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SCARLET DRAGON 緋龍
RED SCORPION 冥府への弾道 碌
静かな夕刻だった。
不動産で一代の財を築いた戴郁堂の豪邸は広く、その自慢の庭も、そしてその庭を見渡せる客間にも夕方の日差しが差し込んでいる。
今、その豪邸の持ち主である戴と、一人の女がテーブルを挟んで対峙していた。
戴郁堂は既に六十歳に近い。哀れな程の痩せた体と白髪が、この男の神経質さを物語っていた。
この戴は秦播団に属してはいないが、土地の利権に絡んだ事で常に秦播団の懐を潤していた男だ。秦播団のボスである黄軒功の経済参謀的役割の人物である。
小さなテーブルの上にはチェス盤が乗っている。贅を尽くした大理石の象嵌細工の盤と、その上に乗った象牙と金で作られた駒が、静かで激しい戦いを展開していた。
戴の向かいに座っている女は、黒いドレスから伸びた腕で肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せ、無言で盤上の駒を見守っている。
その女は貴美子だった。
頬にかかった髪を静かにかき上げる。窓から差し込む夕日の中で、黒髪の艶が踊った。
他にテーブルの上には、二人分のカップと一輪ざしの花がある。対局時計が無いところを見ると、これは公式のルールに則ったものではなく社交的なプレイなのだろう。
そのテーブル側で、盤を見つめて勝負の行方を見守っている女がいた。
女はテーブルの横の椅子に座っている。赤いチャイナドレスの肩にかかる黒髪と、組んだ足がスリットの間から白く艶めかしく覗いていた。
麗華だ。
腕を組み、無言で駒の動く方向に目を走らせていた。
勝負は日の目を見るより明らかだった。白駒の貴美子は、主戦力であるナイトやビショップ、そして切り札のクイーンを失い、キャスリングした後の僅かに残ったポーンでキングの守りを固めていた。
一方、黒駒の戴は殆どの駒を残したままだ。
貴美子の腕が伸び、駒を掴んで移動させる。
戴は待ってましたとばかりに駒を動かす。
それを繰り返していた。
麗華は手にしたカップを口元へ運び、中身の紅茶を一口啜った。
上等な紅茶は花の香りがした。
「さぁ、お嬢さん。どうされますか?」
勝ち誇ったように、戴が満面の笑顔で貴美子に聞く。
貴美子は戴の挑発には答えず、無言でナイトをf7へ移動する。
戴の顔に、少しだけ動揺の色が見えた。ビショップが効いているラインを絶つ為に、ポーンをd5へと前進させる。
現在駒数で言えば、戴は圧倒的に貴美子を制していた。
だが、ただ一つ。駒が生きていない。強力な駒を持ちながら、その力を発揮出来ていない。
麗華は自分の隣の小さなテーブルに、そっと紅茶のカップを置いた。
ふっと緊張から解き放たれたように溜息をつく。
「チェックメイトですわ。戴大人。」
貴美子は戴に向けて小さく言い放つ。
流れるような優雅な手振りでそっと駒を持ち上げ、その場所に置いた。
「あ…」
戴は呆気に取られている。
麗華は腰掛けていた椅子から立ち上がる。
「いかがでしたか?存分にお楽しみ頂けましたでしょうか?」
麗華は戴に包み込むような微笑を送る。
「いや… 参りました。これ程とは… あなた方はお綺麗なうえにお話も楽しく、その上お強いと来ている。何という素敵な御姉妹でしょう。今までに、あなた方のような素晴らしいご婦人を見た事がありません。」
麗華と貴美子に、戴は賞賛の言葉を並べ続けている。
貴美子はゆっくりと上体を起こし、椅子の背もたれに背中を預ける。
「出来る事なら、是非夕食もご一緒に。私は見てのとおりの独り者。気兼ねはいりませんぞ。」
