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ウィレム・ブロイカー/Willem
Breuker
ヨーロッパを代表するフリー・ジャズのサックス奏者だったが、1974年にウィレム・ブロイカー・コレクティーフを結成し、ジャズだけでなくクラシック、ポピュラー・ミュージック、マーチング・ソング等、ジャンルを超えた演奏活動を始める。時には、衣装、セットなどを用いたパフォーマンス/オペレッタ/演劇の要素を加え破天荒なステージで、高い評価を得る。また、音楽に対する助成運動など思慮深い社会的な活動でも知られ、1988年にオランダ政府から長年の芸術活動に対する貢献により表彰される。
■インタビュア 山下恭弘 |
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「私が興味があるのは私自身がやっている音楽」
yamashita: まず、経歴からお聞きします。音楽をEcole de Musique
Populaireで勉強したと雑誌で読んだのですが?
breuker: そう。でも音楽学校ではなくて、学校や仕事が終わった後で、週に2回とか通う塾のようなところなんだ。クラスは自分ひとりしかいなかったよ(笑)。いや、人はいっぱいいたんだけど、ちゃんと出ているのは自分だけだったんだ。みんな学校や仕事が終わった後に、飲みに行ったりサッカーやったりしてたから、音楽をやるような変わり者は僕しかいなかったんだね。
授業はというと、楽器の演奏も習ったけど、本当にものすごくベーシックなことしか習っていない。時々レコードとか聴かされたり、「これを歌ってみなさい」というのもあって、学校教育によくある音楽の授業だったね。本当に塾みたいな感じだったから、自分の中ではそんなに影響を受けたとも思っていないよ。私が子供の頃のオランダは戦後ですごく貧しかったから、個人レッスンをやるにはお金がなかったんだ。だから塾みたいなこの学校に通ったというわけ。
y: 最初に聴いたジャズ・ミュージシャンは?
b: 普通の音楽は嫌いで、よくわからない音楽が好きだったんだ。みんなが好きな音楽は私には興味が湧かなかった。私が興味があるのは私自身がやっている音楽。特にこのミュージシャンというのはないんだけど、ラジオは自分にとって一番大切なものだったね。両親が働いて家にいないから、授業をよくさぼっては自宅で音楽を聴いたりしてた。そういうことをしてるうちに、自分の好きなものが形作られていったんだ。
学校が終わると家で新聞を読むんだ。その中から自分の興味がありそうなのをピックアップして、音楽の情報を得ていたよ。で、さっき言った週に2回の音楽学校に通うようになった。特別に楽器を演奏するんじゃなくて、ただ歌ったりして音楽の勉強をした。また新聞配達のアルバイトをして家計を支えたりもしたね。だから4時か5時からその仕事と音楽学校に行っていたということだね。
y:では次に、ICPレーベル(1)設立の経緯について教えていただけますか?
b: 1966年にプロとして音楽活動を始めたときは、仕事を得るのがとても難しかった。その頃にピアニストのミーシャ・メンゲルベルク(2)と初めて会って、独りよりみんなとやったほうが力強く何かをできるんではないかと思い始めたんだ。それでICPを設立しようと考えた。1967年にハン・ベニング(3)と活動を始め、ICPレーベルを一緒に立ち上げたというわけだ。73年に私はICPを脱退した。そしてその後に自分のレーベル、「ブハースト」(4)を設立したんだ。
y: ICPのときに、方法論としてフリー・ジャズを選んでいるわけですけれども、既にフリー・ジャズというスタイルで行こうという考えがあったんですか?
b: その頃からフリー・ミュージックというアイディアはあったよ。ICPをつくったのは、政府や民間からのサポートがまったくない状態では、自分たちでやるしかなかったんだ。
y: フリー・ジャズをやるにあたって、例えばギュンター・ハンペル(5)、シュリッペンバッハ(6)とかの影響、出会いというのは大きいのでしょうか?
b: 67年私はドイツでも演奏をしていて、その頃彼らやドイツのミュージシャンとも交流があった。でも、影響を受けたりということはなかったね。
y: それではドイツのFMPレーベル(7)のミュージシャンと、ICPのミュージシャンの交流はあったんですか?
