ぼんくら bonkura/2006/4/1 home 


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三月の渓谷を歩いて …正津 勉
山旅ノートから(連作) …上河内岳夫
サーカスの衛星 … 都竹 亜里紗
皮膚粘膜眼症候群(スティーブンス・ジョンソン症候群) …竹下 力






三月の渓谷を歩いて

          正津 勉

三月の渓谷を歩いて
残雪のうえに点々とつづき
断崖のそこへ消えている足跡
シカ、カモシカ、キツネ、タヌキ

かれらの飢餓の輝きほどに
じぶんの生が直線を描くことは
靴がおもい思いは暗い
汗が頸に鎖になる

飛び交い囀る鳥……

三月の渓谷を歩いて
緑はまだ堅い芽の中にある
雪の重みにかしぎ枝を折った
ブナ、ケヤキ、ダケカンバ、シイ

それらの沈黙の深さほどに
じぶんの生が燃焼に備えることは
膝がわらう笑いは低い
汗を拭い仰ぎみる

雲を吹き捲る風……

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山旅ノートから(連作)

           上河内岳夫

8
笹ヶ峰の登山口から
妙高山をめざした秋の週末
黒沢池ヒュッテに近づくと
犬の吠え声が聞こえてきた
静かな山の中で一体なぜと
首をかしげたのだが
二匹の山岳救助犬がいて
じゃれあってうるさいのだ
どうして犬を甘やかすのだ
私は少し腹を立てたのだが
誰もが無関心のようである
日が落ちるとすぐ夜になった
その夜は星も見えなかった
その夜は犬も吠えなかった

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サーカスの衛星

      都竹 亜里紗

サーカスというのは
高度0メートルを巡る衛星のようなもので
わたしたちは着陸するけど
地上の人間ではなくて
衛星サーカスの住人なの
わたしは
サーカスで生まれて
サーカスで育ったから
外の世界のことを知らなかった

少し大人になって
星の王子さまを読んだとき
似ているなと思った
バオバブの樹は生えないけど
テントを支えるポールがのさばって
薔薇の花やキツネに似た人がいて
おしゃべりすることもある
そして
わたしは独りぼっちで
わたしがなぜ一人なのか
教えてくれる人はいなかった
心は孤独な狩人にあこがれて
だれかに食いつきそうだった

一つ違いの男の子がいて
その子を好きだった
世界に男の子が一人しかいないような状況だったから
それを
恋とか愛とかいうものと思っていいのか
自信がなかった
手っ取り早い間に合わせかも知れない
という不安があったのね
サーカスの外で本当の恋を捜せたら
と思っていた

背の高さを競うビルの風に囲まれた
レンガ歩道の公園の広場に着陸した夜
子犬のロムとラムを連れて
スケッチブックの大きさの天窓から空を眺めていたら
星がこぼれて落ちてきたの
いつのまにか彼がいて
冷たい水を注いだコップでポシャンと受け止めて
一口のむと
ちょっと深刻な顔をしていたかも知れない
わたしに差し出したの
澄んだ水は特別な味はしなかったけど
グラスの中で
星が金魚みたいに輝いていたのを覚えてる

それからかな
二人がロムとラムみたいに
いつもいっしょなのは


風の吹く丘の向こうから、サーカスと移動遊園地がやってくる。
アトラクションの列に、野球帽の少年が並ぶ。
演技を披露するのは
サーカスで命を結んだ二人ぼっちの恋人たち。

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皮膚粘膜眼症候群(スティーブンス・ジョンソン症候群)

                                竹下 力

※高熱を伴って、発疹・発赤、火傷様の水ぶくれ等の激しい症状が、 
 全身の皮ふ、口や目の粘膜にあらわれる。

 風邪薬スッキリ君の説明書に
 こうあって、僕の父さんは6月の
 かちかちの満月がみおろす聖隷病院
 205号室のベッドにいて、
 そうなってた。
 点滴をして、40℃の熱と水ぶくれでぶよぶよの父さんは、
 塩ぬきされるアサリみたいに痙攣しながら
 梅雨どきの浜名湖くさくて、死にそうだった。
 あるいは、死ぬはずってことだった。
 祈りでもささげるしかないわって母さんが泣きだして、
 中田島砂丘みたいなざらざらの月に手をあわせていた。
 
