trainee report 4

 

宇宙怪獣ケルベロス・デルタ

前半戦

 

 冷たい夜空に星の瞬きが一層映える冬の夜。
 枯れたススキが生い茂る空き地に、きゅんきゅんという鳴き声が響いていた。
 それは小さな、一匹の仔犬。ころころとした茶色い毛の、柴犬と思しき小さな命は、はぐれてしまった母親を探していたのだろうか。
 見知らぬ土地での寂しさと無情に降りかかる寒さと空腹は、ただ仔犬に絶望を与えるばかり。
 死をもって最後の救いとするには、それが自然の摂理はいえとても残酷な現実かも知れない。
 だが、その時期は思いのほか早くやってきた。
 仔犬の前に立ちはだかった、数匹の野犬の影。
 彼らも同様に餓えていた。涎を垂らしている口からぐるるるとうなり声を上げ、人相
*の悪い顔を一層歪めて仔犬を見下ろしている。
 
(*注釈:この場合は犬相と言うべきか)
 仔犬を値踏みするように、数匹の野犬は仔犬の周りをぐるぐると回る。
 仔犬は彼らの攻撃衝動を察してか、蹲り小さな体を震わせていた。
 がうっと一匹が吠えたのを合図に、野犬の群が一斉に仔犬に飛びかかった。
 柔らかい仔犬の首に食い込む筈の牙が空を噛む。
 野犬の群はお互いの鼻っ面を衝突させて、何が起こったのか理解出来ないまま、一瞬前までそこにいた筈の仔犬を探してがちがちと牙を鳴らす。
 獲物がそこに居ない事に、彼らが気付くまで暫くの時間がかかった。
 集団で狩りをする動物特有のテンションが治まった頃、彼らは背後に先程の仔犬の姿を認めた。
 仔犬をじろりと睨みつけ、ゆっくりと近寄る。何故自分達の包囲から一瞬にして背後に移動したのかという疑問すら考えるに及ばず、餓えによる狩猟本能と、 弱肉強食社会の勝利への確信だけが彼らの思考の全てだった。
 先頭の一匹がダッシュした。
 一気に仔犬に迫り、哀れな仔犬に自慢の牙を突き立てる。筈だった…
 が、再び顎は空を噛む。
 その時、野犬は見た。仔犬を押さえつける筈の自分の前足を、逆に仔犬が噛み付いているのを。
 仔犬はぶんと首を振る。野犬の視界の中で、天と地がぐるんと反転した。
 驚く暇もなく、野犬の体は軽々と宙に舞っていた。
 後を追ってきた仲間の野犬の前で、どたりと地面に叩き付けられる。
 仔犬の何倍もの大きさの体がどうやって投げ飛ばされたのか?よろよろと立ち上がった野犬は、その物理法則をまるで無視した事実に、ただ目を白黒させてい るばかりだった。
 「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜ん!」
 突然仔犬が遠吠えを発した。
 冷たい夜気がびりびりと振動し、空き地の隣の家屋からばりばりとガラスの割れる音が響いて来る。
 野犬達はその全身の骨が砕けそうな遠吠えに足がすくみ、この世に生を受けてから初めての得体の知れない恐怖を味わっていた。
 彼らの知能程度は知れたものだが、経験による学習能力の中で、今が自分の生命にとって最も危険な状況である事は判断出来た。
 獲物だと思っていた相手は、これまでに出会った事の無い、自分達とは全く次元の違う生物だったのだ。
 こんな状況下では、取るべき手段は一つしかない。
 野犬の群は、自分の生命を守る為の最後の選択肢を選ぶ事に意見が一致した、その時だった。
 こちらを向いた仔犬の口がかっと開かれ、青く眩い閃光が迸る。
 どんという衝撃と土埃が辺りを舐め尽くし、野犬達の前に直径数メートルに及ぶ大穴が出現していた。
 飛び散った石の一部はアメの様に溶けている。
 それは、仔犬の口から発射された熱線の凄まじい破壊力を物語っていた。直撃を喰らえば、彼ら野犬は血痕すら残さずに跡形もなく蒸発していただろう。
 居ても立ってもいられず、野犬の群は尻尾をぴったりと尻に付け、きゃんきゃんと情けない声を上げて這々の体で逃げ出す。
 静寂が戻った冬の空き地。
 再び独りぼっちになった仔犬は、鼻を鳴らしてとぼとぼと歩き始めた。
 
