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SCARLET
DRAGON '21
狂気のラプソディ 2
空港第1ターミナルの到着ゲートに、黒いスーツに身を包んだ
女の姿が人混みの中から現れた。
スマートなスーツケースを一つ、ターンテーブルから取り上げエレベーターに向かう。
身長164センチ、バスト87、ウエスト58、ヒップ89の完璧なプロポーションは20歳代から変わらず、その肌は透けるように白く、花が発する香りの
ように全身の細胞から色香が滲み出ているようだ。年齢は31歳になるが、その美貌には小じわ一筋も見あたらない。
その片手に提げるだけの荷物という旅慣れた姿といい、その女は他の観光客とは一線を画した、ビジネス最前線で働くキャリア・ウーマンと誰もが想像した事
だろう。
ジャケットの背中に伸びた長い髪が風でなびく。その女が髪をかき上げる仕草に、行き交う男女が振り向き小さく溜息を漏らす。
タイトなミニのスカートから伸びる足が美しくも艶めかしく、その美脚に目を留めた男達は、目線を上に移した先の女の美貌に一瞬、磁気に吸い付けられたよ
うになって硬直する。
片手に持っていたパスポートの中身を開く。写真は本人と変わりないが、山田栄子と記入されている名前は当然偽名だ。ジャーナリストという職業の肩書きま
で付いている。女は偽装パスポートをジャケットの内ポケットに仕舞う。
女の本名は、大道寺麗華といった。国際秘密組織“シルフ”での暗号名は“緋龍(フェイロン)”。
日本の経済を影で操ると噂される大道寺財閥の分家の子孫に当たる父と、留学で滞在していたロシア人の母との間に生まれる。
16歳でロンドンに留学、その後大学で考古学を専攻した麗華は、ストーンヘンジを始めとする古代遺跡の研究に熱中していた時に、シルフにスカウトされ
た。
国際秘密組織“シルフ” S・I・L・F Special Informal Large Factor とは、ロンドンに本拠のある私設機関だ。
営利団体である為、金次第で何でも請け負う。傭兵斡旋から国外逃亡者の身柄引き渡しまたは幇助、法の手の届かない大物への復讐の代行から、悪どい荒稼ぎ
の上前をはねたりもする。
冷戦終結後より一層、テロ対策や国家同士の小規模な紛争、企業の開発競争等で特殊任務の要請が多く、常に需要は尽きる事がない。
抜群の運動神経と明晰な頭脳、その美貌に加えて男に興味を示さない麗華の能力を高く評価したシルフは、麗華に莫大な報酬を与え大学の在学中に破壊活動の
実務を教え込んだ。
大学の課程を修了した麗華は、紛争地域での実戦経験を重ねシルフの破壊工作の任務に就く。アフリカの戦地で敵兵に捕まりレイプされそうなった時、油断さ
せた敵兵士の腰から抜いたナイフで相手の首を掻き切り、奪ったアサルトライフルでその場の全員を死体に変えてやった事もあった。
その後ヨーロッパ各地を転々とした麗華であったが、その破壊活動が華々しくも派手で、結果“緋龍(フェイロン)”の暗号名に震え上がる連中が増え、敵対
する組織に面が割れてしまった。
以後麗華は極東に移動され、二年間地味な諜報活動に従事させられていた。
そして今回、頃合いを見た極東部長のロバートは、日本政府から要請を受けた「政府高官の連続焼死事件」で、香港に逃れた組織の連絡員と思われる男の抹殺
と情報収集を麗華に託した。
“ロバート”と言う名も偽名であろうが、麗華が“ボビー”と呼ぶシルフの極東部長であり、麗華を始めシルフの工作員から職員までもが彼の素顔を知らな
い。
誰かが敵の手に落ちた場合、拷問等で口を割った時の為の組織の機密を守る安全策である。
空港を出た麗華は正面ゲートに向かう。待合いの喫煙エリアから一人の女が立ち上がり、麗華に歩み寄る。
25・6歳ぐらいの若い女だった。地味だが嫌みのないストライプの灰色のスーツに、今の若い女には珍しいストレートの黒髪を肩まで伸ばした、清潔な出で
立ちの女だった。
薄い化粧にきりっと結んだ唇はその意志の強さを表しているが、眼光の鋭さは麗華と同じ次元の世界に生きる者の証であった。
「失礼します。わたくし西南貿易の久保田と申します。山田栄子さまでいらっしゃいますね?」
女は麗華の偽名を呼ぶ。西南貿易とはシルフ日本支部の表向きの顔だ。
「ええ、私が山田です。ところで、今回の原油価格の高騰で、例の物の輸入単価はどうなりましたか?」
