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籠の鳥 2
祐子は大きくため息を付いた。
瓦礫が散乱する地面に、二人分の陰が伸びている。
崩れかけた塀に、血で大きく描かれた紋章。
紋章の下に少女が横たわっていた。全裸で仰向けにされ、喉の辺りが赤くぱっくりと口を開いていた。開かれた目に恐怖を張り付かせ、上半身は自らの血で赤黒く染まっていた。既に息は無かった。
「目には目を、か…」
祐子は呟いた。自分で声が潰れているのが分かる。
祐子の隣に立つ長い髪の少女は、白いコートのポケットに手を突っ込み、塀に描かれた紋章を凝視していた。
「“ネビロス”。動き出したわね。」
長い髪の少女は、怒りとも確信とも言える声を発した。前髪の隙間から見える目は、復讐への決意とも、状況を楽しんでいるとも取れる鋭い眼光を発していた。
祐子は少女の横に跪き、屍と化した少女の瞳をそっと閉じてやった。
「私たちのエリアに、奴らの工作部隊が入り込んでいるって事?理沙。」
「そうね。小競り合いは止めにしたいのに…」
祐子はゆっくり立ち上がった。後ろにいた数人の仲間に目で合図をする。
担架に乗せられ、毛布を掛けられる死体を眺めている理沙に祐子は詰め寄った。
「いつまで続くの、こんな事。早く決着を付けれないの?」
「こっちから動く訳にはいかないの。解ってちょうだい…」
「やられたらやり返す。また、やられたらやり返す。空しいイタチごっこをいつまで続けるの?堂々巡りの先に一体何が在るの?」
「私たちの勝利よ。」
「理沙。あなた一体何が欲しいの?何を望んで…」
「この街の全て。祐子、私はこの街を手に入れたいの。そして、この街の秩序を壊してやりたいの。」
「秩序?そんなものが…」
「あなたもいずれ気が付くわ。」
祐子は理沙の企みの真意が解らなかった。
「これからどうする?」
「そうね。取りあえず…」
理沙はきびすを返す。コートの裾が翻った。長い髪も風に吹かれて踊る。
「奴らの工作班を血祭りに挙げる… 生きて返さない。」
祐子は一人の男を尾行していた。
壊されたバーだった建物に入ってゆくのを、物陰から見送る。祐子たちは情報で、この男をマークしていた。髪を金髪に染め、鼻に大きなピアスをした男は目立ちすぎ、追跡は容易だった。
祐子は考えた。“本部”に知らせるか。だが、ここでは情報を伝達する術が無い。もう一人連れてくるべきだった。
移動されては面倒だ。単身乗り込む決意を固めると、建物の裏手に回り込んだ。
裏の勝手口のドアノブをそっと回す。開いた。
中を伺うと、果たして尾行していた男の背中が見えた。
バーのカウンターの裏で、棚に並んだ瓶から残ったウイスキーを漁っている。
祐子は足音を忍ばせ、男の背後に迫るとヌンチャクを男の首に廻した。
「声を立てないで。」
男は隠った呻きを発した。ヌンチャクの鎖が男の喉を締め付ける。
「ここはアジトなの?」
祐子は少しばかり締め付けたヌンチャクを緩めた。
「そ…そうだ。」
「残りはどこ?」
男はカウンターの奥の扉を指さした。
「何人?」
「3人だ。」
その時、男の指さした扉が開いた。スキンヘッドの巨漢が窮屈そうに出てくる。
祐子たちの姿を見て目を丸くした。コレステロールの固まりの様な顔が、妙にユーモラスだった。
祐子は舌打ちをした。首を締め付けた男に耳打ちをする。
「あなたお喋りね。長生き出来ないわ。」
一度ヌンチャクを緩めると、反動をつけて一気に締め付けた。
頸椎の折れる音がして、男は祐子の前を崩れ落ちた。
祐子は後じさり、十分な間合いをとった。広い場所へと移動する。
スキンヘッドのデブは、ニヤニヤ笑いながら近寄ってきた。余程の自信があるのか、それとも只の馬鹿か。嬉しそうに両手を広げて迫って来ていた。
並大抵のダメージでは倒れそうにない。
祐子はヌンチャクをベルトに差し、脇のホルスターから拳銃を抜いた。
頭部に狙いを定めてトリガーを引く。ダブルアクションで弾倉が右に回転し、起きあがったハンマーはファイアリングピンを叩く。
室内に隠った轟音が響き、デブの額に穴が開いた。後頭部から血と脳奬を飛び散らせ、仰向けに倒れていった。
祐子は床に広がったデブを飛び越し、開いた扉の陰に張り付いた。
部屋の中に動きは無い。飛び込んで床に這いつくばる。銃を構えて部屋の様子を確認した。
倉庫となっていた部屋は薄暗く、段ボールの箱が無造作に積まれていた。
素早く立ち上がり背を壁に付け、物陰を伺おうとした時だった。
「待っていたぜ。“フルレティ”の祐子だな?」
物陰から声が響いた。罠だ。既に面がバレている。敵の情報網は侮れなかった。いや、尾行されていたのは自分だったのか?
