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SCARLET
DRAGON '21
狂気のラプソディ 1
9月25日 午後四時 東京 永田町
首相官邸から一台のリムジンが滑り出した。前後に護衛の黒塗りのクラウンを挟んでいる。
リムジンの後部座席には、閣僚懇談会を終えたばかりの経済産業大臣、大内幸三が乗っていた。
渋谷方面に向けて進むリムジンの中で、大内は閉じた目頭の上を指先で揉む。
革張りのシートに背中を埋め、ふうと小さな溜息を漏らした。
六十を過ぎたばかりの恰幅の良い男であったが、顔色に連日の激務による疲労が浮かんでいた。
隣に座る秘書に一言二言指示を伝え、大内は体をシートに沈め目を閉じる。
車内に青い火花が迸ったのはその時だった。
前後を護衛するクラウンからは、フィルム張りの防弾ガラス越しにリムジンの内部で花火ぱっとが炸裂したように見えた。
意志を失ったリムジンは、それでも車体の慣性によってゆっくりと道路を進んでいる。高熱によって燻されたウインドウガラス越しには、水蒸気と煤が付着し
て車内の様子を伺う事は出来なかった。
異変に気づいた後方のクラウンに乗るSPが携帯電話で連絡を取るが、リムジンからの応答は無い。
前方のクラウンが急制動をかけ、バンパーをぶつけてリムジンの車体を停車させる。
後方数メーターに停まったクラウンから、二人のSPが飛び出して来た。スーツの脇に右手を差し込み、ショルダー・ホルスターに吊られたヘッケラー&コッ
クP7のグリップを握り締め、敵の襲撃に備え一人は周囲を伺い、もう一人はリムジンのドアに左手をかける。
既にリモコンによってリムジンのドアロックは解かれている。
ドアを開けた瞬間、SPの鼻を強烈な臭気が襲って来た。
「大臣!……」
SPはその後言葉を失った。
ドアを開いた事により新しい空気が車内に流れ込み、車内に充満していた濛々とした黒煙が晴れて行く中、異常な光景が見えて来たのだ。
運転手と秘書は衣服や頭髪がちりぢりに焦げ、全身に火傷を負って倒れている。
だが、バックシートに肝心の大内の姿が見えない。大内が座っていたと思われる場所のシートが、人間の影を形作って焦げていた。
強烈な臭気に堪えきれず、鼻と口を左手で覆いながら、それでも職務に忠実なSPは車内に目を凝らす。
バックシートの足下に奇怪なものを見つけた。
それは左右が対になった靴が、足に履かれてきちんと並んでいたのである。
その靴の主の足は確かに靴を履いているが、両方の足首から上がズボンの生地を輪っか状に残し、焦げて消失していた。
前方のクラウンから仲間のSPが殺到して来る隙間を抜け、最初に車内を覗いたSPは道路脇に駆け寄り激しく嘔吐を始める。
9月23日 午後十時 香港 尖沙咀(チムサアチョイ)
「こいつぁ…ひでぇ。」
短く切った頭髪をワックスで無造作に逆立てた青年が呟く。
痩せた色白で一見華奢に見える青年だった。ノータイのシャツの胸を指先でぽりぽりと掻く。
「先客がいたようだ、一足遅かった。」
青年の隣にいた中年男が答える。年の頃は三十代半ばだろうか、強面の顔だがぴっちりと折り目の付いたスーツに、短めに刈られた髪が清潔感を漂わせてい
る。
中級クラスのホテルの一室は血の海と化していた。
その血の海の中で、喉笛をぱっくりと切られて息絶えている白人系の男の死体があった。
ドアの入り口付近と窓際に、中国人と思しき男の死体が二つ。
ドア側の一人は胸板から血を吹き出し、窓際のもう一人は一見外傷が無いように見える。
ホテルの床に広がった血は、まだ完全に固まってはいなかった。男達が殺害された瞬間から、そう時間は経っていないと思える。
「ちっくしょ。せっかく尻尾を掴みかけたのに、また振り出しかよ。わざわざ海外出張で来た甲斐もねえや。」
色白の青年はぼやきながら、窓際の死体の側にしゃがみ込む。
「ちょっと三谷サン…こいつ延髄を刺されてる。一撃だ…」
青年は窓際の男の死因を発見した。
