線香花火

 
 「おい、和樹!早くしろよ!」
 啓太が玄関で怒鳴っている。
 和樹は二階の自分の部屋から出て、階段を降りる途中だった。
 「悪リィ、待たせたな。」
 「行こうぜ。」
 「うん。あれ、チャリは?」
 「歩こうぜ。いいだろ?時間あるしさ。」
 「いいか、それも。」
 原田和樹と三浦啓太は、中学二年生の夏休みの最中だった。
 今日は花火大会だ。
 昔から毎年行っているのだが、親と一緒に行かなくなってどの位になるだろうか?
 和樹は花火に別段興味は無かった。人混みも嫌いだった。
 毎年行くから行く。そんな流れで今年も行く。
 小さな町だ。何かのイベントの時は、必ず知った顔に出会う。
 こんな町で、果たして楽しみが見つけられるものか。和樹だけでなく、町の誰もが思う事だった。日曜日となればシャッターを降ろしてしまう商店街の軒並み。つまらないだけで刺激も見つけられない、そんな小さな自分の町を捨て、隣接する大きな街に精一杯の楽しみを求める人々。
 花火大会は他の街でも開催される。だけど、地元だから今日は行く。
 不思議な習性だった。白けたきったこの町も、今日ばかりはと活気を取り戻す。

 夜店で買ったかき氷のひんやりとした手触りが、紙コップを伝って手に浸みてくる。
 ふと、目線を移した和樹の目に飛び込んだ浴衣姿。
 「おい、あれ… 川下と土居じゃないか?」
 和樹を肘で小突きながら啓太が言った。
 判っていた。判っていたが…
 「そうかな?暗くて…」
 「お〜い!土居!川下ぁーっ!」
 突然叫んだ啓太に、和樹は度肝を抜かれた。
 「あれ〜っ?三浦じゃない。原田クンも…」
 手を振って近づいて来るのは、同じクラスの川下早紀だ。そして隣に、土居恵美がいる。
 和樹は恥ずかしさと照れくささで、目を伏せる以外に行動が見つからなかった。
 土居が近づいて来る…
 制服じゃなくて、淡いピンクの浴衣を着た土居恵美が…
 三浦啓太は川下早紀と仲がいい。物怖じしない啓太と活発な早紀は、クラスでも公認の『男友達』だった。
 反面、勉強が出来て大人しい土居恵美が、川下早紀と釣り合いのとれたコンビだったのかも知れない。
 「三浦っ!何してんのよっ、こんな所で。」
 川下早紀が突然、啓太に突っかかる。
 「こんな所はねーだろ!見りゃ判るだろ。」
 「はーん… 男同士でヤラシイね。」
 「お前なぁ…」
 いつもの啓太と早紀の会話だ。周りの人が振り返る程だ。
 「今晩は。」
 土居恵美が小さく言った。
 和樹は顔がかーっと赤くなるのを自覚した。周囲が暗かった事に、心なしか感謝をした。

 「今、何時?」
 恵美が和樹にそっと聞く。
 「あっ… えっと…」
 和樹は腕に巻いたデジタル時計のスイッチを押して、液晶のバックライトを光らせた。
 動作がぎこちないのが自分で判る。
 …何、ドギマギしてんだ?俺…
 人混みの闇の中で、デジタル時計のバックライトが幻想的に光る。
 「8時からだよね?」
 「うん。」
 …会話、会話… 見つからない…
 「原田君、毎年来るの?」
 「うん。」
 「そっかー。あたし、久しぶり…」
 沈黙がまた広がった。
 ほんの数秒間が、とてつもなく長い時間に感じる瞬間。
 俺の隣に土居がいる。学校じゃなくて、花火が始まる前の薄闇の中で、俺の隣に土居恵美がいる。
 胸の鼓動が高鳴って、意識すればする程エスカレートして来る。
 …落ち着けよ…
 和樹は自分に言い聞かせた。このままじゃ、心臓が口から飛び出しかねない。
 大きく深呼吸をした。その時、隣の恵美の髪の匂いが和樹の鼻をくすぐった。
 何故か落ち着けた。憧れが同じ場所に居て、こうして二人並んでいる。和樹にとって今の土居恵美は特別な存在ではなくて、学校以外の同じ場所で、花火が始まるのを待っている同じ存在なのだ。
 好きだった。
 いつも見ていた。
 何をするにも、土居恵美を意識していた。
 啓太に以前、想いを打ち明けた事があった。
 真剣な話題にはいつもおどけて茶化すあの啓太が、珍しく親身になって聞いてくれた。
 今となっては後悔している。この状況を、啓太はどう見ているのか?
 また心臓の鼓動が高鳴って来た時、後ろで啓太と早紀の声が上がった。
 「いいじゃない!ケチっ!」
 「ダメだっ、つってんだろ!」
 「あっ!三浦!あれ、何だろ?」
 「何? ……あ〜っ!」
 早紀が、啓太の手に持ったかき氷のカップを掴んで、ストローをくわえている。
 「だましたなっ!コラ、飲むなっ!」
 「ふう、ごっそさん。」
 「ああ〜ぁ… オレ、この溶けかかったの好きなのに…」
 「また溶けるの待ちゃいいわよ。」
 「お前なぁ…」
 和樹と恵美は振り返って、一部始終を見ていた。
 和樹の横で恵美がクスッと笑う。
 いつもの二人の悪ふざけ。
 …でも、あれって、間接キッスだよな…
 その時、スピーカ越しの案内が響き渡った。
 夜空に広がる光りの色彩と、少し遅れて腹に響く音。
 「わあ!」
 恵美が和樹の隣で歓声を上げる。顔と浴衣が花火の光に映し出された。
 その黒い瞳にも、小さな光の宴が広がっていた。
 
