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アラカルトはお任せ定食ではなく自分の好みで選ぶ一品料理の意です。建築も様々なメニューから、それぞれの生活、人生に合ったものを選ぶことができます。
このコーナーは、そういう視点から、建築の素材となる考え方や技術、文化、地域性等を順不同で、フランス料理のメニューのように書き並べてみようというものです。話題は多義にのぼりますが、いろんな素材(前菜、メイン料理、デザート)があったほうが楽しいのではと思っています。
ある程度メニューが揃ったら、皆さんからの投稿も取り上げようと思っています。
(背景画像:Gallery FUMI より)
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| ■迷彩建築 | ■シンメトリー |
| ■光と影 | ■B級建築 |
| ■「はれ」と「け」 | ■橋 |
| ■パンスト | ■想い出に残るゴミ置場 |
神田の古本屋で面白い本を見つけた。第二次大戦中に出版された当時の東京帝国大学教授を勤めていた有名建築史家の本である。当時の事情を反映して紙質も悪く、表紙もペラペラだが図版も写真もついていて、「買っておくれ」と訴えていた。値段も安かったので「買ってやろう」と表紙を撫でてあげた。
で、かなり面白かった。あとで、その有名建築史家の著作リストを調べてみたが載ってなかったので貴重な掘り出し物かもしれない。
前半は「朝鮮」、「台湾」、「本土」の順で、それぞれの地域(当時日本はこれらの国を植民地としていた)の伝統建築の特色を図入りで解説し、「本土」の章で、日本がこれらの地域の兄貴分として、風土・歴史に即して、東洋建築の伝統を継承発展させていかなくてはならないと述べている。この部分はちょっとつけたしの感があるのは、国策に沿わなければ、戦時にこのような「文化書」を出版できなかった事情もあるだろうし、戦時下の知識人達が間接的にも大東亜共栄圏の国策に加担していたことも解る。その意味で歴史的に面白い本だし、著者が戦後この本を著作リストから外した理由もなんとなく解る。
一番面白かったのは、後半の現代建築を扱った部分にあった「迷彩建築」の章だった。戦闘服として迷彩服があるように、本土決戦に備えて都市の建築も上空からの戦闘機に対し迷彩処理を施す必要があるとの論旨だ。いや論旨と言うより、竹やり訓練のような現代からすると滑稽な展開だ。
屋上及び屋根を迷彩色に塗り、敵機の目を眩ますと言うもので、この有名建築史家はどこまで本気だったのだろうかと首を傾げたくなる文章が続く。当時、大学教授たる知識人或は建築専門家は本当にこんなことを考えていたのだろうか。それとも当局の要請でこの章を入れざるおえなかったのだろうか。そうしないと職に留まることができなかったのだろうか。或はこの本の執筆自体が国策PRの小冊子として、この教授に押し付けられた義務だったのか。
とにかく・・・面白い本ではあった。
ゼネコン設計部にいた頃、イランの人が入社してきた。奥さんが日本人で、日本の大学の建築学科を出ている。
何をやってもらおうか迷ったあげく、角地に立つ小さなワンルームマンションを計画してもらうことにして一緒に敷地を見に行った。敷地の形状は↓で短手が8mぐらいあったと思う。

どれが正解ということはないが、普通は以下のように基準階を計画するのではないだろうか。緑が住戸、白が共用空間。

しかし、イランの彼は、何度も敷地を見に通ったあげく、以下のように計画した。

赤い線の位置に、躯体とちょっと離して屏風状のものがある。↓

これには少なからずうろたえた。北側2住戸は法規を満たしていない。
まあ、法規に関しては置いておくとして、かつデザインも置いておくとして、彼は何故こういうプランニングに到達したんだろうか。手前が南で角地である敷地の条件を・・・どうして。