 その昔、僕は父さんのことがまだ好きで
 12月の満月がみおろす聖隷病院、
 105号室のベッドにいて
 卵アレルギーで痙攣しながら、
 からだ中が真っ赤に膨れ上がって、
 ヒーヒーいって潮をふいていたとき、
 僕は、全身の血を入れかえるようなことをした。
 父さんは、俺の血に入れかえてくれよ、そういってくれた。
 父さんは今、ちょっとした風邪薬でアレルギー反応をおこしてる。
 僕は、僕の血に入れかえてくれよ、そう父さんにいうつもりは
 さらさらなかった。
 父さんもヒーヒー潮をふいてたけれど、なにを入れかえても無駄
 だっていわれたから。
 でもこの風邪薬、僕が父さんに命令されてかってきたんだ。
 まだ僕は、紀元前2千年ぐらいから父さんの奴隷でも、
 別に毒殺するつもりなんてなかったのに、
 僕は父さんの血を、毒に入れかえちゃったんだよ。
 でも、父さんのせいなんだ。
 その日の夜、べろんべろんで仕事から帰ってきて、
 40℃も熱があるから死にそうだ。火だるまだ。死にたくないよ。
 なんてビールと一緒に、馬鹿みたいに薬を全部、
 20包飲んだから。
 父さんはその日の午前2時ごろに、
 突然起き上がると、両手を胸にあてて祈るみたいに目を閉じて、
 カーテンの向うの静かな満月に、隣で寝ている母さんに、
 2リットルぐらい溶岩みたいなゲロをふいて、苦しみだした。
 大きな目から、赤い涙がでていた。
 ゲロくさい太い唇は、砂漠の毒グモが食いちらかしたような
 白い小さな穴がたくさんあいていた。
 水ぶくれが、父さんを2倍ぐらいにした。
 
 その昔、僕は父さんのことがまだ好きで
 父さんの手と、僕の手を、あわせて笑いあっていたとき、
 父さんの手は、満月みたいにざらざらかちかちして
 僕よりも2倍ぐらいあることに、
 驚いたけれど、
 それとは違ってるのかな?
 死ぬことは、虫眼鏡を覗いた瞬間に、
 みえるんだ。死はひとをでかくして、
 触った瞬間に気づいた、ぶよぶよの毒グモ。
 からだ中を食いちらかして、白い穴をあけようとする。
 けれど、そんなのは風船みたいで、ニキビ面の医者が、
 ルーペみたいなものを顔にさげて、父さんの喉に指を突っ込んで、
 富士山みたいな喉仏にあった水ぶくれに針をさしたら、
 皮膚に穴があいて、赤色の膿が噴火して父さんは、
 皺くちゃになってしまった。限界ですなんて
 医者がいったときの目は、どこか遠いところをみて、
 僕はすぐ傍の父さんをみていたけれど、
 父さんにはみえなかった。エジプトの死んだ王様だった。
 砂漠に捨てられた、ざらざらのミイラだった。
 父さんはぶよぶよのまま、ひからびはじめていた。
 心拍数だってひからびて、繋がれた機械がぱんぱと鳴って、
 父さんの入院服をはだけ、心臓マッサージをした医者が、
 父さんの胸をばんばん叩いたけれど、胸にあった水ぶくれが
 母さんのぶよぶよの溶岩みたいな乳首で、
 満月にきららと光っていた。
 それが破裂して真っ赤な膿が、病室中に飛び散ってその膿が
 ベッドにじとりと垂れて、
 白いシーツは燃えていた。医者の手にも膿が垂れていて、
 その白くつるつるの小さな手はまるで、
 その昔、僕は父さんのことがまだ好きで
 6月のべとべとした夜、
 マスターベーションしてるのを父さんにみつかって
 投稿写真の、母さんみたいな乳首の女の子のアソコに、
 じとりと垂れた浜名湖くさいぶよぶよ精液、蛍光灯にきらら
 白く光って、僕の小さなつるつるの左手をみながら、
 そんなことやってたら、頭が馬鹿になるぞって、
 僕の頭をひっぱたいたときを思い出させて、
 ひょっとしたら、父に毒をもったのは、
 僕なんだよ。紀元前2千年ぐらいの
 エジプトの王様の馬鹿息子みたいに。僕は
 父さんや、母さんと同じように
 死なないことばかり祈って、破裂寸前のピラミッドを、
 虫眼鏡でのぞいた6月の
 ぶよぶよのでかい満月にみおろされながら、
 造りつづけて燃えてる
 かちかちの奴隷なんだよ。

※……大正製薬 『パブロンゴールド〈微粒〉〈総合かぜ薬〉』
   説明書より引用。


説明……中学生のとき、二日酔いになった父親が、ゲロまみれなのをみていたら、火をつけて殺してやりたくなったときを思い出したので、午前2時ぐらいでしょうか。小平のアパートでひとり、ちょうど風邪をひいていて、からだ中が火だるまみたいになっていたとき。『パブロンゴールド』を飲んだあと、説明書を手にしたら、皮膚粘膜眼症候群という箇所が目についたので、思いつきました。それを読んでいたら、飲んでしまったのを怖くなったぐらいです。ベッドで寝ていたら、カーテンの向うに満月がみえて、その瞬間に、父親に殺されるんじゃないかと思いました。奴隷になったような気分でした。

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