段ボールの陰から出てきた二人の男は、脇にサブマシンガンを構えていた。
中東の某国で天才の手による設計の、世界基準となったサブマシンガンだ。性能、耐久性、信頼性ともにトップクラスで、シンプルな構造は分解組立も素早く出来る。大きさ、長さともに様々なヴァリエーションが存在するが、これは“ミニ”と呼ばれるタイプだ。さらに小さなものは“マイクロ”と呼ばれる。9ミリパラベラム弾を詰め込んだマガジンは、さらにもう一本逆向きにテープで縛られていた。
スキの無い構えは、余程の手練れだ。
祐子は自分の拳銃を構えるが、二人分のサブマシンガンが相手では勝ち目は無いと悟った。
そっと拳銃を地面に置いて、両手を上げる。
「いい心がけだ。脱げ、全部だ。」
祐子は最後の一枚に指をかけ、腰からずらした。
見事な裸体が露わになる。コンクリートの背景に白い肌が際だっていた。
「物分かりもいいが、体も顔もいいね。ゆっくりこっちに歩け。」
随所に隠した武器は、服と同時に離れてゆく。文字通りの丸腰だ。
これが奴らの手口か。殺された仲間もこうして廻されたのだろう。レイプは何度か経験したが、今回は明らかな殺意の元だ。祐子はこの状況下で冷静だった。哀れな被害者を演じ、最後のチャンスに賭ける。
執拗な愛撫だった。うんざりする程の長い時間。
手足は縛られずにいたのが幸いしたが、一人は後ろで銃を構えている。こいつが終わったら、バトンタッチするつもりだろうか。これでは反撃の余地が無い。
「畜生…」祐子は唇を噛んだ。
男が祐子に入ってくる瞬間、銃声が響いた。
男の肩越しに、銃を構えたもう一人の男が、耳のあたりから血を噴出させ倒れるのが見えた。妙にスローに感じるシーンだった。
からみついた男が振り返るより早く、祐子は男の頭を両手で掴んだ。親指の先を両目に当ててそのまま押し込んでゆく。
祐子の親指は男の眼球を潰し、爪は眼窩の奥にある脳に損傷を与えた。
男は一度痙攣したきり、抵抗する術もなく即死した。
敵か味方か。
祐子は、男の死体を抱えて様子を伺う。死体を弾よけに使うつもりだ。這って部屋の隅に移動し始めた時に、聞き覚えのある声が響いた。
「大丈夫。僕だよ。」
「誰?」
「通りすがりの、しがない吟遊詩人さ。」
部屋に入ってきた陰は、あのミュージシャンの少年だった。
「あなた…」
「服を着て。早くズラかろう。」
「最近の吟遊詩人は、拳銃もぶっ放すの?」
「時と場合さ。今は正義のナイトだよ。生憎、白馬は風邪気味で…」
「白タイツじゃないわよ。」
「これは、世を忍ぶ仮の姿。」
「助かったわ、ありがとう。」
「どういたしまして。」
祐子はトタンの隙間から外の様子を覗く。少年の住まいは、小さなビルの屋上に組み立てられていた。
「最近、雨漏りがひどいんだ。でも水はたっぷりあるよ。存分に使って。」
「使わせてもらうわ。気持ち悪くて。」
祐子は少年の目の前で惜しげもなく服を脱ぎ、体を拭き始めた。
「ねえ…」
背中を向けたまま、祐子は少年に話しかけた。
「ん?」
「どうして、私があそこに居るって分かったの?」
「たまたま、通りかかっただけ。」
「嘘。」
「バレてるよな… 君を見たんで追っかけたのさ。で、中で銃声がして。待ってたんだけど…」
「踏み込んだのね。危ないわよ。」
「君こそ危なかったじゃないか。」
「そうね。さんざ玩ばれて殺されるとこだった。」
「どうしてそんな事してるの?」
「さあ。たぶん… 私の役目だから。」
「何の為に?」
「理沙が言っていた。秩序を壊す為。私は… 私である為。」
「君たちも、もう“卒業”だね。」
「…? どういう事。」
「……」
「どうしたの?」
少年の沈黙に祐子は振り向いた。少年の涼やかな瞳に吸い込まれそうだった。
「いや… 綺麗だなって思って。」
「馬鹿。」
祐子は少年に歩み寄った。少年の首に腕を廻した。
「今度は私がお礼をする番?」
「いいの?」
「あなた、なんだか懐かしいの。“好き”っていうのかな。」
「僕も… たぶんそうかも知れない。」
薄暗いトタン張りの部屋は、隙間から幾条にも光が射し込み、二人の肌を照らしていた。
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