Q 作品はリリースにあるような先行きの見えない現代へのメッセージなのでしょうか?
YO 中心から離れ遠くにある日本ですが、世界はドンドン小さくなってきています。「世界はひとつなんだ」という観念が段々はっきりしてきたわけです。日本で起こっていること、例えば犯罪の低年齢化、子供の暴力は、他の国でも同じような問題を抱えてます。私は絶望してるわけではないのです。「絶望」とは意味のないことだと思っています。絶望してもしょうがない。私は人類に対する「希望と信頼」を持っています。自分の種族を生かす欲望を人類は強く持っています。お互いに助け合い大きな知恵をもって、最後は困難から助け出すことができる。私が方々を歩いているのは、「信頼と愛」を持ってひとりひとりの恐怖感、混乱した状態をなくし、自分の心を開いて、相手の心を開き、お互いに力強さというものを出し合って、人類の保存ということを一緒にやっていかなくてはと考えているからです。
◆芸術は純粋であることが大事---
Q 1969年に最初に「War is over, if you wanted」("Bed-in forpeace"1969)という、ジョン・レノンと共同署名で世界へメッセージを流した時のエピソードなどありますか?
YO 平和運動をしていた頃、ビルボード(大型看板)を出すということは、効果があるんじゃないかと思いまして、9ヵ国くらいのその国の言葉で出したのです。「芸術」はやった時にすぐに反応があるわけじゃない。今振り返ってみると、何かの形でみなさんの勇気づけになったのではないかと思います。1998年にタイムズスクエアに同じビルボードが再現された時はみんなノスタルジアを感じてくれたみたいですね。何倍かの勇気づけになったと思います。
(編集部注:水戸の展覧会では同じビルボードをみることができる。また2001年9月23日NewYorkTimesに"Imagine
all the people living life in peace"と1行だけかかれた全面広告を署名なしで出した。あのショッキングな衝突事件の興奮から覚めやらぬ街で、このメッセージはどう伝わったのだろうか?)
Q 20代後半のフルクサス(NYの前衛芸術運動)時代は、失礼ですが、貧乏な生活だったと思いますが振り返ってみてどう思いますか?
YO アイディアが浮かんで作品をつくる時に、これは売れるだろうか、美術館がとってくれるだろうかとか、一切考えたことはないんです。芸術は純粋であることが大事で、そのコンセプトが純粋であることを保つためには、ウェイトレスをして生活をたてるとか、生活と芸術は別にしていました。芸術で食べていこうとは考えてなかった。アーティステックな欲望だけです。キース・へリングが電車でやったように、自分達で「発表の場」をつくらなくてはいけなかったのです。お金の価値、valueは考えてなかった、アートのvalueだけ考えていました。アーティストというものが成功すれば作品が高く売れるから魅力だというのは違うと思いますね。私は昔と同じ態度でやってるつもりです。
◆あなたの考えが世界を変えるのです---
Q 60年代の作品が再製作、再展示されることは、当時のメッセージ/コンセプトが21世紀の今、なにか違う意味を持たらすものなのでしょうか? (byヴォイドチキン)
YO はじめ入口から歩いてきますと、私が歩んだ道、それは同じ時代の人々の歩みでもあり、(展示の中を)歩み続けて今に近づくと、これだけの重みがあったんだなと、現代のあなた方も感じてくれるのではないかと思います。自分ではあまり変わってないつもりでも、時代が変わったから、変わったところもあります。西遊記の孫悟空が、お釈迦様の手から飛び出して、「世界の果てまで行ってきました」と。でも実はお釈迦様の手の中だったという話があります。ドンドン何か新しいことをしようと思って、「これは新しい!」と思いやってきたことを振りかえり、気が付くのは、「私」は「私」から出ていなかった---と。
Q 40年間振り返ってみて、どう思いますか?