 
 空一杯に広がる光は様々な色を放ち、そして落下する。
 「今のもよかったね… キレイだった。」
 「うん…」
 和樹の返事は上の空だ。
 花火の光に映る恵美を見ていた和樹だった。
 …土居。お前のほうが、ずっと、ずっと…
 「あれ?」
 恵美は急に声を上げた。
 「どうした?」
 「サキは?」
 「え?あっ!啓太もいない。」
 「どこ行ったのかな?」
 「待ってようか。何か買いに行ったんだよ、きっと。」
 「うん。」
 最後の花火は『ナイアガラの滝』。アナウンスが流れる。

 「サキたち、帰ってこなかったね。」
 「どこ行ったんだろ?」
 恵美を送って歩く夜道だった。
 「あの二人、仲いいよね…」
 ふと、恵美が言った。
 「あいつら、デキてるのかな?」
 「見てたら、とっても楽しそうだもん。」
 「そうだね。」
 和樹の闇に慣れた目に、コンビニの明かりが飛び込んで来た。
 「あ、あのさ… ちょっといい?」
 「なあに?」
 「花火しない?」
 「花火?」
 「線香花火。そこの公園でさ。」
 「うん。いいわよ。」

 買ったライターで花火の先端に火を付ける。
 小さく燃え上がる火を落とさない様に、細い筋を静かに摘んで…
 小さく広がる光と、鼻をくすぐる火薬の匂い。
 淡く映える浴衣の柄と恵美の顔。
 …土居はどんな気持ちで、この小さな花火を見ているのだろう…
 …今、誰かと付き合っているのかな…
 …土居は俺の事、どう思っているのだろう…
 様々な思いが交錯する中、和樹は遂に決心を固めた。
 …今しかない。今を逃したら、俺は…
 「あのさ、土居…」
 「ん、なあに?」
 「俺… 俺さあ…」

 
 「上手くやってっかな?あいつら。」
 啓太は夜道を歩きながらつぶやいた。
 ふと立ち止まり、金魚の入ったビニール袋を目線まで上げた。
 「ここまでお膳立てしてやったのよ。何もなかったなんて承知しないよ。」
 早紀が隣から金魚を覗き込んで言う。
 「でもあいつ、奥手だからな。」
 啓太は金魚から早紀の顔に目線を移す。
 「メグだって一緒よ。だーいじょうぶ!あたしのシナリオは完璧さ。」
 「へい、へい… お前、夏休み入る前から計画練ってたもんな。わざわざ浴衣まで着て来てさ。」
 「似合う?」
 早紀は浴衣の袖を摘んでくるりと廻った。
 「へーっ!お前、女だったんだ。」
 「ブッ飛ばすぞ!この野郎。」
 再び歩き出した。小さな子供が二人、啓太と早紀の間を縫って走って通り過ぎて行く。
 「ねえ…」
 「ん?」
 「あたし達もくっついてみない?」
 「バカ言ってんなって。」
 「へーんだ!ウソだよーっ!」
 「ほら、送ってくぞ。早紀。」
 「うん!」

 

END