Operation 14.0

危険な関係

 

もうすぐ夏休みだ。もっとも、僕は夏のインターハイがあるので、夏休み期間中も部活がある。それも、朝から夕方近くまでだったりするので、ある意味では、普通の授業があるとき以上にきつい。

「宮澤は夏休みどうするの?」

昼休みのひと時、珍しく2人っきりだ。秀明はF組の女子とランチパーティだそうだ。うるさい彼がいない昼休みもまた格別だ。

「私は、椿や翼ちゃんたちと遊びに行く予定なの。今まで女の子同士で遊びに行ったことってほとんど無かったから楽しみにしてるんだ」

自分で作ってきたというおにぎりを食べながら、宮澤は本当に嬉しそうだった。

「有間君は?」

「僕はインターハイがあるからね。長野で合宿」

「そう・・・・・」

急にさびしそうな表情になった。

「まあ、夏休み後半は、こっちに戻ってくるからさ。部活も週1回になるし」

「そ、そう・・・・ま、何ヶ月も会えないわけじゃないもんね」

「そうそう」

そういえば、宮澤と付き合い始めてから、2日と会わないことは無かった。だからしばらく会えないなんて考えたことも無かった。

「でも・・・・・・やっぱり・・・ちょっとさびしいかな」

そう言いながら、宮澤は並んで座っている僕の肩に寄りかかってきた。彼女の色素の薄い髪が風でなびく。風は彼女の甘い香りを運んだ。

「僕もさびしいよ」

ほとんど無意識に彼女の肩を抱いた。宮澤がこちらに顔を向ける。

「有間君・・・・」

ゆっくりと彼女がまぶたを閉じる。

「宮澤・・・・・」

左手で彼女を自分のほうへとさらに抱き寄せ、彼女の唇に近づく。

「あーりーまー」

『げっ、この声は・・・・・』

ピクリと肩を震わせ、宮澤が目を見開いた。僕も慌てて彼女の肩から手をはなす。

「なーんだ、あたしのことなんか気にせず続ければいいじゃない。見せびらかそうとしていたんでしょ!」

柴姫だった。

「し、柴姫、いつの間に・・・・・」

「何よ!中学の時いっしょのクラスだからって馴れ馴れしく呼ばないでくれるっ!」

「何おこってんだよ!」

「怒ってなんかないわよ!」

「それのどこが!」

ほとんど犬と猿の喧嘩になってしまった。

「や、やめなよ2人とも」

宮澤がやさしく諭した。が、

「何よ!学校で堂々と不順異性交遊してるあなたに言われたくないわよ。へん、せいぜい停学にならないように気をつけるのね。ふん!」

柴姫はむくれながらそのまま走り去ってしまった。

「な、なんだったんだ、いったい」

「それだけ有間君のこと好きなんだよ」

僕が頭を抱えていると宮澤が遠い目をして言った。そして、再び僕を見つめた。

「私もわかるよ。有間君のこと好きだから」

「宮澤・・・」

「有間君・・・」

「・・・・おーおー、やってるねぇ。青春だねぇー」

今度は宮澤がまぶたを閉じる暇すらなかった。

「桜・・・・・」

「あっ、気にしないで。つづけてつづけて」

桜は隣のベンチに座り込んでじっと見ている。ちなみに、その後ろにはやはりニヤニヤしている沢田綾と、真っ赤な顔をしている瀬奈理香もこっちを見ている。

「できるかぁーっ!」

「もう!椿たちったらひどいよぉ」

宮澤がほっぺたを膨らませた。

「ははははは。まあ、減るもんじゃないしさあ」

とてもキスどころの騒ぎではない。

《キーンコーンカーンコーン・・・》

5時間目の始まる5分前のチャイムが鳴り響いた。

「あらららら・・・・まあ、家に帰ってからでも、できるでしょ。キスだけでなくって、そこから先も」

桜が思い切りとんでもないことを言い始めた。

「な、何言ってるんだよっ!僕らは別にそんなんじゃ・・・」

「なーに言ってるかな。男と女、することは一つ」

僕が真っ赤になって否定すると、桜が畳み込むようにニヤニヤしながら言った。

「でたな、親父モード全開」

沢田が冷静に分析して突っ込みを入れた。

「もう!椿たら・・・・あんまりチャチャ入れないでよ」

宮澤も真っ赤になって怒った。ただし、少しだけ嬉しそうだった。

こうして貴重な2人の時間はなくなっていくのだった。

 


 

放課後、授業も終わり、部活も無い。僕は宮澤と帰ることにした。

「宮澤、帰ろうか」

「ええ」

僕らが教室を出ようとしたとき、廊下には桜達が立っていた。柴姫もいる。

「有間、ちょっと宮澤さん借りていい?夏休みに遊びに行く件を打ち合わせしたんだけど」

桜が頭をかきながら僕に言った。

「あ、ああ、いいよ。宮澤、じゃあ、僕は先に帰ってるよ」

「え・・・でも・・・」

僕の言葉に宮澤は一瞬戸惑いを見せた。

「友達は大事にしないとね」

ろくに友達もいない僕が言うのもなんだったが、彼女は明るい笑顔を浮かべた。

「・・・・・そうだね。わかった。ごめんね、有間君」

「いいって」

宮澤は桜達と楽しそうに話をしながら廊下を歩いていった。

僕は宮澤の笑顔を見て妙な安堵感を覚えた。自分のことではなかったが同性の友達がいるというのは良い事だ。優等生で人から尊敬されたり賞賛されていても、孤独では意味が無い。最近秀明が家に遊びに来たりするようになってそう思うようになった。宮澤に友達が出来たというのは100%2人にとって良いことだと思う。

「ふう・・・・じゃ、久しぶりに1人で帰るとするか」

僕が玄関に向かって歩き始めたときだった。

「有間君!」

伊沢が声をかけてきた。

「あれ?伊沢。・・・今帰り?」

「ええ。・・・・・宮澤は?」

伊沢は不思議そうな顔で辺りをうかがいながら訊ねた。

「宮澤は女の子達と帰ったよ」

「えー、めずらしい。2人一緒に帰るのが日課じゃなかったの?」

僕の言葉に背中をのけぞらせながら大げさに声をあげた。

「そう考えたことは無かったけどなぁ」

そういわれてみたら確かにそのとおりだった。

「じゃあ、今日は私と一緒に帰りましょ」

「え?・・・・あ、ああ」

笑顔でごくあたりまえといった雰囲気で言われたが、それと同時に機嫌の悪いときの宮澤の顔が頭に浮かんだ。

「なーに、私とじゃ不満だって言うの?」

「あ、いや、そういう意味じゃなくてね。はははは・・・」

彼女はちょっとほっぺたを膨らませて抗議してきた。だが、間違っても『宮澤が怖い』とは言えない。

「じゃ、帰りましょう」

「お供します」

こうして僕らは学校を後にした。

 