麗華は女に答える。女はポケットから携帯電話を取り出し、二つ折りのボディを開いてディスプレイ部分を麗華に差し出す。
麗華はその携帯電話のディスプレイに、右手人差し指の先を軽く乗せた。
ディスプレイの下部に“Approval”という文字が小さく表示される。これは携帯電話に偽装させた指紋照合装置だ。
「それは、カリフォルニア・オレンジですか?」
女が聞く。
「いいえ、メキシコ産のアボガドよ。」
麗華が答えた後、女が今まできりっと結んでいた厳しい表情が、一瞬ぱっと和らぎ、その後に可憐な顔が微笑みに変わった。
「長旅お疲れ様でした。お待ちしておりましたわ、大道寺さま。私は日本支部の久保田佳美と言います。今後日本での庶務は何なりと私に仰って下さい。」
麗華はこの佳美という女が気に入り、好意を込めた笑顔を返した。
麗華は佳美が用意して来たトヨタ・マークXの助手席に身を沈め、薄いスモークのフィルム越しに流れる景色を眺めていた。
窓に流れる景色は、麗華がこの国を出た頃より格段に様変わりした風景であった。
「久しぶりに帰って来たけど、浦島太郎になった気分… いやね、歳を取ったみたいで…」
麗華がぽつんとつぶやく。
「いいえ。大道寺さまはお若くて… 噂以上にお綺麗だったんで驚きました。実は私、今日大道寺さまをお迎えするのが楽しみで、昨日は興奮して寝付かれな
かったのです。あなたの資料を拝見した時から、もう胸がどきどきして。今でもまだ心臓が脈打っています。」
そう言いながら、佳美は麗華の顔をちらりと覗き見る。その白い滑らかな頬が微かに赤らんでいた。
料金所をETCで抜け、マークXは高速に乗った。
佳美は、ノーマルだが3,000ccのマックス256馬力を発揮するV型6気筒エンジンを積んだマークXを、さも慣れた動作でドライブする。高速道路で
は6速のシーケンシャル・シフトマチックを駆使して、前方の走行車線にいるトラックをスムーズに加速し追い抜いてゆく。
時折ルームミラーをちらりと覗くのは、尾行を警戒する為に訓練で身に付いた癖だろう。
「いい腕ね。どう?私のチームに入ってみない?」
麗華は冗談めかして聞く。ドイツでツーリングカーレースのプライベーターを持っている麗華は、現在友人に預けているアウディのレーシング・マシンを懐か
しく思い出した。
「あら、光栄です。これでも学生時代に趣味で、国内A級のライセンスまでは取ったんですよ。またサーキットが走れるなんて、それも大道寺さまと… 幸せ
です。」
「冗談で言ったのだけど、どうもいい話になりそうね。今回の件が片付いたら日本支部長に掛け合ってみるわ。富士でも鈴鹿でも、二人で総ナメにしてやりま
しょう。」
「嬉しい!約束ですよ、大道寺さま!」
佳美はステアリングから離した両手を叩き、喜びを隠しきれずにはしゃいでいた。初めて会った時の警戒と任務の為の固い表情が崩れ、今麗華の隣で手足のよ
うにマークXを操る佳美は、クリスマスプレゼントを貰った子供のように顔を輝かせていた。
「大道寺様はやめて、堅苦しいわ。麗華でいいの。」
「はい!麗華さま。」
麗華は呆れたように笑う。その笑顔をここ数年忘れていた事に気づき、自嘲的な苦笑いに変えながらポケットからマルボロ・ライトのハードパックをつまみ出
す。
佳美の了承を得るため、指に挟んだマルボロ・ライトを示す。
「どうぞ。ああ、チームの名前はどうします?…」
夢見るような瞳を前方に向けステアリングを操る佳美の横顔を見て、麗華はくすりと笑いロンソンでタバコに火を付けた。
高速を出て有料道路を通り、工業団地の側を通り抜けオフィス街に入ったマークXは、五階建てのビルの地下駐車場と滑り込む。
一階の受付で佳美と別れた麗華は、一人でエレベーターに乗った。
会議室のある三階を押す。エレベーターの中に据え付けられたテレビカメラが、無言でじっと麗華を見つめている。
これは表向きの一般警備のカメラであり、更にエレベータ内部に三台の隠しカメラが備え付けられていて、麗華の顔や体型をスキャンしそのデータは瞬時に地
下倉庫に据えられたサーバーのデータベースに照合されている。
三階で止まったエレベーターのドアが開いた。誰もいない廊下に麗華のヒールの音だけが響く。
会議室と書かれたドアの側を通り過ぎ、麗華は廊下の突き当たりまで歩いた。
その前に『工事中』の看板が見え、進路をロープが塞いでいる。
麗華はロープの下をくぐり、突き当たりを右に曲がる。
