Operation 5.0

2人の秘密

これまでのあらすじ

それまで優等生として周りから賞賛されていた有間は、完璧優等生『宮澤由紀野』によってその地位を奪われ、平民に甘んじることに。

だが、それに我慢ならない有間は、努力の末、中間テストでトップをとり、賞賛を浴びる。だが、宿敵宮澤由紀野に告白される。

その直後、見栄大王の正体が宮澤由紀野にばれてしまう。

 


 

翌日、僕はいつもどおりに登校して、剣道部の部活に参加した。表向きは平静を装ったが、剣道には精神の状態もしっかり反映されてしまう。

「有間・・・おまえらしくないな。今度の夏にはインターハイも出るんだから、しっかりしろよ」

「すいません」

『そりゃ僕だってあんなことがなければ・・・・』

ちょっと気を抜くとすぐに蘇ってくるあのシーン・・・・。青い顔をした宮澤、CDを持ったまま震える手、そして、宮澤の柔らかい胸・・・・・・・・・・あっ、いかん。それどころじゃない。

「先輩、今日は・・・・」

「ああ、いいぞ。あがれ。・・・・・・・・・・・・まあ、有間に言うのもなんだけど、勉強のし過ぎじゃないのか?少しは気を抜かないとまいっちまうぞ」

「ありがとうございます」

僕はやさしく微笑む先輩に頭を下げると、更衣室へと移動した。胴着から学生服へと着替える。

「さって・・・・・」

荷物をまとめて部室を出ようとしたときだった。背中に悪寒が走った。ドアの近くの窓の隙間からチラリと外の人影が見えた。

『げっ!宮澤由紀野っ・・・・・ま、まさか・・・・・・でも、他に考えられん。僕を待ち伏せして、日曜のことをネタに・・・・・・・』

 

『だぁーーーっ!どうしよう!どうしよう!どうしよう!』

 

 

全身の毛穴から冷や汗がにじみ出る。

『そうだ!とりあえず・・・・・裏から脱出だ!』

ムダな抵抗という気もしたが、部室の裏の窓から脱出することにした。窓をそっと開ける。

「だれもいないな」

靴を履いて荷物を外に放りだし、すばやく脱出する。

「よし、じゃ・・・・・そうだなぁ・・・・・うん、図書室にでも行こう」

自分に言い聞かせるように小声で囁き、図書室へと向かった。理由は簡単。教室に行くと宮澤に鉢合わせすることが目に見えていたからだ。こうして無駄な抵抗は始まったのだ。

 


 

僕は科学の授業に1度だけ遅刻したことがある。まだ入学して間も無いころ、桜並木の心地良さに思わず居眠りをしてしまい、チャイムで目がさめたということをやってしまった。

「有間、ぎりぎりセーフだったな」

「すいません。先生。以後気をつけます」

図書室で宮澤に会わないためにぎりぎりまで粘っていたのだった。1時間目の数学の時間にはなんとか間に合った。慌てて着席する。

「有間君。おはよう」

「あっ・・・・・宮澤さん・・・・・・・おはよう」

席についたとたん、いつもの微笑みを浮かべ、宮澤が声をかけてきた。何を言われるかとびくびくしながら挨拶を返した。宮澤はにっこり笑みを返しただけだった。

『・・・どうやら授業中にバラす気は無いらしい。・・・でも・・・・これからこんな生活を続けなければならないのか。なんか、指名手配犯の気分が少しだけわかったような気がする』

1時間目の数学の授業は無事何事もなく終了した。

 


 

『脱出だ!』

授業が終わるや否や、僕は教室を後にした。宮澤が何か言いかけたようだったが、そんなのはお構いなし。とにかく今の僕は『負けイヌ』だ。悔しいが現実は厳しいのだ。

2時間目も3時間目も同じような状況だった。そして、4時間目が終わる。

『脱出だ!』

「有間君っ!」

さすがの僕も足を止めた。宮澤が僕の肩に手をかけ、少し大きめな声で僕の名前を呼んだからだ。昼休みということで、まわりがざわついていたので、宮澤の声がそんなに目だったことは無かったが、それでも近くにいた数名は僕らの方へ視線を向けた。