 「ちきゅーがちきゅーがだいピンチ〜ぃ♪ちきゅーをちきゅーをまもるのだぁ〜♪」
 「ねえ、みずほおねーちゃん。」
 夕方、橋本家の台所では、いつものように夕飯の支度をするみずほの歌声が響き渡っていた。
 「ふぁいょぁ〜!ふぁいょぁ〜!ふぁいやぁスティックてにもってぇ〜♪」
 「みずほおねーちゃんったら!」
 みずほはニンジンをマイク代わりに持ち、既に熱唱モードに入っている。背後から声をかけても聞こえる訳が無い。
 「きゅん!」
 背後の聞き慣れない鳴き声に反応し、はたとみずほは振り返る。
 「あ、優くん帰ってたの? ……どうしたの、その子?」
 「もう、さっきから呼んでたのに、しらんぷりなんだからぁ。」
 優太の腕に一匹の仔犬が抱かれていた。
 柴犬と思しき茶色い毛をふさふささせて、へっへっへっと嬉しそうに舌を出し、無垢な黒い瞳は真っ直ぐにみずほを見ていた。
 「か…… かわいいっ!」
 みずほは優太から仔犬を引ったくると、エプロンの胸に抱き抱える。
 みずほの胸の中で小さな生命は、くんくんと鼻を鳴らしみずほの顎を舌で舐め回す。
 「ははは!くすぐったいよぉ!」
 「せっかくおみやげ持って帰ったのに。どう、かわいいでしょ?がっこの帰り道で拾ったんだ。」
 「あ、男の子だ。拾ったって、捨て犬なの?」
 みずほは両手で仔犬を高く掲げ、小さな生殖器の存在を確認する。
 「わかんない。空き地で寂しそうにしてたんだ。」
 「お腹空いてんじゃない?」
 みずほは冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、使用済みのスーパーのトレイに注いでやる。
 床に降ろされた仔犬はトレイの牛乳を無心に飲み始めた。
 「あ、飲んでる飲んでる。チーズケーキ食べるかな?」
 優太はテーブルの上の皿に載っていたチーズケーキを、仔犬の前に差し出す。
 「それは優くんのおやつでしょ?」
 「いいのいいの、パトラッシュのためだもん。」
 「パトラッシュって… この子の名前?」
 「うん。ぼくが帰り道で考えたんだ。なつかしのアニメなんとかでやっててさ。
*
 
(*注釈:確かに救いようのない名作なんだけどね。だけどさ、あ の最終回もいい加減見飽きたような気がしないかい?)
 「パトラッシュねぇ…」
 みずほは優太のネーミングセンスに呆れて二の句が継げないが、それでも天体の星と同様で第一発見者の意見が最優先である。
 その名とはほど遠い悲壮感の欠片もない天真爛漫な仔犬は、はふはふとチーズケーキにがっついていた。
 「お腹空いてたんだね、パトラッシュ。」
 優太は仔犬の背中をそっと撫でる。
 仔犬は嬉しそうに尻尾を振った。
 …あれ? このしっぽ…
 みずほはパトラッシュと名付けられた仔犬の尻尾を見つめる。
 通常の柴犬の仔犬に比べ、大きくて一層毛がふさふさとしていた。
 背中の部分も確かに柴犬に似た茶色い毛なのだが、よく見ると海棲生物の鱗のようなパターンが見える。
 瞬く間にチーズケーキを平らげ満足そうな仔犬を、みずほはそっと抱き抱えた。
 正面からよく見ると、耳朶の形成する弧に段が見られ、燃え盛る炎のような形をしている。
 …まさか。でもあの種族は、銀河連邦危険生物保護機構が厳重に管理している筈…
 仔犬は満腹の上に安心の為か、みずほの胸の中ですやすやと寝息を立て始めた。
 …分析して見ないと確定出来ないけど…
 みずほはもし本当なら驚愕すべき、この惑星の生態系が根底から破壊されかねない、いや、この惑星の存続をも左右する程の恐るべき事実に頭を巡らせ、胸の 中の小さな生命のぬくもりを抱きしめた。
*
 
(*注釈:こう見えてもみずほは、銀河連邦科学局の環境生物学者 の認定試験をクリアしているのである。決して只の変身ヒーロー大好き美少女アルバイト家政婦ではない)
 
 「うわぁぁぁぁん!いやだよぉ〜っ!」
 「こら優太、言うことを聞け。」
 橋本家に優太の泣きじゃくる声が響き渡る。
 必死になだめすかしているのは、大学生の兄陽一だった。
 「いやだよぉ!パトラッシュがかわいそうじゃないかぁ!おにーちゃんのひとでなしぃ!」
 「優太…ひとでなしなんて言葉、どこで覚えたんだ… とにかく、母さんの体に良くないから、家は動物を飼えないんだよ。」
 「捨てたらパトラッシュが死んじゃうよぉ!絶対にぼくが世話するから!外で飼えばいいでしょ?!」
*
 