麗華の前に防火用壁かと思われる鋼鉄製の壁が現れた。中央に狭いドアが着いていて、ドアの横にテンキーが一緒になったロック装置が取り付けられていた。
テンキーでIDを入力し、その上のカバーで覆われている磁気面に右手を当てる。
IDのナンバーと指紋照合が終わり、装置がドアのロックを解いた。
開いたドアから中に入ると、そこは小部屋になっている。
小部屋の中で麗華はスーツケースを側のロッカーに置き、全身の金属物を外してロッカーに仕舞う。ピアスは勿論、金属バックルの付いたベルトも外す。
小部屋の先は細い通路になっており、そこは通過式の金属探知機だ。麗華はゆっくりと通路を通る。
突き当たりにまたドアがあり、そのドアが自動で開く。
入った中は豪華な応接室になっていた。普通の応接室と違う点は、四方全てが壁面で外に通じる窓が一つも無い事だった。
高級木材のテーブルの向こうに座っていた初老の男が、麗華の姿を見て立ち上がる。側の革張りのソファに座っていた、歳は40過ぎのスーツ姿の痩せた神経
質そうな男が麗華をちらりと一瞥する。
「やあ、フェイロン。初めまして、私は日本支部の石川という。こちらは荒木さんだ。」
石川というシルフ日本支部長は背が低いががっしりとした男で、その平たい右手を麗華に差し出す。
この手の皮の厚みは剣道か柔道の有段者であろうと値踏みする麗華に、ソファに座ったままの荒木は上目遣いに麗華を睨み挨拶をした。
「公安の荒木です。」
麗華は荒木という男の不作法を気にした風もなく、小さく笑って会釈を返す。
「早速だが、本題に入ろう。この資料は後で焼却するので返してくれたまえ。」
石川は麗華と荒木に、20枚程度のA4コピーを綴じたものを配る。
麗華は荒木の正面のソファに座った。
石川の背後の大型液晶モニターに、一台の車の後部座席が映し出される。そのシートに焦げた痕が生々しく広がっていた。
「既に聞き及んでいると思うが、今回で三人目だ。」
石川が説明を始める。
二時間後、麗華は会議室を後にした。
スキャナー装備のエレベーターのドアが一階で開く。外は夕闇が街を染めてはじめている。受付嬢も既に帰り、がらんとした一階ロビーの待合いのソファに腰
掛けていた佳美がバネ仕掛けのように立ち上がった。
「お疲れ様です、麗華さま。ホテルにお送りします。あ、お荷物をお持ちします。」
佳美は麗華の顔を見るなり嬉しそうに駆けて来る。
「いいわ、ありがとう。それより注文の品は届いている?」
「はい、こちらに。」
麗華の問いにすかさず、佳美は小振りのジュラルミンケースを差し出した。
佳美の運転でホテルに着いた麗華は、チェックインを済ませ部屋に入る。
その豪奢な部屋は街の夜景を見下ろせるパノラマ式のウインドウにバーまでが付いていた。寝室には広々としたダブル・ベッドが据えられている。
「じゃあ、私はこれで…」
名残惜しそうに部屋を去る佳美に礼を言って送り出した麗華は、一人になった部屋で佳美から受け取ったジュラルミンケースの蓋を開けた。
中にはホルスターに入った拳銃と、ホルスターの吊紐に装着出来るポーチにスペアマガジンが二本とサウンド・サプレッサーが差し込まれていた。
一緒に50発入りのカートリッジの紙箱が二つ入っており、麗華はそのケースの端に収まっていた美麗なる凶器を取り上げる。
それはハンドルの装飾も美しい、細身のフォールディングナイフだった。
畳まれた背を摘んで開くと、ポイントが細く尖った見事な流線型のブレードが現れる。背の付け根あたりで自動的にロックが掛かる。
それはイタリーでは一般的なお家芸の武術に使われる、スティレットというナイフだった。
錐のように細く尖った刃から、錐刀とも呼ばれる。
麗華は銃器の扱い以上に、このスティレットを使ったナイフファイティングのエキスパートだった。
テーブルに置かれたメモ用紙を一枚取り上げ、片手に摘み空中でしゅっとスティレットの刃を走らせる。
綺麗に切断されたメモ用紙が、ひらひらと床に落ちていった。
ハンドル背部にあるロックを解くボタンを押さえ、スティレットの刃を畳んで仕舞った。
麗華は続けて黒い強靱な繊維で作られたホルスターに収まった、小振りな拳銃を抜く。
麗華の手の中で一挺のワルサーPPK/Sが、その黒いフレームに蛍光灯の光を反射させて鈍く光った。
アメリカの輸入規制に対応する為、オリジナルのPPKにやや大振りのモデルPPのグリップ・フレームを組み合わせて設計されたモデルだ。現在アメリカの
S&W社で生産されており、PPKに比べ若干大きくなったものの、そのグリップは逆に握りやすいとの評価に、しっかりとした造りの狙いをつけやすいサイト