「なんか、ソワソワしていていつもの有間君らしくないね」

「そ、そう?そんなこと無いと思うんだけど」

頭の良い宮澤のことだ。僕が何故こんな行動を取っているのか、どういう心境なのか・・・そこまで全てお見通しに違いない。そして、あの一件で『見栄大王・有間』の本性を見抜いているに違いない。

「そうかなぁ・・・とても、そんな風には見えないけどなぁ」

「き、き、気のせいだよ」

宮澤が少し悪戯っ子のような目で僕を見た。始めてみる宮澤の表情・・・・・。

 

宮澤はフッと1つ溜め息を吐いた。

 

「じゃあ、そういうことにしてあげるわ」

 

宮澤はそう言うと、肩にかけていた手を放し、教室を出ていった。

『うーん、なんだったんだろ・・・・てっきりバラされるのかと思ったけど』

ちょっとだけほっとした僕だった。

 


 

教室の窓は天気の良い日は開いている。エアコンの必要がないこの時期は、窓から心地良い風が中に入ってくる。僕はその窓際に立って外を眺めていた。
校庭の花壇の近くでは宮澤が女子生徒に囲まれて何やら話をしていた。

『うーん、なんだったんだろ。宮澤・・・・・』

あれから3日がたった。毎日同じような事を繰り返している。昼休みに声をかけてくることはあれ以来無かったが・・・・・・。そう、宮澤は朝必ず部室の前で待ち伏せしている。

『なんなんだろ。僕をどうするつもりなんだ』

宮澤の真意が掴めなかった。一つ気になることといえば、宮澤が僕のことを他人に話した気配が無いことだ。僕がコソコソしている以外は特に何も変わっていないと言って良い。

 

『もしかして・・・・・・』

『宮澤って・・・・・バラす気なんかないんじゃ・・・・・』

 

 

『宮澤って正真証明の優等生だから、僕みたいな表層だけの偽者の事なんか問題にしていないんじゃ・・・・・・』

 

『そうだ!きっとこんな僕に哀れみを感じて、見逃してくれたに違いない!』

 

『そうだ!僕はこれまでと変わらないでいいんだ!』

『なんてラッキーなんだ!僕は!』

 

僕の御都合主義な楽観論は数時間後、見事に破壊されることになる。

 


 

放課後になった。今日はいつもより気分が軽い。図書室にルンルン気分で本を返却に向かった。

「今日は久しぶりに剣道の練習も無いし何しようかな」

思わず鼻歌交じりに廊下を歩く。そして、図書室へと入った。まっすぐカウンターへ行き、本を返却する。受付の図書委員の女の子が本のバーコードを機械に読ませ、その機械の画面に目を通した。

「返却を確認しました。・・・・・・・・・・・・あ、有間さん。・・・・・・あの」

図書委員のポニーテールの女の子が顔を赤らめてモジモジしている。

「何?」

「あ、あの・・・・・付き合っている人とかいるんですか?・・・・・・・いるんですよね」

僕が尋ねると、彼女は首を振りながら勝手に自分で結論を出そうとしていた。

「ごめんね」

僕はそれだけ言ってみる。いくら僕でも、こんな態度を取られたら、何を言いたいのかわかる。

「そ、そうですよね。・・・そか・・・・残念だなぁ・・・・・」

本当に残念そうな顔はしていない。最初から諦めていたようだった。

「いいです。有間さんとこうしてお話できただけで・・・幸せです」

「は?・・・はぁ」

ため息をつく。

「あ、引き止めてごめんなさい。手続きは終わりました。ありがとうございました」

「どうも。ありがとう」

それだけ言うと、ウットリ僕のことを見ている彼女に、微笑みながら軽く会釈をして、逃げるように退散した。

 


 

告白されること自体は悪い気はしない。なんせ、そこらの紙細工のような男どもより数段勝っているという証明なのだから。

僕は廊下を元来た方へと歩いていた。角を曲がる。

 

「顔が緩んでるわよ。有間君」

 

後ろから声がかかった。

 

『!!!』

 

