浜松台風 竹下 力
午後6時の台所の窓を開けて空を父はみていた。
積乱雲がすごい早くさかさまわしに回っていた。
雲頂は弾けそうに黄色く雲低の乱層雲は黒く滲んでいた。
クルクル回っている空は台風のせいでひずんでいた。
空色は糖尿気味の父の小便みたいな色に変わっていた。
32年前に上陸していらい浜松に上陸する台風8号は
明日の朝までに400ミリの雨を降らせるらしかった。
985hpaで強風域が400キロということだった。
黄色の雲の下で深田さんの家が強度8の風にユラユラ揺れて
庭にある今の空色のアジサイが散ってクルクル回っていた。
ぜったい、父の小便だよなと私は思った。
父はアスパラに塩と胡椒をかけフライパンにバターを乗せていた。
バターは溶けてジュージュー空色に焦げていた。
起こっていないできごとが起ころうとしていた。
起こっているできごとが起こっていないことになりそうだった。
バターはやっぱり父の腎臓の調子が悪い色で焦げ続けていた。
たぶん、父は死ぬんだろうなと思った。
あっという間に、すごく早くそれは、
起ころうとするできごとが起ころうとするからだなと思った。
積乱雲が激しく流れていくたびに空の色は黒く変わって
焦げついた空を埋めていくと積雲はムクムク黒くなり続けた。
ただ黒ってだけなのにいろんな黒だよなと思った。
父はフライパンにキッコーマンの辛口醤油をかけ
指をフライパンに入れて味見をすると指先をみていた。
舌先ですくえなかったキラキラ光った醤油が黒くたれて
それに舌を這わせなんども唾液に絡めて吸っていた。
16年前に母の乳首を吸っているときみたいだった。
寝室で母は顔をしかめ父の背中に爪をギリギリ差し込んで
さかさまわしの黒い雲みたいな声を上げていた。
そういうのって耐えられないよなって思った。
ひずんだ乳首が半分に切れそうで血がたれていた。
父は私を噛み殺すんだろうなと思った。
あるいは私が父を噛み殺すんだろうなと思った。
すごく早くそれは、あっという間に、
取り返しのつこうとすることに耐えられなくて
取り返しのつかないことを起こそうとするなら
それが取り返しのつくことになるいぜんの32年前に
父は掛川の実家で雨戸の向うの浜松台風をみていた。
真っ黒な空や父に起こるはずの腎臓障害色の雲が重なって
さかさまわしにクルクル回っていた。
強風域が400キロで985hpaの台風だった。
祖父は居間を眺めながら雨戸に板を打ちつけていた。
強度8の風が吹き卓上の箸がクルクル回って落ちていった。
祖父はかなづちを親指に打ちつけてしまった。
真っ黒なバチ爪の親指に乳首みたいなピンクの血豆ができていた。
父は起こるはずのことをみようとしていた。
そこに起こったはずのことだってみようとしていた。
今にもはじけそうな血豆を父は居間からずっとみていた。
今にも床に垂れていきそうな醤油を私はずっとみていた。
キッコーマンの唾液の混じった醤油がフライパンに落ちた。
母の助骨の浮き出た青い乳房から血が垂れているみたいだった。
父はかまわずさい箸でフライパンをまわして
ジュージュー音がして父の小便みたいなにおいがした。
フライパンはしっかりと蒸発して醤油は沸騰し続けていた。
こういうことがいつか起こってしまうんだなと思った。
私はフライパンから立ちのぼる煙をみていた。
煙は強にスイッチを入れクルクル回る換気扇に吸いこまれ
クルクル回って台風8号になろうとしていた。
そこにつながる私をみていた。
あっというまに死んじゃうところをみていた。
すごく早く死なないだろう32年前をみていた。
母だったり、父だったり、私だったり、
32年後に起こったはずのことを私はずっとみていた。
説明……起こるたびに起こらないことがたくさんあったとして、それはたしかに、起こるはずのことであったりすればいいのに、そうでもないのはただ、そうなるはずだっていうことを、そうならないはずだってことにしたのならそうなるはずだろうことで、そうなればいいのかもしれないことを、そうなるはずだったということだったので、そんな感じで書いてみました。なにをいっているのかよくわからないので、みんなみんな死んでることにして書いてみました。みんなみんな死なないことにして書いてみました。
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