雨上がり

 
 朝から雨だった。うっとおしい梅雨に入った証拠だ。
 日曜日。僕は9時に目を覚ました。
 約束は11時。彼女を家に迎えに行く。
 さて、何を着て行こうか。
 こうして3年間、彼女と知り合ってから、週末にはデートの約束をして合っている。あっという間の3年間だった。楽しいことも辛いこともあった。彼女の我が儘に泣かされたこともある。僕も彼女をひどく傷つけたこともあった。
 ただ、こうして毎日仕事を片づけて、週末のプランを練って。何か義務的に二人の時間を作って。毎日が規則正しいプログラムの上。
 着ていくものより、今日は何処へ行こうか考えてなかった。もう、思い浮かばない。知ってる所は行き尽くしたんだ。
 「何処でもいいよ。」って言う彼女の言葉が一番困る。
 とにかく、約束は約束。もう、時間が無い。
 僕はジーンズを履いて、縞のシャツを着て、白いスニーカーで表に出た。
 以前まではいいカッコ見せようとして、いろんなファッションに挑戦してみた。でも、やっぱりこれがいい。僕的には一番のスタイル。今更飾り立てても、ってのもあった。

 家のガレージに、愛車の黒いボディーが待っている。やっとローンが終わったレビンだ。彼女と知り合うまでは、友達と無茶なことをしてた。生きてるのが不思議なくらいにね。あのCRXは廃車になったけど、僕はこうして無傷でいる。人間、その時が来なけりゃ死ねないんだね、きっと。
 セルを回す。快調にエンジンが廻り始める。タコメーターがエンジンの鼓動を伝えた。充分にアイドリングさせてから、僕はレビンをガレージから出した。
 もう、前の様な無茶はしない。人にも、車にも、地球にも優しく安全運転さ。怖くなった?それもあるかもしれない。でも一番は、自分の中で価値観が少しずつ変わってきてるような、それが理由なのかな。

 彼女の家に向かう車の中、僕はどう切り出そうか考えていた。もう、彼女とは別れるつもりだった。
 疲れた。単調な毎日に。
 大した理由でもないけど、何かを変えてみたかった。
 自由が欲しかった。

 彼女は家の前で待っていた。始めて見る白いシャツを着ている。
 後はブルージーンズに白いスニーカー、僕とお揃いだ。事前に打ち合わせた訳ではないけど。
 彼女はサイドシートに乗り込む。無機質でわざとらしい車の香水の匂いは、既に僕の鼻は麻痺して感じなくなっているが、ふっと異質な香りが混じってくる。衣服に付いた洗剤の匂いかな。彼女の香りだった。
 僕は車をスタートさせた。二人とも無言。
 デートの内、五回に一度は来るお決まりの店。僕はいつものパスタを頼んだ。彼女もいつものやつ。
 やっと、二人は会話を始めた。会社の事、嫌な上司の事、家族のおかしな話。
 楽しそうに話す彼女を見ていると、別れ話は切り出せない。

 食事が終わってぶらぶらと、ドライブがてら車を走らす。郊外のよく知っている道だ。ここは以前まで、夜通し友達とブッ飛ばした道。ここのコーナーは得意だったな、なんて回想が浮かぶ。
 しばらく走ると、ラブホテルが林立してくる。日曜日は決まって、どこも満室だ。
 やっと空いてるとこを見つけて、僕はハンドルを切った。

 窓の外は雨。
 服を脱ぐ彼女の背中を、僕は見ていた。
 週末には、いつもの様にこうして合って、食事をして、求め合って。
 もう、惰性の中で生きるのはうんざりだった。
 ただ、僕は彼女の想いを確かめるように、白い肌に溺れていた。
 もう、これで最後にしよう。
 僕は彼女を、壊れる程強く抱きしめた。
 彼女の吐息が首筋に伝わって来る。

 ホテルを出た時、雨は上がっていた。これからどこへ行こう。
 あの海岸は、ここから遠くない。
 始めてデートした海岸だ。
 そこで僕は、彼女に別れを告げようと決めた。
 周囲の建物とかは、結構変わっていた。3年は短いようで長いと思った。
 海開きはしてたけど、ここは海水浴場ではない。結構、岩が多くて泳ぐには適さない場所らしい。
 僕は車を降りて、胸一杯に潮風を吸い込んだ。
 彼女は開けたドアに肘をかけ、眩しそうに海を見ていた。風にそよぐ髪が、僕の目につらかった。
 狭い砂浜に沢山の岩、あちこちにゴミが落ちている。
 二人で砂浜を歩いた。雨上がりの湿った砂の上。
 「ここって、最初に来た所ね。」
 「うん。覚えてた?」
 「懐かしい…」
 僕もあの時の感情が甦った。あの、出会った頃を、全てが輝いて見えた頃を。
 言い出すんだ。大事な事を…
 「あのさ…」
 「何?」
 「そのシャツいいね。似合ってるよ。」
 何言ってんだ。俺。
 「ありがとう。昨日買ったの。」
 屈託のない、彼女の可愛い笑顔。僕は、後頭部をスパナでぶん殴られた様な気がした。

 駄目だ。俺…

 この笑顔。この笑顔が好きなんだ。
 この笑顔を涙に変えることは出来なかった。
 気が付くと話が弾んでいた。出会った頃の事や、僕のドジ話。
 彼女の屈託のない笑顔が、僕にとって一番の安らぎだった。
 この笑顔を、僕は一生賭けても守りたかった。彼女に出会った頃、そう思っていたことを思い出した。
 自由が欲しい。なら、彼女と居るのも自由な選択肢だ。
 僕の中で何かが変わっていたのは、僕がきっと、求めることより与えることを覚えたのかも知れなかった。
 今度は底まで透けて見えるような、きれいな海を見に行こう。
 どーんと海外のね。
 その時は、絶対に彼女も一緒だ。
 暗くならないうちに、彼女を家まで送らないと。
 僕の車に付いていた水滴は、すっかり乾いていた。

 

END