宮澤由紀野だった。動きを止めた僕の真横に立つ。真っ直ぐ前を見てこちらは見ていない。

「モテるわね。有間君。でもさぁ・・・・・・実は女の子押し倒して胸触ったりするような人だと知ったらどう思うかなぁ・・・・・・・あの子」

宮澤がにやりと不気味な笑みを浮かべこちらに振り向いた。血の気が引く。鳥肌がたつ。

 

「それに、クラスのみんなが有間君の本性を知ったらどうなるだろ〜ねぇ。おもしろそうっ!」

 

可愛らしい仕草でとんでもないことを言い始める。

「あ、あの・・・・」

とりあえず、まずはそれだけ口にする。

「な〜あにぃ?」

ニコニコしながら僕を見る。

 

 

い、いわないでくれ」

 

 

蚊の鳴くような声で言ってみる。

「ん?・・・・くれ?くれねぇ・・・・・そう・・・・・人にお願いするときはもっと言い方があると思うんだけどなぁ」

またしても不敵な笑みを浮かべる。

『くっくそぉー!』

ため息を1つついた。

 

「い、いわないでくださいっっ・・・・・」

 

『うぉぉぉぉ!何故に宮澤にこんな"お願い"をしなきゃならんのだぁ!』

 

仕方が無いのだ。僕は負けたのだ。敗者は勝者に従うしかない。それが世の中の掟というもの。宮澤がいつもの教室で見せるような笑顔を向けた。

 

うんっ!いいよ!

 

「えっ!ラ、ラッキーっ!」

 

思いがけない言葉。一瞬宮澤が天使に見えた。

《どっすん》

期待を見事に裏切る、頭の上にのせられたもの・・・・。【生活態度アンケート】と1枚目に書かれている。

「なんだ・・・これは?」

「それ、夕方までにやっといて」

「へ?」

「じゃねぇ」

宮澤は疾風のように走り去った。

「じゃあねぇーっ・・・・って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヲイ!だれだあの女は!」

結局理解不能なまま、時間は過ぎていった・・・・。

 


 

今日は放課後の部活は無かった。もしあったら今やっているこの作業はどうなっていただろう。
僕はコンピュータ教室で1人黙々とアンケートの集計をしていた。

「ったく、冗談じゃないぞ。何で僕がこんな・・・・」

1人ブツブツ言いながらアンケート用紙の内容を分析して必要なデータを入力していく。この教室には僕1人だ。パソコンが40台ならんだ教室に電源の入ったパソコンが1台。僕は一番前の窓側のパソコンで、もう1時間23分もキーボードを操作している。もうすぐ24分になる。

『なんか、1人残業のサラリーマンみたいで空しい・・・・・』

そんなことを頭に浮かべつつ、じゃんじゃん作業を進めていく。こんなことはとっとと片づけてしまわなければ。時間をかけるほど、宮澤への怨念が・・・・

「だれの怨念ですって?」

うわっ!

どうやらいつのまにか口に出してグチっていたらしい。知らぬまに教室に入ってきた宮澤が鋭い視線を向ける。

「ノックぐらいしてくれよ」

「トイレじゃないでしょーが」

・・・・確かに。

「それより・・・・なんだ?」

「いや、どのくらいできたかなぁって」

宮澤は相変わらずご機嫌のようだ。ますますこちらはご機嫌斜めになる。きっともうすぐ『ご機嫌真横』になるに違いない。

「なあ、宮澤・・・・・なんで俺がこんなことしなければならないんだ?」

押し殺した声で聞いてみる。

 

「なんで?なんでって・・・

それはね。私が有間君の秘密をしってしまったから、いっそ利用しちゃおう・・・と。

まあ、そんなところよ!」

 

宮澤は表情を変えずにシレっと言った。

「かわいく言ってもやってることは恐喝だろうが!」

僕が少し語気を荒げると、真面目な表情になった。

「そうね。・・・・いいよ、やめても。でも・・・困るのは・・・有間君・・・・でしょ?」

人を小ばかにしたような冷たい視線で僕を見る。

『これが、宮澤の本性?』

僕の目の前の彼女は今まで一度も見たことが無い、氷のような雰囲気を漂わせていた。

 

「くっ・・・・・」

 

「ふふふっ・・・・・役に立ってもらうわ」

 

