ぼんくら bonkura/2006/2/15 home


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父の一〇年 …竹下 力
さらばさるべしさようなら …正津 勉
山旅ノートから(連作) …上河内岳夫






 父の一〇年
                  竹下 力

 母の大好きな父は、一〇年前に死んだって
  母はいっていた。たしか、父は酒に溺れ始めて、
   母を殴りだしたころ(飲んでないときもあった)。
  九年前だっていっていたのは、
   飲み友達の土建屋の横井さん。父は
    割勘さえもしなくなったからだそうだ。
  
 母の大好きな父は、八年前に死んだって
  母はいっていた。母が嫌いになった父は、
   スナックアキラのミドリさんと家出した。
 七年前だっていっていたのは、
  掛川にいる父の祖父の義男さんで、父は、
   家中の通帳と実印を盗んでトンズラした。

 母の大好きな父は、六年前に死んだって
  母はいっていた。酒の飲みすぎのせいで倒れて
   父は、聖隷病院で胃をきれいに切除してしまった。
 五年前だっていっていたのは、
  スナックアキラのミドリさんで、
   父はミドリさんも殴るようになった。

   父や母。義男さん。ミドリさんにも、いろんな
  ことが起こって、なかったことにしたくても、
 それはそのときに起こった、たしかなことだ。

 母の大好きな父は、四年前に死んだって
  母はいっていた。母も父に愛想をつかせ
   静岡大学生と腕を組んで、ラブホテルに
 入るのを、父が素行調査させたからで、三年前だって
  いったのは、僕の友達の三好君。父が、ミドリさんと
   別れ話をして、土下座をして泣いているのをみたから。

   父のいいとき。父の悪いとき。死んでしまえば
  もう二度と戻りそうもないことだけれど、みんなは、
 それを感じることができた。いまだって、感じ続けてる。

 母の大好きな父は、二年前に死んだって
  母はいっていた。母も大学生に捨てられて
   父と罵りあって、殴り合いの喧嘩をしていた。
 去年だって思うのは僕。父が二度目に倒れてからは、
  父は僕になにもいわないで、どうしようもなく死んだ
   八月の暑い日。ただ父のいなくなったベッドを撫でた。

   母は泣いた。ミドリさんも。みんな。僕だって。でも
  みんな、一〇年前から父のことをろくでなしだっていって、
 ただ僕以外のみんなは、感じることができたんだ。父の一〇年を。
   けど僕だけは、父の一〇年が感じられなくて、だって、
  父は僕に、感じることを何も与えてはくれなかったからだ。
 僕のほうだって、謝ることや殺すこともできるはずだったのに。
   
  母の大好きな父が死んだのは、今日のことで
   実は明日だと思ったりする。僕だけのための
    父の一〇年が、用意されることはないからね。
  もう、無理なのは、わかってるんだよ。僕は父以外の
   みんなに与えてもらうことしかできない、いやなやつ。
    でも、父の頭を撫でてあげることぐらい、できたのにな。

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さらばさるべしさようなら
         
正津 勉

ふるさとは雪で何をするでもなく
死ぬような退屈さったら堪えらなく
外気とちょっとばっか眺望がほしくなって
マフラーに深く頸を埋めてひとり

その亀甲めく形から呼んで亀山なる
城址のある頂までえっちら上がって茫然
ぼうっと灰白にけむるような眼下をぼうっと
眺めやるともなく目をあそばせること

曇天のような生涯のような曇天
なんて感傷的にあまりにも感傷的なるや
絶望のような愛情のような絶望
なんて駄洒落にもならない駄洒落つなぎ

つづけては腹の皮を捩るのだった
一昨年末に九一歳で母が大往生し一安心
数年後はあらかた知った顔もなくなり余所者
もうここに帰ることは多くあるまい

われらが高校の運動場や校舎のあった
あたりがらんと枯れ草の空き地になったまま
そこいらの家並みも町筋もどことなく
沈滞しひっそり貧寒としたぐあい

なんもかもおとといのこと
そろそろ戻って一風呂浴びて温かくして
さらばさるべしさようなら
いっぺえと地の酒一本義を飲もまいかと


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山旅ノートから(連作)
             上河内岳夫


盛岡の停車場近くにできた
萬鐵五郎のある美術館のテラスに佇み
イーハトーヴォのすきとおった風に吹かれながら
岩手山を見つめていた夏の終わり
小岩井農場、七つ森、そして鞍掛山
この地名たちが私の心を震わせる
賢治よ!あなたが月明かりのもと提灯で登った
あの山にあした登るのだ
鳥海山は見えるだろうか

(注)「イーハトーヴォのすきとおった風」=「ポラーノの広場」による


ヤビツ峠から塔ノ岳へ表尾根を進む
笹のトンネルを潜り痩せ尾根を渡って
その山中で出合った鹿たちの目に
私の姿はどのように映っていたのだろう
近づいても逃げようともしない鹿たち
人間に超人を教えたツァラトゥストラのように
鹿たちに人間の恐ろしさを教えたかった
お前たちは忘れたのか
人間が残忍な動物であることを
お前たちは野生を回復しなくてはならない
抑えきれぬ苛立ちに私はストックを振り上げた

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