Sakiko Nomura interview





 写真家・野村佐紀子 インタビュー

野村佐紀子-「秘蜜」展 成山画廊
2003年12月5日〜2003年12月27日 

 「秘蜜」展にまつわる撮影秘話など…

VC: サリー・マンなど母親が写真家で、作品としてのファミリー写真で子どもの裸を撮ったものは
よくありますが、子どもは親がそばにいないと落ち着かないとか、難しくないですか?

野村: それが違うのですよ!お母さんといるとダメで、私と一緒にいると大丈夫。撮影が終わって、
「じゃ、お母さん呼ぶね」と電話しようとすると、「ちょっと待って、ちゃんと整えるから」って、
小さい子が身支度をしながら言うんですよ。全然親の前とは違うのです。


VC: 親がいる前と態度が違うと、よく保育園の先生も言います(笑)自宅で落ち着きのない我が子が、
園でイスとテーブルにきちんと座って食べているのを見て、仰天しました(苦笑)

野村:子どもは何も知らなくて、歳をとることで学ぶと思って、実はたぶん違っていて、本当は
いろんな事を知っていて、大人よりたくさんわかっていると思う。
子どもは言葉を覚えたり、笑ったりという表現がでてくるにつれて、いろんなことをドンドン
落としていってしまう。赤ちゃんからおじいさんになって、人間として結局プラマイゼロ。
生まれたばかりの赤ちゃんと死ぬときの老人は同じくらい全部持っていると思うのです。
 子どもがモデルになることで、大人を撮っている以上に、こうする、ああすると言うこともなく、
「なんかわかってるんじゃない?」という感じでした。
今までの作品のような私からみた異性、同性の「性」を撮ってるというよりは、
持っている「性」、人間の「性」そのものを撮っている感じでした。


VC: 作品を見ながら少しドキドキしました。子どもはとても性的な生き物だと思うのですが、
大人は見て見ないふりをしますよね。

野村: そうですね。あきらかにあるんです。男性のヌードを撮ってきて、この感じはすごく不思議でした。
洋服を着ているよりはヌード、まわりにごちゃごちゃしたものがあるよりは、なにもない部屋と、
「あなたが撮りたい」と邪魔なものを排除してきた。でも大人同士では、排除できないものがふたりの間には
残るのです。撮っていて、人間のもともとの「性」の強さを感じました。


VC: 以前の若い男性のモデルより濃いものを感じました。

野村: 撮影の時に、押したり引いたりというやりとりもない。ただ子どもがじっと思ってる。
それを撮っているだけです。なるべくこっちも表現しないように、イメージしないように撮ることが、
自分がずっと欲してることだった。自分がイメージを持って撮るということに、すごくフラストレーションが
あったから、忠実に撮るということが、とてもおもしろかった。


VC: 子どもをめぐるいろんな社会問題もあり、リスキーなところで、誤解も生みやすいし、
一方的なリアクションがきてしまったらどうしようと不安はありませんでしたか?

野村: うん、それはすごくありました。撮るために親に話してダメになることもあったし、
マイケル・ジャクソンが捕まったり(笑い)少年愛を肯定してる人が来たり。
「違う」というと逃げてるように聞こえるかもしれないけど、「少年愛は悪くない」という
発言をしている作品ではないですし。それは、それ。
でもそれと一緒になって言うのとは違いますからね。でもそういう人は来ましたよ、不思議ですね(笑い)


VC: ビミョウですね(笑い)

野村: 最初に男性ヌードに撮ったときも、「やっと立ち上がりましたね!」と言われて…

VC: えっ、それはゲイの人たちに?

野村: ではなくて、男性が性の対象として、女性のヌードを撮っている世界において…みたいな。
その頃までそういう問題に疎かったので、「何言ってるんだろう?」と、よくわからなくって。
雑誌のインタビューで、最初からそのつもりで相手が来てるから、いくら話を修正しても…

VC: 話が戻っちゃうんですね。

野村: (笑い)そこに落とされましたけど。不思議な時期があって…。ちゃんと違うんだと真摯に
反論すればいいのでしょうけれど。自分の立場をクリアにしなくてはいけないのかと、
写真を見ればわかるでしょうと言うだけでいいのかと、ずいぶん悩みました。
本当はちゃんと発言しなくてはいけないのでしょうね…。