可憐で清楚なか弱い優等生だと思ってた宮澤が、実はこんな女だったなんて。

 

『有間一郎!一生の不覚だ!』

 


アンケートの集計は終わった。宮澤は無言になって作業を続けていた僕の横で、キーボードを打つ僕の手と画面を見る僕の横顔を交互に見ていた。飽きもせず20分くらい。やっと入力が終わり、データをフロッピーディスクに保存してプリンターで印刷する。

「終わったね」

「・・・・・・・・」

言葉を返す気にもなれなかった。宮澤にこき使われていることよりも、宮澤の裏がこんなだったことのほうが僕としてはショックだった。

「有間君、ご苦労さま」

「・・・・・・・・」

無言の抵抗にあきらめたのか、宮澤はプリンタの方へ印刷された集計結果を取りに行く。ざっと目を通す。

「じゃあ、今日はこれで終わり。助かったわ」

僕はパソコンの終了操作をして電源を落とす。プリンターの電源も落とした。そのまま、教室を出る。

「あっ!ちょっと!」

宮澤が慌てて教室の鍵を締め、僕の後を追ってきた。

「待ってよ有間君!」

宮澤が僕の肩を掴んだ。それを払いのける。

「まだ・・・・なんか仕事を押し付けるつもりか?」

僕は静かに、そして威圧する視線を向けて宮澤に尋ねる。

「えっ・・・」

宮澤が一歩ひいた。明らかに脅えた表情だ。

「じゃ、僕はこれで帰るよ。また明日」

 

僕は振り返らず、校舎を出た。宮澤は追ってはこなかった。

 


 

宮澤にあんな裏があったなんて・・・・・

見栄をはって15年になるが、こんな屈辱は・・・・・

いや、それより僕に告白した可憐な女の子があんなだったなんて・・・・・

 

「【あんな】 とはずいぶんな言い草だねぇ」

「げっ、花野!いつからそこに!」

「さっきからここにいたでしょ。居間の真ん中でぼそぼそ言ってて、気持ち悪いよ」

僕は我に返った。そうだ、1階の居間のソファでさっきのことを考えていて・・・・。

「で、あんな女って宮澤とか言う人?」

「そうだ」

「どんなだったって?」

「実は・・・・」

僕は昼間の出来事を花野と月野と・・・・仕方がないので雪野にも話してみた。

 

「「「くっ・・・は・・・わはははははっ!」」」

 

「笑うなっ!こっちは深刻なんだぞ!」

3人に思いっきり笑われてしまった。屈辱の10乗だ。

「で、どうするの?これから」

「どうするもこうするも・・・・・」

「まあ、世の中は上には上がいるということを、思い知ったでしょ?見栄なんかはるのやめてまっとうな生活に戻ればいいじゃん」

「花野ぉ・・・・・・簡単に言うなよ」

「まあ、所詮は見栄ダケで生きてきた罰ね」

「いちいちムカツクやつだなっ!」

雪野は問答無用だ。

「まあ、私たち妹としては・・・・家庭内にそのごたごたを持ち込まなければ良いと思いま〜す」

「同じくぅ」

「私も花野や月野の意見に賛成っ!」

3人が僕にとどめを刺そうとしていた。

「おまえたちには家族をかばうという心・・・・」

「ない」

「まだ途中までしか言っていないだろーが」

月野にきっぱり否定されてしまった。この妹達に相談した僕が愚かだった。もっとも聞かれたことを答えただけだったが。


翌日、朝練が終わると、久しぶりに部室正面のドアから外に出た。

「おはよう。有間君」

宮澤由紀野は、またしても部室の入口で待ち伏せしていた。今日は、昨日のことがあったので、あきらめて正面から堂々と出てきたのだった。

「おはよう」

「どうしたの?元気ないね」

「おまえなぁ・・・・」

宮澤がそこで1歩下がった。

「ごめんね。昨日は。本当にごめんなさい」

宮澤がほとんど90度頭を下げた。まったく予想していなかった展開に唖然としてしまった。

「ちょっとだけからかってみようかと思ったの。まさかあんなに怒るとは思わなくて」

「宮澤・・・・・」

やっと宮澤が最敬礼の状態から普通の姿勢にもどった。

「じゃあ・・・教室に行きましょ」

「あ、ああ」

『なんなんだ?いったい』

僕にはさっぱりわからなかった。

 


