3時半ごろ
目の前の鉄橋を灘岡線の緑とオレンジの電車が通り過ぎる。
めぐろ橋近くの自動販売機で温かい缶ジュースを買う。
ポッカのおしるこでコートの左のポケットにつっこんで
熱さに指先を絡めると寒さに右手をギュッと握る。
鉄橋傍には階段があってすこし斜めになった日の光が
くっきりと23段を照らしてる。僕はゆっくりと降りる。
川の水は昨日雨が降ったせいか少し荒く濁ってる。
近づけば近づくほど川の音は聞こえなくなって
ドクンドクンと聞こえてくる音。川底に沈む石の転がる音や
羽根を休める静かな鴨たちが何羽か毛繕いをしてる。
橋の上を自転車で通り過ぎていく人たちや
追いかけるように子供たちのやわらかな声。
暖冬の2月にはコートに首を突っ込んで
自分のにおいさえ感じられない冬だ。なんだかな。
洗濯物の渇くかすかな洗剤のにおいがする。
そういうのはいいかもな。橋の向うに灘岡団地があって
それぞれの家があって僕にだってある空は
もっともっと遠い向うにいってしまうように青く
ぐっぐっと引き寄せるぐらい近い太陽がまぶしくて
川はキラキラひかっている。170センチの
僕の背丈よりも高い枯れたススキが
風で倒され横倒しになって干からびてる。
喉が渇いているみたいに川のへりに穂を降ろしてる。
ススキがなにを欲しているか欲しないからそうなっているのか
よくわからないけれど父さんが
ベッド横で吐いて干からびているみたいだ。
そういう関係についてはすごく詳しいんだよ。
父さんは酒の飲みすぎとかセブンスターとか
1級建築士になって独立してにっちもさっちもいかないとか
きっと考えうる原因をひとつにまとめると
胃がんになって抗がん剤とかミラドールとか
ソラナックスとかマイスリーとか
医者がいってるような薬を適当に
メチャメチャに体にいれられたから
父さんだってきっとなにかを欲してたと思うよ。56年の生とか
考えうる限りのものを。父さんは
死ぬ直前だからなのか喉が渇くから死ぬ直前なのか
病院にはたくさんの父さんの友達や母さんが
お前はいいやつだったとか、まだだよなんて声をかけて
父さんは目を閉じるのも辛そうに頷いていた。
死ぬことだって辛いんだっていわんばかりに。
そんなこと思ってもないかもな。ただ死ぬだけじゃね。
死ぬ前にしたいことがあったのかもな。それじゃあ
死んだあとにしたいことだってあるのかな。きっと過ぎれば
なんだっていいんだろうけれど。おっと気づけば
僕のナイキのスニーカーの泥のついた靴先に
セブンイレブンのビニール袋がひっかかっている。
こびりついたカチカチのうどんこのようにみえる。
片足がリウマチで悪くてびっこを引いた父さんの86歳の
芳子おばあちゃんはちょこっと頭がいかれていて
チューブだらけの父さんの口にあるチューブを一本抜いて
好きだったでしょうって、喉が渇いたでしょうって
喉が渇いたでしょうって、好きだったでしょうって
水差しに水団のおしるこを詰めて父さんの口にいれたんだ。
母さんやみんなはひどい慌てぶりだったし父さんは
コポコポ音をたててゲエッとせき込んだし、すごい光景だったよ!
