鉛の空

 僕は自転車を思いっきり漕いだ。
 冷たい風が川面を渡って、僕の頬を直撃する。
 今日の鉛色の空は、一層寒さを増していた。
 僕の背中に寄り添うようにして、荷台に座っている宏美の体温が伝わってくる。
 僕は自転車のスピードをゆるめた。
 「なあ…」
 「ん?」
 「孝史のやつ、あれから何か言ってない?」
 「ううん、何にも…」
 ベースの孝史とは、一週間前にケンカした。
 それっきり口も聞いてない。
 「あんなに仲良かったじゃない?」
 「あいつが悪いんだよ。」
 いつもの通学路。いつもの川沿いの道。
 帰り道は日が陰るのが早い。

 「今年の文化祭、良かったね。」
 宏美は話題を変えた。
 「練習した甲斐があったよ。」
 「だぁれ?途中で2回もトチったの?」
 「俺の事?俺なら3回だよ。」
 高校最後の文化祭は、みんな張り切っていたのを思い出す。
 宏美はステージ裏から、ずっと僕たちのこと見守っていてくれたっけ。

 宏美と僕は、もう進路は決まっていた。
 来年の春には、僕は一人遠く離れた町で暮らし大学に通う。
 宏美は地元で、OL生活が始まる。
 『離れた距離だけ、心も離れる。』って宏美は言ってた。
 なんかの歌詞のコピーだよ、それって。
 でも、本当かもな…
 宏美とは一年の時からの付き合いだ。
 出会った頃は楽しかった。
 初めてキスした夜のこと、今でも覚えている。
 どうしてこんなに話が合うんだろうと、お互い思ってた。
 合わせていただけだったんだ。お互いが。
 最初に見えなかったものが、だんだん見えてきて…
 別れ話を何度したかな?
 子供堕した時は、宏美の父さんにブン殴られたっけ…
 宏美の家には、もう行けなくなってしまった。
 ケンカする度に、僕は宏美を責め続けた。当たり散らすように。
 宏美を泣かした数だけ、一つずつ僕の背中に何かがのしかかって…
 僕たちは苦しむために出会ったのかな?

 僕の頭に孝史の顔が浮かんだ。
 「孝史のやつさぁ、おっかしいんだ。」
 「どうしたの?」
 「去年のクリスマスに、発泡酒イッキ飲みして死にかけたんだぜ。」
 「面白いね、島田君って。」
 「謝ろうかな…」
 「それがいいって。こっちが大人になろうよ。」
 大人になるってどういう事なのかな?

 意地を捨てるって事?
 自分が引くって事?
 大事なものを捨てていく事?
 僕にとって大事なものは…

 僕の頬に、不意に冷たいものが当たって消えた。
 雪?
 「今年のイブ、一緒にいようよ。」
 宏美は僕の背中に、頬を押しつけて喋っていた。直接背中に声が響く。
 「うん…」
 「私ン家で。」
 「え?」
 「お父さんに言ったら、歓迎だって。」
 「本当?」
 「私、お母さんとケーキ作るのよ。」
 「いいの?」
 「また弾いてみせてよ。お父さん、『パイプライン』が聴きたいってさ。」
 「お母さんは、『スモーク・オン・ザ・ウオーター』だろ?」
 「あたり!」
 新しいアンプ買おうと思って、バイト代貯めてたけど… やめた。
 宏美に何か買ってやろう。
 「来年のイブもよ。」
 「来年?」
 「そう。来年。その次の年も、その次も… ずっと、ずっと。」
 「ずっとだね。」
 「うん。」
 「待っててくれる?」
 「うん!」
 大事なものを守る事だって、大人になる事じゃない?

 僕たちは、苦しむためだけに出会ったんじゃないよ。きっと…

 鉛色の空が白く染まった。
 「雪!雪だよ!」
 宏美が後ろではしゃいでいる。
 僕は自転車を思いっきり漕いだ。
 冷たい雪が、僕の頬に優しく当たっていた。

 

END