彼のレクチャーを聞いて、徐々に分かってきた。
彼は何度も敷地を訪ね、長い時間をさいて、正面を捜していたらしい。接する敷地長さが南面B方向より短いにせよ、道幅の広い東面Aの方向を正面であると決めたのだ。
その後の展開は事の是非は別として明快だった。
建築は正面軸に沿ってシンメトリーでなくてはならない。
これほどはっきりと言い切ったわけではないが、そう信じている節がある。他人の信念が強いほど説得は難しい。
イランはアラビヤほどの沙漠はないが、日本に比べると遥かに乾燥し、国土も広く、多少高地だが、平らな地平線のある大陸国家である。ギリシャ様式の遺跡も多い。日本人以上に人工物をシンメトリーに構成することが多いのだろう。
写真集を見せてもらうと、なるほど、モザイクタイルで彩られたモスクは左右対称だし、現代建築も対称形だ。彼の脳裏には「美しい造形=シンメトリー)の公式が深く深く刻み込まれているらしい。個々の住戸が快適であるよりも、建物全体の美しさ(?)のほうがよっぽど大事だと思っているらしいことも分かった。
翻って考えてみると、多様な自然と大地に包まれて生きてきた日本人にはシンメトリーが美しいとの公式はない。どちらかと言うと≠かも知れない。環境に解け込むをよしとするなら、対称感覚は出てこない。左右対称な環境に乏しいからだ。
結局、彼には別の仕事をしてもらうことになった。
それでも時々、彼の感覚の方が正しかったかもしれないと思うことがある。
建築は光と影の芸術だと言われる事がある。
それじゃ、夜は、曇りの日は、雨の日は、月夜は、星月夜は・・・美しくないのか?南極や北極に近いと、夜と昼の時間は極端に違ってくるし、白夜もあるし・・・
日本人の感覚では、光と影の芸術って言葉はまあ理解できる。空気の澄んだ晴れた日に建築物が美しく見えるのは一般的事実と言えなくもない。
だが唐招提寺の雨に煙る姿に感動し、建築を志した人もいる。おおむね、日本の古建築には雨に煙る姿のほうが似合うかもしれない。侘びと寂びは明快な光と影の二分法には似合わない。
さて、再びイランの方に登場してもらおう。
何かの折に女性の名前に話題が及んだ時の事、ペルシャ語では「影」とか「闇」とか「月」が良く使われると教えられた。月は解る、日本にも月子って名前がある。でもこれは月光の意だろう。星子も星の灯りとか光を意識してつけられたに違いない。
日本では明るさ、つまり光に関する女性の名前は他にも、明子、陽子、光子・・・決して闇子とか影子との名はつけない。
しかしペルシャ語では、どうも逆らしい。光よりも影が好まれるのだ。
翻ってイランの気候を考えてみると、雲一つない砂漠の昼間(イランは必ずしも沙漠が多くはないが)は耐え難い苦痛を強いるもので、月や星に柔らかく照らされた闇夜、或はオアシスの樹木の影・・・そこいらから影への嗜好、ひいては女性の理想像として「影のような人」のイメージが育てられたのではないか。日本での「太陽のような人」と同じように。
そうか、日本の住宅で太陽光を室内に導くのがテーマになったのと逆に、イランでは影をつくることが建築のテーマだったのか・・・と何やら悟った気分になった。
そう考えて見ると、沙漠に発したイスラム建築が「影」をテーマに発展してきたもののように見えてきた。
写真でしか見たことはないが、アルハンブラ宮殿で細緻な窓格子の影が大理石の床に落ちた印象深い映像があるが、あれなども、美しい模様を影を使って織り成したと解釈すると、なるほどなと思えてくる。
タージマハールの月夜の写真もある。千夜一夜物語も、夜だ。塔の上空の露台も夜の風情が似合いそうだ。
日本語にも夕子と言う名前があるから、我が国の感覚も、多少影を含んだ光への嗜好で、燦燦と降り注ぐ光とは違うようだ。
B級建築という言葉を目にしたことがある。
