NPO法人チャレンジドネットワークみやぎ 福祉ガイドブック  ほどりすと のメッセージより引用

素敵なお話をありがとうございます。


 「本当に大切なこと」
著者  鈴木 恵子 
「ステキな仲間たちとの出会い〜普通学級で学んで〜」
 著者  小林 厚子  

 自閉症の息子は、小中学校の九年間を普通学級で過ごし、現在普通高校(昼の定時制)の一年生です。就学については大変悩みましたが、一人でも多くの子供たちにありのままの息子の姿をわかっていってほしいという思いと、息子にとっても特別に用意された環境の中ではなく、普通の場面で、物事の善悪を、学んでいってほしいという願いから普通学級を選びました。

 先生に手をつながれての小学校入学式では、息子はじっと座っていられず大騒ぎし、これから先どんな学校生活になるのかという不安が募りました。それでも、翌日から迎えに来る子供たちや、放課後遊びに来る子供たちを見ているうちに、子供には子供の世界があり、その中で育ち合っていくものだとあらためて感じる毎日でした。何事も大人の尺度で考え、決めていくと、本当に大切なものに気付かず通り過ぎてしまうのではないか。たくさんの子供たちとの出会いの中で、そうした大切なことを教えられました。

 新しい環境に慣れにくく教室から何回も抜け出していた息子。懸命に連れ戻していたクラスの子供たち。学校の一つひとつのシステムや係りの仕事、当番なども、そういう子(ハンディを持った子)だからと目をつぶってしまうことの多い大人と違って、気がのらない息子に何回も働きかける力を持つ子供たち。それを温かく見守る先生や地域の人たち。息子も少しずつ心を開いていったように思います。

 運動会ではクラスの子供たちが作戦会議を開き、当日息子は、がっちりとした級友たちの上にのせられて堂々と騎馬戦に臨みました。縄跳びがうまく出来ない息子が、休み時間や放課後みんなと練習を重ね、ダントツで一位となったクラス対抗長縄跳び。そこには、できない人は参加できないという発想はなく、逆に息子がいることをいつも学級づくりに活かしてくれた先生方の姿がありました。

 修学旅行のグループを決める時、息子が「K君と一緒がいい」と言った話しを聞き、「選ばれたんだよ、よかったね。」とK君に言ってくれたお母さん。この九年間、私自身もたくさんの出会いがあり、育ち合いもできました。

 入学当初の不安な毎日が、年ごとに消えていった学校生活。息子のことをわかってくれる人が多くなるほど、親としては精神的に楽になっていったように思います。
地域に、息子がいることが当たり前と思える今の環境は、普通学級で育まれていったものだと思っています。



  


                     
           








                   







    挿絵はブラスター君です。

 「おはよう和樹、『竹取物語』覚えたか?」
 朝のあいさつもそこそこに、国語の暗記テストを心配してくれるクラスメート。
急きょ我が家の玄関が教室に早変わりし、「今は昔、竹取の翁というふもの、あ、り、け、り・・・」と、練習が始まる。「そこ、違うぞ」と直されたり、「もっとゆっくり」などとアドバイスをもらいながら、何回か繰り返し、もうこれ以上何ともならないなというところで、“まあまあ”の合格点をもらうのだ。

 クラスのほとんどが暗記テストに合格出来て、まだだった彼が再度挑戦する日の朝、なかなか覚えられない彼を叱咤激励する友人の姿があった。一行覚えるのに何分もかかってしまい、親の私ですらイライラしてしまう程なのだが、ゆったりと待ちながら付きあってくれる。そして、お互いに納得のいく形で練習を終え、「行ってきます」と登校して行った。こんな彼らの後ろ姿を見送った朝は、一日中私の方が満足感で幸せ気分になる。

