椹木野衣
「日本ゼロ年(Ground Zero)」

「日本ゼロ年(Ground Zero)」
  • 1999年11月20日-2000年1月23日 水戸芸術館現代美術ギャラリーにて
  • 企画の椹木野衣氏(美術評論家)に緊急取材しました。
  • ここでは簡単な5つの質問をしています。「日本ゼロ年」の企画に関する
  • 椹木野衣氏のテキストが水戸芸術館よりリリースされています。
  • ぜひその資料を ご参照ください。

※椹木さまへ、展覧会準備の忙しい中、ご返答ありがとうございました!

質問=VOID編集長  以下5つのご質問です。


質問(1) 「日本ゼロ年」の企画の発端として『美術手帖』で連載され新潮社より1998年に出版された「日本・現代・美術」があったと思います。いつごろからこの企画展の構想を練られたのでしょうか?
椹木氏: やはり『日本・現代・美術』出版後ですね。 最初はあの本のビジュアル・ヴァージョンとしての<展覧会>にできないかとも思ったのですが、それだとあまりにも規模が大きくなってしまうので、圧縮の上、新しい要素を付け加え、あの本の別の面も見えるように考慮しました。とはいえ、本と展覧会はどちらが主というものではなく、対等に考えています 。原則として僕はキュレーターではないので、今回も批評活動の一貫として考えています。

質問(2)「日本・現代・美術」は4刷と重刷されており一般的には特にマーケットの狭い現代美術というジャンルの本の中では異例の売れ行きですね。ご自分では、その理由をどう分析なさいますか?
椹木氏: 端的に言って、他のものがあまりにつまらないからだと思います。「評論集を出した」という既成事実作りの域を出るものはほとんどないのが実情でしょう?つまらなくて高い−−いまどきそんなことをやっていては見向きもされなくて当然です。

質問(3)「日本ゼロ年」では、現代美術の「枠組み」をリセットするもくろみのもと、アートマーケットの論理から意図的に外れた作家、作品が集められているわけですが、資本主義的なアートマーケット志向に反発しながら椹木さん自信が目指す「構造変化」とはどんなものなのでしょうか?
椹木氏: 顔触れを見てもらえばわかると思うのですが、アートマーケットの論理から外れた作家を集めたつもりはありません。僕の言う構造変化は、主に冷戦構造の解体のことで、それに応じて、その上部構造として安定してきた「現代美術( アート)」も大きく変化せざるを得ない、ということです。 しかしそれは、既成のマーケットにアジアの作家が参入する、というような意味での変化でないことも事実です。それは一見、ダイナミックな変化のようでいて、実のところ冷戦解体以後の状況に対するアート・マーケットの延命策にすぎないからです。それが原理的な対応でない以上、こうした現象は早晩、壁にぶちあたるでしょう。ここでは多くは語れませんが、より大きな「構造変化 」を考える際のキーとなるのは、マーケット云々ではなく、「ジャンルの再編 」ということではないかと思います。けっして「ジャンルの解体」ではなく。

質問(4) 大森にあった頃のレントゲンで椹木さんが企画された「アノーマリー展」や 「909」からの流れとして音楽や漫画といった他ジャンルからの表現者と、若 手の現代美術作家を等価に提示するという手法があります。さらに今回は美術館における「現代美術」という領域をずらした上、「様々な意匠」という言葉のもと美術、デザイン、写真、演劇、サブカルチャーなどの出自による大物作家から新人まで照準を広げています。しかし唯一現代美術というフィールドで 活動をしている若手作家として会田誠、小谷元彦、村上隆、ヤノベケンジという選択はエロアニメ、ロリコン、合体ロボ、美少女フィギアなどの椹木さん自身の「オタク」的出自をある意味で感じるのですが、いかがでしょうか?
椹木氏: 質問の文脈がうまくつかめないのですが、個人的にはアニメは「宇宙戦艦ヤマト」止まりで、その後の展開はまったくフォロウしていません。逆にいえば関心がないからこういう暴力的な文脈の組み換えができるのかもしれませんが。 そもそも美術に出自があるのかどうかも不明だし。まあ強いていえば音楽なのでしょうが・・・。

質問(5) 個人的に飴屋法水氏がカムバック(?)されることに期待を寄せており、ギャラリー内外でどんなことをするのかドキドキしています。たぶん詳細については未定のところが多いと思いますが、飴屋法水氏に依頼するのあたりどんな話をされたのか、ぜひお聞きしたいのですが?
椹木氏: 飴屋氏の「テクノクラート」以後の活動は、彼がずっとやってきたことの<転回>であって、<リタイア>であると考えたことは一度もないので、<カムバック>してもらうつもりはありません。細かいことについては現在進行中なので、お答えできません。

(おわり)