Christian Marclay interview vol.1 →english


2001.03.28銀座にて
 

クリスチャン・マークレー(Christian Marclay) 

ミュージシャン/アーチスト
1955年アメリカ・カリフォルニア生まれ。父親がスイス人、母親がアメリカ人という家庭環境の為、スイスで育つ。
ジュネーブ視覚芸術高等学校、マサチューセッツ芸術大学で学んだ後、1978年クーパー・ユニオン・カレッジにてハンス・ハーケに師事。
1979年からパフォーマンスに使っていたターンテーブルを演奏する楽器として使い始める。
1980年半ばから 「レコード・プレイヤー」という肩書の名刺を持つターンテーブルを使った即興演奏のパイオニアとして、その名前を知られる。彼の演奏はいわゆるブレイクビーツ〜ヒップホップにあるようなポップなスタイルではなく、むしろ演奏されるレコードから発する音そのもの、それは時には針飛びやレコードを擦る音までも含めた、レコード自体をも対象化する演奏に、その特異さを見いだすことが出来る。
レコード、CDでのソロワークとして『レコード・ウイズアウト・ア・カバー』(1985)や『モア・アンコールズ』(1989)などがある。
また、1989年の『フットステップス』という足音の入ったレコードを画廊の床に敷き詰めたインスタレーション(作品を見に来た観客によって傷つけられたレコードは後に改めてレコードとして販売された)のように、音をテーマにした美術家としての活動もそれと平行して行っていたが、1995年のヴェネチア・ビエンナーレのスイス館で発表された楽器演奏している人々の写真を刷った大きな紗を垂らしたインスタレーション『アンプリフィケーション』(増幅)で、その知名度を上げ、日本でも一昨年の1999年、東京オペラシティアートギャラリーの展覧会『感覚の解放』でCDを床一面に敷き詰めたインスタレーション『エコーとナルシス』を展示した。

今回の来日はソニック・ユースのメンバーでもあるリー・ラナルドと97年から始められたデュオのコラボレイションとしてのライヴを東京で2回、京都 で1回行った。東京のスター・パインズ・カフェでの2日目のライヴを見る限りでは、このデュオはリー・ラナルドのギターを軸にしたもので、マークレーの演奏はどちらかといえばそのバックに徹した印象のある演奏であった。
このライヴの来日と同時に『ギター・ドラッグ』と題された、走るトラックの荷台からロープで繋がれたギターを路上で引っ張り回したビデオ作品を上映したマークレーの個展が東京のギャラリー小柳で開催された。
また 現在行われている展覧会『汚名ーアルフレッド・ヒッチコックと現代美術』(東京オペラシティアートギャラリー、-6/17、広島市現代美術館 7/29-9/2)にも出品している。●インタビュア/實松亮 通訳/坂口千秋  
http://www.music.ch/recrec/label/artist/marclay.html#marfoo


Sanematsu: まず、最初にマークレーさんが即興のターンテーブリストとして知られる前のシーン、そうしたシーンが形成される前のお話から伺いたいと思っています。ボストンのマサチューセッツ芸術大学に在籍していた頃の話から伺いたいのですが。

Marclay:最初はスイスのジュネーブ視覚芸術高等学校に行ってたんだけど、アメリカのアートに興味があったので、ボストン、それからNYへ行きました。僕の母はアメリカ人で、僕もアメリカ生まれなので、アメリカへ行くのは自然なことだった。70年代後半頃で、最初ミニマルアートに興味があって、それからパフォーマンスに興味を持ちはじめ、ボストンとNYを往復しながらパフォーマンスを見たりしていた。そのころ僕はギャラリーや美術館よりも音楽シーンに興味があった。新しい音楽シーンはとてもエネルギーに溢れてたね。それって、パンクだったんだけど。NoWave(1)のバンド、例えばDNA、Marsとか。パンクの連中は、ヘタクソで、修行もなしに、"Just do it!"って感じで、僕にもできたしさ。また、同時にヴィト・ア・コンチ(2)、ダン・グレアム(3)、ローリー・アンダーソン(4)のようなパフォーマンス・アートがたくさん起こっていた。面白かったのは、彼らが美術館じゃなくてクラブでやってたこと。音楽の生なエネルギーとの面白いミクスチャーがあったんだ。

S:マークレーさんがダン・グレアムにパフォーマンスの依頼をしたという話がありますが、彼のパフォーマンスは日本ではあまり知られていないので、どういったものだったのか教えてもらえますか?