 和樹は今十三歳、ダウン症で、この春中学二年になった。小学校にあがる際、私たち家族は、あまり悩まずに彼の入学先を“普通学級”と決めた。模倣が上手なダウン症の特徴を思い起こし、先ずは良い刺激にある所に置いてやりたいと考えたからだった。次に、もし彼にハンディがなかったらどうするのだろうという事を、いつも考えて行動することにした。そんな私たちの家族の考えに「小学校の低学年のうちはいいけれど、高学年になるとね」という声が周囲から聞こえてきた。「そんなこと言ったって、やってみなければわからないよね」。こうして少々強気な母と、マイペース息子の二人三脚での小学校生活がスタートしたのである。

 とはいえ、校長との話し合いがスムーズに行かず、就学時健康診断も受けないままの入学を迎えた。正直、入学式では、子供以上に親の方がハラハラドキドキだったように記憶している。入学前に学校側とすっきりした形を取れなかったので、クラス担任もあまり期待できないだろうなと心配していたら、見事に予想がはずれた。
すばらしい先生との出会いが私たち親子を待っていたのだ。

 「人間ならだれだって、どこか変なところがありますよ、私もちょっと変です。クラスはそんな集まりですから」と先生はおっしゃり、「一クラス四十人で大変ですね」という私の言葉に「四十人だからいいんですよ。あまり少ないと一人一人の子供が見えすぎておもしろくありませんから」とあっさり言われた。「スゴイ、こんな先生もいるんだ」。そう思えた瞬間、全身の力が抜けてしまった。

 この先生との出会いが、和樹の小学校生活を居心地の良いものにして下さった事はいうまでもない。ハンディを持つ彼の周りに、いつも大勢の友達がいる環境も、こうした中で育っていったように思う。いろんな学校行事も、自分で出来ないところは先生や友達に手を借りながら何でも体験できた。誕生会には我が家のテーブルに座りきれない程の友達が集まり、バレンタインデーには、色とりどりのきれいな包装紙に包まれた、たくさんのチョコレートを前に記念撮影をするのが、ここ何年かの恒例行事となっている。

 そして、待ちに待った中学校生活。さすがに小学校入学時とは、周りの反応が少し違っていた。「普通学級にいたら、どこの高校にも行けないよ」とか、「五十分もの長い授業時間どうするの」と心配してくれる声なのだろうけど、それはみな否定的なものでしかなかった。これまで多くの仲間たちと育ててきた大切なつながりを、ここで終わりにしたくない。しんどい事もあったけれど、それ以上にうれしい事、楽しい事もあったし、ハンディを持つ子と持たない子が一緒にいる事で、お互いがわかりあえることもたくさんあった。
やはり、皆と一緒がいいし、世の中にはさまざまな人がいる事を知ってほしいとの願いも含めて、和樹を普通学級に通わせてやりたい。
いろんな心配事もあるけれど、否定的に考えるのではなく、新たな出会いや経験が待っている。そうした期待感で彼の中学校生活をスタートさせてやりたい。
その時私は、強く心に決めていた。

 入学式の日、クラスが一緒だった友達がいて親子でホッとしたっけ。こんな友達がいるなら、少々何かあってもやっていけるだろうとちょっぴり自信も出て来た頃、予想通りのちょっとした事件が起きた。

 クラスの何人かで、当時大流行した“ミスタービーン”の映画を見に行く事になったらしい。その話をどこかで耳にした和樹は、何としても一緒に行きたかったらしく、一方的に「自分も行く」と宣言してしまったのだ。「途中ではぐれはしないだろうか」「電車に乗り遅れたらどうしよう」。彼等にしてみれば、大変な事態である。それでもクラスの友達同士で連絡を取りあって相談し、その結果、一緒に行っても良いという結論になったという。
その連絡の電話をもらった息子は大喜びである。ご本人はルンルン気分で出かけたけれど、家で待つ私と同行した仲間たちは、正直少々緊張した一日でもあった。

