灘岡実家 竹下 力
ごんげんやのバス停を下りて
吉田製麺所があった。
2号棟につながるたくさんのホースがみえて
煙がモクモクとでてゴゴゴという音が聞こえた。
錆びだらけのフォークリフトやパレットがあって
白い防塵服を着たパートさんが歩いていた。
隣に社長の古めかしい黒くくすんだ2階建ての家があって
くすのきが1本はえて空に伸びていた。
目の前には3年前に新築したばかりの黄色に光って
チカチカした看板の牧田クリーニング屋があった。
開店10時前の1台しか入らない駐車場で
母はホースの入口を潰して捲き水をしていた。
製麺所にいた青大将みたいにユラユラ揺れて
シャバシャバ音がして排水溝に流れていった。
サッと虹が沈んでは浮かんで
8月の空にしっかりと消えていった。
3年ぶりに帰ってきた僕をみると母は頷いて
水を止めるとサッサとやってきた。
白くなった髪の毛を1つに束ね
灘岡救急病院のエタノールのにおいがした。
となりの吉田さんがねえ……
あいさつもなしにそういった。
口をつぶれたホースみたいに尖らせて
顎をクイっとあげて卵を飲むみたいに何度も頷いた。
それがねえ……
吉田さんの家をパッとみた。
わかるわよね……
死んだのよといった。
確かに僕はそういうことってよく覚えていて
胎児の透明な血管みたいに僕にずっと残っていた。
ボンベから伸びるチューブに締めつけられて
車椅子をキコキコ引きずってる吉田さんをみた。
僕が灘岡をでる前から吉田さんは肺が悪くて
そうだな、そうなるなと思っていた。
ただ不思議だな、死ぬってわかってたのに死んだなんて
死ぬ人は生きてた人だってわかるからよくわかるんだ。
なんてね、よくわからないよ
死んだなんてやっぱり。
そうだねえ、そうなっちゃうんだけなんだねえ、と母は笑って
僕の胸をトントンと人差し指でつついた。
クリーニングの看板をみあげて
父さんは2階にいるからねといった。
僕は玄関に鞄をおろして階段を登って
たしかにいろんなことがあったよな。
雨の日の灘岡湖花火大会の帰りに日産セレナで
道路の真ん中を歩く中学生たちをよけたんだっけ。
スリップしてクルクル回って電信柱にぶつかって
2人で灘岡救急病院に運ばれたことを覚えてる。
エアーバッグが開いて助かった僕がいて
肋骨が3本折れてヒーヒーいってる父がいた。
それはいるべき父で
でもいたという父だったからかもしれない。
しれないということではなくて
なくもないということなんだけれど。
けれどということでもなくて
たしかなことやたしかじゃないと思う僕がいる。
父は防塵服みたいなものを着て
透き通る赤い細い血管や青い太い血管がみえた。
羊水に浮かぶ赤ん坊みたいな格好で
ときどき瞼を掻くと目をパチパチさせベッドで干からびていた。
ボンベがコポコポなってチューブが首を締めつけて
鼻の中に管がはいったまま呼吸をしていた。
事故で胸をうってからどうにも肺が悪くなって
穴があいて頭に血がまわらなくなったということだった。
痩せて目がめり込み口が開いてガリガリで
呼吸はどうにも苦しく肺の中の音がシューシュー口から漏れた。
雨がザーザー降ってブレーキランプが真っ赤に滲んで
救急車に運ばれる交通事故の日のことを思い出した。
ずっと死んでるんだからと僕は首を振って
ベッドの傍の簡易便所が臭かった。
クーラーの効きは22度のくせに悪く汗は垂れ
車椅子が折りたたまれて埃をかぶって錆びついていた。
ただ変なんだよ、起こってることも起こらなくて
起こらないことが起こったりするって感じるんだ。
なんてね、よくわからないよ
死ぬなんてねやっぱり。
そうよねえ、わかるわよ、と母がいって
僕の隣にいつのまにかいた。
父さんねえ、なんだかもうねえ……
どうしようもないんだけど……無理みたいといった。
死ぬから当たり前よねと首を振って
父さんをずっとみていたからって感じでさ。
死ぬなんて、そうだなあ、僕は顎をクイっと空気を飲みこんで
死なないことよりも、あっという間だよ。