M:彼の70年代のパフォーマンスというのは、パフォーマーとオーディエンスとの関係についてのものが多かった。ある意味、彼の鏡の作品とも共通している。その頃からオーディエンスを鏡の前に立たせたりしてた。ボストンに彼を呼んだのは1980年のあるフェスティバルの一環だったんだけど、ロックミュージックによって観客が自分自身の立場を再認識させるようなものだった。彼はNYから女性3人組のバンドを連れてきて、そのうちのひとりはキム・ゴードン(ソニック・ユース)だった。で、彼女たちがすごいタラタラとした簡単な演奏をしてる間、彼がオーディエンスとパフォーマンスの関係について、観客に向かって話し掛けるんだ。その時は、ロックミュージックとビジュアルアート、中でもパフォーマンスとの関係がテーマだった。ロックの演奏中に会議をするみたいで、変わってたよ。彼はミュージシャンが今何をしているかについて語り、どのように観客はミュージシャンとの関係の中から、自分を定義づけているかを質問していくんだ。女性のパフォーマーに対して抱く、なにかセクシャルなファンタジーとか。
 僕が最初にダンのパフォーマンスを見たのは、美術館じゃなくて、MUDD clubという当時有名なNYのクラブ。パフォーマンスの場所がなくて、それでクラブでやってるというのが面白かった。ナム・ジュン・パイク(5)がDNAのオープニング・アクトとして、奇妙なパフォーマンスをするのも観た。アート・リンゼイ(6)が呼んだんだけど、アンプに繋いだバイオリンをぶっ壊すパフォーマンス。ゆっくり15分くらいかけて持ち上げて、で、バーン!て。他にも音楽から影響を受けてる若い作家もたくさんいた。一種のクロスオーバーだよね。僕もボストンにたくさんミュージシャンをよんだ。DNA、ゼヴ(7)、彼らの最初の東海岸での公演だったんだよ。また、そうしたミュージシャンの多くもアートスクールの出身だったりした。それも面白かった。

S:ジョン・ゾーン(8)のことについてききます。最初にセッションをやったのが『ゲームピース』だったと聞いているんですけど、一緒にやった印象は?

M:すごかった。僕には全く新しいことだった。その準備段階で彼はたくさんのミュージシャンを紹介してくれた。僕の音楽のテクニックやコンテクストを本物のミュージシャンたちを通して思考することができた。それはすごく面白かったし、そこで即興を学んだんだ。それまではもっと構造的に音を作ってて、レコードをざっと並べて、その中から順番に曲を繋いだり。でも彼らを通してコラボレーションの仕方、聞き方、即興を教わった。それはすごく大事な体験だった。

S:ジョン・ゾーンは映画について学んで、そういう映画の編集のような要素が『ゲームピース』(9)の中に取り込まれてると思うんですけど。

M:そうなの?彼はシアターを学んでたと思ったけど、確かに映画も好きだった。カートゥーン(アニメ)とか。映画では普通、物語が先行し、音楽はその底辺を流れるものだ。だけど映画のカットの仕方はとてもラディカルで、突然カットされ、1つのシーンから次のシーンへジャンプする。トラディショナルな音楽みたいに段々と移行するんじゃなくてね。だから映画を聞いてると..........

S:映画を聞くんですか?

M:そう、目を閉じて。そうするとどんなに音が突然ガラっと変わるかわかるよ。そうやって映画のように音をカットしていく。60年代前半にジョン・ケージなど多くのアーティストがフィルムのようにテープ・コラージュをやっていたんだ。でも答えになってないな(笑)。

S:最初にジョン・ゾーンに会ったきっかけは?

M:彼は僕の音楽をどこかで聞いてきて、一緒にやらないかと声をかけてきた。何回かリハをして、完全音楽畑の他のミュージシャン達に会った。僕のやってることはずっと美術の範囲で、音楽に関しては観客側にしかすぎなかったから、すごく嬉しかったよね。僕がBachelor's Evenというバンドで、ターンテーブルとかローパーカッションとかやってた頃だね。

S:どちらかというと、自分自身はミュージシャンというより、パフォーマーという意識が大きかったのですか。

M:うん、僕の観客はアート好きのそっち系の人間ばっかりだったし。

S:もうひとつジョン・ゾーンのことを聞きたいんですが、楽器をつかわないでライトで演奏というか、即興をやってたという話を聞いたことがあるんですが、それを見たことはありますか?
 
