
研修のカリキュラム
人事考課評定者訓練
人事考課評定者訓練テキスト
§1.人事考課の考え方としくみ
(1)新人材時代の人事考課
・人事考課の2つの側面
査定の側面
育成の側面
人事考課のねらいと方式
選別の論理→相対考課
育成の論理→絶対考課
・絶対考課
基 準
フィードバック
考課者訓練
・相対考課
基準不要
マル秘
考課訓練不要
(2)人事考課の基準
これからの人事考課一育成の機能重視→絶対考課
絶対考課の成立要件一一考課基準の明確化一一企業が期待し求める人材像
能力主義人事の基準
・評価,育成,処遇の連動→トータルシステム
・2つの期待像を明確に→等級基準 職務基準
人事考課の評価・育成基準
(3)人事考課のしくみ
・成績考課と能力考課
人事考課
成績考課(2回/年)←職務基準
能力考課(1回/年)←等級基準
業績考課…・・・・・企業に対する貢献度
・業績考課
業 績=成績+(職務基準・・等級基準)
・情意考課の意義
組織の一員としての自覚(マインド)
・人事考課の組立て
人事考課(全員対象)
成績考課
(情意考課)
能力考課
業績考課→宮業部門,開発部門などに追加実施
(4)人事考課と育成・処遇
・人事考課の活用
(5)人事考課にのぞむ基本姿勢
・誰が良い,誰が悪いではなく
・この部下(人材)のどこがすぐれ,どこがまた不十分なのかをきびしく見つめ, なんとしても育成していく。
§2.人事考課のポイントとケーススタディ
(1)エラーの未然防止
・エラー未然防止のための3つの要件
@考課基準を明確にする
A事実に照らして,部下を観察し評価する
B人事考課のルールを正しく理解する
・人事考課の3つの選択基準
評価基準の調整
@行動の選択
A要素の選択
B段階の選択
@行動の選択
〈質問1〉 時間外のクラブ活動は人事考課に入るかどうか?
〈質問2〉 時間外の自主的な改善提案活動は人事考課に入るかどうか?
(質問3〉 時間外のお酒の付き合いは人事考課に入るかどうか?
行動の選択基準を全社的に統一する。
行動の選択・・・原則的には職務活動に限定
A要素の選択
〈質問4〉「人の仕事をよく手伝う」→これは"積極性"か,"協調性"か?
〈質問5〉「決められたことを守らない」→これは"規律性"か"責任性"か?
(ハロー効果)1つが良いと何もかも良く評価してしまう
1つが悪いと全て悪く評価してしまう
部分的印象で全休的評価を行ってしまうこと
ハロー効果防止・・・一つの行動を1つの島の2つ以上の要素で評価してはならない。
B段階の選択
S・A・B・C・Dの通常5段階評価
特に標準Bとは何かを十分理解する。
S と は・・・
A と は・・・
B と は・・・
C と は・・・
D と は・・・
(2)成練考課と能力考課
・成績考課と能力考課のちがい
@基準が違う
成績考課←職務基準
能力考課←等級基準
〈成績考課と能力考課を一致させるためには〉→職務基準と等級基準を一致させる→等級にふさわしい職務を与える
A中間項が介在する
中間項・・能力→(外部条件,内部条件,本人条件)中間項→成績
・外部条件とは・・
・内部条件とは・・
・本人条件とは・・・
(留意点)
成績考課・・・結果をありのままにつける
能力考課・・・中間項を差し引き評価する(中間項をニュートラルにする)
§3.人事考課の実際〜評価の考え方を中心に〜
(1)配転後の人事考課―不利益にならないようにー
く中島君のケースが該当〉
a.レベルを下げて「職務基準」を設定する。
成績考課は:
能力考課は:
b.一定期間能力考課は猶予期間とする。
意志を尊重し,キャリア形成の方向で計画的に異動を実施する。
中島君の成績考課は・・・
最低必要昇格年数
・能 力
・計画的異動
(2)チャレンジの場合の人事考課
く尾崎君のケースが該当〉
・チャレンジ+1システム
チャレンジした場合…‥…1段階上方修正できる。たとえば A → S
尾崎君の成績考課は・・・
青木君の成績考課は・・・
(3)要素の選択を正しく
大切な要素の選択
数えを乞うた・・・積極性 責任性
手伝った・・・・・積極性 協調性
高い仕事・新しい仕事を引き受けた・・積極性 協調性 (組犠全休への配慮)
要素間の相互独立性
規律性・・・日常の服務規律の遵守度(服務規律を守っていたかどうか)
責任性・・・自分の守備範囲をどんなことがあっても守ろうとする意欲の度合い(守ろうとする意欲をもって職務にのぞんでいたかどうか)