 

いつもの駅に向かう道のりも、隣を並んで歩く女性が違うだけで新鮮に思えてくる。別に宮澤に飽きたわけじゃない。なんとなく緊張しているわけだ。

「ひょっとして、柄にもなく緊張している?」

少し覗き込むように訊ねてきた。

「柄にもなくて悪かったね」

別に本気で怒ったわけではない。

「あらら、すねちゃって、かわいいんだ」

「あのなぁー」

「なーに?」

伊沢と話していると、どうにも調子が狂ってしまう。まあ、からかわれても別にイヤじゃないが。

「もうすぐ夏休みだな」

とりあえず話をそらすことにした。

「おっと、うまく逃げたわね。・・・・・・ま、いっか。私はね、母の実家に行く予定」

「へー、どこなの?」

「長野」

一瞬ぎくっとした。

「長野!」

思わず声が裏返ってしまった。

「な、なに?なんか長野だと問題があるわけ?」

「いや、そういうわけじゃなくて・・・・」

しどろもどろになってしまう。

「怪しいなぁ、じゃあ、有間君はどっか行くわけ?ほらほら正直に白状しなさいよ」

まあ、別に隠すことでもないし、ましては動揺する必要などないので(してしまったが)正直に話した。

「僕はインターハイがあるからね。長野で合宿・・・」

「長野!」

今度は伊沢が素っ頓狂な声をあげた。

「そうだよ、合宿だから観光できるわけではないんだけどね」

「そう・・・・・・」

伊沢は首をかしげて何やら考えはじめた。そして、不意に何かを決意したような表情でこちらを向いた。

「あ、あのさ・・・・・・・・向こうで会えるかもしれないね」

「そ、そうかな・・・・・」

先輩の話では合宿はキツイらしい。とても会えるとは思わなかった。

「別に宮澤に隠れて浮気しようってわけじゃないのに・・・。別に無理に会ってくれなんて言わないけど」

僕が拒絶したと思ったのか、彼女はかなり落ち込んだ様子でそう言った。

「あ、あの・・・・いや、別にダメってきまったわけじゃないし、会いたくないっていってるわけじゃなくって・・・その・・・」

『だあーっ!僕は何を言っているんだぁーっ!』

心の中で頭を抱えた。ついつい女の子にいい顔をしてしまう自分が情けなかった。

「ほんと?嬉しい!あっ、もちろん浮気しようって言うんじゃないわよ。そんな裏切り行為はもう出来ないからね。単に実家にいるのが退屈だからだから」

彼女は俄然元気を取り戻した。

「そ、それは・・・もちろんだよ」

このまま話の流れに乗ってしまっていいのだろうかと心の中の葛藤が多少あったが、伊沢の「浮気しようって言うんじゃない」に乗せられてOKした。

「よかった。じゃ、私の携帯電話の番号ね。うーん・・・合宿のスケジュールとかわかったら教えてね」

「・・・わかった」

伊沢は僕に携帯電話の番号を書いたメモを渡すと、逃げるように走り去った。

「・・・・・何も走って帰らなくてもいいとおもうんだけどな」

僕は駅前広場で駅に吸い込まれていく彼女の背中をぼーと眺めていた。

 


[まもなく、9時32分発、あさま507号、長野行きが発車します。ご利用のお客様は、ご乗車になってお待ちください]

新幹線ホームにアナウンスが流れる。
今日は剣道部の長野合宿の初日だ。これから新幹線で長野に向かう。

「おい、有間、部長といっしょじゃなかったのか?」

2年の先輩が不意に後ろから声をかけてきた。

「いえ、僕はここまで1人出来ましたよ」

「おっかしいなぁ。おまえといっしょに来るって力説してたぞ」

「えっ・・・・・・、ま、まさか・・・・・・・いや、そんな話は聞いていないし・・・・」

『もしかして先輩と約束したのを上の空で聞いてなかったのかな』・・・・などと一抹の不安がよぎったが、先輩も子供じゃないんだから、遅れたら自力で来るだろう。

「おーーーい!」

言ってるそばから部長が階段を駆け上がってくる。息を切らしながら僕らの前にやってきた。

「部長、遅いですよ!」

「わりー。寝坊しちまってな。じゃ、乗ろうか」

発車のベルが鳴り出した。慌てて乗り込む。それぞれ持っていた乗車券の指定席へと向かった。他の部員達はみな乗車した車両の客室へと入っていったが、僕は入口で足を止めた。

「あれ、僕だけこっち?」

僕の券だけは先輩や他の部員とは別の車両の指定になっていた。

「あれ?あ、一枚とれなかったんだよ。有間にその券がまわってたか。俺のと代えてやるよ」

部長が自分の券を僕に渡そうとした。

「あ、いいですよ。どうせ向こうにつく間だけですし」

「それもそうだな。わかった。じゃあ、ゆっくり列車の旅をエンジョイしてくれ。あ、こっちに遊びにきてもいいからな」

部長の言葉はありがたかったが、昨日もかなり遅くまで宿題をやっていたので、眠いのだ。別の席になったのはかえって好都合だった。僕は隣の車両へと向かった。

 


 

列車は静かに東京駅を出発した。

「えっと・・・・6の・・・進行方向右側、窓側」

券と壁の座席番号を見比べながら進む。すぐに座席は見つかった。通路側には女性が既に座っていた。

「すいません、席、隣なんですが、よろしいですか?」

どいてもらわなければ窓側の席に座ることは出来ない。声をかけると、うつむいて居眠りをしていた女性が顔を上げた。

「「あっ!」」

周りから視線が集中するのを感じたが、反射的にあげてしまった声をどうにかできるものでもない。座っていた女性は伊沢だった。2人同時に声をあげたのだった。

「有間君、まさか同じ電車とは思わなかったわ」

「僕も、同じ電車で席が隣とは夢にも思わなかった」

伊沢に席を立ってもらい、自分のかさばる荷物を棚に上げて座った。

「でも、なんて偶然なんだろ。宮澤が聞いたら歯軋りして悔しがるかもね」

「それじゃ怖くてこのことは宮澤には話せないな」

「それが正しい選択だと思うわ」

まるでマンガの1シーンではないかというくらいの偶然。当初の長野につくまでぐっすり寝るという計画はなくなりそうだが、楽しい旅にはなりそうだった。

 


 

「ところでさ、伊沢は宮澤たちと遊びに行かないの?」

他愛も無い会話が続いた後、ふと気になって聞いてみた。

「昨日も宮澤たちとカラオケとかショッピングとかで遊んだよ」

「あっ、そうだったんだ」

「私はあんなことがあったから正直、宮澤といっしょに遊ぶなんてことが出来る身分じゃなかったんだけど、彼女が受け入れてくれたから。それに出来るだけ応えないとね。もちろん義務とかそういうんじゃないわよ」

