【zero】 Chapter  11
 

 暗闇の中を私は歩いていた。
 私を取り巻く漆黒の闇は、どろどろとした質量を持つ物理的な闇だった。
 その闇の中で感じる重圧は、まるで泥沼の底を這い回る感覚に似ていた。
 絶望、恐怖、猜疑、悲嘆、嫉妬、悪意… そのような人間だけが持ち得る感情を、私はリアルに体感していた。
 ここは、どこだ?
 私に内蔵されたCPUが、解析不可能と伝えている。
 その時、遙か彼方の前方に、きらりと小さな光が見えた。
 視覚センサーを凝らして見ると、その光は徐々に大きくなっていた。
 いや、その光は私の前に迫って来ていたのだ。
 私はその光に手を伸ばす。
 暖かい、慈悲に満ちた光だった。
 今まで感じていた闇の質量が無くなり、全身が驚く程に軽い。
 その光の中に、一瞬とてつもなく大きな存在を感知した。
 貴様は、誰だ?
 その存在は私の質問には答えず、大いなる光で私を包み込んだ。
 
 神… 神とは何だ?
 
 私は視覚センサーを覆った擬似生体組織で作られた瞼を開く。
 私の嗅覚センサーが、機械油と幾多の人間の体臭を感知する。
 「あっ!ロボットのおじさんが目を覚ましたよ!」
 聞き覚えのある音声に、私の聴覚センサーが反応する。
 コンクリートで造られた天井が見えた。
 周囲の大気中に含まれた湿度と、菌糸状の微生物コロニーが発する胞子の密度から、現在私がいる場所は地下室である事が分かった。
 私がスリープに落ちて、3時間25分47秒が経過していた。 
 見覚えのある顔が二つ、私の視覚センサーを覗き込んでいる。
 一人はまだ幼い少年の顔だった。
 もう一人は若い女。大きな瞳をした美しい顔。
 ミコだった。
 右手の感覚センサーにも触感がある。
 私は頭部を持ち上げ、右手の先を確認した。
 幼い少女が私の右手薬指と小指を、その小さな両手で握りしめていた。
 少女の顔を見た瞬間、私の各種センサーを搭載した顔面に張られていた擬似生体組織の張力が一瞬緩んだ。
 笑顔。そう、私は笑顔を作ったのだ。
 少女は私に笑顔を返す。本当に嬉しそうな表情だった。
 少女が握っている私の右手は、親指と人差し指の擬似生体組織が剥がれ、金属の骨格が露出していた。
 その剥がれた擬似生体組織が、恐るべきスピードで再生する。
 従来の私の再生能力をはるかに超えた、奇跡的な回復力だ。
 一瞬で正常な、人間とは見た目も全く同じ右手が再生した。
 「ゼロ…」
 私の顔を覗き込んでいたミコが、私の名を呼んだ後に絶句した。
 「うわ、おじさんすごいや! もう、もとどおりに治ってるよ。」
 少年が感嘆の声を上げた。
 私は上半身が裸になった上体を起こす。頭部に手をやると、顔半分剥がれた擬似生体組織も完全に回復していた。
 周囲を見回した。
 私の予測通り、そこはコンクリートで囲まれた狭い室内だった。
 ミコと少年と少女の他に、三人の男が私を興味深げに眺めている。
 三人の男の中心にいた、まだ少年と大人の中間に位置する年齢と思しき男が、静かな笑みを湛えて私の前に歩み寄って来た。
 「ZO-2600… いや、ゼロ。はじめまして。君を歓迎したい。僕はセイジと言う。君の仲間だ。」
 そのセイジと名乗った男は、私に右手を差し出した。
 私は彼の握手を無視した。
 「ここは、どこだ?」
 代わりに質問を浴びせる。
 「ここは僕たちの地下壕。治安警察にも知られていない、秘密のアジトさ。」
 彼は私が無視した握手を気にする風もなく、何食わぬ顔で答えた。
 私はこのセイジという青年の顔と、内部の骨格をスキャンした。
 ミコに似ている。あの、私が目覚めたジャングルの戦闘で死んだフジシバの顔と、細部での面影が残っていた。
 間違いなく彼らは同種の遺伝子の元で、連鎖して産まれている。
 「お前は、フジシバの直系子孫か?」
 私は聞いた。
 「うん。僕は偉大な科学者であり指導者であるフジシバの孫であり、このミコ姉さんの弟さ。」
 セイジが答えた。
 「なぜおれを助けた?」
 「君が必要だから。」
 セイジは私に両手を伸ばし、今にも抱きつかんとするようなゼスチュアで答えた。
 「お前たちの期待には応えられない。」
 私は言い放つ。
 「構わないよ。僕たちは君を友人として迎えたい。」
 友人…? 人間が使う、最も安易な形容だ。
 「ゼロ、君はロボットだ。でも、僕は君を支配下に置こうとは思っていない。指図はしない。君は、開発コードZO-2600、伝説の戦士、『ゼロ』さ。そ れでいい。僕たちは君が必要なんじゃなく、君の存在が必要なんだ。」
 セイジの言葉からは、その意図が読めなかった。
 人間とは、その対話によって様々な駆け引きを行う。
 常に利害関係が交錯し、常時自分が優位に立つ事を狙い、相手を利用する手段を講じている。
 だが、このセイジという青年からは、その意図が全く感知出来なかった。
 私は完治した右腕を伸ばす。
 右腕の肘から先だけを、部分的に限定して遮蔽装置を作動させた。
 右肘の先から指先までが、徐々に透明になり光学的に消滅した。
 遮蔽装置は正常。機能は完全に回復していた。
 周囲から、「おお!」と言う感嘆の声が沸き上がった。
 遮蔽装置を解除する。
 私は全身をサーチする。各種センサーや動力機構はオールグリーン。軍の攻撃で負傷した跡も綺麗に消え去り、表面を覆う擬似生体組織も完全に従来の設計通 りに戻っていた。
 「おじさん… なおってくれてよかった。」
 幼い少女が言った。
 私は身を起こし、寝かされていた台を後に立ち上がった。
 回復した私の受信システムは、この完全に閉鎖された地下壕の内部でも確実に周囲の電波を捕らえている。
 軍の交信を傍受した。それは、この地下壕の周囲を包囲する作戦内容だった。
 「お前たちの秘密のアジトは、既に秘密ではない。」
 私は言った。
 私の聴覚センサーは、幾多の上空に迫るローターの音や、地上を包囲した車両のタイヤが立てる僅かな音さえもをキャッチする。