協調性・・・守備範囲外だがチームワークにプラスになる行動。(組織の一員としての自覚に燃えて行動していたかどうか)
横極性・・・(イ)改善,提案 (ロ)自己啓発 (ハ)チャレンジへの意欲の度合い(事態の改善やプロモートに対し意欲的にのぞんでいたかどうか)
〈中島君・尾崎君・青木君の情意考課〉
中 島 君 尾 崎 君 青 木 君
責 任 性
協 調 性
積 極 性
(4)能力考課の基準
(留意点)等級にふさわしい仕事を与えないかぎり能力考課は成立しない。
(中島君・尾崎君・青木君の能力考課)
中 島 君 尾 崎 君 青 木 君
能力考課
(5)業績考課の成立条件
〈中島君・尾崎君・青木君の業績考課〉
中 島 君 尾 崎 君 青 木 君
業績考課
(留意点)業績考課の成立条件・・・職務の選択や拡大が自由であること
§4.管理者の役割と人事考課
(1)「部下掌握育成の役割」が基軸
部下掌握育成
・業務・能力開発目標の設定・・・(目榛面接)
・指導・援助・調整・・・・・・・(中間面接)
・公正な評価・観察・・・・・・・評価
・意志と適性の把握・・・・・・・評価
・育成と進路選択面接・・・・・・(育成面接)
・人事部への情報提供・・・・・・処遇
(2)部下との「職能面接」を確実に
面接制度の連環
目標面接→中間面接→育成面接
(3)現場個別管理(労務管理)こそが能力主義人事
・人事官理と労務管理
人事・賃金制度改革
1.〔能力とは〕
「能力」ついてですが、「能」の漢字本来の意味は「大きい力」(チカラ)という意味です。能の下に足を4本足すと、大きな力を持つ「熊」になるのもその延長で、平安時代の寺院に「能力」(ノウリキと読む)という仕事があり、これは「力(チカラ)仕事をする人」のことでした。
江戸時代の医学書では、「種痘は癌瘡を防ぐ能力がある」と、チカラの意味の用例があるそうです。
現代日本語の能は,一般的には「ある物事をやり遂げる力、働き」という意味です。
さらに基本的な能力(知識、技能、体力)と精神的な能力(理解力など)に分けられ(狭義の能力)、そのほか情意、態度(協調性など)も加えて、「広義の能力と称されることがあります。
人事用語、特に評価の対象としての能力は,一般的な「能力」の意味でではあまりにも漠然としていて、評価のやりようがないので、交渉力のように外部に見える「顕在能力」または「発揮能力」と知識のように内部にある「潜在能力」または「保有能力」のように分けられます。
〔成果、実績、業績,パフォーマンスとは〕
(1)どう使われているか
@能力…「能力があるが業績に結びつかない」
A成果・‥「目標の達成率で成果を見る」
B実績…「実綾がないのにこの仕事はまかせられない」
C業績…「会社の業績が伸びた」
Dパフォーマンス・・・バフォーマンスに基づいて報酬を決める」
しかし、能力にしても定義が広義から狭義まであり、論者や企業によってこれらの言葉の定義がまちまちといっても過言ではなく、議論が噛み合わないことがあるので注意しましょう。
(2)本来の意味
@ 成果
一般的に、成し遂げた結果をいい、企業の成果は企業レベルの売り上げや利益を指し、個人の成果は設定した業務目標の達成結果を指します。行き過ぎた成果主義は、能力やプロセスを度外視することが多く、物議をかもすことがあります。
成果の漢字の原義は「果物が成る」で、「果」の漢字は木にたくさんの実がぶら下がっている姿を視覚的に描いていて、売上高など達成した「実」が成っている様が想像できます。企業では、「成果配分」とは」利益配分」の意味で使われていましたが、現在では実績連動型賞与・業績給というようになりました。
A 実績
一般的には、実際に示したありのままの過去の業績のことで、「実績を買われて栄転した」、「実績が実績だけに」のようにいいます。
人事の評価では業績のほうが一般的なので、「実績とは」の議論はあるにはありますが
業績ほどには使われていません。なお,「国家公務員法(1947)」78条に「実績が良くない場合」という文言があります。
平成16年7月9日には、人事院より国家公務員の定期昇給廃止、実績重視の新制度の方針が発表されました。これに関連し、官房長官は「民間企業でも成果主義賃金が導入されており、年功型の賃金体系が変化している。公務員も実績を評価し、昇給に差を設けていくことは方向としては望ましい」と記者会見で述べています。