元々は映画で多用されるB級だが、建築に援用したところが面白い。
映画に即して言えば、決して芸術的でも主義主張があるわけでもなく、映画史に名を留めることもなく、映画評論家・映画評論誌から見向きもされないが、その向きにとっては娯楽性があり、捨てがたい魅力がある・・・ってとこだろうか。
これをそのまま建築に翻訳すると・・・
決して芸術的でも主義主張があるわけでもなく、建築史に名を留めることもなく、建築評論家・建築専門誌から見向きもされないが、その向きにとっては娯楽性・大衆性があり、捨てがたい魅力がある・・・ってことかな。
魅力があるってとこがみそだ。
よく、質の高い建築がスポット的に建てられることで、多くの無表情な建物が底上げ的にレベルアップしていく云々、との話がなされるが、これをB級建築に当てはめてはいけない。なんてったてB級映画がマイナー層に圧倒的支持があるように、B級建築にもそれだけの魅力があるがゆえにB級との「ありがたい」名前が冠されるはずだから。
例えばひところ話題になった藤森さんの「看板建築」、これは充分にB級だ。無名でさえある。庶民性があるし、魅力的で、それでいて決して「名建築」ではない。鶴川の小田急線沿線で異彩を放つ卵形の住宅も、建築誌が取り上げず、週間ポストの新ニッポン百景(矢作俊彦氏)が取り上げたことで充分にB級だ。
キッチュ(まがいもの、俗悪なもの)として、ハンバーガーの形をしたハンバーガーショップとか逆さの家とか、キッチュを肯定的に大衆受としてとらえたアールデコ等あるが、いずれもB級の名に似つかわしくないのは、商業資本の戦略的匂いがするからだろう。そう、B級はローコスト、反組織でなくてはならない。
さて、そうと決まったからにはカメラを手に街に出て魅力的なB級建築を自分なりの視点で探索してみてはいかがだろう。
祭りとか正月のような非日常的な時間や場所の事をハレ(晴れ)といい、「ケ」(褻)は日常的な普段の生活の状態を表す・・・
嘗ての「農民」に即して言えば、ケとしての農作業と食事、睡眠、家事が延々と続き、その合間にスポットとしてハレの祭り、冠婚葬祭が差し挟まれる。人間はケとしての日常作業がなければメシが食えないが、それだけでは窒息してしまうので、ハレの祭りで大いに楽しみ、明日への活力とするということだろう。
この言葉、建築分野でも良く使われる。「ハレの空間」と「ケの空間」とか。「ハレの空間」としては宴会場、デパート、遊園地、演芸場、劇場、映画館、テーマパーク・・・「ケの空間」としては住宅、近隣公園、学校、オフィス、工場、近隣商店街等。
「ハレの空間は非日常性を感じる空間とし、「ケの空間」は日常性を重んじ、機能的かつやすらぎの空間をめざす。
さて、住宅の話だ。
これは「ケの空間」として計画すべきだと言えば、多くの人はウンウンと頷くだろう。機能的かつやすらぎの空間ってわけで・・・
しかし、住宅を「ハレの空間」として捉える人達もいて、そうなると、「こんな家に住めるとは思えない。ちっとも落ち着けないし、収納もままならず、掃除だって大変だ」と多くの人達の眉をひそめさせることになりがちだ。
篠原一男の斜面の土がそのまま室内に現れている住宅、原宏司 のセンター通路の住宅、伊東豊雄のドーナツ型の住居・・・これらは建築専門誌で取り上げられても、ニューハウスとかの一般向けの住宅誌で取り上げられることはついぞなかった。住宅を「ケ」と捉える限りは理解不能なものだからだ。
しかし、これらは自邸であったり詩人の家であったりで、「ハレ」のキーワードを使うと魔法の呪文のように理解可能になる。
憩いとか落ち着きとか機能的であるよりも、非日常的な気分の高揚と刺激に包まれていたい・・・「ハレの空間」が欲しいということなのかと理解できる。それが多くの人達にとっていいとか悪いではなく、自宅が仕事場となる詩人とか作家は、多分、そういう刺激を自宅に求めても不思議ではないと思うわけである・・・でも刺激より憩いだな、と一応は納得して。