「やっぱり、まだあのときのことが気になる?」

「そりゃね。でも、それをいつまでも引きずっていたら、彼女に対する背信行為だと思うの。私自身が変わらないとね」

「宮澤も友達が少ないほうだったからね。これからも仲良くしてあげてくれよ」

「もちろん」

伊沢がこんなにも明るくしゃべるとは思わなかった。以前の伊沢の笑顔はどこか作り物という雰囲気があったが、今は違う。心の底から気持ちを素直に出して話をしているみたいだ。

「ところでさ、長野についたらちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど」

彼女が拝むようなしぐさをしながら言った。

「ごめん。長野についたら合宿する民宿へ直行なんだよ」

「えー、そうなのぉー・・・・・・つまんないっ!」

僕が申し訳なさそうに言うと、両手を振り上げて抗議した。まさか、大人びてる伊沢がこんなリアクションをするとは思わなかった。

「いや、つまんないといわれても・・・・・」

「わかったわよ。じゃ、時間を作ってっ!大体、長野で付き合ってくれるっていったじゃないっ!」

「そりゃ、そうなんだけど・・・・」

「別に長野についたらすぐとは言わないから。そうね、今週中に1度くらい。夜でも昼でもいいから。できれば1日くらい時間があるといいんだけど。お・ね・が・い」

擦り寄るように懇願してきた。通路の反対側のおばちゃんがいぶかしげに僕らのほうを見ていた。

「わ、わかったよ。約束するから。なんとか抜け出す」

「やったっ!さすが、有間君。じゃ、会えるようになったら・・・というかいつ頃になるかちゃんと電話してね」

「わ、わかったよ」

おもいっきりシブシブといった雰囲気で同意する。

「忘れたら・・・・宮澤に「私は有間と浮気してました」って言うからね」

「ひぃーっ!」

女は怖い。素直に従うことにしたのだった。

 


 

長野につくまでの短い時間、結局当初していた爆睡など一瞬足りともできず、ひたすら伊沢の話に突き合わさされたのだった。すっかり疲弊しきって長野のホームに降り立つ。

「忘れたら・・・わかってるわね」

「はい。よーくわかりました」

「じゃ、電話待ってるから」

伊沢はリュックを背負ってそのままエスカレーターを下っていった。

「有間ぁーっ!こっちだこっち!」

後ろのほうから先輩達の声が聞こえてきた。

「じゃ、地獄の合宿に行こうか」

「「おーーっ」」

部長の掛け声と、やる気のなさそうな部員達の声は僕の耳にはほとんど入らなかった。何故なら伊沢のことで頭がいっぱいだったからだ。


 

剣道部の合宿は、それはそれは厳しいものだった。

朝は5時起きで10キロのジョギング、朝食後、基礎体力トレーニング。ようするに腕立て伏せや腹筋などだが、これが2時間。その後、防具をつけて柔道部らしいトレーニングに進む。昼食後は近所のお寺で睡魔と闘いながら座禅。3時ごろになって試合形式の練習。その後夕食。それが終ると勉強会・・・といっても自習なのだが、これが23時までつづくのだ。
はっきり言って精神的な鍛練がメインの合宿という気がする。体力的にはきつくはない・・・と少なくとも僕は思ってる・・・・が、精神的な面では自分との戦いとなる。もっとも剣道はそういった面に大きく左右される競技ではあるので、上達方法としては有効であることは僕にもわかる。

「問題は、伊沢と会う時間をどうするかだな・・・・」

布団に入ると、そんなことを考え始めても1分とたたないうちに睡魔に吸い込まれてしまうのだった。

 


 

「有間さん。お電話が入っています。ご自宅からだそうです」

合宿3日目。基礎体力トレーニングで汗をかいているとき、練習場の管理人のおばさんが電話の子機を持ってトレーニングルームにやってきた。

「あ、すいません」

おばさんから受話器を受け取りつつ、廊下に出た。

「もしもし」

[やっほーー]

いきなり能天気な声が聞こえてきた。伊沢の声だった。

「何が自宅からだよ。何かあったのかと思って心配になったじゃないか」

[ごめん。そうでも言わないと取り次いでもらえないかと思って。]

「で、 何の用だい?」

[・・・・・・・・・]

いきなり電話の向こうが沈黙してしまった。

「あ、いや、今、練習中だしさ、手短に・・・なんて思ったんだけど。・・・・・やっぱ、まずかったかなぁ・・・・」

慌ててフォローを始めたのだが、なんとなく電話の向こうでムッとしている伊沢が目に浮かんだ。

[・・・・こちらから電話しないと、約束をホゴにされそうだったからよ!]

やっぱり怒っている。

「朝から晩まで練習で、なかなか抜け出すチャンスがないんだよ」

[1日ぐらい休暇があるでしょ!]

確かに彼女の言うとおりだったのだが、それは最終日で、しかも宴会を予定しているらしい。つまり本当の意味での休みではないのだ。それまでは、地元体育館の練習場とお寺と宿泊先の間を巡回することしかできない。

「僕だって休みは取りたいけど、抜け出したりしたら部長たちから何いわれるか・・・」

女の子とデートなんていったら布団に巻かれて川に投げ捨てられるに違いない。

[わかったわよ。じゃ、とりあえず、泊まっているところの名前と電話番号ぐらい教えてよ。有間君、練習場の電話番号しか教えてくれなかったじゃない。]

それは聞かれた時点では本当に知らなかったからで隠していたわけじゃない。

「えっと、ちょっと待って・・・・・宿泊先の電話は・・・・・・◇○●−□■●●・・・ひなた温泉旅館だよ」

[えーーーーーーっ!]