B 業績
一般的に、事業や研究で成し遂げたこと、もともとは企業のみに対して使われた言葉で人事や個人に対して使うことに異論が唱えられたことがあります。
1899年に制定された商法388条に、「会社の業績」と使われたのが最初です。
「業」の原義は「ぎざぎざのついた板」を表した字で「ぎざぎざとつかえて苦労する仕事」の意味で業病、学業、失業など「業」は「苦労して」という原義があるのです。
「績」原義は、「縦糸に横糸を何回も積み重ねて(プロセス)、布(成果)を織るという意味」を表し、業績は「苦労して縦糸と横糸を重ねながら布を織る」というこで、プロセスと成果の両方を指します。
C パフォーマンス
英語のパフォーマンスは「成果」ではなく、プロセスを含めた日本語の「業績」とほとんど同義語です。英語で「成果」だけを言いたいときは、「リザルト思考」というようにRe
s ultと言います。
欧米の人事テキストからパフォーマンスの談明のくだりを要約しますが、英語が母国語の欧米人にも、パフォーマンスはプロセスと結果を意味すると説明しているのが興味深いと思います。
「Performanceとは、結果の達成と、それに至るまでの実行プロセス行動を含むが原義であるとO]f o rd辞典に書いてある。Performance
Managementとは、個人と企業を一つの有機体とみなし、個人が能力と行動力を発揮し、個人と企業の業績を最大限にするプロセスである」
かつての欧米における個人単位の成果本位のパフォーマンスの意味から、現代は企業と個人を合わせたトータルの成果主義に移行したパフォーマンスの定義を述べています。
ところでパフォーマンスという英語は、外来語として日本語になって次のように使われています。
・あの役者のパフォーマンスはよかった(演技)
・今期の彼のパフォーマンスはよくない(業績)
演技のパフォーマンスと業績のパフォーマンスとは関係あるのでしょうか?
それが大いにあるのです。パフォーマンス(Performance)の動詞形は、performです。
パフォーマンスという英語の成り立ちを紹介すると、perは他の言葉とくっついて、「完全にきちんとやり遂げる」(例perfect)という意味になります。form(形、形式、やり方)とくっついたperfomは「形通りに行う」(例perform
ceremony儀式をきちんと執り行う)、「果たす、実行する」(例perform promise 約束をきちんと果たす)、「役割をきちんと最後まで演じる」(例perform
the role of Romeoロミオの役をきちんと演ずる)などで、要する手順をしっかり踏んできちんと仕事をすることをperformというのです。
これで、パフォーマンスという言葉が、「成果」ではなく「手順により苦労して業績を上げること」がお分かりいただけたと思います。
〔成果主義とは〕
成果主義の議論の混乱のもう一つの原因は、「成果主義とは何か」の定義という肝心の出発点が違っているために、同じ「成果主義」という言葉を使っていても呉越同舟で、議論しているうちに考え方の違いが増幅されてしまうことがあります。
(1)20世紀型の成果主義・・人事の視点
多くの日本企業では「成果主義とは、個人の仕事の成果達成まを評価して報酬に反映させる人事」というのがこれまでの一般的な定義で、これまでの成果主義のセミナーや解説書は、この定義をベースにしたものが多く見られました。
しかし、この定義は競争の少なかったモノ作り主体の高度成長時代の20世紀の労働の処遇本位の人事の視点で、個人の成果と個人の処遇だけに反映させて済んだ時代の、局部的な発想です(いわば企業という本休を無視して卵の大きさだけを測るようなもの)。
最近では、経営理念に始まる経営の仕組みの改善をベースにした成果主義の解説が多くなりました。
(2)21世紀型の成果主義・・組織と個人をリンクした人事と人材開発のトータルな視点
21世紀の労働は、競争に生き残らなければならない組織と、キャリアに人生を賭ける個人が、ともに両立する関係で、「成果主義とは、企業業績・成果の改善向上と、個人業績・成果の改善向上を連動させ(鶏を大きくしつつ卵も大きくする)、人事マネジメントの処遇と、人材開発マネジメントのキャリア形成にトータルに反映させる人事」に移行しつつあるといえます。
(3)日本型人事と成果主義人事