戴は麗華達を夕食に誘う。椅子から立ち上がる貴美子の、大きく開いたドレスの胸元から目線を離さない。
「いえ、せっかくですが、戴大人。私たちは、次の試合の予定がありますので。」
麗華は優雅に一礼し、戴の誘いを断った。
「そうですか。残念です。また来て頂けますか?私はある事情により、少しの間、家から出られない身なのです。この哀れな年寄りのお相手をして頂けるなら、それはもう最高の至福です。」
「宜しいですわ。またお伺い致しますので、お相手をしてやって下さい。」
麗華は戴の目の前で、これ見よがしにチャイナドレスのスリットを直す。
戴の視線は、今度はそこへ釘付けとなる。
気を取り直した戴は立ち上がり、懐から札束の入った封筒を麗華に手渡した。
「これはほんのお足代に。また来て下さい。約束ですよ。」
「はい。」
麗華はにっこりと笑って封筒を受け取った。
「戴の奴、骨抜きにされやがって…」
客間の隣のキッチンで、クラスノ・シーロフは舌打ちをした。
側にいた秦播団の男に目で合図を送る。
『尾けろ』と。
スメルシュから派遣された部隊の大半がやられてしまった今となっては、秦播団の戦闘部隊をメインに動かすしか方法がない。
「あの女… 何か絡んでいる。」
青蓮閣の時に見た歌手は、間違いなくあの女だ。
「“紅蠍”… 俺達の目を逸らさせる為のトラップか。もし、あのD機関の仕業なら…」
シーロフはその薄い唇の端にくわえたタバコに火を点ける。
「すぐに、あの場で殺してやりたかった…」
貴美子は呻くように言い放つ。
「今は待ちなさい。あの屋敷の間取りと警備状況を見ておくのが、今日の目的だったのよ。それにあの時に戴を殺していたら、隠れていた奴らに蜂の巣にされていたわ。」
ドアの横に付いた電球のスゥイッチを上げる。
裸電球の灯りに照らし出された粗末な部屋と、チャイナドレスと黒いドレスに身を包んだ二人の妖艶な美女は、あまりに不似合いな風景だった。
部屋のドアを閉じ、閂を掛けた麗華はゆっくりと室内を見渡す。
自分たちがいない間に、物色されていた形跡は無い。
「お茶でも入れましょう。あと二人… 焦る事はないわ。」
麗華は部屋に備え付けられた、申し訳程度の炊事場に向かう。
貴美子は、炊事場に立つ麗華を背後から抱きすくめた。
「動けないじゃないの…」
麗華は冷たく言い放った。
貴美子の手が麗華の胸をまさぐる。チャイナドレスの生地越しに伝わって来る刺激に、意思に反して麗華の体が反応する。
「緋龍… 本当の名前は何ていうの?」
貴美子は麗華の背中に頬を寄せて聞く。
「麗華。大道寺麗華。」
「麗華さん… 素敵な名前… ねえ、私たちはこの件が終わると、離ればなれになっちゃうのかなぁ…」
「多分ね。後は、別々の他人として生きてゆくの。」
「……」
貴美子の沈黙に答えるように麗華は振り向いた。
麗華は貴美子を抱き寄せ、その春に芽吹いた若葉のような柔らかい唇に自分の唇を合わせる。
お互いの舌を絡めて、長い長い抱擁を続ける。
そっと静かに離した唇から、唾液が銀色の細い糸を引いた。
「辛くなるだけよ…」
麗華は貴美子の瞳を覗き込み、呟く。
「いいの… だから、今は抱いて…」
麗華は貴美子の首筋に、優しく唇を這わせる。
「あぁ…」
貴美子は熱い吐息を漏らす。
…辛くなるだけ…
…そう、辛いだけよ…
麗華は何度も何度も、心の中で呟いた。
心の呟きとは裏腹に、貴美子のドレスの肩口に指をかける。
滑るように這う麗華の指の下から、貴美子の白い肌が現れる。
突然二人の愛撫は、力任せにドアノブを回す音で中断した。
がちゃがちゃという音の後、ドアに体当たりをする音が響く。
麗華と貴美子の反応は早かった。