VC: 写真家の女性は少ないので、どうしてもまわりが枠にはめたがるような…

野村: 大人になって初めて味わったかんじですね。
どこかに所属してなくてはならない。あやふやなのは、許されないんだなぁと。

VC: 今は女性にとって、少し幸せになった時代で、昔だった男の人から枠にはめられて、
女の居場所はここって、はみだすと叩かれていた。女流の写真家だと、なめられて。
幸か不幸か(笑い)今は、女の側から枠をはめられるのかな(笑い)

野村: 不思議ですよね。もちろん上の世代の女性写真家の方々ががんばってきたから、
そのおかげだとはわかってるのですが。言葉でちゃんと言うのが難しい…。


VC: 美術の世界でも、同じような感じです。昔、闘ってきた人がいるのは知ってるけど。
それとはあまり関係なく自分の表現を探っている。ジュディ・シカゴなんか、今の若い
女性作家は知らないですもの。

野村: おかげさまなんですけどね。

VC: そうですね。作品の話に戻りますが、写真からは、撮影地が日本なのか、外国なのか、
場所がどこかもわからないし、昼なのか夜なのか、時間もわからない。削ぎ落としていった
結果、そんな作品になったと思うんですが、実際どこで撮ったんですか?

野村: 渋谷とか新宿とか(笑い)なるべくなるべく(無駄を)なくそうと思って。
子どもなので気が散らないように、「はじめまして」ってお互い知らない場所で会いました。

VC: 撮影の時に、初めて会うようにしたんですか?

野村: そうしたんです。大人の時もそうなんですけどね。子どもと仲良くするという事とは、
違うことですよね。その人の歴史を撮るわけではないし。1時間という短い時間に撮れるのは、
その人のほんの一面だから。


VC: モデルはいろんな国の…?

野村: いえ、全部日本人ですよ。ハーフの子もいますけど。

VC: えっ、そうなんですか。てっきり他のアジア国の子もいるのかと思ってました。
おもしろいですね。日本人ってどんな顔?、日本人って何?とか、疑問が湧いてきます。
うーん。きっかけは、どんなことだったのですか?

野村: 仲の良いお友達の子供を撮って、すごく良かったので撮るようになったのです。
相手の母親は友達なのですが、この雑誌に写真が載るからね、と細かく断っていたのですが、
「あなたに最初に話しを聞いたときにOKと言ったはずです。いちいち報告しなくていい。」
と言われて、こちらの責任を信用してくれて、とても嬉しかったですね。
後で聞いた話ですが実はその頃、近所の子どもに問題をおこした男性が逮捕される事件が
あったらしいのですが、一切私には何もいわず任せてくれた。
もちろんモデルとなった子どもたちのそれぞれの家庭で、葛藤があったと思います。


VC: 媒体に個展の宣伝をするのも、大変だったでしょうね。

野村: リリースも成山さんと練りに練って。「蜂や蝶が…」って、ものすごく抽象的な表現にして。
でも本当に蜂や蝶を撮ってる写真家みたいに紹介した媒体があって、「読んでよ!」みたいな(笑い)


VC: おかしいですね。(笑い)野村さん自身も撮影の時、剥がしていかなくてはいけないものが
ありましたか?

野村: そうですね。自分にも一個一個剥がさなくてはいけないものが、ありますね。
余計なものがいっぱいついている。やっぱり自分にも痛みはありますし、
痛さとかかなしさとか被写体が持ってるなら、ちゃんと写すべきですよね。
撮影の時は子どもとずーっと見合っている不思議な感じでしたね。


VC: 子どもたちの表情から感じるのは、野村さんの写真家としての目です。

野村: 時間にしても短いし、スーッと入ってきて、グッーと撮る。
「そのために来てるんでしょう?だから撮りましょう」と撮るときには写真に集中します。
いろんな痛みや重みの中で、自分の中ではいろんな気持ちが入り混じっているのですが、
作品としてできた時に、きちんと違うところに到達しているなと思います。


2004.1.22 九段下にて 取材協力:成山画廊

取材を終えて
VOIDで取材して以来、5年ぶりの再会でした。以前にも増して濃密な空気を感じる子どもたちの写真に圧倒され、ドキドキ。
相変わらず自然体で、優しい雰囲気の野村さんとお話していて、こちらも癒される感じです。
もっと色んなことをずぅっーとお話したいなぁと思いました。お忙しい時間をありがとうございます。(h.Tsuge)