日本型人事で多いのは、年齢や勤続年数などの属人的要素で賃金や賞与や昇進が決まる年功序列型ですが、成果主義人事では、それを目的としたわけではありませんが、結果として年功序列を廃止し、個人の達成した成果で賃金や賞与や昇進が決まるところが違います。
しかし、日本型人事でも、文字通りの年功序列型は例外であり、実際は能力査定、業績評定など個人の達成した目標や成果を反映させています。そこで、なぜ、殊更に「成果主義」を導入する必要があるのかという議論があります。
たしかに、日本型人事でも査定があり、能力や実績、業績、成果などの名称で処遇に反映されてきました。しかし、それは年功序列型による運営が基本の柱であり、査定は差を付け加える程度のものでした。これに対して、成果主義を標榜する人事は、達成した成果の大小をそのままそっくり、あるいは大部分を処遇に、劇的に直接反映させることが基本の柱であるところが、まったく違います。
(4)成果主義導入の目的
成果主義導入目的には、次のようなものがあります。
@ 年功型人事にありがちな弊害をなくす
能力、業績、成果に関係なく報酬、処遇が決められる年功型人事の弊害をなくす。
A 公平な処遇を図る
貢献度に応じた処遇を行うことで、公平化を図る。
B 意欲を向上させる
高い成果を上げた社員には厚く報いることで、意欲が向上し、他企業への転戦を防ぐことができる。
C 優秀な人材を採用する
採用に際しても、優秀な志願者に対して魅力ある人事制度として他社との違いをアピールするために有利になる。
D 総額人件費を管理する
人件費を削減する意図はなくても、現実問題として今後、人件費を増やすことは困難である。企業の業績に関係なく自動的に増加する硬直的年功賃金や退職金や社会保険料など増え続ける法定福利費が経営を圧迫していることに対して、成果主義人事により報酬、退職金、福利厚生を貢献度に見合った見直しを行う。
2. 3. 4. 5
これまでの成果主義の最大の欠点は、人事制度の枠内で個人の成果測定と個人報酬への反映だけが成果主義と思い込んでいたことにあります。
その原因は、各種の調査によると、年功制人事から脱却して非年功の実力・成果に応じた報酬制度への移行を急いだ企業の要求に合致したためです。
そのこと自体は間違いではありませんが、個人の処遇よりも経営の視点で成果主義を見直す動きが出てきています。
TQC、TQM、BSC、などを引き合いにだすまでもなく、個人の成果の源は企業理念にはじまり、経営戦略から下ろす企業の業績と成果にあり、その仕組み全体の中で個人の貢献度と成果が評価されるという当たり前のことが、人事主導の個人成果主義では、みのがされてきました。
言い換えれば、企業が個人に思い切り力を発揮できる仕組み(インフラ)を用意しないでおいて、目標管理によりただただ個人の成果のみ追い求め、報酬を決める従来型の成果主義は、アンフェアといえます。導入は容易ですが、全体の仕組みがわからないままで個人が全力投球できないようでは、いくらプロセスを重視するとか、評価制度を改善して透明にするとかいう小手先の手直し程度では、人材競争力、したがって企業競争力は弱くなる一方です。
※幕末から明治初期の変化、近くはバブル経済の崩壊後の人の対応を見てもわかるように変化がおこっても、人の意識改革と対応は時の流れに常に遅れがちです。
環境の変化に気づかず、いたずらに現状に逡巡していると、かつてダーウィンが警告したように、「最も大きく最も賢いものが生き残ったのではない、変化に適応したもののみが生き残ったのである」ということになります。
21世紀に入って変化の振幅が大きくかつスピードが早い今こそ、腰を落ちつけて経営者も人事も歴史に学ぶべきではないでしょうか。
古今東西を問わず、歴史を紐解くと政治、経済,社会が変化しているスピードに人の意識改革と対応は常に最も遅れがちです。時の流れにつれて組織と個人のありようが変化し成果主義のありようも個人志向から組織と個人の両方を含めたものに変化しなければなりません。
※幹枯れて枝育たず、枝枯れて幹活きず
歴史の視点で見ると、20世紀の企業は「商品力」が価値(質、価格)であったのが、21世紀は企業の価値は「価値経営」で、「企業の市場価値」顧客価値、顧客満足」といわれ、企業活動全体に組織の業績向上を目的とする「成果主義」というネットを被せていろいろな角度から企業の価値を向上させる経営手法が開発されています。
※BSC一 経営の各機能のバランスに着目
