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山旅ノートから(連作) …上河内岳夫
原谷川 …竹下 力
奇妙な果実 …正津 勉






山旅ノートから(連作)
            上河内岳夫


「ゼーロン」に魅せられて
早春の矢倉岳に向かう道すがら
松田の街外れから眺めると
 富士山が
 矢倉岳と
同じくらいの高さに見える
雪をまとい白く輝いているが
高さも大きさも感じられない
まるで牧野の小説のように
幻想的な富士の姿に
私は呆然と立ち尽くした

10
春の御前山に登り出遭ったのだ
五体投地をするチベット僧のように
登山道に全身を投げ伏す人々に
そっとそばに寄って見守ると
敬虔な信仰心の発露を感じて
いかなる神を崇めておられるのか
とでも訊ねてみたくなった
だが彼らはカタクリの可憐な花を
カメラに収めようと必死なのであった
ぬかるんだ登山道をゆっくり下ると
山麓にはミツバツツジの花が咲き
ウグイスの鳴く声が聞こえてきた

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 原谷川

       竹下 力

 父さんがうまれたのは昭和25年で、
 8月の暑い日、臨月のおばあちゃんが、
 原谷ダムができるまえ、透明な原谷川に足をつけて
 すずんでいたら突然、破水して父さんは、
 頭から川につっこんだ。おばあちゃんが、
 ふんばって産道で、父さんの首をしめてたおかげで
 頭が粉々になることはなかったけれど、別におばあちゃんは、
 父さんを殺したいわけじゃないのに(たぶん)、
 そうなっちゃうんだ。でも思うんだけれど、
 うまれるまえに父さんは、
 おばあちゃんの羊水につかっていたから、
 川につっこんで溺死するってことと
 たいして差はないんじゃないかな? 
 白く光る川に、虹みたいな羊水がキラキラ流れて
 へその緒が、溺れたイトミミズみたいにユラユラ
 揺れていた。
 
 僕がうまれたのは昭和53年で、
 8月の暑い日、結婚する前の父さんと、臨月の母さんが、
 原谷川に繋がる灘岡湖で、ボートにのってデートをしてたら、
 どこかのカップルのボートとぶつかって
 転覆した。父さんは溺死しそうで母さんは、
 破水した。僕はどうやら逆子らしくて、
 足を湖につっこんで、頭を羊水につけていた。
 母さんの産道にヘドロとイトミミズが入ってきたけれど、僕は
 どっちにしろ溺死してたから、腐ったって同じだった。
 それに気づいたら、僕には足をつく場所がなかったんだ。
 父さんはまだおばあちゃんの子宮に足をつくことができた。
 でも僕は、100mの深い水の底。
 僕も父さんも死ぬことは同じだと思うけれど。ただ、
 すごく感じるのは、死なないってことは、
 子宮に足をついて、しがみつけるかってこと。
 アポロ11の宇宙飛行士が、月に足をつけてふんばってるあいだ、
 生きているのがわかったみたいに。
 緑色の湖の表面に、ガソリンみたいな母さんの羊水が、
 キラキラ光っていた。父さんが母さんを、
 ボートにひっぱりあげると、僕はすっぽり生まれて母さんの
 へその緒が、僕のからだ中に巻きついていた。死体に群がる
 イトミミズみたいだった。僕のへその緒は、
 母さんがいたみでからだを痙攣させるたびに
 ボートがユラユラゆれて、殺したいわけじゃないのに(たぶん)
 僕をギュウギュウ締めあげた。信じられないけれど、
 母さんは僕を溺死させてるくせに、首まで締めあげたんだよ。
 原谷ダムの底に沈んでる、首吊り自殺した建設反対派みたいに。