唐突に電話の向こうから悲鳴のような声が聞こえてきた。

「な、なに?」

[いや、なんでもない!なんでもないわよ!じゃね!《ブチ!ツーツー・・・・》]

よく分からないうちに一方的に切れてしまった。

「なんなんだよまったく」

受話器を一睨みした後、練習に戻ったのだった。

 


 

旅館の比較的おいしい夕飯が終り、食後の自習時間になった。この時間は自習とはいえ、勉強しないでテレビを見ている先輩もいる。僕は当然のごとく部屋で勉強を始めた。部屋は6人部屋だが、他の1年部員や先輩はラウンジに出かけてしまい、僕一人になってしまった。もっとも、その方が勉強ははかどる。期末試験の件で絶対に成績を落とせない僕としては、宿題をとっとと片づけて、ほかの勉強に励まなければならない。

『大体、これ以上宮澤より成績悪い状態っていうのもかっこ悪いしな』

宿題や参考書を広げて勉強を始めた。

《トントン》

しばらくすると部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「はい、どうぞ」

僕は旅館の人が布団でも敷きにきたのだろうと思い、入口を見ずに返事だけした。

「失礼します」

女性の声で応答があった後、ドアが開き、中に入ってくる音が聞こえた。とりあえず、特にそれ以上話すこともなかったので、気配を無視して宿題を解き始めた。

「あ、あの・・・・・・」

突然耳元で声をかけられた。

「は、はい!」 

慌てて振り返った。そこには、この旅館の女中さんらしき人が座っていた。髪が長く、まだ若い。高校生か大学生くらいだろうか。

「失礼ですが、有間一郎さんですね?」

「は、はい・・・・・・あの、それが何か?」

いきなり名前を聞かれるとは思わなかった。僕が名乗ると彼女はにっこりと微笑んだ。

「私、成瀬川なる・・・と申します。いつもいとこの真秀がお世話になってます」

彼女は丁寧に3つ指ついて頭を下げた。が、そんなことより、彼女の発言にあった一言で心拍数が一気に跳ね上がった。

「は、はあ・・・・・・いとこって・・・・・」

「だから、私、伊沢真秀のいとこです。真秀ももうすぐここにきますから、もうちょっと待ってくださいね」

「だから、待ってくださいっていわれても・・・・」

「恋人の真秀と待ち合わせしていたんじゃないんですか?」

さらに心拍数が上がった。なんでそんなことになっているんだ。

「だから、あ、いや・・・・・・・はははは・・・・」

なんだかわからなかったが、とりあえず話を合わせておいたほうが良いような気がしたので、彼女の誤解を肯定も否定もせずにうやむやにごまかした。

『な、なんか・・・・・話が意味不明な方向へ突き進んでいるぞ。いやな予感が・・・・・』

予感は現実のものとなる。

 


 

5分と経たずに、再び部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「あっ、真秀ぉ?入って入って!」

『この部屋の客は僕なんだけど・・・・』

心の中で突っ込みを入れてみたが、彼女には眼中ないだろう。ドアが開き、最初の女の子と同じ旅館の着物を着た伊沢が入ってきた。

「ど、ども・・・・」

伊沢が頭を掻きながらこちらにやってきた。

「説明してくれるんだよな」

僕は思いっきり疑心暗鬼の顔をしたまま、低い声でつぶやくように言ってみた。

「は、話せば長いのよ」

両手をぶんぶん振りまわしてオーバーリアクションで慌てて取り繕おうとしているようだ。

「夜は長い。心配ないぞ」

「・・・・・優等生とは思えない問題発言だわ。ほほほ。と、とりあえず、こんな部屋で長話もなんだから、他へ移りましょ」

「こんな部屋とはずいぶんねぇ」

「まあまあ、言葉のアヤってもんよ」

成瀬川という最初の女の子がほっぺたを膨らまして抗議した。伊沢はそれを軽くあしらった。二人は僕を引きずるように引っ張り、2階上の客室へと連れていった。

 


 

その部屋は僕らの部屋とは違い、広く、地味だがいかにも高級そうなものがあふれていた。
僕と伊沢が並んで座り、テーブルを挟んで反対側にいとこの女の子が座った。

「で、ちゃんと紹介してね」

彼女が伊沢に向かって身を乗り出した。

「こ、こっちは・・・・わ、私の彼の・・・・有間君」

そう言いながら、テーブルの下で僕のズボンをチョンチョンと引っ張った。どうやら口裏を合わせろということらしい。

「は、はじめまして」

「で、真秀とはどういう馴れ初めだったの?」

即座に切り返してきた。

「ど、どういうっていわれても・・・」

「ああっ!そ、そんなことより、お茶ぐらいだしてよ」

伊沢がその話を遮るように立ち上がった。

「あ、ごめんなさい。ちょっと待って」

成瀬川さんは席を立って部屋から出ていった。ドアが閉まったところで早速追求を始めた。

「説明してもらうぞ」

「こ、これには深い訳が・・・」

「だから、それを説明しろ」

「聞きたい?」

「あたりまえだろ」

「実はね・・・・・」

盗聴機でも気にしているような小声で話し始めた。それは案の定とんでもない話だった。

「結婚だってぇ〜〜〜〜!!!」

伊沢の話では、僕と彼女が恋人同士、そして・・・・・・・高校卒業したら結婚することになっているそうだ。・・・・・・って、オイッ!どうなってるんだっ!

悪い予感は予想以上のレベルで的中してしまったのだった。


 

「結婚だってぇ〜〜〜〜!!!」

伊沢の話では、僕と彼女が恋人同士、そして・・・・・・・高校卒業したら結婚することになっているそうだ。・・・・・・って、オイッ!どうなってるんだっ!

悪い予感は予想以上のレベルで的中してしまったのだった。

 


 

僕は立ち上がり部屋の入口に向かって歩き出した。

「ちょっと、どこに行くの?」

「決まってる!本当のことを伝えに行く」

「待って!話を聞いて」

伊沢が泣きそうな顔で引き止めた。さすがの僕も、泣かしてまで真実をそのまま打ち明けるのは正しいことなのかと自問自答し、とりあえず話だけは聞くことにした。

「で、どうしろと?」

伊沢の話はこうだった。年老いた祖母の死ぬ前のお願いということで、恋人に会わせるか、この旅館を継ぐ約束をするか、どちらかを選べということらしい。ずいぶん理不尽な話だった。老人の死ぬ前のたわごとと片付けることもできる。が、じゃあ、死にそうな本人の前で真実を打ち明けられるかといえば・・・・・・確かに、ちょっと良心が咎めた。

「でも、やっぱり嘘ついてまで・・・って言うのはあんまり関心しないなぁ」

「私もそう思ったけど・・・・」

「だいたい、伊沢が旅館を継ぐっていうのがよくわからないが」

「私の父は私が小さいときに他界してしまったのだけど、お母さん一人で旅館を経営するのも大変だから、今はお父さんのお姉さんがおばあちゃんといっしょに旅館をやっているわけ」

「じゃあ、後から伊沢が入ってきたら・・・なんか後から乗っ取るみたいでヤじゃないの?」

「でしょ?ただね。娘のなるが・・・さっきの女の子ね。彼女が東京の大学に行くんでここを出るらしいんだけど、その件でおばあちゃんと喧嘩したのよ。旅館を継ぐの継がないのって。それでもって私がとばっちりを受けたわけ」

