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思い出のかけら
日曜日、夕方のスーパーのレジは長蛇の列だった。
憲治は買い物かごをレジの台に置く。長い時間かごを下げていた為、指が痛む。五歳になる娘を先にやり、店員に手の持った小さな菓子にテープを貼ってもらった。
「待ってろよ。」娘に言うと、POSシステムを通過する買い物を眺めていた。
「4562円になります。」店員の事務的な声。
憲治は持ち慣れない大きな財布から、5000円札をキャッシュトレイに置く。62円ぐらいは小銭入れにあったと思うが、出すのが面倒だった。小銭をこまめに出さないのはよく女房に注意されていたが、相変わらず直らない癖だ。
かごから袋に買い物を詰めて行く。牛乳パックを先に、徐々に軽いものへと移行してゆくのは手慣れた作業だ。
最後に、帰ってビールのつまみにしようとした、サキイカの袋を移した時だった。
「新城、さん?」
女の声に目を上げる。
「やっぱり、新城君だ。私よ、分かる?」
目の前に男の子を連れた、小柄な女が微笑んでいた。
誰だったかな?見覚えがある。憲治は記憶の中を必死に検索する。
「フフ…思い出せない?大谷よ。大谷信子。」
憲治の記憶のファイルにある顔写真と一致した。
「あっ!大谷サン。」
少しヤセたかな。でも、紛れもない大谷先輩だった。
「お久しぶり。元気?」
「ええ、何とか…」
子連れで、しかも買い物途中のスーパーで逢いたくなかった。カッコ悪いところで出くわしたものだ。
「ホント、久しぶりね。子供さん?こんにちは、幾つ?」
娘は右手の指を全部開いて見せた。
「ふーん。五歳?お父さんに似てるわね。あっ、これうちの子、四歳よ。こんにちは、は?」
「こんにちは。」
親に強引に仕込まれた、挨拶を渋々する男の子の顔を憲治は覗き込んだ。父親の顔を、面影だけでも探ろうとしていたのだ。
「ご家族で買い物?お母さんは?」
大人は言い出しにくい事は、なぜか子供に聞くものだ。
「家内は風邪で、熱出してダウンっスよ。」
「あはは… 懐かしいな、その喋り。昔のままね。」
「大谷サンも変わってないよ。」
「本当?嬉しいな。」
「時間いいッスか?立ち話もナンだし。」
「いいわよ。」
スーパーに出店した、ファーストフードショップはがら空きだった。
子供達は、子供向けのハンバーガーセットをパク付いている。
高校時代の思い出話は尽きなかった。
信子の顔を思い出したとたん、当時の記憶が鮮明に甦っていた。
「新城君たち、インターハイ行ったんだよね。」
「見事に負けて帰ってきたけどね。」
「でも、スゴかったじゃない。私ら全然駄目で…」
「そんなことないよ。大谷サン、俺らの憧れだったんだから。」
「そんないい成績残してないよ、私。」
“俺らの憧れ”は意味が違っていた。
「でも嬉しいな、こんな所で新城君と会えるなんて。私、実家に帰ってるの。ね、ね、みんな集まらないかな?ぱーっと飲みに行かない?」
「いいっスね。OB会か。」
返事はしたものの、憲治は信子の言葉が気になる。
実家に帰ってる?盆でも正月でもないのに。
その日は別れた。お互いの携帯電話の番号を教え合ったのが発端だった。
約束の日には、誰も集まらなかった。当然の事だが、帰省している同級生はいない。結婚してから、昔の友人とも疎遠になっている。
「ごめん。誰もいなかった。」
「いいよ。二人で行きましょ。」
携帯電話が信子の声を喋った。
残念そうな声を作った自分がいた。
同級生や先輩をダシにしての話が弾んだ帰り道。
「寝たかしら、あの子。」
信子は思いだした様につぶやく。酔ってはいても母親だった。
「誰が見てるの?」
憲治の核心に迫る質問だった。
「両親が見てるわ… 私バツイチなの、カッコイイだろ?」
「カッコイイって…」
憲治の推測は当たっていた。
「ねえ、腕組んでいい?」
「いいけど…」
こう暗いと、誰にも目撃されないだろう。酔っていたと、言ってしまえばそれまでだ。
「好きだったよ、新城クン。」
信子の言葉にぎょっとなって、立ち止まった。
信子の顔を見つめる。
“俺も…”
憲治は、言葉が喉を出なかった。
重ね合わせた体が動くたびに、信子は吐息を漏らしていた。
信子を占有した事に、憲治は悦びを感じていた。
「新城クン、何でも一生懸命だったものね。バレンタインのチョコ、気付いてくれなかったんだ…」
「義理チョコだと思ってたよ。」
「手作りの義理チョコなんて渡さないわよ。」
「俺ンだけ豪華だなって思ってた。」
「ドンカン…」
「OB会と称して、俺何してんだろ?」
「二人っきりのOB会でしょ?」
「そうだね。」
ゆるくパーマをかけた信子の髪を弄ぶ。
思い出したように唇を重ねた。
散り散りになった思い出のかけらを拾い集めて、少年の頃心に描いていた願望を組み立ててゆく。具現化された願望は果たして、いま目の前の現実だろうか?
少し違っていた。
時間の経過が形を変えているのだ。
放課後のグラウンドで、汗を流していたあの頃には戻れなかった。
ホテルのドアを閉じた時、信子は背中からそっとつぶやく。
「やっぱ、良くないね。こういうのって。」
憲治は黙っていた。肯定する勇気が無かった。否定する勇気も無かった。
仕事の忙しさに追われている時は良かったが、ふと気が付くと信子の事を考えていた。別々の時間を経て再会した先輩は、憲治の腕の中に飛び込んできた。同級生達に言いふらしてやりたいが、それは出来ない。憲治には守るべき家族がいた、自由は無かった。
「これっきりにしよう。」
言えない。腕の中の信子の記憶が甦る。肌の感触が鮮明に残っている。
「もう一度合いたい。」
合ってどうする?全てを壊してまで、関係を続けるつもりか?
憲治は、携帯電話のディスプレイに信子の名前と番号を表示させ、食い入る様に見つめていた。
名前を見ているだけで切ない気持ちになれるのは、果たして何年ぶりだろうか?
逢いたい… 逢うわけにはいかない…
突然、憲治の携帯電話が、着信音をけたたましく吐き出した。
信子からだった。
END
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