と相まって好評を得ている。
そのPPK/Sはシルフのガンスミスの手になる特製で、オリジナルより若干長い銃身がスライド前部から突き出ていて、その外側にはサウンド・サプレッ
サーがねじ込められるようにネジ状の溝が掘ってあった。
通常サイレンサーと呼ばれる消音器では、テレビのドラマのように完全に発射音を殺す事は難しい。ここではサイレンサーと呼ばず、サウンド・サプレッサー
と呼ぶほうが的を得ているだろう。
麗華はグリップ前方にあるマガジン・ストップを押さえ、グリップから抜け出るマガジンを左の手のひらに受け止めた。
そのフィンガーレストの付いたマガジンに、7発の9×17mm弾、つまり9ミリ・ショート弾が装填されている事を確認した麗華は、再びマガジンをグリッ
プの下から叩き込む。かちんと音がして、マガジン・ストップがマガジンの切れ込みを噛みロックされた。
アメリカ軍も採用している9ミリ・パラベラム弾は、9×19mmと表記される。この9ミリ・ショート弾は9ミリ・パラベラム弾に比べ薬莢長が2ミリ短い
訳だ。
PPK/Sのスライドの側面には、Cal.9mm
kurz/380ACPと表記されている。キャリバーとは口径を意味し、クルツとはドイツ語で『短い』の意味だ。380はアメリカの規格で1/1000イ
ンチの表記であり、ACPはオートマチック・コルト・ピストルの略で、これは全て同じ弾丸の意味である。
チャンバーにカートリッジが装填されていないのを確かめた麗華は、グリップをしっかりと握り直す。グリップは手に吸い付くようで、この銃が持つ絶妙のバ
ランスと相まって最高のホールド感を与えてくれる。
麗華は壁に掛かった時計の針の中心部に狙いを定め、ドライ・ファイヤーを繰り返した。
最初はハンマーを起こしたシングル・アクションでトリガー・プルを確かめ、続いてダブル・アクションでハンマーが落ちるタイミングを掴む。これは初めて
乗ったMT車やバイクのクラッチが繋がる位置を確かめるのに似ている。
麗華はジャケットを脱ぎブラウスの上からホルスターを装着し、壁に掛かった姿見の前でワルサーPPK/Sの抜き撃ちを試した。全体的に丸くデザインされ
たPPK/Sは、抜き撃ちの際にも衣服に引っ掛かる事がない。
何度かファースト・ドロウとドライ・ファイヤーを試した麗華は右手で保持したPPK/Sのスライドを左手で引き、静かに手を離す。
マガジン上端の9ミリ・ショート弾がチャンバーに送り込まれ、ばしっと音を立ててスライドが閉鎖する。
マガジンを抜き一発の9ミリ・ショート弾を装填すると、再びマガジンをグリップ下から叩き込んだ。
親指でスライド側面のセフティ・レバーを下ろすと、ハンマーが自動で中立位置まで落ちる。
これでハンマー・セフティがかけられた訳だが、麗華は再びセフティを発射位置に戻した。これでセフティを解除せずにいつでもダブル・アクションでトリ
ガーを引くと9ミリ・ショートの弾頭が発射される。
スティレットとワルサーPPK/Sをジュラルミンケースに仕舞い、ベッドの下に押し込んだ麗華は二階の大浴場に向かった。
平日で早い時間という事もあってか、浴場はがら空き同然だった。
脱衣室にいた観光客と思しき二人の女子大生が、麗華の白い肌と見事なプロポーションに見とれている。
殆ど貸し切り状態の大浴槽に浸かり、欧米式の簡素なバスタブばかりに慣れてた麗華は心地よく開放感を味わった。
大浴場から帰りに、タバコを切らしていた事に気づいた麗華は一階のロビーに向かう。
タバコの自動販売機に小銭を入れながらロビーを見渡すと、待合いのソファに佳美の姿を見つけた。
「佳美さん、どうしたの?」
麗華が声をかけると、佳美はぱっと顔を赤らめる。
「いえ、その… もう今日の仕事が終わったもので… 何もすることが無くて、麗華さまの近くにいれたらいいなと思って…」
麗華は少し困った表情を作り、ふうと溜息を漏らしながら表情を和らげる。
「困った子ね。彼氏のところには行かないの?」
「そんなもの、いません!」
佳美は思わず強く言い放ち、はっと我に帰って恥ずかしそうにうつむいた。
「夕食はまだでしょう?一緒にどう?」
「は、はいっ!」
麗華の食事の誘いに、佳美は勢いよくソファから立ち上がる。
To be continued …
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