 

「じゃ、時間もあるし・・・・これお願い」

 

 

「・・・・・・・おい・・・・・」

 

 

「な〜に?」

「何じゃない。なぜ僕が・・」

「有間君は私のシモベだからです」

「・・・・・じゃ、さっきの謝ったのは、いったい何のことだったんだ」

「いやぁ・・・なんか、口の利き方が良くなかったかなぁ・・・って反省して」

宮澤が頭をポリポリ掻きながら言う。

『口の利き方・・・・結局、俺を脅迫しているのは変わらないのか?』

「さあさあ、お仕事お仕事っ。・・・・大丈夫!絶対内緒にしてあげるから」

とてもさわやかな笑顔を僕に向ける。

「・・・・・・・・・・・ううう」

「内緒にしてあげるって」

「よーするに・・・・・逆らったらバラすってわけで?」

「さすが有間君。学年トップだけあるよね」

「・・・がっくし」

シモベ生活2日目に突入したのだった。

 


 

「ふう。終わった」

仕事の量自体はたいしたことはなかった。朝練が終わってから授業が始まるまでは30分くらいしかない。いつの間にやらほとんどの生徒が登校してきていた。

「ありがとう」

「どういたしまして。こんなのお安い御用ですよ」

引きつった笑いを浮かべながら言葉を返した。

「ふふ。じゃあ今度はねぇ・・・・」

「み、宮澤・・・さん・・・・ちょっと。今日の放課後は勘弁してくれ部活あるし」

新たな仕事を押し付けようとした宮澤に、周りに聞こえないように小声でお願いしてみる。

「うん。いいよ。じゃね。この体育祭企画書だけはお願いね。その代わり有間君の修学旅行企画書と生活指導アンケート結果のプレゼンテーション資料作成と5月後半のグランド、体育館使用スケジュールの調整は私がやっておくから」

「はあ?」

「何?なんか不満でも?」

「いや、そんなことはないけど・・・・」

「じゃあ、そういうことで。有間君、剣道の部活終わるの7時だよね。じゃ、図書室にいるからその時にでも話しましょう」

「・・・・ああ」

そこまで話したところで宮澤は女子に数学のことで質問されて別の席に移動していった。

『なんなんだよ。だいたい体育祭の企画書より、その代わりに引き受けた仕事の方がよっぽど多いじゃないか。何考えてんだかさっぱりわからんぞ』

体育祭企画書がいくら大変だったとしても、宮澤が代わりにやってくれると言った仕事の量は2倍以上のボリュームがあることは明らかだった。

 

『真意がさっぱりわからない』

 

教室の前の方で女子に教えている宮澤の瞳はいつものように曇りが無かった。

 


 

部活も無事終わり、僕は図書室へと向かっていた。実は・・・・まだ頼まれた体育祭の企画書は休み時間の合間に下書きをちょっと書いただけだった。

「これじゃ・・・宮澤怒るだろうなぁ」

まあ、ここで逃げ出したら余計話がこじれるだろうということは目に見えていたので、諦めて図書室へと向かったのだった。
この学校の図書室は午後7時30分まで開いている。これも生徒の自主運営によって生徒会で「図書館開館時間延長」が決まったからだった。普通の学校なら6時がせいぜいだろう。この決まりを発案したのは宮澤で、決定したのは3日前だった。

