SCARLET DRAGON 緋龍

 

碧き双眸の鷲 旧

 

 OSSに事務所を貸している不動産屋を経営する老夫婦は、一階にある本業の事務所から離れた寝室で寝ていた。
 広い寝室に据えられたそれぞれのベッドに就いて、立てている安らかな寝息にドアの軋む小さな音が混じる。
 寝室に現れた人影は三人。カーテンの隙間から微かに流れ込む街の灯りは、黒い迷彩服を着た彼らの不気味なシルエットを映し出しているだけだ。
 肩から革ベルトでたすき掛けにした、ベルグマンMP35の銃身覆いが鈍く光った。
 三人の内の一人が、ベッドの上で仰向けになって鼾をかいている亭主の側に立った。
 右手を腰に廻し、すらりと長い銃剣を抜く。
 右手で銃剣の柄を逆手に持ち、年老いた亭主の鳩尾あたりに布団の上から切っ先を当てた。
 左手で柄の尻を押さえ込むようにして、一気に銃剣の刃を布団越しの亭主の体に突き立てる。
 ぐっと力を込め、刃を抉るようにして更に深く突き刺す。
 布団からはみ出ていた亭主の足がびくんと大きく痙攣するが、次の瞬間にはベッドのマットに伸びて小さな痙攣を繰り返し、そして余った力も抜けたように動かなくなる。
 男は亭主の死を確かめるようにして、握った銃剣の柄に力を込め引き抜いた。
 銃剣が抜かれた痕の布団に穿たれた裂け目から、赤い血が井戸水のように噴き出していた。
 眠りの浅かった女房は、寝室のいつもと様子の違う物音と気配に薄目を開ける。
 今まさに、黒い迷彩服を着た死神が、自分の方に迫って来ていた所だった。
 薄闇の中で、隣に寝ている筈の亭主の寝顔を探した。
 それは既に命の抜け殻である事を、女房は本能的に悟る。
 「ひっ!」
 小さな悲鳴が女房の発した最後の声だった。
 瞬時に女房の喉笛を刃が一閃し、ぱっくりと開いた喉から空気の漏れる音に替わり、床にぶちまけられた血が大雨のような音を立てた。

 二手に分かれた残りの三人は、一階の別の部屋を探り、他に誰もいないのを確かめた。
 夫婦の寝室から出てきた三人と合流する。
 先程トラックの中で号令を出していた男が全員に目配せをし、廊下の先の階段を顎で示す。
 先ず二人がベルグマンの木製銃床を握って構え、背中を曲げて姿勢を低く保ち階段に進んだ。
 続いて二人、そして最後にリーダー格の男ともう一人が後を追う。
 二階に並んだ部屋の中で最も手前のドアを、最初に進んだ二人が開く。
 鍵は掛かってなく、簡単に開いた。
 電球が明々と灯った部屋の中では、中央に据えられた大きなソファーで一人の男が交替の睡眠を取っていた。
 ソファーの前のテーブルには、風俗雑誌と飲みかけの安ウイスキーが乗っている。
 ソファーで眠っている男に、一人が銃剣を抜いて近寄った時だった。
 「誰だ?!」
 ソファーで寝ていた男が反射的に跳ね起きる。偶然、男は寝てはいなかったのだ。
 ソファーのマットの間に差し込んでいたコルト・ポケット.32を素早く構える。
 男が放ったコルト.32の銃声は、ベルグマンの完全自動の連続発射音に被されるようにして消えた。
 このベルグマンの引き金は二段式で、途中まで引くと半自動(セミ・オートマチック)、そして最後まで引ききると完全自動(フル・オートマチック)となる。
 銃剣を抜いて迫っていた一人が、コルト.32の弾頭を胸に受けて倒れたが、ソファーで寝ていた男は次弾を発射する事も無く、もう一人の男のベルグマンから放たれた9ミリ弾の群をまともに受け、ボロボロに崩れたソファーの上で誰であるかも判別出来ない程の、粉々の肉片に変えられていた。
 「しまった!」
 未だ階段を登りかけていたリーダー格の男ともう一人は、階段の途中で身を低くして隠れる。
 銃声を聞いた二階の奥の部屋に詰めていたOSSの局員は、習い立ての麻雀のパイを放り投げ、手にトンプソンやハイドM35短機関銃を掴んで応戦を開始した。