「見事な手際だ。銃器の類は一切使っていない。全員同じ刃物で、一瞬のうちにあの世に送られている。」
三谷と呼ばれた男は手術用のラテックス手袋をはめた手で、ソファに置かれた服をまさぐりながら答えた。
「何もなしか。当然だな、こいつらに引導を渡した相手は、僕らとほぼ同じ目的だったのだろうから。」
三谷という男は肩をすくめて立ち上がる。
「同じ刃物って事は、三人を一人で殺ったのか?それも一瞬のうちに…」
「もし何処かの国の特殊部隊が相手だったとしても、男のガイシャがズボンを脱いで死んでいるのは異常だろう?」
「色仕掛け?じゃあ、こいつらを三途の川に送ったのは女かぁ?」
三谷は白人の男の死体を憮然と見下ろし答える。
「こいつが拷問でも受けたか、ホモでもない限りな。そんな時間はない。油断させといてあっという間にバッサリだ。」
白人の死体は前のボタンを外したワイシャツだけを羽織って、自らの血の海に沈んでいた。
「三谷サン好みのやーらしいシチュエーションが想像できるなぁ。」
「間違いなく、だ。それにこの手際と刃物のサイズ…」
三谷はアゴに手を当て、考え込むポーズを作っている。
「三谷サン、まさか知り合いなの?」
「僕の推測どおりなら、そのまさかだ…」
青年も三谷と同じ手袋をはめた手で、クローゼットや机の引き出しを物色している。
「どんなヒトなんだろ?」
「龍だ。緋色の龍。」
「なんだそりゃ?」
「いいオンナだぞ。」
「へぇぇ…会ってみたいな。」
「ああ、月島が命と引き替えにあいつを抱く勇気があれば、の話だが。」
「やめた。おっかねーや。」
月島と呼ばれた青年は、机の引き出しから取り出した聖書のページをぱらぱらとめくる。
「相手が悪い。よし、引き上げるぞ。ここのポリ公どもに見つかると後が面倒だ。」
三谷は颯爽とドアに向かう。
「あ、待ってよ。三谷サン。」
月島という青年は室内を探る手を止め、三谷の後を追う。
「帰って来たのか…フェイロン。」
三谷という男はドアノブを回しながら一人呟いた。
9月26日 午前零時 上海 外灘(バンド)
女の紅い唇が開き、舌が現れる。
その舌がゆっくりと白い稜線を這ってゆく。
白い丘の頂上にある、官能の極みに達した時に見せる特有の堅く尖った乳首を、這って来た舌が包み込んだ。
「んふっ…」
白い丘の上から吐息が漏れた。
まだピンク色をしたその先端を、舌は執拗に撫でつけ巻き取ったかと思うと吸引を始める。
「んんっ…はっ… やめ… やめないでぇ」
声の主はまだ子供のようにあどけなく、白い丘も未発達だった。
広東語の喘ぎ声は泣き声に変わってゆく。
女の右手の指先が白い肌を這い、少女の股間にゆっくりと滑り込んで来た。そのまだ無毛の隙間に女の指が入って来た時、熱い液体が井戸水のように溢れてく
る。
「あー!あー!」
少女はその可憐な顔に涙を溢れさせて、狂ったように泣き声を上げる。
少女の谷間の中で指先をグラインドさせていた女は、ゆっくりと指先を抜くとその指先を少女の顔の前にかざした。
「ふふ…感じやすいコね。面白くなって来たわ…」
その女の顔は、今ベッドの上で組み敷かれている可憐な少女が色あせて見える程の美貌だった。
女は少女の愛液で濡れて光る自分の指先を、その整った紅い唇に差し込みしゃぶる。ルームライトに照らされた美貌に、サディスティックな笑みが広がった。
その仕草を朦朧とした瞳で見つめていた少女の唇に、自分の唇を重ねる。
舌が絡み合う音がホテルのベッドルームに響いてゆく。
壁一面ガラス張りの窓から、街の夜景が幻想のように広がっていた。
突然、サイドテーブルに置かれた携帯電話のベルが鳴った。
女の白い腕が伸び、サイドテーブルの携帯電話を取り上げる。
「……」
手に取った携帯電話のディスプレイ部をスライドさせ、通話ボタンを押さえて長い髪に埋もれた耳に押し当てる。
返事はしない。自らも名乗らない。
「やあ、フェイロン。休暇の途中で済まないな。」
レシーバーから聞き慣れた英語の声が流れて来た。50代後半の男の声だ。