 僕と父さんが死にかかったのは、昭和63年で
 8月の暑い日、原谷川で、僕が10歳のころ、
 父さんと一緒に原谷ダムのせいで干からびた、
 川の中洲で遊んでいたら、
 警報がなった。10万トンの水がダムから、
 破水した。おかまいなしに遊んでいたら僕と父さんは、
 取り残されてしまった。
 中洲に立ちつくして、あんなに透明な青い空が黒く濁って、
 雨が降ってきた。どんどん僕と父さんは溺れだして、
 しがみつくところもなくて、父さんは僕を肩車したけれど、
 僕と父さんは流されて天竜浜名湖線の、鉄橋の柱に
 しがみついていた。柱にはイトミミズがウジャウジャいた。
 ガソリンみたいな色だった。でも父さんは、僕を落とすことなく
 ビクともしなかった。雨のせいでなにもみえないし、
 僕の足はユラユラゆれて怖くなった。
 だって足がどこにも、ついてないんだ。
 父さんは濁流にのまれて
 くさい泥水とイトミミズをのみながら、
 母さんのアソコみたいな切れ目を川につくって、
 締めあげられてブルブル震えていたけれど、
 父さんはまるでおばあちゃんの、
 子宮に足がついているみたいで、やっぱりビクともしないんだ。
 そのまま夜になって雨が上がったら、空に月がみえるころ。
 濁流はすこしおさまったけれど、まだどうにもならなかったころ 
 浜松自衛隊のヘリコプターがやってきて、僕と父さんを
 吊り上げた。まず最初に、
 父さんが僕を隊員に渡したら、僕には足をつく場所が、
 どんどんなくなっていって、空に引きずられるんだ。
 自衛隊員は僕を絞め殺すみたいに、いろんな紐や金属で
 僕をギュウギュウ縛りつけて、一緒に空へのぼっていった。
 僕は足をつけたいだけ。でも、そうなれないんだよ。
 思うんだけれど、
 子宮に足をつけてた父さんよりも、
 僕は先に死ぬんじゃないかな? 別に望んでないけれど、 
 宇宙空間に放り投げられた宇宙飛行士みたいに、
 どうしようもないからさ。
 下ろしてくれよ。ずっと思ってた。父さんを先に上げてくれよ。
 上をみあげたら、白い月がキラキラしてた。下をみおろしたら、 
 原谷川の泥水もキラキラで、泣きそうになった。
 思うんだけれど、
 僕がこのまま月までいって、足をつけることができたなら、
 さぞかしでかい子宮に、足をつけているってことに
 なるね。でもそのぶん、深さ100mはありそうな
 灘岡湖みたいな羊水のなかで、溺死してるってことにも、
 なるけれど。でもそのぶん父さんは、もっとでかい
 ところに足をつけているわけだから、深さ1万mぐらいはある
 日本海溝みたいな羊水に溺死していることに
 なるけれどさ。でも僕よりましだよ。父さんは足をついて、
 死にそうにないから。僕はユラユラゆれて
 ヘリコプターに吊り上げられて、どうしようもないんだ。
 白い月で首吊り自殺して、真っ暗な空の羊水で溺死してるから。


説明……おばあちゃんが死んだ日は、2月の寒い日でした。原谷川には水がひからびていて、なにもなさそうだったのに、午前7時ごろの朝の月にキラキラ輝いて、泣きだしたくなりました。だって、おばあちゃんの体を弟が湯灌してあげるのをみていたら、自分が死んじゃうような気がして、僕はそこから逃げたから。僕だって湯灌ぐらいできたはずなのにできなかったから、おばあちゃんが死んだ日に、僕は自分が、どうしようもない糞ったれだって思うようになりました。おばあちゃんみたいに、浴槽に浸かりながら首吊り自殺したらいいんだって。もうどうしようもないからね。そんな詩です。

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奇妙な果実

             正津 勉

どこか遠くで犬が鳴くようだ
いまや花は散ってもう樹の下にいない
酒盛りをして浮かれさわぐ馬鹿どもらは
急にひどく寒くなっている

これとなにも為すこととてなく
いつもの暇潰しの散歩というしだい
池端から上水へとまた上水から池端へと
いつもの指定のベンチに坐って

さっきまで肩を寄せあっていた
カップルたちも立ち去ってしまって
ぐるりぐるっと人影ひとつないそこに
ひとり眺めやるとなく眺めること

あたりはうす暗く暮れかかり
魚も水鳥たちももう眠りに就いたろう
まっ黒く鈍く光る水の面を睨み
そしてしばし仰ぐのだった

みごとな枝ぶりの桜のいっぽん
あれはなにかと縊れてぶらりぶらんと
ぶらさがって揺れているじしんを
さながら奇妙な果実のように

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