「・・・・・・・で、僕までとばっちり受けたわけ?」

「そういうこと」

「じゃあ、本人・・・なるさんに責任とってもらえば?」

「そう簡単にいくぐらいだったら有間君呼ばないわよ」

「・・・だからといって話がややこしくなるだけじゃないか。僕は一銭にもならないことに巻き込まれるのはごめんだ」

「何よ!金、金言うわけ?」

「別に金にならないからではなくて、むしろ後で宮澤にばれたときのことをお互い心配したほうがいいと思うよ」

一瞬、伊沢がたじろいだ。

「そ、それは後で私が事情を話しておくから」

「素直に納得するとはとても思えない」

「へー、恋人を信じていないんだ」

「彼女はヤキモチ焼きなんだよ」

僕がそう言うととたんに暗い表情になった。

「・・・・・わかったわ。ごめんね。巻き込んでしまって。じゃ、さよなら」

それはもう不幸のどん底といった表情だ。

「・・・・じゃ・・・・部屋に戻るから」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

席を立ったものの、なんとなく帰りにくい雰囲気だ。

「だ、だから、おばあさんに正直に話してだな・・・・」

伊沢が力なく首を振った。

「だってしょうがないだろ。そもそも僕らは恋人同士じゃないんだから騙しとおすなんて無理だよ」

「・・・・・・・・」

彼女はもう泣きそうだ。そのときだった。なるさんがお茶を持って戻ってきた。

「どうしたの?なんか雰囲気が暗いけど・・・・・」

彼女がテーブルにお茶を並べながら、心配そうに訪ねた。

「い、いやなんでもないよ。ね、伊沢」

「そう。なんでもない、なんでもない」

俺と伊沢はあわてて取り繕った。

「ほんとに?」

「本当ですっ!」

『やってしまったーっ!つい、いつものイイ人モードになってしまったぁーっ!』

時、既に遅し。なるさんはほっと安堵のため息をつき、伊沢は深呼吸のような息をついた。僕はといえば・・・冷や汗があふれ出てきたのだった。

 


 

『俺は何をやってるんだぁーーーっ!』

心の中で叫ぶ。が、所詮は後の祭りだ。伊沢の恋人のフリをすることに成り行きでなってしまったのだった。

「今直ぐ?」

「そうよ」

直ぐに伊沢の祖母・・・つまり、死にそうだというおばあさんの枕元に行くことになったのだ。なるさんは非常に強引に僕と伊沢を連れて廊下を歩き出した。

『ま、まだ心の準備が・・・』

逃げ出したいのをかろうじてこらえ、彼女の後に続いた。伊沢がすまなさそうに目配せしたが、そんなことされたところで事態が改善されるわけでもなんでもない。
そして、とうとう問題の部屋の前に来た。

「ささ、入って入って」

なるさんが扉を開け中へと誘った。伊沢が入口にしがみつくように立ち止まった。

「ちょ、ちょっと待って。まだ心の準備が出来てないのよ」

「なーに言ってるの。ここまできて逃げるの?」

「何言ってるのよ!元々あんたが巻いた種でしょうが!」

「わ、私は・・・・・・・・・・・・ごめんね。真秀」

急に落ち込んでしまった。一応、後ろめたさがあるようだ。

「わ、わかったわよ」

伊沢は『仕方が無い』と言った顔をして、チラっと僕のほうをすまさなさそうに見ると部屋の中へと一歩進んだ。それを見ていたなるさんが振り返って僕のほうを見た。覚悟を決めるしかないらしい。

「まあ、心配要らないよ」

それは彼女に向かっていった台詞ではあったが、自分に言い聞かせている言葉でもあった。

伊沢が、さらに奥にある障子の部屋の前で立ち止まった。

「おばあちゃん。真秀です。有間さんをお連れしました」

「おお、真秀や。ささ、入って入って」

比較的"元気そうな"声が部屋の中から聞こえてきた。

「はい。失礼します」

振り返って僕に向かって頷き、障子を開け、一度中に向かって会釈をした後、部屋の中へと入った。僕も同じように軽く会釈をした後、伊沢に続いた。

部屋は12畳ほどの和室で、部屋の東と南が障子、北が押し入れ、西が床の間という純和風の部屋だった。真中に布団が敷かれていて、おばあさんが一人上半身を起こしてこちらを見ていた。とても、人の良さそうな人で、頑固なおばあさんには見えない。

「こんな格好ですまんのぉ。ようこそおいでくださった。孫がお世話になっとるようで」

「と、とんでもない、こちらこそいつもいろいろとお世話になってます」

かなり形式的な挨拶ではあったが、いつもの"猫かぶり"モードで挨拶を返した。

「さっそくだが、有間一郎君といったかのぉ・・・・・」

「はい」

「頼みがあるんじゃ」

「なんでしょうか?」

僕が聞き返すと、一呼吸間をとって言葉を続けた。

 

「真秀と一緒にこの旅館を継いでくれんかのぉ」

 

「・・・・・・・・・・・はいぃ?」

いきなりの突拍子も無い言葉に開いた口がふさがらなくなりそうだった。言った本人はニコニコしながらこちらを見ている。

「お、おばーちゃん!それじゃ、話が違うでしょっ!」

伊沢が先に反応した。

「なるが継がないんじゃ、そうするしかねえべ。真秀はこの年寄りにここを潰せというつもりなんか?」

「そ、そんなこといっていないけど・・・・でも、それとこれとは・・・」

話がどんどんマズイほうへと進んでいる。仕方がないので、伊沢の助っ人をすることにした。

「あ、あの、おばあさん。私も長男で、家を継ぐように言われておりまして・・・」

「じゃあ、こんなボロ旅館はとっとと潰してしまえと・・・おまえさんまで言うのかい?」

「うっ・・・」

泣きそうな顔で反論された。ちっちゃな女の子からおばあちゃんまで、女の人の涙に弱い。これは僕の家の男の遺伝的な性格らしい。(性格が遺伝するのか?)
もはや事態は完全にこの目の前のおばあさんのペースで進んでいる。