 建物の外側からも、二階で迸る銃火の閃光が窓越しに見える程だった。
 麗華はBMWの側車の中から、ブレン軽機関銃の照準を九七式トラックに合わせて引き金を絞った。
 ブレン軽機関銃の銃口から銃火と機械的な発射音が吐き出され、運転手を一人残した九七式トラックが着弾の衝撃で揺れる。
 九七式トラックの車体が派手に火を噴いた。車体を貫いたブレン軽機関銃の7.69ミリ弾の火花がガソリンタンクに引火していた。
 リーザはBMWのシートからひらりと飛び降りる。
 「私が背後から廻ります!」
 そう言い残し、戦火が交差するビルの入り口に駆けてゆく。
 麗華は続いて二階の窓にブレン軽機関銃の銃口を向けた。
 威嚇を込めて点射する。引き金を引いては緩める動作を繰り返した。
 二階の窓ガラスが続けざまに割れ、建物の壁は漆喰の粉をまき散らす。
 このブレン軽機関銃はガス圧を利用して動作する。ガス筒は銃身下に設置され、ガス漏孔には四段階の調整が可能な規正子がある。これによって発射速度が変更でき、更に機構部の汚れによる不調に対処が出来る。調整する場合は、弾頭の先端を規正子の穴に差し込んで90度回転させ次の漏孔に合わせる。
 銃身交換も簡単で、尾筒のナットに付いているハンドルを四分の一程回転させるだけで銃身が外れ、後は銃身上部のハンドルを掴んで取り外し、新しい銃身と交換すればよい。熱を持った銃身に対し、耐熱性の革手袋をはめて作業しなければならない、他の銃身交換式機関銃との大きな違いだ。
 麗華はブレン軽機関銃の弾倉が空になるまで撃ち尽くした。交戦中の相手は麗華に反撃して来る余裕もない。
 ブレン軽機関銃の銃身は、連射の熱で桜色に変わっていた。
 麗華は肩紐でたすき掛けにしていたMP38機関短銃を構え、BMWの側車から飛び降りる。
 上体を低く保ち、リーザの後を追って走った。
 
 先行していた二人の死体が、二階の廊下に転がっていた。
 廊下の先にはOSSの局員の死体が数体、床に倒れている。
 部屋に残された男が一人、ドアからベルグマンの銃身を突き出して応戦した。
 残されたOSSの局員が、構えたトンプソンを撃つのと同時だった。
 相撃ちに近い状態で、二人同時に血しぶきを上げる。
 OSS側の応戦が止んだ。
 先程の外からの機銃掃射も止まっている。
 何者かが外のトラックを機関銃で破壊し、更に外からの掃射でOSS側と陸戦隊側とに数人の被害が出た。
 階段に身を伏せていたリーダー格の男は、そっと二階の様子を伺う。
 階上で倒れている部下の死体から流れ出した血が、床を伝って階段に雫を垂らしていた。
 「援護してくれ。」
 リーダー格の男は、隣にいた男に向かって短く言うと、静かに二階の床に這い出した。
 最初に銃声を上げた部屋に飛び込む。
 入り口で転がっている部下の死体を跨ぎ超え、部屋の中を見回す。
 ボロボロになったソファーの上で肉片に変えられたOSS局員の死体と、床に倒れているもう一人の部下の姿があった。
 近づくと、微かに呻き声を発していた。
 体をそっと仰向けにする。左胸から血が噴き出していた。
 胸に食い込んだ.32口径の弾頭が、肋骨を突き破り肺をメチャメチャに破壊していた。
 何かを訴えようとする男の眼がリーダー格の男を見つめているが、言葉の替わりにごぼりと血の泡が口から吹き出す。
 リーダー格の男は大きく頷くと、男の体を元のようにうつ伏せに横たえた。
 すっと立ち上がり、ベルグマンの銃床を握り締める。
 狭い部屋の中で、一発だけの銃声が轟いた。
 男は後頭部に9ミリの弾頭を受け、着弾の衝撃で体が跳ね上がる。
 手足を二・三度痙攣させた後、男は動かなくなった。
 リーダーの男は銃本体から右側に突き出るように設計された弾倉を抜き、新しく完全装填された弾倉に交換する。

 階段の中腹で油断無く廊下を見張っていた男は、背後で床の軋む音に振り返る。
 男の視界に、戦闘服に身を包んだ金髪美女が飛び込んできた。
 「!」
 血で血を洗うような戦闘の現場にはあまりに場違いな、映画のスクリーンの中から現れたような女の美貌に男は一瞬硬直した。
 しかし、女が腰だめで構えているMP38機関短銃の銃口は、しっかりと男のほうを向いていた。
 男は慌ててベルグマンの銃口を女に向けようとするが、それを果たす前に9ミリ弾の雨を受け、ただの肉塊となって階段を転げ落ちる。

 階段で響いた銃声に、一人残されたリーダー格の男は構えたベルグマンを階段に向けて掃射した。
 応戦して来る銃弾の雨の数が、更に二人分に増えていた。
 男は堪らず部屋の中に後退する。
 部屋の出入り口のドアは無数の銃弾を受け、ボロボロになって吹き飛んでいる。
 廊下と出入り口の境で、こんと重く硬いものが転がる音がした。
 男の両目がかっと見開く。
 その小さな鉄球は、中心部の信管から火花を散らしていた。
 「D機関!…」
 爆発の衝撃が建物全体を揺らす。
 窓という窓が全て壊れ、もうもうとした漆喰の霧で視界が閉ざされる。
 OSSのアジトと共に陸戦隊の精鋭部隊は全滅した。