あっという間に、僕だってひっくり返って
ベッドの上で干からびているだろうからね。
窓からみえるくすむ死んだ吉田さんや
浮かぶ青い空や沈むような雲をみているだろう。
ガリガリの胸や肺の血管に送られる酸素を感じて
腐ったドロドロの紫色の血が頭を巡っているだろう。
酸素ボンベを飲みこもうとチューブを噛んでベッドの上で
死なないとか死ぬ間際のことを消化しようと思っているのだろう。
みえるものがみえたなんてそんなこといって
みんなそんなもんだよなあ、そうでもないかもな。
そうねえ、全部夢だったらなんて
思っていたんだけれどねえ、と母はいった。
死ぬときはきっと夢なんて
みないものかしらね。
どう思うのかしらね……
母は父の頬にそっと手をのせてさすっていた。
白い髭がジョリジョリ音をたてて
母のアソコに髭をこすっているところなんかみたんだっけね。
きっとさ、死なないとかそんなことって
そんなことでしかないかもな、どうなんだろうな。
うんわかるよ、死ぬことなんて
死んでないから夢かもねと僕はいった。
父のひなびた体にチューブが太陽にキラキラして
窓から浮き出た血管みたいな脈打つ虹がみえた。
虹に映る父の首の静脈はニュルと動いて僕の手をのせて
フォークリフトに頭を潰された青大将みたいな感じがした。
母は外でいつのまにか捲き水の続きをしていて
ずっとバシャバシャ響いていた。
説明……不安はどこにもなくて、でもどこかにあるようで、ベッドでシーツを握り舌をこすりつけ、足を絡め金玉なんかを握っていると、いつのまにか痩せこけた僕だけが、眠ることができたらと暗誦しながら起きている日々に変りはありませんが、午前4時の紫の朝なんかに死んでるんだって力を抜いていたら、実家の製麺所や隣の家にいる肺の悪い名前もしれないおじいちゃんが、酸素ボンベを片手に歩いていて、僕の金玉を触ろうとしてきました。怖くなってつきとばすと、ボンベが外れて道路の真ん中で、頭を潰された蛇みたいにもがいていたことを思い出したので、書いてみました。
牧田設計事務所
思い出すことなんてそんなにないけれど
30年間来る日も来る日も設計図をかいて
なにもなかったみたいに髪の毛が薄くなって
パンツについた小便みたいなシミが顔中にできてまで
2階建ての家や平屋の家でもコンクリート張りの
そんな家にはどうにも偏見が強くて杉の木で
風通しのいい窓や光を失うことばかり嫌って
温かさや音や匂いを感じる家を設計し続けても
砕け壊れて朽ちちゃうシロアリの家やら
ショベルカーに踏み潰されていなくなっていく人たち
あった形やあった色を感じることをあの人たち
どう感じていたのだろうとよくいってたよな
死ぬなんてそりゃ簡単だよ
だって思ってればいいことなんだよ
そこにみえるものやきこえるものが
みえないものできこえないものだからね
なんて製図盤の前に座ったままTONBOのHBの鉛筆を
毎日毎日コクヨの鉛筆削りでクルクル削ると
設計図なんかを広げて指で円を描いてぶつくさいって
それはそれで思い入れるものがあったんだ
あったんだっていっても納得できもしないけれど例えば
父さんが僕の頭をキリンのビール瓶でぶん殴ったことに
なにを感じるかってそれはさなーんもないんだけれど
死んだほうがいいってお互い泣き出したりするぐらいで
そんなことは結果のない原因や原因のない結果みたいなもので
それはきっと僕も父さんも糞みたいなことばっかり感じる
どうにもエゴ丸出しの感覚だらけだから父さんは
祖母が死んだときにワッと泣き出して
祖母の口に灘岡湖の周回路に落ちてる椎の実を3個口にいれて
焼き残っていた金歯の親知らずの隅にのこってドロドロ
溶けてひとつになった黒焦げの椎の実に面白がる人なんだよな
感じるだけなのに意味がみつかりそうにないよって
泣き出したくせに、ヘヘヘと笑って坊さんに怒られたっけね
なんでもかんでもなかったみたいにしたがる癖と一緒でさ
父さんにだってあっただろ例えば雲低の低い雲が直線に伸びて