 夕方、帰宅した彼に聞いてみると、案の定ハプニングだらけだったらしい。映画に飽きてしまい、席を立ったり座ったり。おまけに出入りをくり返し、とうとう「ちゃんとしていないともう一緒に来ないよ」と友人たちから厳しく忠告されてしまったらしい。
その後映画館を後にして食事をし、皆で大好きなデパートへ立ち寄ったという。広いデパートなので同一行動をしようと思っているうちに、和樹だけが自分の興味のある売場へ行ってしまい、電車の時間ギリギリまで皆をハラハラさせてしまったという。
友人たちも、一緒に行くのはもうこりごりだろうなと思って聞いてみたら、「楽しかったよ」と言う。「また連れて行ってほしいけれど、毎回では大変だろうから、5回に1回ぐらいは誘ってね」という私の言葉に、「2、3回に一回位はいいんじゃない」とのうれしい返事が返ってきた。

 同学年の子供たちとこんなつきあい方をしている一方、先輩たちにも温かく見守ってもらっている。ハンディのある息子が小学校時代にバスケットボールと出合って四年。中学校での部活動も自分からバスケットボールを選んだ。技術的には部の仲間と一緒に出来る練習メニューが少ない中、それなりに続けて一年が過ぎたころのことである。

 それは部活動の新人大会での出来事だった。中学生になると、生徒たちだけの自転車での移動も多くなる。会場となる中学校へは自転車で二十分はかかる。
長い坂道もある。どうしようかと心配してみたが、先輩たちにお願いして挑戦させてみることにした。あれこれ考えながら家で待っているより、車で送迎した方がずっと楽で安全だけれども、離す勇気も必要と感じたからだ。夕方、無事に戻った彼に、「自転車はどうだった?坂はどうしたの?」と聞けば、さすがに長い坂を自転車で走り下りることは出来なかったらしい。先輩たちが坂の下で待っていたが、いつまでたっても来ない彼に気づき、どうしようかという相談になり、そのうち誰からでもなく迎えに行く話でまとまったという。ある仲間は自転車を置いて走り、またある仲間は坂の途中まで自転車で迎えに行き、下で待っていた仲間たちと合流して学校まで戻ったという。

 彼がいることで普段の何倍も時間をかけて学校まで戻ったろうに、迷惑に感じるのではなく「楽しい」と言ってくれる仲間たちがいた。そして、彼らの報告を聞いて「和樹くんを離してくれてありがとう。いっしょに行動することでたくさんの事を教えられているはずだよ」と感謝してくださるお母さん方がいる。
心底「普通学級でよかったなー」と思える瞬間でもある。何をするにも動作がスローでなかなか皆と足並みがそろわない息子だけど、いっしょに育って来た学校生活のなかで、お互いの弱さを認めあってつきあってくれている仲間たちがいることは何よりも心強く思う。

 そんな彼も今年、中学校生活二年目となり、新しい一年生を後輩という形で迎え入れる立場になった。最近はそれなりに先輩面している事があり、私たち家族をドッキリさせる。加えて自我も芽生え、クラスの友達との衝突もあるらしい。目立って変化したのが服装違反である。体操着として着用するジャージのズボンをすっかりずり下ろしてパンツが丸見え状態にしている。要するに“半ケツ”状態だ。
足の短い彼がするから、その姿を想像しただけで笑える。担任の先生も「オレ、和樹のパンツの柄、毎日わかるよ」と半ばあきれ顔だ。学生服の袖も長いのでつめてやっているのに、いつの間にかはずされて長い袖になっている。唯一こんな格好をすることで彼なりに先輩気分を味わっているらしい。
ここ一週間で、“必需品”と称して真新しいくしがカバンの持ち物に加わった。これまたスポーツ刈りの短い髪に、いつ使用するのだろうと、こちらの方が考えてしまう程である。“茶髪の息子誕生”は時間の問題かなと苦笑する夫についうなずいてしまった。

 次から次へといろんな事が出てきて先生方を悩ませ、心苦しく感じる事もあるけれど、小学校入学の頃には今のようなたくましい?彼の姿なんて到底想像も出来なかった。
全てまわりの仲間たちのいい刺激が、ここまで息子を成長させてくれたのだと思う。
今、、彼は、十三歳の中学生が経験することを、いやそれ以上の経験を、のびやかにしているに違いない。素敵な仲間たちに囲まれながら。
 これだから普通学級はやめられない。