b: もっと後になってお互いにコンタクトをとり始めたんだ。
y: じゃあ、ICPとFMPは別々の運動として展開されたと……。
b: そうだね、別々に。75年か76年ぐらいに初めてお互いの団体が会ったんだと思う。
y: 75年頃と言えば、あなたはフリー・ミュージックから方向を変えているように思います。と同時に自主レーベル「ブハースト」を設立しているわけですけど、その辺を。
b: 必ずしもフリー・ミュージックから離れたというわけじゃない。66年から私は自分の音楽、頭の中にあるものをすでに作品として形にし、発表していた。でも66年ごろ書いた作品というのを彼らに見せるのは不可能だったんだ。だって彼らは楽譜を読めなかったから。その頃は「未来はフリー・スタイルだ」と考えていた。つまりフリー・ミュージックだということ。だから打ち合わせもなしに突然音楽が始まって、いつ終わるかわからないけれども、終わってしまったら終わりっていうスタイルになったんだ。
しかし私が思うに、66年から70年代中ごろまで全てをやりつくしてしまった。その後、しばらくの間音楽界を見廻しても新しいものが何もなくなってしまった。「お祭りは終わったんだ」と、そういう風に感じたのが70年代半ばから後半だったね。66年から70年にやっていたことが繰り返し、繰り返し起こってしまって、同じことが繰り返されて……、何も面白くなかった。私はそういう音楽は絶対にやりたくなかった。フリー・ミュージックってやつをね。私は繰り返しは嫌いなんだ。過去にやったことをもう1回やるのは大嫌いだね。
y: ではフリー・ミュージックをやっているときも、例えば舞台音楽(ブレヒト、ワイル、ガーシュイン)とか、ストリート・バンド(マーチング・バンド)とかの構想はあったんですか?
b: さっきの舞台音楽とストリート・ミュージックに関して言えば、自分のアイディアを出して形にしたということであって、別に受け手に向けてやったわけではない。私がつくった音楽をそこでやっているだけなんだ。新しい現代音楽の作曲家とか、そういう人たちにとっても「ブハースト」というのが必要だった。だから私だけのためではなく、他の人のためにも「ブハースト」を私が立ち上げたというわけ。
y: 政府や市などからあなたの活動に対する公の援助があったんですか?
b: いや。自分の責任でやったもので、サポートはまったくない。だから私がお金を払わなかったらすぐに訴えられる、そういう個人的なものだ。
y: あなたは「ブハースト」から多数のアルバムを出していますが、取り上げる作曲家の幅広さに驚かされます。具体的には、ハイドン、ワイル、モリコーネ、サティ、コール・ポーター、シュリペンバッハ……。
b: 今のミュージシャンだけではなくて、過去の人たちからも学んだり、得るものがたくさんあるはず。だから歴史を参照すべきだと思う。
y: ジャンルもこだわらない?
b: あるのは「よい音楽」と「悪い音楽」だけで、カテゴリーはない。
y: クルト・ワイルが同じことを言ってます。
b: (頷いて)そういうものだろう。今まで存在した音楽はたくさんあるけど、一般の人が知らない音楽というのもすごくたくさんある。ラジオでもかからない、でも実際にそれは存在していた。それを私は知っている。私の音楽を通して、もう一度それを人々に蘇らせることができたら、とても素晴らしいことだ。
y: その「よい音楽」を演奏するのに、適したスタイルというのはあるんですか? 今のビックバンド・スタイルの「コレクティーフ」が「よい音楽」を演奏するのに、最適なバンドになっているんですね?
b: いや。我々はせいぜい8人から10人の小さなグループだから、とてもすべてをやるのは無理だ。元々が大グループのための曲も多いし。だからそういう場合は、8人の弦楽器(モンドリアン・ストリングス)を連れてきたり、他の楽器を加えたりして一緒に演奏する。
y: モンドリアン・ストリングスのベラ・ベス(8)は現代音楽の人ですか?
b: いいえ、彼女はクラシックの人。彼女はインプロバイザーじゃない。彼女はいろんなカテゴリーを演奏するバイオリニストだよ。
y: 弦楽器が必要だというのは、音色として必要なんですか?