雲頂が円のように広がるのが好きでも雲を裂くような夕日が紫色に
変る瞬間も好きだったりするのはどういうわけなのだろう
周回路の椎の木並木から落ちた実を咥えた羊歯植物みたいに
あるようでないような透き通る葉脈がみえる葉のように
消えたがる癖もあったな植物は植物で
影や光を好んだまま死んじゃったりするからだね
どうにもそういうことには敏感さでも父さんの泥酔の話には
0・8をかけて4で割ったり30乗していた僕がいたよな
出せない数字や家の構造計算をだす父に憧れて
茶色に日焼けした設計図も丸めて父の棺桶に入れてしまえば
僕がそっと父の口の間にいれた椎の実3個や
羊歯に咲くような薄紙の造花がしっかりあって棺桶の四角い窓を
締められる顔にそっと重なるように光が閉じ込められたりして
光が閉じ込められて区切られた光なんて嫌いだったんだろうな
死んだなんて死んでることの繋がりだからかなそんな風に
僕は考えるんだあの実は焼け残ってるのかなってさでもね
みあげたらみえるものは今にしかなさそうだしそれは
火葬場の天窓から差し込む光や父の嫌いな大理石風の床に映る
僕や鉄板や骨がサラサラ落ちて母がそれを手ですくって
(そんなことするんだよ母さんは)大理石に手跡が枠になって
母の手につく骨をみてたら父は母の背中を
ガリガリ引っ掻く癖もあってそんな傷に父はなにをみるのだろう
傷ばかりつけるのが大好きでそのくせ傷が産まれた瞬間を
こわがったりしてた癖もあったよなそうだよね
母さんの帝王切開の傷はみるたびに吐きそうだったもんな
でもさそこにはみえない僕がいたんだけれどね
別にそうなったからそうなっちゃうんだろうけれど
それはきっと感じ過ぎるからだし僕がさでも
みえないものを父さんに付与している僕は
付与っていって危ないよな神様みたいこといってそうだった
部屋に窓をつけるのを嫌った家の意味さえしらない望遠鏡1台を
つける穴さえあればいいっていう天文学者の三好さんと
父が殴り合いの喧嘩して窓をつけない設計図をかいてそのくせ
2階に14個も菱形の窓をつけて建てちゃってそんなもんさと
棺桶の蓋はしっかりと閉じてその中も今じゃ光はちぎれ真っ暗で
パチパチ燃える死をみながら死が燃えるのをパチパチ
きいてる僕なのにみえるものは母さんのアソコみたいな
9月の空の濡れた場所やその奥に蠢く黒い雲や襞の鰯雲
そうやっていろんなことが入り混じって過去や今やら
感じることしか感じれないんだよ暗闇だってさ
雷がみえれば帝王切開だもんなあれは
だから父さんは雷が嫌いだったのかもしれないよな僕は
そこになにかを付与してるからやっぱ危ないよでも父さん
行きつくところなんてそんなところじゃないか今だって
その遺影の影の下で何をみているつもりなの
そんなことわかりはしないよな
わかってるでもわかってないけれどもね
感じることだけを感じる以上のことにしたくて
そこに僕はただみてもきいてもいないからだな
死なないことを
死ぬことだけを
そうなんだよたったそれだけ
たったそれだけのことなんだ
そんな口癖もあったっけね
僕だって死んでなにもなかったみたいに
椎の実を噛み砕いて焼け残る骨になるんだろうけれど父さん
死ぬ瞬間に思い出すことがたくさんあったんだろうな
説明……父さんが死んだ日に、なにを思っていたのだろうとよく考えます。8月の葬列は暑く、太陽は近く、坊さんの声は遠く、くさい汗のにおい、チクチクする喪服や痺れた足、腿の骨をもった感触、火葬場の煙、知らない人たち、時間はズレて捩じれて全部が入り混じって、こういう結果って原因しかない原因のせいだって感じたら、それは結局、死ぬってことばかりなんだなと思いました。そして、僕が父さんを殺したんだっけと考えていたら、火葬場に向うバスの窓からゲロを吐いてしまいました。なにをやっても死ぬはずなのに、なにをやっても死なないからです。
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