「おばあちゃん!私は、少なくとも今はここを継ぐつもりはないわ!」

伊沢がとうとう言い切った。伊沢の隣で見ていたなるさんもぽかんと口を開けている。

「わかったよ。約束だったからね。恋人を紹介したら後継ぎは考え直してもいいって」

おばあさんの目が別人のように急に鋭くなった。まさか、嘘泣きだったのだろうか。

「おまえさん。真秀とは付き合って何年くらいになる?」

いきなり矛先が僕にきた。

「高校に入ってしばらくしてからなので・・・2ヶ月ほどになります」

宮澤と付き合い始めたのがそのくらい前からだ。とりあえず、そういうことにした。

「では、接吻したのはいつだ?」

「お、おばーちゃん!」

いきなりヘビーな質問をしてきたので、伊沢が慌てた。が、おばあちゃんは目でそれを牽制し、僕に答えを求めた。

「い、いつだったかなぁ・・・・・えっと・・・・・先々週・・です」

伊沢の奇襲攻撃キスを受けたときのことを考え、そう発言した。

「どんな感じだった?」

「おばーーーーちゃん!いいかげんにして!失礼でしょ!」

「真秀はだまっておれっ!」

伊沢は一喝されてしまった。おばあさんは鋭い視線を僕に向けている。

「真秀、あんたここにいる彼のことが本当に好きなのかい?」

それはもう、鋭すぎる突込みだった。

「もちろん」

が、予想に反して伊沢はあっさりと返事を返した。

「じゃあ、あんさんはどうなんだい?」

今度は僕に同じ問いかけがされた。

「も、もちろん好きです」

「本当かい?正直に言っておくれよ」

どうやら疑われているらしい。ひょっとしたら芝居をしているのが顔に出てしまったのかもしれない。

「じゃあ、この場で真秀と接吻してみせろ。それが出来たら本当だと認めてやるわい」

『げっ!』

演技とはいえ、それはいくらなんでも困る。当然のごとく宮澤の顔が頭に浮かんだ。

「そんなの人前で出来るわけ無いでしょ!」

伊沢がほとんどマジギレ状態で怒った。が、おばあさんはまったく動じなかった。

「あたしゃおまえさんたちが私をはめようとしていると思ってるんじゃ。あらかた、部活で来ている生徒を無理やり誘って頼み込んでいるのはわかっとるんじゃ」

どうやらおばあさんは俺と伊沢がほとんど初対面だと思っているらしい。

「おばあさん、確かに彼女のほうからアタックしてきたのは認めます。ですが、今は彼女のことが好きです。大切に思っています」

持ち前の演技力を駆使して力説した。これには伊沢もなるさんも目を丸くして驚いた。

「なら出来るはずじゃろ」

「・・・・・・・・・・」

振り出しに戻ってしまった。うかつだった。
伊沢が立ち上がり、僕の前に座った。

「仕方が無いわ。こうなったら見せつけてやるまでよ」

「いーっ!し、しかしだな・・・・・やはり人前でそういうことをするのは・・・」

伊沢の目が本気だ。これはまずい。いくらなんでもそこまで演技に付き合うわけには行かない。僕の好きなのは宮澤由紀野だ。たとえ演技でも伊沢とキスしたら取り返しがつかない気がした。

「さあ、有間君!」

「いや、こういうヤケクソみたいなのはよくないぞ」

「仕方がないでしょ!」

伊沢が抱きついてきた。そのまま押し倒して強引にキスしようということらしい。そうはいかない。

「こんなの僕は嫌だ」

「私のことが嫌い?」

伊沢は、もう泣きそうになっている。

「そういう問題じゃない」

僕は彼女の肩を掴んで引き止めた。

「いいか、たとえ好きでも、こんなのはナンセンスだよ。キスってそういうもんじゃないだろ?もっとお互いが、その・・・そういう雰囲気・・・気持ちになって初めてするもんだろ?人から命令されてするなんてものじゃない。違うか?」

伊沢がハッとなって動きを止めた。そして、ゆっくりと体を起こして僕の横に座った。
僕はそのまま視線をおばあさんのほうへと向けた。

「おばあさん。正直に言います。僕と彼女は恋人同士ではありません。僕には付き合っている女性がいます。伊沢は大切な友人です。彼女の頼みを僕が引き受けたんです。理不尽なことに巻き込まれている友人を助けたくて」

そこでいったん視線をなるさんのほうへと向けた。彼女は困った顔をして顔を逸らした。

「おばあさん、人の気持ちを無視して自分の考えを押し付けるのは、どうかと思います。人それぞれ考え方や事情があるのですから。・・・・おばあさんを騙そうとしたのは謝ります。でも、原因の一端はご自分にあるということを自覚してください」

そこまで言った後、どんな恐ろしい怒りがぶつけられるだろうと、それこそ心臓がえぐられるような気分だった。

「やっぱりお芝居だったかい」

しかし、おばあさんは僕の予想と180度違う優しげな表情を浮かべた。

「だと思ったんじゃ。特に真秀は演技が下手だからのお。あんたは上手かったが」

複雑な心境だ。それはまあ、見栄大王だったこの僕の演技がそう簡単に見破られるわけはないが。

「いいじゃろ。真秀、旅館を継ぐ件はあきらめる。とりあえず今はじゃが」

「えっ!じゃあ、許してくれるの?」

「ああ。騙したのはお互い様だからのぉ」

おばあさんがニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

「ま、まさ    か・・・・・・」

なるさんが、おばあさんに詰め寄った。

「まさか・・・おばあちゃん!仮病使っていたんじゃ!」

「ご名答!気が付くのが遅いのお。ほほほ」

おばあさんが胸を張って答えた。僕らはこのばあさんに一杯食わされたらしい。一気に肩の力が抜けた。

「ひどいよ、おばあちゃん」

伊沢が泣きそうな顔で抗議した。

「一郎君・・・・だったな」

「はい?」

おばあちゃんが真面目な顔で確認してきた。

「この年寄りに意見できるとは見上げたもんじゃ」

「すいません」

「謝ることはない。確かにこの婆の考え方が間違っておった。許しておくれ」

「いえ、生意気で失礼なことを申しまして、すいませんでした」

「ますます気に入ったよ。・・・・・いっそ、本当に真秀の旦那になってここを継いでくれるとありがたいのじゃが」

おばあさんが調子に乗ってとんでもないことをまた言い出した。

「丁重にお断りします。浮気はできない性格なので」

伊沢が抗議するより前に僕が速攻で拒絶した。彼女は苦笑いしながらおばあさんへの抗議の言葉を飲み込んだ。

「それでは、僕はこれで失礼します。一応、部活の合宿でここにきていますので」

僕は軽く頭を下げ、廊下に出た。直ぐに伊沢が追ってきた。

「ごめんね。身内のごたごたに巻き込んでしまって」

「まあ、済んだことは仕方がない。そのうち借りは返してもらうよ」

「・・・・・・そうね」

伊沢が困った顔でポツリと呟いた。

「さて、僕は勉強があるから部屋に戻るよ」

「うん。じゃ、おやすみ」

「おやすみ」

伊沢と別れて階段を降り始めた。

 


 

部屋のある階に戻ってくると、何やら部屋の入口に人だかりがあり、騒がしい。何があったのかと近づいてみた。そして、みんなの視線の先・・・部屋の中をのぞいてみた。 

「はろはろー」

男子部員たちに囲まれたその女性の能天気な第一声は間違えようがない、宮澤のボディーガードの女性『法条まりな』その人だった。そして、その次の言葉は僕をショック死させるのに等しい言葉だった。

 

「有間君、あなた、由紀野がいないのをいいことに・・・・・浮気してたわね」

 

それは真冬のシベリアに裸で放り出されたような感覚だった。


 