(*注釈:きっと誰にでも経験があると思うが、子供のこういった 口約束は最初から信用しないほうが賢明である)
 みずほは優太の側で、パトラッシュと名付けられ、安らかな寝息を立てている仔犬を胸に抱き、兄弟のやりとりを黙って聞いていた。
 他人の家の事に口が出せる立場ではないし、ましてや優太の母紀子は難病を患っている事を知っているだけに、みずほにとっても辛い場面であった。
 「だめと言ったらだめなんだよ。そいつは保健所に連れてゆこう。」
 「ダメだよ!ほけんじょに連れて行ったら、あんらくしでしょ!そんなんヤダっ!」
 安楽死。毒殺、ガス室…
 みずほの胸の中では、幸せそうな仔犬の寝顔。
 みずほの頭にかっと血が上る。
 冗談じゃない!こんな小さくて柔らかくて暖かい命を!
 ふと冷静さを取り戻した時、みずほの脳裏にもう一つの恐怖が湧き上がって来る。
 もしもこの子が、あの伝説の超獣ならば…
 毒であろうがガスであろうが… いや、遊星爆弾の直撃でさえこの生命を奪うどころか… そう、逆上させてしまった時こそ、この惑星の軍事兵器では到底太 刀打ちならない程の未曾有の大破壊が…
 みずほの背筋に冷たいものが走る。
 そんなことは絶対にさせてはならない!
 突然、みずほの胸から優太は寝ていた仔犬を引ったくる。
 「もう!おにーちゃんのばか!わからずや!あんぽんたん!あほんだら!すけこまし!」
 「ちょ、ちょっと優くん!」
 奪った仔犬を抱き抱え玄関に飛び出した優太を追おうとして、みずほはふと立ち止まる。
 突然の事態に目を覚ました仔犬のきょとんとした目が、みずほの目に焼き付いて離れない。
 「すけこましは関係ないだろ… それにしても酷い言われようだったなぁ。」
 陽一は額に手を当て首を振る。
 みずほは陽一の辛さも分かるだけに、うつむいて無言のまま陽一の側に立つ。
 みずほの中で一つの決心が固まった。
 「陽一さん、この事は私に任せて。」
 みずほは顔を輝かせ、この長身の美青年の顔を覗き込む。
 「え?」
 驚いた陽一の顔を間近で見てしまい、みずほは照れくささを感じて顔を赤らめ目線をそらす。
 
 優太は河川敷の広場にしゃがみ込み、仔犬の背中を撫でていた。
 迫り来る夕日は、再びあの寒くて過酷な夜が来るのを知らせている。
 「ごめんね、パトラッシュ。せっかく友達になれると思ってたんだけど…」
 優太は涙にむせて次の言葉が出なかった。
 優太のなけなしの小遣いで買ったチーズケーキを無心に頬張る仔犬は、この自称友人の心情を察しているとは到底考えられない。
 優太の小さな手が仔犬の背中を撫でるたび、仔犬は尻尾を振って応えていた。
*
 
(*注釈:これもきっと誰もが経験した筈の『家では飼えないから 返してきなさい事件』の顛末であるが、別れる瞬間は本当に辛いものである。少なくとも著者は、無責任な愛玩動物放置の撲滅を心から望んでいる)
 仔犬を撫でる優太の手の甲に、ぽたりと一滴の涙が落ちた。
 「優くん。」
 突然背後からかけられた声に、優太はどきりとして振り向く。
 「あ、みずほおねーちゃん…」
 優太の視界にみずほのシルエットが、夕日の逆光の中にそびえ立っていた。
 「ほらぁ、男の子が泣くなんてだらしないぞぉ。」
 みずほは腰を曲げ、長い髪を肩からさらりと垂らして優太と仔犬を覗き込む。
 チーズケーキを食べ終えた仔犬は、へっへっへっと嬉しそうにみずほに駆け寄る。
 「あはは!パトラッシュ、相変わらず元気だね。」
 みずほはジーンズの足下にじゃれつく仔犬を見て言う。
 「うわぁぁぁん!ぼく、どうしたらいいかわからないよぉ!」
 みずほの顔を見たとたん、堪えていた悲しみがどっと吹き上げて来て、優太は大泣きを始めた。
 「じゃん!この紋所が目に入らぬか!」
 みずほは今まで背中に隠していたものを、優太の前に突き出す。
 「え?」
 優太は涙に濡れた顔に困惑の表情を加える。
 「かーんたんな事よ。さ、パトラッシュと散歩に行きましょう。」
 みずほは手に持った首輪を仔犬の首に巻き付け、ロープのフックを固定する。
 「みずほおねーちゃん…」
 優太はいまだ、何がなんだか分からないでいる。
 「パトラッシュはおねーちゃんが預かるから。それだったらいいでしょ?」
 「うん!」
 優太は上着の袖でごしごしと涙を拭いた。
 早速公園の広場を駈けだした、仔犬とみずほの後を走って追う。
 元気に走る仔犬と、それに負けずと走るみずほの背中に揺れる長い髪を追って、優太は心の中で叫んだ。
 
 …だから、僕はみずほおねーちゃんが大好きさ!…

 
 

To be continued …