上田篤さんの著書に「橋と日本人」(岩波新書)がある。その中の記述に「橋は彼岸と此岸を結ぶ」という魅力的な言葉があった。
で、住宅の二階吹抜け部に橋を架けてみた。右の通し壁と十センチほどの隙間を設け、両側にトラス手摺をつけた。
どっちが彼岸で、どっちが此岸なのだろうか。
床をステンレスのパンチングにしたので、夏場にはひんやり感と通風を求めて猫の溜まり場と化す。文字通りのキャットウォーク。
パンスト・・・パンティーストッキング。言わずと知れた和製英語である。
穿いたことも被ったこともないが、なにやらエロチックな響きがある。
昨今の原宿ブティック街を胡散臭さを漂わせながら歩いていると、建物がこのパンストを身につけ春の香りに酔いしれているような気がする。妄想かもしれない・・・が。
覗かれることを意識した小奇麗なディスプレイの内装が、思いっきり露出され、その全体が薄い膜で覆われているような建物のデザインなのだ。コケティッシュだ・・・セクシーは言い過ぎかもしれない。
嘗て、壁と窓で禁欲的に武装した建物は、モダンの旗印のもとに透明ガラスを全面に身につけ、一気に開放的になった。夜になり内外の照度が逆転すると、その内側を惜しげもなく露出した。しかし、ガラスそのものは、およそ皮膚感覚からはかけ離れている。硬いし不自然に平滑だ。艶かしい美脚(内装)を覆うには、あまりにも建築的だ。あまりに物質的だ。あまりに無機的だ・・・の三拍子。内装を遮断した昼間に相応しいモダンな材料なのだろう。
そこで、このガラスにセラミックなどの材料で細かい縦線または横線、水玉などを内側からプリントすると、硬さと平滑感が薄れ、遠目に薄い膜のような表情が生まれる。適切でないかも知れないがパンスト感が出てくる。ガラスを二重にし、見る方向により、スクリーントーンのようなモアレを意識したものもある。
ほんとはガラスを取っ払って、膜だけで建物を柔らかく覆いたいのだろうが、都市建築としては防火、防犯、層間区画に準拠しなければならない。苦肉の策として透明ガラスをキャンバスとして内側に膜を描く・・・ことを思いついた次第。
ガラスのパンスト化(しつっこいかも)が徐々に進行している。まだ生脚にはほど遠いが。

某女子高のゴミ置場、コンクリートの壁に鉄骨の束を建て金属の湾曲屋根をかけてある。
当初、施工前の現場を眺めていると、小柄な女子高生が両手でポリバケツをかかえ、蟹歩きで、そこにあったブロック造のゴミ置場にやってきた。暑い日だったので額に玉の汗が光っている。その姿が印象に残っていたので「想い出に残るゴミ置場」にしたいと思った。
想い出に残る講堂とか、教室とか・・・なら普通だが、想い出に残るゴミ置場?どちらかと言うと想い出に残したくない代物かもしれない。
臭く汚いガラクタ置場を想い出に残してどうするのだとお叱りを受けるかもしれない。
しかし、そこで泣いて笑って悩んで成長していく彼女らにとっては、どんなものでも想い出に残してやるべきだと思った。体育館、プール、グランド、校門、守衛所、トイレ、更衣室、職員室、廊下、渡り廊下、実験室、保健室・・・ゴミ置場。何処にも忘れがたき思いを刻んで欲しい。
そこで、ゴミ置場正面のコンクリート壁にタイルでモザイク画を描く事にした。美術の時間に、タイルグリッドを描いた紙を生徒に渡し、モザイク画を描いてもらい、先生に一等賞を決めてもらい、その絵を元に、やはり美術の時間に生徒たちで実際に壁にタイルを貼り付ける。
で、右の写真が一等賞に輝いた生徒の壁画。美術の時間に生徒に貼ってもらう話は、「労働」にあたるってことで、おじゃんになった。
一等賞の少女の想い出には、このゴミ置場・・・残ったんだろうな。二十年後にでも「ほら○ちゃん、これ、お母さんが作ったのよ」
■微差
■遠近法