M:僕が会った頃はまだやってたようだけど、残念なことに僕は直接は見てない。彼の自宅で少数のゲストを招き、すっごい小さなオブジェを使ってね。見る機会を待ってるうちに、彼はやめてしまった。写真でしかみたことない。でも彼はそれを音楽と呼んでいたね。
 僕は音楽の歴史から拾ったいろんな音のパレットを持っていた。そこから彼はサンプルを選んで違うジャンルやスタイルの音に仕立て上げていった。僕の折衷主義を取り入れたわけだ。それは僕と彼とのアイデアの交換だった。彼のアイデアはジャズ、フィルム、シアター、即興からくるもので、彼は本当に毎日音楽と一緒に暮らして、音楽のことばかりを考えていた。僕といえば、ナイーブで形になってないけど、音楽の訓練をした音楽家とはちがう視点をもっていた。そうやってアイデアを交換し合うのはすごく楽しかった。

(1)No Wave:80年初頭のPop-Rockの新しい流れのNew Waveに対して現れたNYでのパンクムーブメント。(S)
http://www.eai.org/qry/eai/catalogue/category
(2)ヴィト・アコンチ(Vito Acconci):アーティスト。元々詩人であったが、70年代より肉体を使ったパフォーマンスアートの表現や映像による作品表現へ移行したアーチスト。(S)
http://pages.ripco.net/~nailhead/nycnowave.html
(3)ダン・グレアム(Dan Graham):アーティスト。ミニマル、コンセプチュアルアートの流れを経て、近年では人の入れる構築的な建造物に鏡やハーフミラーを使った、内と外の関係性をテーマにした作品が多い。(S)
http://pages.ripco.net/~nailhead/nycnowave.html
(4)ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson):アーティスト。80年代にバイオリンを片手にポップでユーモラスな詩を歌う、というスタイルで知られるパフォーマー。(S)
http://www.laurieanderson.com/
(5)ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik):ヴィデオ・アーティスト。ヴィデオ・アートのパイオニア。(S)
http://www.geocities.com/namjunepaik/
(6)アート・リンゼイ(Art Lindsey):ミュージシャン。前述のバンドDNAのG,Vo。彼のギターは弾く、というよりむしろノイジーな打楽器としてギターとして操られる。(S)
http://www.liquidskymusic.com/artists/ArtoLindsey.html
(7)ゼウ゛(Zev):ミュージシャン。自作のメタルパーカッションをひたすら延々叩き続ける。1997年来日、世田谷美術館でライヴを行った。(S)
http://www.epitonic.com/artists/zev.html
(8)ジョン・ゾーン(John Zorn):ミュージシャン、作曲家。Saxでの演奏活動をメインに80年代初頭のNYの『ダウンタウン・ミュージック・シーン』の中で中心的な役割を果たし、80年半ばから10年近くNYと東京と往復する生活によって、日本の音楽シーンにも影響を及ぼす。近年は演奏活動よりむしろ作曲に専念している様子。(S)
http://members.tripod.com/~JFGraves/General/links.html
(9)『ゲームピース』:ゾーンの考え出した集団でやる演奏形式のこと。集団での演奏をスポーツのゲームと同じように見立てて、ある一定のルールをあらかじめ作っておき、その中で演奏を行うというもの。この形式を最終的に発展させたものが、『コブラ』と呼ばれるカードを持ったプロンプターの指示を中心に演奏を進めていくスタイルへと推し進められた。(S)


シアター・オプティクスと呼ばれるライトによる演奏をマークレーが見ていない、というのは僕にはかなり残念なことだった。というのは、ゾーンがこうした演奏に行き着いた過程をこう語っていたからだった。

「音のしない音楽ってなんだろう。音が音楽から消え去っても音楽は音楽であり続ける。音楽は何かを操作する方法である。」
『リチャード・フォアマンの世界 反響マシーン』/巻上公一、鴻英良編 勁草書房

ここでゾーンは音のない時間、あるいはその時間軸でのコンポジションについて考えていたのだろう。こうしたことと、マークレーの美術作品でのインスタレーションの多くに見られる、音を発さないオブジェを使って、音に関する空間を作り上げていることには、相互作用があったのではないだろうか。(S)

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