シアーズローバック百貨店の再生に貢献したので有名な、バランストスコアカード(BSCと略称)は評価基準を一つの機能に偏らす、財務、顧客、業務プロセス、学習・成長の4つの視点のバランスや因果連鎖を明らかにして成果の尺度を数値化し、企業業績を多面的に評価するもので、アメリカでは多くの企業が導入しています。TQCを経験した日本企業には理解しやすく、今脚光を浴びています。ただし、TQMやTQC同様、性質上トップ主導が原則で、各部門との共同プロジェクトなので、人事部門主導で導入するのは問題があるようです。
行き過ぎた「成果主義」は、「人件費の合理的配分」「雇用適正化」「働き方の尺度を時間軸から成果軸へ」などの大義名分が機能していないためですが、その大部分の原因は本当の適材適所になっていないことがあるからではないでしょうか。
イチロー選手といえどもピッチャーから野手に転向しなかったら、鳴かず飛ばずの「不遇のイチロー選手」の人生を送る羽目になったことでしょう。
成果主義というからには、企業は、社員すべてが得意のキャリアを選べ、思いきり力を発揮できる仕組みを用意した上で、成果を問うべきです。
もし、不得意の仕事を続けさせたり、能力開発の機会も用意しないで、社内の「不遇のイチロー選手」を結果だけで評価して、「格差をつけたぞ!」と負け組を作る成果主義では、企業そのものが負け組になってしまいます。
本当の成果主義とは「勝ち組」の社員を多くし、「勝ち組」の企業になることが大目的です。その成否の分かれ目は、「不遇のイチロー選手」放置しないこと、すなわち、得意技で勝負できる仕組みを成果主義人事の中に組み込むか否かにあります。それが、自律的「キャリア開発」です。せっかくの成果主義が「仏作って魂入れず」にならないように、最低限「キャリア開発」だけはセットにした、「キャリア開発制度付き成果主義」を設計・導入すべきです。
極論すると、キャリア開発制度なき成果主義はアンフェアであり、「不遇のイチロー選手」を競争させ、評価する負け組の発想ですから、むしろ導入すべきではありません。
※負け組には、次なるチャンスを、一時的な弱者には時間の猶予を与える。
6.目標管理の概念と成果主義の関係を理解する
(1)目標管理の沿革
@ 第1期・・アメリカで誕生(1950年代)一トタルマネジメントとしての目標管理
普通、目標管理は、ドラッカーが創始したと思われています。たしかに、広く提唱したのは事実ですが、目標管理のアイディアを創始したのではありません。
あるアメリカの人事管理の教科書には次のように説明しています。
抄訳すると、「目標管理のアイディアは、1950年にブース・アレン・ハミルトン会計事務所が、Fマネージャの手紙の制度を作り、各マネージャに、当年度の目標と実行計画を出させることから始まり、1950年代になってゼネラルエレクトリック社でも広がり、マクレガーが経営の哲学までに発展させたものである」
しかし、近代的目標管理の基本を完成したのはゼネラルモータズのスローン社長で、たまたま同社のコンサルタントをしていたドラッカーがその概念をスローン社長から聞いたという。
ドラッカーはその後、1954年の『Practice of Management』の中で、『Management By Objectives and Self-Control』と題して発表したのである。
ドラッカーの考えでは経営者の一方的な命令と統制の域を出ないとして、マクレガーが例の人間関係論の]Y理論を基に、目標管理は人間尊重の哲学であるとし、目標管理とは組織と個人の統合を促進することで、上や他人から与えられる目標や計画ではなく、自分自身が立てる目標や自己実現計画である、と述べています。(マクレガー,『企業の人間的側面』1960年刊)。その日本語訳が1969年に出て、日本企業の目標管理導入に多大の影響を与えました。
A 第2期・・日本への導入期(1964年〜1990年)・・経営参加と人間関係論をベースにしたMBO型
日本へは、1964年に産能大学が公開講座で紹介したのが最初で、折からの不況で少数精鋭化にピックリということで、翌年の1965年には早くも24%の企業が導入、経営参加や人間関係論ブームもありましたが、その後は、漸増に止まっていました。
B 第3期・・達成度の測定ツールとしてのMOO型目標管理の導入が急増(1990年 〜2000年)