部屋のある階に戻ってくると、何やら部屋の入口に人だかりがあり、騒がしい。何があったのかと近づいてみた。そして、みんなの視線の先・・・部屋の中をのぞいてみた。 

「はろはろー」

男子部員たちに囲まれたその女性の能天気な第一声は間違えようがない、宮澤のボディーガードの女性『法条まりな』その人だった。そして、その次の言葉は僕をショック死させるのに等しい言葉だった。

 

「有間君、あなた、由紀野がいないのをいいことに・・・・・浮気してたわね」

 

それは真冬のシベリアに裸で放り出されたような感覚だった。

 


 

「なんでまりなさんがここに・・・・・」

とりあえず、その一言だけがかろうじて僕の口から出た言葉だった。

「いやあ、由紀野に「応援にいってあげてくださいね」って言われて、わざわざいろいろ持ってきたのよ」

まりなさんはそう言いながら、横においてあったバックから何やらごそごそと出し始めた。お守り、クッキー、タオル、携帯MDプレイヤー・・・・数学と、英語の宿題(全て終わっているもの)・・・・とにかくバック一杯分が丸ごと僕へ渡すものらしい。

「まりなさんにご足労いただきまして、恐縮です」

「何かしこまってるのよ。・・・・・・で、荷物を置いてとっとと帰ろうとしたんだけど・・・・聞き捨てならないことを聞いたのよ。女の子といちゃついてるって」

一瞬、話がそれるかと思ったが、甘かった。再び最初の状態に戻った。

「誤解ですよ。浮気とかそんなんじゃなくて、単なる身内のトラブルに巻き込まれそうになっただけです」

事実をそのまま話した。

「いろいろ目撃証言を集めたのよ。正直に言わないと刑が重くなるわよ」

そういうと、先輩の何人かが鼻の下を伸ばしながらニヤニヤと笑った。きっと、あることないこと並べたに違いない。

「やましいことはしていません」

「・・・・・・・本人の前でも言える?」

「もちろん」

きっぱり言い切った。もっとも、伊沢の誘いを断りきれずに、数分前までゴタゴタに巻き込まれたのだが。
まりなさんはしばらく疑いの目で僕を見ていたが、表情が和らぎ、ため息を1つついた。

「わかった。今回は君の言うことを信じるわ」

その言葉を聞いて周りの取り巻きが落胆のため息をついた。どうやら僕をはめるつもりだったらしい。

「ありがとうございます」

とにかく、自体がまたややこしいことになるのは避けられたようだ。

「あの・・・・ところで、彼女は?」

本人ではなく、まりなさんが来たことは不思議だった。少しだけ心配になった。

「ああ、彼女も来たいって言ったけど、次の日に女の子同士で旅行に行くらしかったから、私が止めたのよ。なんせ友達とどこかに行くなんて今までなかったことだからね。ちゃんと、女の子同士のお付き合いも体験してもらわないと。それに、その子たちとは仲がいいらしいしね」

「そうだったんですか。よかった」

僕の心配は取り越し苦労だったようだ。

「ははーん。さては、浮気の現場を彼女に見られなくて良かったって・・・安心したでしょ?」

と、僕の顔を面白そうに見ながらまりなさんが問い詰めた。

「ち、ちがいますよ!何言ってるんですか」

確かに、先輩達にあることないこと宮澤が吹き込まれたら、純粋な彼女のことだ。信じてしまって大変なことになったに違いない。

「ま、いいわ。とにかく、私は用が済んだら帰るから。本来の仕事に戻らないといけないから」

彼女の本来の仕事とは宮澤の護衛だ。なんせ、大企業のお嬢様なのだから。

「この時間から帰るんじゃ大変ですね」

「ああ、大丈夫。近くの子会社の工場までヘリで来てるから」

さらっと言ってのけたが、周りが一斉に引いた。

「ヘリコプター・・・・ですか・・・」

「そ」

改めて宮澤の家が特殊な環境なのだと思い知らされた。

「法条さん。前から少しだけ気になっていたんですけど・・・・・・僕と宮澤ってつりあってるんでしょうか?」

不安をそのまま口にしてみた。すると、まりなさんは落胆したような顔になった。

「ねえ、有間君。彼女に同じ質問は絶対しないでね。彼女はそういう目で見られるのを一番嫌うわ。特にあなたからそう思われてたら」

「は、はい」

僕だって彼女が好きになったのはお金持ちの社長令嬢だからではなく、一人の女性として好きになったのから、その点に関しては別にいい。でも、やはり人がどう思っているかということは、まったく無関心ではいられない。

「じゃ、私は帰るから」

まりなさんは荷物をまとめ始めた。

「まあ、彼女も夏休みをエンジョイしているみたいだから、君も部活、がんばってね」

「はい。もちろんです。インターハイがかかってますし」

もうインターハイは近い。合宿が終わったら一度東京に戻って、翌々日には京都の大会にいかなければならない。だから、さっきみたいなことに巻き込まれている余裕など本当はないのだ。

「ただし。・・・・・夏の誘惑に負けて他の女の子とエンジョイしちゃったりしたら、私が許さないからね」

「は、はい!もちろん!」

しっかり釘を刺されてしまった。もちろん、そんなつもりはこれっぽっちもなかったが。

「じゃ、またね」

「はい、お気をつけて」

まりなさんは先輩達の見送るなか、スピード違反確定という速度で車を発進させ、あっという間に視界から消えていった。

 


 

翌日・・・

「おはよう、有間君」

朝のランニングから戻ってくると、旅館の玄関で伊沢が声をかけてきた。

「おはよう」

靴を脱いで上がったところで、目の前にタオルが差し出された。

「あ、ありがとう」

素直に受け取り、汗をぬぐう。

「直ぐに朝ご飯になるから、他の人たちにも連絡よろしくね」

「ああ、わかった」

タオルを返そうとすると、周りを気にしながら耳元に唇を近づけてきた。

「昨日はごめんね」

「ああ、いいよ。もう済んだことだから」

一瞬ドキッとしたが、直ぐ平常心を取り戻し、笑みを返した。

「宮澤さんには黙っていてね」

「もちろんだよ」

わざわざトラブルを起こすための努力をする必要などない。昨日のことはもちろん最初から黙っている気だった。

「何が、黙っていてよ。いいの?そんなことで」

不意に後ろから声がかかった。なるさんだった。

「おはようございます」

それだけ答えた。

「なるは事情がよくわかっていないんでしょうけど、宮澤さんが・・・有間君の彼女があらぬ誤解を受けると、困るでしょ。人生知らないほうがいいこともあるのよ」

いきなり伊沢が人生の話をはじめた。

「有間君、あなたはどう思ってる?」

急にこちらに振られた。なるさんが、ぐっと顔を僕に近づけて挑発するようなまなざしで問い詰めた。

「も、もちろん、黙っていたほうが良いに決まってます。彼女は物事を悲観的に拡大解釈してしまう傾向があるから」

少し彼女から離れながら答えた。
彼女の直ぐに悲観的な方向へイメージを膨らませてしまう性格については、事実だ。宣伝するようなことではないが。何度か彼女に誤解を受けたことがあった。もっとも、誤解を受けそうなことをするからいけないのだが・・・・・。