「あれ?」

図書室は一応明かりが点いていたが、部屋の半分は既に照明が落とされていた。周囲を見回すと図書委員すらいない。

「あの・・・誰かいませんか?」

「あ、有間君。こっちへどうぞ」

奥の自習室から宮澤が顔を出した。

「図書委員は?」

宮澤の隣の椅子に座りながら尋ねた。

「ああ、帰った」

「帰ったぁ?なんで?職務怠慢じゃん」

「私が帰って良いよって言ったの。もし有間君がくるの遅れるようだったら、図書委員の女の子もかわいそうだからね」

「・・・・そか・・・・・」

それ以上何も言えなくなってしまった。

「そうだ、有間君。こっちの持ち分は全部できたよ」

「・・・・・ぜ、全部って・・・・・・えーっ!あれ全部っ!」

「うん」

「うんって・・・・・簡単に・・・」

少なくとも僕は4日くらいかけて終わらせようとしていた仕事だった。

「だって早く終わらせないと、有間君の分が出来ないでしょ」

「えっ?」

「どうせ終わってないでしょ?部活やってたんだから」

「まあ、そうなんだけど・・・」

『そこまで読まれていたか・・・・・』

一応、下書きを机の上に出してみた。宮澤がそれに目を通す。

「なんだ。出来てるじゃん。有間君凄いね。いつやったの?」

「休み時間」

「ふーん、そうなんだ」

熱心に企画書の下書きに目を通している。

「すごいっていえばさ、宮澤がやってくれた僕の仕事の方がすごいだろ?」

「なんで?」

きょとんとした表情で尋ねてくる。

「だって量がハンパじゃなかったよ」

「そうかなぁ・・・・・そんな風には考えなかったけどなぁ」

宮澤がやった本来僕がやるべき仕事だったものの結果に目を通してみる。それは、ほぼパーフェクトなものに仕上がっていた。

 

『宮澤って・・・・やっぱすごい・・・・・』

 

「うん!いいんじゃないかな。ありがとう。助かったわ。家帰ったら清書して明後日の委員会に提出するわ。ありがとう」

「あ、いや・・・・・こちらこそ」

お互い微笑みあった。

「あ、あの・・・・・・有間君・・・・・・」

「何?」

「・・・・・・明日は部活あるの?」

「ああ、明日は朝練だけだよ」

「そうなんだ。・・・・・・じゃ、お仕事いっぱい用意してあげるね」

「げっ!勘弁してくれよぉ」

「だめ。今は有間君は私の下僕なんだから」

「うう・・・」

がっくりと肩を落とした僕だった。

 


 

今日は、朝と放課後と馬車馬のように働かされている。雇い主は宮澤由紀野という女狐だ。今日は誰もいない生徒会会議室でクラス委員会の議題整理などをさせられている。

「はい、どうぞ」

女狐・・・あ、いや、宮澤が茶色のシックなハンカチにラッピングされた包みを差し出した。

「何?これ?」

「しっかり働いてくれるシモベ君のために作った手作りクッキーよ」

憎めない笑顔を浮かべ、憎たらしいことをシレっと言ってのける。

「シモベっすか」

宮澤が僕の頭にポンと手を置いた。

「シモベっす。・・・・・さあさあ、私のかわいいポチ。お食べ」

「あのね」

「冗談だってば、どうぞ。遠慮しなくてもいいよ。お金取ったりしないから」

ペロっと舌を出した。
リボンを解くと、チョコレートクッキーの良い香りが漂ってきた。

「おいしそうだね」

「それは食べてからのお楽しみ」

嬉しそうにクッキーを勧める。

「じゃ、いただきます」

「どーぞ」

1つ摘まんで口にほうり込む。程よい甘さのしっとりしたクッキーが口の中にさわやかに広がる。

「うん、おいしい」

「そう、よかったっ!徹夜した甲斐があったわ!」

宮澤は飛び上がって喜んだ。

「て、徹夜ぁ?」

「あっ、いえ、あの・・・・・勉強のついでにちょっとキッチンで気分転換しただけ」

「ふーん」

宮澤の顔が赤くなる。

 

『かわいい』

 

初めての感情だった。彼女が告白してくれたことを始めてうれしく思った瞬間だった。いや・・・それだけじゃなかった。

『宮澤といると・・・なんか・・・うれしい』

「な、何よ・・・・・・」

僕の視線に気づいたのか頬を赤らめた。

『赤くなっちゃって・・・・・なんか・・・いとおしい。守ってあげたい』

「ちょっと有間君。なんなのよ?」

宮澤は明らかに動揺していた。だが僕も内心では動揺していた。

『これが・・・好きって感情・・・・かな?』

「有間君てば!」

『でも、よりによって宮澤に・・・・・・それはまずいんじゃ・・・・』

「わ、私、紅茶かなんか買ってくるから」

宮澤は逃げるように会議室を出ていった。

「んー・・・・・なんか恋人同士みたいだな。・・・・・・・なんだかなぁ」

思わず頬を赤らめてしまった僕だった。

 