YO 「30になる」「とうとう40だ」とかみなさん心配しますけど、私はあまり感じた事がないですね。今年70になりましたけど、とても軽い気分なんです。前より若い気持ちで、活動的な体になっていると思います。自分の「考え」が「身体」をつくるんですから、考えが影響するわけです。時間というものは人間がつくったものなんですね。暦をつくって、1年経っちゃった、10年経っちゃったと。それはなんでもないんです。10年知ったから、その人を知ってるわけでもないし、10分知ったから、知らないわけでもない。時間と関係のないところで、私達は生きているのです。私はあなたたちが若いから知らないとか全然思ってません。私達は一体だと思ってます。
Q 水戸ははじめてですか?
YO 初めてです。初めてというのもおかしいのですが。東京も私の知ってる東京と全然違う他国の都市のようで、知ってるともいえない。みんな同じ空気を吸っていますから、空気で世界はつながっているわけです。私達の考えは空気を通して、旅をするわけです。「自分は片隅にいるから、こんな考えを持ってもしょうがないな」とは思わないで。あなたの考えが世界を変えていくのです。「あ、こういう風にしたい」と欲望を書いた紙を机の中にしまっておくんです。1年ぐらいたつとちゃんとかなってる。ものにもよりますよ。私は忙しいからしませんけどね。(笑)わかるのは私たちの考えていることが社会をつくってるし、身体をつくってるし、家族もつくってるし、環境もつくってる。考えていることが、かなっているんだということを知って欲しい。
Q ジョン・レノンさんに会った前と後では作品や活動において変わったことはありますか?
YO ジョンが陽で、私が陰。すごく大きな力でお互いに吸収しあっていました。彼は陽ですから、社会的で、政治的な力を持っていて、私は内向的な力を持っていました。その効果がうまくいったんじゃないですか。私は自分のつくったもので、どうやって外にコミュニケートするのか、そのやり方を彼から学びました。でもならっても自分は変えられないから、自分なりのやり方でやってます。私に会った後、彼は内向的なところがでてきました。それは彼の作品に出てますのでみなさんもご存じですね。
(編集部注:レノンは1980年に没、もう20年以上も前のことで自分は高校生だった。信じられない!)
■会見後の感想
全身から発するオーラに圧倒された。世界で一番有名な日本人と言われ、またビートルズ・ファンだけでなく、世界中のジャーナリズムの誤解に満ちた偏見、妬みを買った。当時、東洋人である蔑視、女性である差別といろんなものと闘ってきた人だ。大きく胸の開いた黒い豪奢なブラウスとビチッと決まったジーンズにブーツ。胸元の白い肌に、ダイヤのネックレスが滑る。話の端々に感じるのは、変わらない平和への祈り、Love
and Peaceのメッセージ。「芸術は純粋であるべきです」と信じるピュアな魂がジョンと通じ合ったのか。ちょっと「お嬢」なところが、また彼女の魅力なのだろう。水戸芸の中庭にキリッと立った姿は本当に若々しく、「夢と希望を信じてきた」という自信に満ち溢れているのだった。スーパーエネルギー/グッドバイブレーションをもらった。(h.Tsuge)
2003年10月4日(土)水戸芸術館にて
【展覧会情報】
「YES オノ・ヨーコ」展 2003年10月25日(土)-2004年1月14日 水戸芸術館現代美術ギャラリー
YES YOKO ONO is organized by Japan Society, New York.
The exhibition is
curated by Alexandra Munroe, with Jon Hendricks.
【関連サイト】
http://www.new-york-art.com/Artist-Yoko-Ono.htm
http://www.a-i-u.net/info.html
http://www.sfmoma.org/exhibitions/exhib_detail.asp?id=72
【おすすめ書籍】
STUDIO VOICE vol.312 2001年12月号 特集オノ・ヨーコ ONE WOMAN SHOW
「ただの私<あたし>」オノ・ヨーコ(講談社文庫版1998)
|