ところが、目標管理の導入はバブル経済が崩壊し、平成に入ってから急増しました。その理由は、1.年俸制の普及、2.能力主義・業績主義成果主義の浸透、3.裁量労働制の成果による評価の必要性、4.職能資格制度の成果重視への修正など、企業側の評価基準のニーズにかなうものとして、1960年代のトータルな用途から賃金のみへの反映へと限定されてきました。
では、どこが問題なのかを整理します。
(問題点1)経営レベルの目標管理を評価のツールに格下げ
1960年代後半に日本に紹介された直後から、早く導入した企業では、「組織と個人の統合」の哲学を基本に、「経営目標への参画」「能力開発」「キャリア開発」「業務目標の設定」と、自己管理による自己実現や育成を目指し、「行動の科学」の理論に基づいて社員の真の活性化を軸に展開してきました。しかし、バブル崩壊後、拙速で新しく導入した企業の多くでは、評価ツールに限定して、成果達成の部分だけを数字で測定する、新しい「目標管理」が広まりました。
問題があるという指摘は早くからなされていました。たとえば、ある労務用語辞典では1990年以降導入された目標管理について「目標管理の本来の意味が十分に把握されないまま、手続きのみが先行して不評を買っている」(労務管理小辞典 中央経済社1992年刊)という指摘をしています。
(問題点2)目標管理が現場ではノルマ管理化
目標管理は、OJTや面接により上司と部下の自由な話し合いを前提にしているが、日本人の「寡黙」を良とする風土では、双方とも自由闊達なコミュニケーションができず、結果として上司と部下との「目標管理シート」のやり取りによるノルマ管理になりやすいです。
(問題点3)形骸化
マニュアルの常として、最初は労力をかけて数値化など精微に作るものの、目標管理のマニュアルが修正されず、陳腐化し、結局、制度自体が時代遅れとなり形骸化してしまうことになりやすいです。
(問題点4)目標の選び方と達成基準があいまいで定性的目標が軽視される
日本の企業では長年の年功制で能力、業績などの定義、範園、評価基準があいまいな上に、どうしても短期的でわかりやすい低めの目標で、達成しやすい、数値化できる売上高など結果に偏りがちになる傾向にあります。管理部門の定量化しがたいものや定性的な目標は軽くみられたり、進歩管理や達成基準の設定や測定が上司や部下の判断に委ねられ、全体として統一性や明確性を欠くことになりやすいです。
C 第4期 反省期・・プロセス重視とトータル化でMBO型の原点回帰へ(2000年 以降)
本来の目標管理はMBOですが、日本で問題になっている新しい「目標管理」の多くはMOOであり、字は同じ「目標管理」でも目的、内容ともまったく違うとして、1964年にアメリカからの導入に携わった専門家や研究者は次のように指蒲しています。
多くの指摘をまとめると次のようになります。
・誤用されている「目標管理」は,「達成すべき目標一個人成果を管理する」だから、英語でいうと、「Management Of Objectives」というべきもので「目標を管理する」目標管理である。
・バブル経済崩壊以降に評価ツールとして導入した日本企業では、この意味に解釈し、目標の達成」が唯一無二の目的とする傾向が見られる。そういう目標管理は、MBOではなくてMOOである。
・MBOすなわち「目標による管理」の意味は、「Management By Objectives」で「目標によって管理する」で、「管理する」が主役であり、目標はその手段にすぎずワキ役である。目標そのものを管理するのではない。さらにドラッカーはこの後にSelf−Control(自主続制、自主管理)と続けて、目標によって社員が自律制を持っことを強調している。この重要なSelf-Controlの部分が、1990年以降に導入された日本の新しい目標管理では無視されてしまったことはしばしば指摘されていることである。
では、本場のアメリカでは目標管理のことをどう定義しているのでしょうか。あるアメリカの最近の人事管理の書物では、こう定義されています。
「目標管理とは、上司と部下が目標を合意し、その目標を使って,部下の動機付けと評価と自主管理に使う経営哲学をいう」
成果主義に使われている、目標の達成度測定だけの哲学なき拙速のノルマ管理のツールMOOと、経営指標と意欲向上を目指すホンモノの目標管理MBOはまったく違うことがおわかりいただけると思います。