おばあちゃんは髪乱し父さんの口を押し開いて水差しをグイッと
ギャーギャーと看護師さんやら先生が止めにきた。
父さんは溺死するじゃないかっていうぐらいで父さんは
そのおかげで床擦れや火傷やひどいものだった。
でも誰のせいでもないよ、きっと。父さんは死ぬんだから。
だから芳子さんは泣き出したりしたんだ。
僕だってそのひどさに泣き出したりした。みんな泣いた。
父さんがひどすぎたから泣いたのか
泣いたからすごいひどいと思ったのか
もうなんだか昔の話みたい。おっと気づけば
河川敷には義足の増井君がいて
壁に向ってキャッチボールをしている。
この先のおかめ坂をブレーキもかけずに自転車で
降りていったら自動車事故でサドルが太ももに突きささり
ハンドルが胃にはまり込んで胃の破裂という診断だった。
でもよく死ななかったということだった。
こちら側とあちら側の向うにたしかなそちら側があって
たしかなそちら側はこちら側とあちら側
そしてまた別のあちら側やこちら側そちら側
うん、悪くない。僕や父さんは区切られた場所にいく。
でも段子川は遠州灘につながり海になったりする。変な話だ。
僕は川のこちら側にいてあちら側の増井君をみてる。
腰を下ろしおしるこを飲んで白い息がモワッと上がる。
増井君の投げたボールは壁にあたって跳ねかえると
増井君はそれを拾いまた投げて壁にあたると増井君が
望んだ方向ではなくて増井君はびっこを引いて
ボールを取り壁に投げた4度目。いきおいよくはねかえり今度は
川の真ん中に落ちた。波紋は広がって川岸がユラユラゆれて
鴨は飛び立ちススキがサワサワと音をたてた。
増井君はしばらくただずんで僕が
病院で臨終する瞬間の父さんをみようとしてるみたいに
ボールが僕のところまで流れるのをみていた。
その表情は僕を責めてるようだったし
僕が僕を責めてるようだったしそんなのも変だし、
僕が僕だって僕を責めたってどうにもならないし、
結局は川面にうつる僕の今の表情で
こういうことも起こるんだなって僕は缶をおいて
ジーンズを捲り上げ靴下を脱いでただんで靴を脱いで
ジャバジャバと水の中にはいっていった。
冬のくせにしっかりと冷たい水で体中がキリキリ痛み
悪くないよな、と思った。僕は
これから起こることを目にするんだろうな。
それはたしかに起こる断定されたできごとで
そういうのってひどいなって思いながらも
父さんが死んだ瞬間には起こったことになったりする。僕は
ボールを水の中から拾い上げて
縫い目なんかを確認して指に挟んだ冷たい水が
僕の指先に伝わり病室201号室のゴムの臭いに
鼻をすすってボールを投げ返すとスポッと抜けて増井君の背中の
あちら側の壁にボールが飛んでいってしまった。
増井君がジャンプするよりもはるか高く。増井君は
びっこをひいて走るとススキの中で転げてしまった。ボールは
寸分互いもなく同じ僕の場所へ。そういうのって信じられないな。
「まったくなにしてんだよー」
「そんなことしてなんになるんだよまったくー」
「いくぞー」
僕は川に浮かぶボールを拾い上げて
はるか壁の向うにもういちど投げつけた。


説明……父さん馬鹿だよ! そんな! 思いもしないよ。そんなこと。どんなって、そんなこと。そんなことって、こんなこと。例えば灘岡公園のキャッチボール。2月の温かい空、摂氏16度。体はポカポカ、息ハッハ。ハイボール、ロウボールたくさんの速さ。僕のミットめがけて打ちこんで、左手はジンジンと痛く、僕だって父さんのミットめがけて打ちこんで父さんのしかめっ面にヒヒヒと意地悪く、ヘン、糞食らえだって馬鹿ってしたら、父さんどんどんボールもって近づいて、どんどん走ってきて、僕めがけて走ってきて、このやろう、殺してやるとどんどん走ってきて、ゴミ箱とばしジャングルジムの子供たちを飛ばし、僕めがけて顔面めがけて、投げるフリして投げようとどんどん走ってきて走ってきて、僕を殺そうと走ってきて。僕必死で逃げました。走って、僕は走って、父さん走って、僕走って、父さん走って、父さんヒヒヒと笑って僕走って。そんな馬鹿な! どんな? そんなこと。そんなことって、こんなこと。どうでもいい? うん、どうでも! そんなこと。もうこれじゃね。ダメってこと。ダメってことさ。うん。 


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