| 子どもは親の合わせ鏡と申します。(と今日も自分に言い聞かせる管理人) 「普通」「世間一般」「常識」というものに捕らわれないで、心を放って我が子を見ることが出来た時、それが親の学びとなるでしょう。それに気づいた時、辛かった部分の人生は黄金色に輝きます。 成功体験から学び、子どもの気持ちに思いを馳せて、このような状況にあるのは「自分一人だけではない」と対峙している仲間がいることを感じて頂きたいと思います。(ホントひとりじゃない) 一つの階段を越えた方々にはある共通した思いというか、到達点があるように感じております。 その子にふさわしい学びや居場所がたくさんありますように。医療・教育・福祉の専門家(プロ)が増えますように。それを支える制度が整っていきますように。家族の困難さをサポートできる地域となりますように。親の学びが成就しますように。 |
親の学び |
| 第一話 | フリースクール西の平 代表 池田 朋子 さん 「不登校・・・あの頃を振り返って・・・」 |
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| 私が不登校を身近で見聞きするようになったのは、もう10年ぐらい前になるでしょうか。長男のクラスの子がある日突然学校に来なくなったとか、近所の子が学校にいけなくなった、長女の中学校では入学式に出ただけで顔を見せない子がいる等、割と身近な問題として捉えているつもりでいました。
ですから、次男が小学4年の夏休み明けに突然「学校に行きたくない」と言い出したときにも割と冷静に対処しました。「学校は無理に行かなくてもいい」と理解したつもりになって、学校には「様子を見させてください」と連絡をとり、無理強いしようとする夫には「なんて理解の無い父親なんだ」と腹を立てながらもじっくり話し合うことは避けていたように思います。ゆっくり休めばきっと元に戻るという気持ちがどこかにあったのでしょう。そんな気持ちを汲み取ったかのように次男は間もなく学校に戻り、休みながらも半年くらいは頑張っていました。ただその間は私にとっても心安まることは無かったのです。学校に行けばいったでちゃんとやれているか気になり、休んでいる日は何とか明日はいけるようにと気を使っていました。表面では行かなくてもいいといいながらも、気持ちの中では何とか学校に戻って欲しいと思っていたのでしょう。それが如実に現われていたのがカレンダーに付けられていた印でした。私は子どもが学校に行った日をずっとカレンダーに付けていたのです、ふとそんな自分に気づき愕然としました。
思い起こせば、次男が休み始めてから私がとった行動といえば、学校に戻った時のために何とか生活のリズムを崩さないように、とか家にばかりいないでできるだけ外に出て行けるようにといった事だったような気がします。 次男が再び休み始めたのは私がカレンダーに印を付けなくなってから間もなくのことでした。それからというものまるで今までの疲れが一度に噴出したかのようによく眠りました。何かをする気力がすっかりそがれてしまったかのように、着替えもせずお風呂も入らず、食事もあまり取らずに好きなものだけ食べるという状態が続きました。そんなある日、2人でボーとテレビを見ていると座禅を組んでいる場面が移りました。「何をしているの」と聞いてくる次男に自分の心を無にするための修行だよと説明すると、「あの時は自分がどうなってもいいと思った・・・」ぼそっと言った言葉にしばらくは声も出せずに「そう・・・」と言うのが精一杯でした。「アノトキ」それは次男が休み始める前に学校でいじめにあった時のことを言っていたのです。小学校4年生の子どもが「ドウナッテモイイ」・・・その言葉に私は「子どもでも一つ間違ったら死を選ぶことがある」と思いました。 ここまで傷ついていた子どもの気持ちを理解しようともせず、表面上は学校に行かないことを肯定しているように振る舞いながらも、カレンダーに印を付けていた親。その気持ちを子どもなりに感じ取っていたのでしょう。だからこそ私が印を付けるのをやめて力を抜いてしまったときに、はじめてゆっくりと休むことができ、本心を漏らしたのかもしれないのです。
その後次男は中学校入学を機会に自ら学校に通い始めましたが、「やっぱり学校はストレスがたまるからやめる」といいながらきっぱりと行かなくなりました。その頃には自分が学校に行っていない事に対するコンプレックスはすっかり無くなっていたようで、平日のおもちゃ屋さんで「今日学校は?」と聞かれて「不登校しています」と応えたりしていたようです。一時は誰かに会うのが嫌でどんなに近くても車でなければ行かないと言っていた事が嘘のようです。時には「一応席はあるんだからアピールしておかないと」と言って私服でクラスに顔を出すこともありました。いろいろな葛藤があったようなのですが卒業式には一応出席し不登校と呼ばれる、身分からは解放されました。 学校に行けなくなった頃、どうせ僕なんて、不器用だし、運動できないし・・・「お母さんが僕をこんなにしたんだ!」と訴える子どもに対して何もいえなかった、「そんなことないよ」と言う言葉さえ掛けられないほどに、その言葉は今の自分自身を否定しているものだったのです。不登校をしたことに罪悪感だけは持って欲しくないと思い、必要以上に力が入っていた時期もありました。そんな親の気持ちを子どもなりに敏感に感じとっていたのだとおもいます。親が力を抜いていったのと連動するように、子どもは自分自身を取り戻し、自らの考えで行動するようになっていきました。 今年17歳になった次男は、まだ自分の進むべき道を見つけてはいません。親として学校にも行かず、仕事にもついていない事を心配するべきなのでしょうが、子どもの本来もっている力を信じることが出来るようになった今、不思議なほどゆったりと見守っていられるのです。 2002年4月15日
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