b: オリジナルの中に既にそういうパートがあるんだよね。確かにその音色というのは大切だから、参加してもらうことになる。20年代や30年代の音楽を見ると、ひとりの人が2つや3つの、例えばサックスとトランペットとバイオリンを弾くとか、すごく頻繁にあったんだ。ミュージシャンはもっとオールラウンドだった。ところが今ではそういうのはすごく稀だ。それが今と昔の音が、とても異なって聞こえる理由でもある。昔はいろんな楽器をプレイするチャンスがたくさんあったんだ。
※注釈一覧
1.ICP/Instant Comporsers Pool
ミーシャ・メンゲルベルク、ハン・ベニンク、ブロイカーの3人で、67年に作った、オランダのインディペンデント・レーベル。ドイツのFMP、イギリスのINCUSと並び、ヨーロッパ・フリージャズの拠点となったが、73年、ブロイカーは独自にBVHAASTレーベルを設立した。
2.ミーシャ・メンゲルベルク(Misha Mengelberg)
旧ソ連キエフ生まれ。オランダ人。ピアニスト。1962年、ドラムのハン・ベニンクらと活動を開始、64年、エリック・ドルフィーと競演(『ラスト・デイト』)。ダダ的な演奏スタイルで知られ、67年にブロイカーも活動を共にした。
3.ハン・ベニング(Han bennink)
オランダのパーカッショニスト。元々は画家。ブロイカーとは20代から活動を共にしていた。
4.ブハースト(BVHAAST)
ブロイカーが主宰する自主レーベル。詳細については、http://www.xs4all.nl/~wbk/
5.ギュンター・ハンペル(Gunter Hampel)
ドイツのジャズ・ミュージシャン。マルチプレイヤー。はやくから、フリースタイルのジャズを演奏し、ブロイカーの初期の録音が聴ける。
6.シュリッペンバッハ(Schlippenbach)
作曲家、ピアニスト、理論家で集団即興演奏のスタイルを確立。ドイツのみならず、ヨーロッパのフリージャズシーンの中心人物。高瀬アキのパートナー。
7.sFMP/Free Music Production
1969年、ピアニストで作曲家のアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハらを中心にドイツで結成された、インディペンデント・レーベル。
8.ベラ・ベス(Vera Beths)
オランダのヴァイオリン奏者。Messianの曲などを演奏しているので、現代音楽の人と思ったのですが、ブロイカーはクラシックの人と言っている。
●フリー・ミュージック、インプロビゼーション(Free
music, improvisation)
1950年代のジャズはバップ・スタイルが主流だった。60年中頃から、定型化されたジャズのスタイルの変革と政治的な運動の高まりが重なり、ジャズの前衛指向が強まった。後期のコルトレーン、オーネット・コールマン、セシル・テイラーらのジャズは、アバンギャルド・ジャズ、フリー・ジャズと呼ばれた。インタビュー中ブロイカーは、「フリー・ミュージック」という言葉を使っているが、フリー・ジャズとほぼ同義である。
フリー・ジャズは従来の語法を激しく壊したが、やがてフリー・ジャズそのものが様式化されていった。典型的な演奏は、「破壊的な激しさ」「メロディとリズムからの『解放』」である。そして、破壊の後の創造を見つけだせず、混迷へと入っていった。ブロイカーはその様式化に早く気づき、現在の音楽を模索し始めたのだが、当時は前衛からの逃避と見られた。また、ICPに集まったオランダのミュージシャンの「破壊」の特徴を言えば、ユーモアを待ったダダイストたちである。もっとも、ハン・ベニンクはかなりアナーキストだが。
インプロビゼイションは、フリー・ジャズがもたらした混迷の中から生まれた数少ない方法論である。ジャズの持っていた「即興」を押し進め、即興演奏そのものを音楽表現として成立させる試みで、ソプラノサックスのスティーブ・レイシーやギターのデレク・ベイリーらが知られる。日本では、ギターの高柳昌行、アルトサックスの阿部薫、ベースの吉沢元治らをあげることができるが、3人ともすでに故人だ。演奏形態はソロであることが多い。また、インプロビゼイション・ミュージックは、即興を追求するなかで、「即興対譜面」の概念が成立しないことを示唆した。ジャズの大きな特徴とされてきた「即興」も、再検討されなければならないだろう。(Y)
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