 

僕の隣では宮澤がせっせと書き物をしていた。その横顔はりりしい。普段見せる笑顔もかわいいが、こういった表情の彼女もいい。

クッキーの一件から数日たった。あれ以来、僕の心の中には、明らかに"宿敵宮澤由紀野"でも"ご主人様宮澤由紀野"でもない、1人の女性としての宮澤由紀野がいた。

宮澤は僕が横顔を見ていることに気づくと、微笑みを僕に向けた。慌てて自分の手元のプリントに視線を移す。

 

『なんか・・・シモベって気がしなくなってきた』

 

今日も朝の『お仕事』があったが、放課後は免除された。部活がある場合はそれを考慮してくれているようだったが、それ以上に僕の抱えている仕事の一部を『仕事の交換』の名のもとに負担してくれていた。

『宮澤は僕のことが好きだと言った。でもそれは僕が優等生の仮面をかぶっていたころのことだ。じゃあ、今の宮澤はいったい・・・・・・・僕のことどう思ってるんだ』

 

『今の僕のことは好きじゃないんだろうか』

 

宮澤が僕のことを好きだと言ったのは、正体がばれる前のことだ。今の僕に対してじゃない。不安になった。

単に仕事をすべて押し付けているのなら「僕は道具に過ぎない」の一言で結論できた。だが、この状況では宮澤の真意が・・・・わからない。

「有間君。どうしたの?ぼけーっとして。仕事が進んでないじゃん。ジャンジャン仕事してもらわないと困るなあ」

いつもの調子でからかったようだ。だが、今の僕はそれを聞き流すことが出来なかった。

「なあ、宮澤。僕は君にとってなんだ?」

一瞬、宮澤の動きが止まった。

「・・・・ポチ」

「へ?」

「私の忠実なシモベちゃん」

宮澤がにっこりと微笑んだ。

「・・・・・・・」

 

『結局・・・宮澤は『優等生の僕』にひかれていただけで、本性を表した僕になんか道具としての利用価値しかないってことか・・・・。僕の仕事を肩代わりしてくれるのだって、僕が仕事を処理するのが遅いから仕方なくやっていた。・・・・・・そうに違いない』

急に空しくなってしまった。

 

「宮澤・・・・もう、終わりにしよう」

 

「え?」

 

宮澤が目を丸くして僕を見た。信じられない・・・という表情。

「もう僕は君の仕事の手伝いはしない」

「そ、そんな・・・・そんなことしたら困るのは有間君じゃないの?」

「ばらしたければばらせばいいさ。じゃ、僕はこれで」

そのまま教室を出る。宮澤がその僕の腕を掴んだ。

「ま、待ってよっ!」

「放せよっ!」

宮澤の腕を振り払う、彼女が少しよろける。彼女が不安げな表情を僕に向けた。

『利用していたくせに、そんな目で僕を見るなっ!』

僕は逃げるように走り始めた。

 

●●●

 

「待って!待ってよ!」

宮澤が同じように走って追ってきた。

『げっ、宮澤って結構速い』

校舎の中では僕とて全速力で走るわけにもいかず、さほど離れずに宮澤は追ってくる。

『くそ、こうなったら校舎から脱出だ』

開いていた窓の窓枠に右足をかける。そのまま右手で体を支えながら飛び出した。

 

『げっ、2階だったぁ!』

 

体が中に浮く。時、既に遅し。わずかの間、空気の中を泳いだ。

『いちかばちかだ!』

【体育10】能力を最大限発揮して、一番柔らかそうなパンジーが植わっている花壇に両足を同時に着地した。僅かに姿勢が乱れる。

《グキッ》

「うっ」

何とか生きている。が、ちょっとだけ足をひねった。だが、そんなことはかまっていられない。校舎を見上げると、宮澤が窓からか青い顔を出してこちらを確認していた。すぐに引っ込む。