貴美子はテーブルの側に立てかけてあった水平二連式散弾銃に飛びつき、12番ゲージの弾薬が並んで差してある革紐をたすき掛けにする。
麗華はベッドの下に隠してあった、M1ガーランド・半自動小銃を引きずり出す。
アパートメントの下の路地で、車が急停車するタイヤの軋む音が響く。
ばたんと派手な音でドアが開かれた。
力任せに蹴り飛ばされたドアの端から、蝶番を固定していた木ねじが吹き飛んで床の上に転がる。
男が二人、部屋に飛び込んで来た。
先頭の男がウェブリー&スコットMk.VI弾倉回転式拳銃を両手で構え、.45口径の銃口をこれ見よがしに室内に向ける。
だが、男を迎えたのは、男の.45口径をはるかに上回る大口径が二つ並んだ散弾銃の銃口だった。
散弾銃の発射音が室内を揺るがせる。連続して二発。
男二人が無惨な姿で吹き飛ばされた。
べしゃりと音を立て、廊下と壁に血と肉をまき散らす。
男達は部屋の中にいる筈だった女二人を脅すどころか、呆気に取られる間もなく即死した。
貴美子は素早く散弾銃の受筒後部のレバーを押す。銃身部と銃床部が二つに折れ、ばしっと言う軽快な音と共に空薬莢が排出される。落ちた薬莢後部の真鍮の部分が、床に当たって乾いた音を立てた。
この水平二連式散弾銃は、至近距離での殺傷力を増すよう、銃身を短く切り詰めていた。
通常、散弾銃の銃身内部はライフリングの無い鏡面仕上げで、発射した弾の群をある一定の距離までまとめる為に絞りが設けてある。この部分を切り落とす事で、近距離での弾の飛散の幅を広げ、相手に大きなダメージを与えるのだ。
貴美子は素早く革紐から12番ゲージの弾薬を二つ抜き出し、開いた散弾銃の銃身後部の薬室の押し込む。がしゃんと音を立て、折れた銃身を元に戻した。
一瞬の沈黙。
麗華のM1ガーランドが火を吐いた。
立て続けに三発。拳銃などとは比べ物にならない程の轟音が、アパートメントの外に向けて轟く。
壁に三発の穴が開いていた。
M1ガーランドの銃床を肩付けにしていた麗華は、ゆっくりと銃口を下げる。
壁の向こうからうめき声が聞こえる。
木造の薄い壁を貫通したM1ガーランドの.30口径弾頭は、そのまま壁の背後に潜んでいた連中に致命傷を与えていたのだ。
拳銃に比べ小銃(ライフル)は、発射音と同時に射程距離や威力もケタが違う。
それは実包に使用する火薬の量と性質の違いでもある。
拳銃と散弾銃(ショットガン)は即燃性の火薬を使用するのに対し、小銃(ライフル)は遅燃性の火薬を使用しており、更に発射される弾頭がタイトな銃身の内部を時間をかけて通り抜ける為、威力だけでなく命中精度も倍増するのだ。
その為、銃身内部に僅かな水滴が入っただけで、発射した際に銃本体が破裂する様な事故を引き起こす原因となったり、銃身が冷えている時と温もった時での着弾点の誤差が生じたりといったデリケートな面を持つ。
その時、機械的な発射音が外の路地から響き、部屋の窓を粉々に粉砕した。
電球が破壊され、部屋の灯りが消える。
反射的に伏せた麗華と貴美子の上に、着弾によって削られた天井の漆喰が舞い落ちる。
麗華は外からの短機関銃の一斉射撃の中、床を匍匐(ほふく)して窓の近くに向かう。
隣の部屋から悲鳴が上がった。銃声に恐れをなして身をひそめていた住人に、下の路地から発射された短機関銃の弾が当たったのだろう。
短機関銃の銃声が止んだ。麗華はそっと壊れた窓の端から路地を覗く。
道端に、黒塗りのA型フォードが一台停まっていた。既に闇に馴れた麗華の目は、その陰にいた二人の男の人影を捕らえる。
男達は、短機関銃の弾倉交換に手間取っている様子だった。
麗華の反撃が開始された。この状況では、高い位置から射程の長い小銃で狙う麗華の方が断然有利だ。ましてや、相手は短機関銃を扱い馴れていない素人だ。