「ボビー、何の用かしら?」
女は流暢な英語で返事を返した。
「香港の件はご苦労だった。ヤツが持ち帰った報奨金も頂き、ヤツが日本で接触した人物もある程度特定する事が出来た。これで“シルフ”極東部も潤った。
君のお陰だよ、フェイロン。」
「それは良かったですわ、極東部長。またいつかお会いしましょう。」
女は携帯電話を切るために耳から離そうとする。
「まて、フェイロン。君には済まないが、残りの休暇は返上して貰えるかな?」
「……そんな話だろうと思っていましたわ。あなたは相変わらず、いつも強引で唐突ですから。」
女は溜息混じりに携帯電話を耳に寄せる。
「君のような美人に褒めてもらえて光栄だね。」
「呆れてるんです。」
「呆れついでに、祖国の土を踏んでみないかね?」
「そうでしたか。お断りします。」
「そう言うと思ったよ。でも今回の件は、君意外に適任者がいないんだ。そこをどうにか頼むよ。」
「アジア諸国で、まだ面が割れていない代わりの人なら他にもいるでしょ?」
「君が素直に首を縦に振ってくれるなら、君の望みを叶えてやれるかも知れんぞ。」
女はその華麗な顔に皮肉な笑みを作る。空いた手を伸ばしてマルボロ・ライトのパッケージを取り上げ、片手でハードケースの蓋を開いて中身を一本抜き出し
た。
「報酬次第ね。」
女はサイドテーブルの灰皿の横に置かれていたロンソンを取り、火口の蓋を親指で押し上げヤスリを回し、吹き出しているガスに着火させた。高級ライター故
の上品な火が真っ直ぐに登り、女の顔を照らし出す。
母親譲りであるドイツ人とロシア人の混血の美貌は、日本人の父親の血で更に磨きがかけられていた。
タバコに火を点けた女は、ベッドで寝息を立てている少女に目をやる。
女との官能の海に溺れた後の少女は、死んだようになって眠っている。
寝息がイビキに変わった。口の端から涎が流れている。
既にこれは普通の睡眠状態では無い。薬物による昏睡状態だった。
「私が何とかしよう。では、詳細は追って連絡する。」
「分かったわ。それと、この近くにいる工作班の方をよこして下さらないかしら?」
「了解した。」
ボビーという男からの電話が切れた。
女は携帯電話をサイドテーブルに戻し、ベッドから立ち上がる。その均整の取れた美しい裸体が、淡いルームライトに照らし出される。
女の右手には火の点いたタバコが指に挟まれ、左手にはマッチ箱程度の金属製の箱が握られていた。
ガラス製の壁面一杯に広がる夜景を眺めながら、女は左手の金属製の箱をぽんと空中に放り上げ、落下した所を受け止める。
その箱の側面に見える、作動中を示す発光ダイオードの点灯が消えていた。
それは内臓バッテリーの回線を絶たれ、既に用を成さなくなった電波盗聴装置だった。
携帯電話の電波を盗聴するその装置は、今昏睡中の少女の所持品である化粧ポーチに入っていたものだった。
そしてその持ち主は、先ほどの官能の宴の後に女に仕掛けられた薬物により、未だに昏睡を続けている。
「ふふ…可愛い顔して。あれこれ聴くのは工作班に任せましょうね。それにしても、もう手が回って来たなんて……」
女はベッドに腰を下ろし、タバコを指に挟んだ手で少女の頬を優しく撫でる。
「あなたのお陰で断れなくなったじゃない。さてと、今度はこっちから仕掛けてあげるわ。」
タバコを灰皿で揉み消した女は、真っ白いバスタオルを引っ掴むとシャワールームに向かった。
熱めの湯が女の髪を伝い、美しくくびれた腰から足に向かって流れ落ちる。
濡れた髪をかき上げる女の瞳に、凄みを帯びた精悍な光が宿っていた。
それは、ほとぼりが冷めるまでの2年間潜伏を続けていた、精密殺人機械が甦った瞬間だった。
フェイロンと呼ばれたこの女は、国際秘密組織“シルフ”と契約を交わしている執行人の一人だ。
コードネームは“緋龍”。
彼女の名は、大道寺麗華。
To be continued …
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