『はやく、逃げねば』

捻挫した右足をかばいつつ、脱出を図る。3分ぐらい足を引きずりながら移動すると・・・

「お願いっ!待ってっ!有間君っ!」

後ろから宮澤が追撃してきた。【体育10】の宮澤には手負いの僕など敵ではなかった。後ろから抱え込むように抱き付かれる。

《グキッ》

「ぎゃん!」

またしても同じ場所を挫いた。そのまま顔から倒れこんだ。体制を変えて倒れたことで、大事な顔面だけは傷だらけになるのは回避できた。うつ伏せに地面に転がっている僕の背中には宮澤が息を荒くして乗っかっていた。

「あ、有間君大丈夫?」

「そんなわけないだろっ!早くどけ!」

「ああ、ごめんなさい」

宮澤が慌てて自分の体を起こす。

『よし、チャーンス!脱出だ!』

《ズルズル》

「ちょっとっ!」

宮澤は、ほふく前進で逃走を図った僕の右足首を掴んだ。

「いてぇーっ!何すんだ!」

「だって、逃げるんだもの!」

僕が叫ぶと宮澤も同じように叫んだ。お互い息を整える。相手の出方を待った。

 

 

僕は長い沈黙を破った。

 

 

「僕も放課後、君と仕事をするのは面白いかなって思ってた」

「宮澤のこと友達みたいに思ってた」

「でも・・・・・・・宮澤にとっては僕はただの道具だろ?」

 

宮澤の表情が氷ついた。

 

「そうさ、僕はみんなを騙して生きてきた軽蔑すべき男さ」

「嘘つきだし、計算高いし・・・・ただの見栄っ張り・・・でも・・・・」

「だからってどうしてそんなに変わるのさ!」

「有間君」

「気安く呼ぶな!」

 

僕は立ち上がり、そのまま立ち去ろうとした。

 

「違う」

 

それは小さな声だった。僕の背後で発せられた宮澤の声。

 

「違うの有間君」

 

何が違うっ・・・・・・

 

僕は振り返りながら叫んだ。だが、目の前に立っていたのは、大粒の涙をこぼしている宮澤だった。言葉につまった。

 

「ごめんなさい。本当に・・・・ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

宮澤は泣きじゃくりながら何度も何度も頭を下げた。

 

「本当は最初から誰にも言うつもりなんかなかったの」

「ただ有間君と少しでも一緒にいたかったの」

「だから口実を作って・・・・・」

 

「いっしょに話しててたのしかったから」

「初めてだったの。こんなに人と話していて楽しかったの」

「有間君も楽しんでくれているものと・・・・・」

 

「本当にごめんなさい。ごめんなさい」

 

その場に崩れ落ちそうになる宮澤を慌てて支えた。僕の胸に宮澤が顔を埋める。

「有間君・・・ごめんなさい」

僕の胸に顔を摩り付けたまま、こもった声で謝りつづける。宮澤の肩は細く、そして、震えていた。

『そうか、僕は道具扱いされていたわけじゃなかったんだ』

宮澤のぬくもりを感じながら、僕はほっと溜め息を吐いた。

 

「もう、いいよ。宮澤。怒ってないよ」

 

宮澤が顔を上げた。

「でも・・・あたし・・・」

 

「ほらほら、いつもみたいに笑ってよ」

ポケットからハンカチを取り出して、宮澤の頬を拭いてやる。

 

「ありがとう。有間君」

 

宮澤が笑みを浮かべた。目が真っ赤だったが、それはいつものかわいい笑顔。

「仲直りだ。宮澤」

僕は右腕を差し出した。

「うん」

宮澤が僕の手を握り返した。

その日から、僕と宮澤は同じ秘密を共有する友人となった。


次回予告

花野「宮澤さんと仲直りしたお兄ちゃん!」

月野「だが、新たな試練が待ちうけていたのだった!」

花野、月野 「ああ、お兄ちゃんと宮澤さんの運命はいかに!」

花野、月野 「次回、カノカレ『彼女の事情』!うおーっす!」


■■■ あとがき ■■■

ああ、長かった。今回は、有間と由紀野の中が徐々に・・・ということですが、彼氏彼女になるにはまだ2、3話先になるかな。

女と男の立場が変わると結構変わりますな。当たり前だけど。

女に向かって男が泣き叫んだりするのは俺には受け入れられないからねぇ。(^^;

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