麗華のM1ガーランドが、続けざまに弾を吐き出した。
.30口径弾頭がフォードのガソリンタンクと、アイドリングのままだったエンジンのシリンダー部を破壊した。
爆発音が響き、フォードが炎に包まれる。
隠れていたフォードから、慌てて離れようとする二人の男の影が炎に照らし出される。
麗華は慎重に狙いを付け、M1ガーランドの引き金を絞る。
弾頭が肉にめり込む音さえ聞こえそうな程の正確な射撃で、麗華は二人の男をM1ガーランド小銃の餌食にした。
銃床内に内蔵された弾倉の八発の弾薬を撃ち尽くしたM1ガーランドは、開いた排莢口から金属製の挿弾子を吐き出す。
麗華は新しい八発の30-06スプリングフィールド弾が詰まった挿弾子を布製のポーチから取り出し、遊底下部の弾倉に押し込んだ。
遊底を閉じて再び発射への準備をする。
貴美子は油断なく散弾銃を構え、廊下の様子を伺っていた。
血のりがべったりと広がった廊下は、ともすれば足を滑らせかねない程の惨状だった。
先程の貴美子が散弾銃で片づけた二人の死体の向こうに、もう二人の男が倒れていた。壁越しに、麗華のM1ガーランドの30-06弾を食らった連中だ。
一人は胸を撃ち抜かれ瀕死の状態で、もう一人は血まみれの右足を押さえてうめき声を上げている。
「あなた達は誰?秦播団の人かしら?」
麗華は足を押さえて呻いている男に聞く。
「い、痛てぇ… 医者を、医者を呼んでくれぇ!」
男は顔を蒼白にして、がたがたと歯を鳴らしている。
「答えなさい。あなたは秦播団ね?」
麗華は質問を続ける。
「知るかよぉ!糞ったれ… 女二人だと聞いて甘く見てたぜ…」
「答えないと、医者どころか生きて帰れないわよ。」
「おお!殺れよぉ!へっ!てめえらも、いずれ同じ目に遭うんだ。」
麗華はおもむろに、胸を撃ち抜かれて瀕死の状態の男にM1ガーランド銃口を向ける。
貴美子は麗華の意図を察したか、ゆっくりとその場を離れた。
廊下にM1ガーランドの連続発射音が響いた。
麗華は凄まじい反動を押さえつけながら、瀕死の男の首に見事に集弾させる。
男の頭と胴体が二つに別れた。
木造の廊下の床にも大穴が開く。
麗華は左手で胴体と別れた男の頭の髪の毛を掴み、しらを切り続けている男に向けて放り投げる。
ごとりと音を立て、男の目の前にM1ガーランドの連射で切断された生首が転がった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁっ!そうだっ!俺は、秦播団の者だ!」
男は慌ててわめき散らす。勢いよく失禁した為、男のズボンが濡れ始めた。
「あなた達の指揮を取っているのは、クラスノ・シーロフ。そうでしょ?」
麗華は冷ややかに質問を繰り返す。
「そうだ。奴の手下がやられたもんで、俺達にそのとばっちりが来たんだ…」
麗華は貴美子に目線を走らせる。
「行きましょう。ここに長居は出来ないわ。」
「はい。」
貴美子は静かに頷いた。
「た、助けてくれるのか?その前に医者を呼んでくれ!」
男は悲痛な声で叫ぶ。
「いいわ…」
貴美子は散弾銃の革紐を肩に担ぎ、ドレスの裾をまくり上げた。
その白い右腿に、黒いホルスターが固定されている。
ホルスターからすらりとしたルーガー自動拳銃を抜き出す。
かちんと安全弁を外す音が響き、優美に伸びた銃身が倒れた男の額に向けて一本の線を作る。
男は眼球が飛び出す程に目を剥いて、そのルーガーの銃口を見つめた。
「楽にしてあげるから。」
貴美子の語尾に続いて一発、ルーガーの銃声が響いた。
續
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