「あなたは彼女を裏切ってるわ」

悲しい顔をしながらなるさんが呟いた。一瞬、飛び上がりそうなくらい驚いた。

「あなたと彼は違うんだから」

あきれたような顔をして伊沢が言った。すると、なるさんが血相を変えて伊沢を睨み付けた。

「!!!・・・・悪かったわね!」

そう怒鳴ると、早足で旅館の奥のほうへと立ち去った。

「あ・・・・・・・・」

伊沢が呟いた。顔色が悪い。

「どうしたんだ?」

伊沢は明らかに動揺していた。

「・・・・彼女ね、この前・・・・彼氏と喧嘩してね。多分、今の宮澤さんの立場になるのかな。彼氏が他の女の子といるところを見てしまったんだけど、彼氏は正直に打ち明けてくれなくてね。それで・・・・・・・・。あっ、言っておくけど、あんたは余計なこと言って話をこじらせるんじゃないわよ」

「わ、わかってるよ」

伊沢に釘を刺されたが、どうにも最悪のタイミングで悪いことを聞いてしまった。

「あっ、もしかして、宮澤さんに正直に言ったほうがいいんじゃないかとか思ってる?ダメよ。今回は別にあんたが悪いわけじゃないし、変なこともしていないんだから、別にバカ正直に報告しなくても、隠し事しているのとは違うんだから。わかった?!」

「・・・・・・・・・あ、ああ」

こうなってしまうと、内容は問題ではなく、もはや隠し事をしていること自体が良心にチクチクとくるわけで・・・・・・。

「有間君・・・・・・私を困らせないでね。宮澤は私の友達なの。お願い」

困り果てていると、伊沢が真剣なまなざしで懇願した。

「わ、わかったよ。約束する」

「・・・・・ありがとう」

肩の力を抜いてため息をついた。

「・・・・・・宮澤が羨ましいよ」

「え?」

少し赤い顔をしてポツリと呟いた。僕は一瞬意味がわからず、聞きなおした。

「な、なんでもない!・・・じゃあ、朝ご飯だからねぇ」

伊沢は逃げるように奥のほうへと走っていった。

 


 

今日は合宿最終日だ。午後には出発する。したがって午前中は荷物のまとめや、お世話になった旅館の掃除などを手分けしてやっている。

僕は屋上にやってきた。ここは一段高くなっているため、眺めがいい。

「ここの景色も見納めか」

大きく深呼吸をする。

「有間君」

不意に後ろから声をかけられた。なるさんだった。

「ああ、なるさん。お世話になりました」

「ああ、こちらこそ、よかったらまた来てね」

「はい」

会話はそこで止まった。鳥のさえずりや風の音だけが聞こえる。

「じゃ、僕はそろそろ下に戻りますんで」

「あ、そ、そうね・・・・・」

とりあえず気まずい雰囲気を何とかしたかったので、それだけ言って中に戻ろうとした。なるさんもそれに同意して見送るかと思った。が、そんな僕の腕をなるさんが掴んだ。

「有間君、さっきは怒鳴ったりして・・・・みっともなかったね」

「いえ。・・・・・元はと言えば、僕や伊沢がなるさんがせっかくアドバイスをくれたのに、それを無駄にするようなことを言ったからいけないんですから」

「やさしいね。有間君は」

僕の腕を握る彼女の手に少し力入る。ドキッとさせられた。

「有間君・・・・・もしね。・・・・」

彼女が真っ赤な顔をしてそこで言葉を切り、手を離した。

「ふう・・・・・・危ない危ない」

なるさんの表情が明るくなった。

「有間君、君、女の子にもてるでしょ?」

「え?・・・・・そ、そんなことは・・・・・・」

もちろん、見栄大王の僕は以前は女の子からラブレターの嵐攻撃を受けていた。だから、もてることはもてるが・・・・。

「とにかく、そんな風にどの女の子にもやさしいと、恋人が安心していられないよ。この私ですら一瞬ぐらっと来ちゃったもの」

「そ、そうなんですか?」

「本当に自覚がなかったら相当重傷だよ。・・・・私がさっき何言おうとしたかわかる?」

多分、「もし・・・」の後だろう。

「さあ」

「じゃあ、教えてあげる。彼女に振られて私のこと覚えていたら、またここに来てほしいって思ったのよ」

「・・・・そう・・・なんですか」

宮澤に振られるという意見には同意しかねるが、それ以外は光栄なことかもしれない。

「・・・・・そうなんですかで終わり?・・・・・・あなた鈍感なのね。ま、そのくらいのほうがいいのかもしれないけどね」

「・・・・はあ・・・・」

すっかり、主導権を握られている感じだ。

「とにかく、彼女・・・・・大切にしなさいよ」

その意見はもちろん肯定すべき内容だ。

「・・・もちろんです!」

「いい返事ね。・・・・じゃ、また後でね」

そう言ってなるさんはベランダから建物の中へと戻っていった。

「なるさんって・・・・・いい人・・・だな」

ポツリと呟いた僕の言葉を聞いていたのは、そよ風だけだった。

 

結局、僕らが旅館を去るときには、伊沢もなるさんも顔を見せなかった。ちょっぴりさびしかった。

 


 

帰りの新幹線の中で・・・・・。

「有間、インターハイでおまえと戦うことになったら・・・・・俺は容赦しない」

隣の座席に座っている部長が小声で呟いた。

「はい!」

気合を入れて応えた。

「おまえ・・・・・手を抜いたりするなよ」

「・・・・・もちろんです」

部長は今年最後の試合だ。手抜きとは言わないまでも、やはり少々やりづらいものがあった。

「・・・・手を抜いたのがばれたらタダじゃ済まさないからな」

「どんな風に?」

「そうだな・・・・・ふふふふ・・・・」

目が怖い・・・・なんか、そのまま、ボーイズラブ小説の世界に突入しそうだ。危なすぎる。

「絶対手を抜いたりしません!するもんですか!コテンコテンに叩き潰します!」

「・・・・ヲイヲイ・・・・・」

部長は、がっくりと肩を落としたのだった。


あとがき

合宿編は終わりましたが、今度はインターハイに京都に行きます。
さて、どんな話になるのでしょうか。

ご意見、ご感想など御座いましたらどうぞ こちらへ


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