| 指先に感じたリアル
けして、物音や話声は絶えないのに、騒然とした感じはなくて、むしろ、静まり返っているような空気だった。
手当ての痕こそないものの、疲れを色濃く滲ませたカトルが、声だけはいつも通りの、やわらかな声音で、小隊長の一人と話をしている。
トロワは壁寄りの古い端末を使って、本部と遣り取りを試みる通信士を助けており、五飛はくわえ煙草で、自分の太腿に巻かれた包帯を締め直していた。
「よし、繋がった。…助かったぜ、トロワ。」
「お安いご用とは言わないが、役に立てて良かった。」
トロワは淡々と答えたが、この通信ラインが復活したことが、今後の隊員たちの動きに、どれだけ貢献するかは、計り知れない。
くるりと向き直ったトロワは、軽く頷いて小隊長と話終えたカトルと、目が合ってしまった。
淡い金髪の少年は、静かな碧色の瞳が向けてくる視線に、ふっと頬を緩めた。
トロワはゆっくりと近づいた。
「だいぶん、疲れてるな。大丈夫か、カトル。」
「大丈夫だよ。僕は、ここにいて、戦況を見てるだけなんだから、疲れるわけないじゃないか。」
少しだけ、自嘲気味に言い出したカトルは、その瞬間、確かに何かに腹を立てているようだった。
「君たちこそ、疲れてるだろ。少し、休みなよ。次のアタックまで、まだ時間があるから。」
「本部との連絡が復活したからな。すぐに出動命令が来るだろう。」
「向こうも状況確認が必要でしょうし、一、二時間は動けやしないよ。」
今頃、本部では、孤立した第2部隊と、彼らが最後の砦となって守っている人質をどう救出したものか、頭を悩ませていることだろう。
「そういえば、あいつらの姿が見えないな。」
「…ああ、ヒイロたちなら、向こうで傷の手当てをしてます。」
カトルの言葉に、トロワは苦笑に近い表情になった。
「あれ以上、よく傷を受けるところがあったな。」
もうたいがい、どこかしら傷ついていて、無傷なところなど、探すほうが困難だ。
前々回のアタックが終了したときに、デュオが自分で言った言葉だ。
「恥の上塗りじゃなくて、傷の上塗り、ってやつ?」
あははと笑いながら、血でどろどろの片手を振って見せた。その時に飛び散った血痕は、床に染み込んで、また新たな汚れで、塗りつぶされている。
「あいつらは、まるでお構いなしに突っ込んでいくから、ああなるんだ。」
いつのまにか、五飛が会話に参加していた。自分の方は済ませて、煙草を吸うことに、専念している。
「まるで張り合うように、敵を奪い合っている。とてもついて行けん。」
と、感想を述べるあたりが、五飛が、しっかりついて行っている数少ない一人であることの証明だ。
「五飛も、あまり無茶しないでくださいね。傷、増えてますよ?」
五飛は、不機嫌に黙り込んで、それきり、トロワとカトルから、視線を逸らしていた。
「ちょっと、あいつらの様子を見てくる。」
近づいてきた通信士が、カトルと話したそうにしていることに気付いて、トロワはその場を離れた。
◇ ◇ ◇
たいして広くもない一室に、どうしたわけか、二人きりだった。
ヒイロもデュオも、少し距離を置いてベッドに腰を下ろしたものの、眠るわけでもなく、さりとて、話をするわけでもない。
ただ、黙っていた。
「次のアタックで、200時間突破だな。」
少し、俯くようにしたデュオが沈黙を破るが、返ってくるのはやはり沈黙で、部屋は結局、静かなままだった。
それでも、デュオは、独り言めいた会話を続けようとする。
こんな時のデュオの声音は、普段よりはやや低めで、イントネーションも少し違う。
ずっと昔、本人すら覚えていないほど、幼い頃に、誰かの口調を聞き覚えてしまったのだろうか。訊ねてみたくもあったが、きっとデュオは、知らないと答えるだろう。
ヒイロはゆっくりと、煙草に火を点けた。
「…こんな時に、心肺機能、低下させない方がいいんじゃねーの?」
小さな、カチッという音と、流れてきた紫煙に、デュオが言った。言葉とは裏腹に、咎める響きは皆無だ。
これにもヒイロは答えず、かわりに、デュオの左手に目を留めた。
血塗れの拳銃。
けして、大きくはないデュオの左手が、拳銃を握ったまま、シーツの上に投げ出されている。
見せている姿勢は、ゆったりと弛緩したものであるのに、左手だけが、過ぎた190時間あまりを引き摺っている。
「……どうして、放さない?」
不意に聞こえてきた声に、デュオは顔を上げた。
「え…?」
蒼い瞳に、血塗れの拳銃が映っている。
ヒイロは、デュオへと視線を転じた。
「拳銃。」
唇の動きを見ていたデュオは、言われて初めて気付き、左手を見下ろした。
握っているという感覚はなかった。手の一部であるかのように、違和感がない。
「感覚が……」
拳銃にこびりついた血は、一部がどす黒く変色してしまっている。……これは、何時、ついたものだ?
「感覚がねぇや。もう…。」
ひどく冷たい。手がここにない。
ここにあるのは、ただの道具だ。人殺しのための、引き金を引くだけの、ただそれだけの。
デュオは、ソレを凝視したまま、唇の端を吊り上げた。
しかし、次の瞬間には、口を開いていた。
「どうせ、またすぐに出てくんだし、警戒はおさおさ、怠りなく。…ずっと持ってても、不思議じゃないだろ。」
おまえだって、手を伸ばさなくても届くところに、置いてあるじゃないか。
煙草吸いながらでも、ときどき、目で位置を確認してる。自分でそこに置いたってのに、一体、何が不安なんだ?
拳銃に足が生えて、逃げ出すとでも思ってんのか?
からかうように言葉を並べ立てるデュオを、ヒイロはじっと見ていたが、止まりそうもないので、顔をそむけた。
吸いかけて止まっていた煙草を、再び吸い込む。
そうしながらも、ヒイロは、そっと空いた右手を伸ばしていた。
指先同士が、わずかに触れ合い、デュオは、びくっと身体をすくませた。
なにも感じなくなっていた、冷たい指に、あたたかみを残した、ヒイロの手が触れる。
自分のものだという感覚すら、なくしてしまったのに、かすかに触れているヒイロのあたたかさは、やけにリアルに感じられた。
ヒイロは、指先が捕えた冷たさに、なぜだか急に、デュオを抱きしめたいという思いにかられた。
どうして、そんな風に思ってしまったのかはわからない。
冷たいのはデュオの手なのに、デュオの命そのものが熱を失い、暗い淵へと転がり落ちているような、そんな気がした。
だが、ヒイロは動かず、手だけをもう少し深く、重ね合わせた。
しばらくの間、デュオの冷たい左手は、拳銃を抱き込んだまま、まったく動かなかった。
長い、長い数十秒が過ぎて、初めて、そろりと動いた。
手のひらが返る。
まだ、拳銃を放そうとはしなかったが、少しばかり自由を取り戻した指先が、ヒイロに触れた。
そっと、指を、絡めた。
言葉はなく、視線すらも合わさない。
それでも、つないだ手が、なによりも確かなリアルだった。
外が騒がしくなった。
どたどたと、重い靴音が行き交う。
ヒイロの手が離れ、デュオは顔を上げた。
「――――ヒイロ、デュオ。20分後にアタックです。」
扉を開いたカトルが、張りのある声で呼ぶ。
二人は同時に立ち上がった。
「――――了解。」
fin
戻る |