 カール・フォン・ザクマンは一番奥の部屋で蹲って震えていた。
 「博士、もう安心です。早くここを出ましょう。」
 麗華は跪き、ザクマンに声をかける。
 「ああ、何という事だ… この想海は地獄だ…」
 ザクマンは青ざめた顔で顎をかくかくと鳴らし、小さな呻き声を上げている。
 「さあ、博士。私と一緒に八洲へ行きましょう。きっとここでの悪夢も忘れ、安心して研究に没頭できます。」
 リーザはザクマンの肩を抱くようにして語りかける。
 「駄目だ… 嫌だ… 私は… 私は、合修国へ行く!」
 「博士…」
 リーザは呆然として立ち上がる。
 「どういう事ですか?… 博士は、追放されたユダヤ人科学者達に倣うおつもりだったのですか?」
 リーザは青い目に非難の感情を湛え、ザクマンを問い詰める。
 「間違っている。合修国が正しいとも思わないが、少なくともプロシアは間違った道を歩んでいる。いや、今は世界中が狂気に支配されているんだ!」
 ザクマンは激しく首を振りながら叫んだ。
 蹲ったまま頭を抱え込むザクマンを、麗華とリーザは無言で見下ろしていた。
 ザクマンはゆっくりと顔を上げる。リーザの顔を見上げ、ぽつりぽつりと呟き始めた。
 「さあ、リーザ。共に行こう… 合修国には未来がある。何にも代え難い自由が私たちを待っている。」

 『自由が欲しいか?大道寺麗華。』

 …自由?そんなもの、この世には無いのよ。
 生きている限り、肉の呪縛と欲望に囚われている限り…

 「博士がこの想海に向かうと行った時、私は薄々気付いていました。減速剤に使用すると言った石墨も、効率の良い重水に替える事を提唱していたのは博士御本人でしたから…」
 リーザの顔から一切の表情が消え、精密機械を内蔵した美しい西洋人形のように喋る。
 「それは、私が合修国に渡る為の口実だったのだよ。だが、ジェフ・プリングルは殺されてしまい、せっかく私が作った自由へのトンネルも閉ざされてしまった。だがここに、合修国の科学者が垂涎する物がある。全く新しいウラン濃縮方法と、核分裂物質にプルトニウムを使用する方法だ。これさえあれば、合修国は私を喜んで受け入れてくれる事だろう。これが最後の頼みだ、リーザ。一緒に行こう。君は、私を愛していると言ったではないか?!」
 ザクマンのまくし立てる言葉を黙って聞いていたリーザは、うなだれていた頭をゆっくりと上げた。
 青い二つの瞳が冷たい光りを放つ。
 「愛しています。いえ、愛していました、博士。」
 「私も君を愛している。だから…」

 …愛している…
 この言葉に、一体どれ程の意味があるの?…
 所詮男と女は、体を求め合うだけの束の間の慰めに溺れて…
 体が欲しいという意味なら、それはそれで嘘ではなくて…

 リーザの右手に握られたベレッタ1935ピストルが、鎌首をもたげた蛇の頭のようにザクマンの額に向けられた。
 「待て、リーザ!私は…」
 リーザのベレッタが、弾けるような高い発射音を立てた。後退した遊底の排莢口から弾き飛ばされた空薬莢が宙に舞い、床に落ちてちりんと乾いた音を立てた。
 ザクマンの体が仰向けに床に倒れる。驚愕に見開いた両目の間に、赤い色をしたもう一つの眼窩が作られ、そこから僅かに血が吹き出していた。

 「総統(フューラー)に忠誠を…」

 リーザの形の良い唇から零れた言葉は、ヨーロッパ全土を震撼させた鉄の意思だった。
 二人のやりとりを見つめていた麗華は、既に死体と化したザクマンを見下ろしているリーザに話しかける。
 「リーザ、これで良かったの?」
 「はい、これが私に与えられた最後の任務でしたから…」
 麗華に向き直ったリーザの顔からは、何の表情も読み取れなかった。
 だが、その瞳は何処までも限りなく、燃えるように青い。
 リーザはザクマンが持っていたボストンバッグを取り上げ、麗華に向けて差し出した。
 「全ての元凶はここに… これは、レイカに託します。八洲に持ち込むなり、他国に売るなり、レイカの好きなようにして下さい。」
 「……ありがとう、リーザ。」
 受け取った麗華はバッグの蓋を開き、中身を床にぶちまけた。
 ザクマンの着替えや生活道具に混じって、プロシア語でタイプされた書類が床の上に広がる。
 最後にひらひらと数枚の書類が、重苦しい空気の中を舞って落ちる。
 リーザは落ちて来たばかりの書類を一枚拾い、内容を眺めながらふっと寂しそうな笑みを口元に刻んだ。
 麗華はリーザの差し出した書類を受け取る。戦闘服のポケットからライターを取り出した。
 発火石がヤスリに擦られて閃光を迸らせ、石綿の芯が黄色い炎を上げた。
 ライターの炎に翳された書類はたちまち火に包まれ、床に広げられた書類の山の上に落ちる。
 落とされた種火は次々に燃え移り、全ての書類を舐め尽くして行く。
 立ち去る二人の美女の背中を、燃え上がる炎だけが見守っていた。