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SCARLET DRAGON 緋龍
碧き双眸の鷲 鉢
早朝、未だ夜の闇も明け切らぬ時、ジム・タールの部屋を覗いたリーザは、麗華のもとへ来て当然の事のように報告をした。
「あの男。逃げたわ…」
「動き始めたわね。」
リーザの報告を待っていたかの如く、麗華は椅子から立ち上がり、ジムを監禁していた部屋に向かう。
木枠をはめ込んでいた窓が壊され、そこから夜の闇が注ぎ込んでいた。
町中の粗末な民家を買い取って利用している麗華のアジトは、OSSの局員であるジムにとって脱走も簡単な事であった。
「既にD機関の要員が尾行を開始しているわ。さあ、私たちも行きましょう。」
「はい、レイカ。」
麗華は、動きやすいカーキ色の戦闘服に着替え始める。長い黒髪を後ろで束ねた。
リーザも同様にカーキ色の戦闘服に身を包み、麗華の後に続いて母屋を出た。
麗華は向かった先の納屋の扉を開く。
納屋の中はすっぽりと黒い闇に包まれていた。麗華がかざした懐中電灯の光りが、濃厚な闇を引き裂く。
その先に、一台の側車付きオートバイが無言で佇んでいた。
それは、BMW・R66に側車を取り付けたもので、その側車の前方には100発入りの鼓胴弾倉を装備したブレン軽機関銃が装備されていた。
麗華は納屋の隅にある木箱の蓋を開け、懐中電灯で照らしながら中身を取り出していた。
受筒下部に回り込むように折り畳まれた金属銃床を持つ、木製部品を一切使用していないMP38機関短銃と、32発の9ミリ弾が詰まった予備弾倉が三本並び、手榴弾が二つ付いた弾帯をリーザに渡す。
「これなら不満は無いでしょう?」
MP38機関短銃を麗華から受け取ったリーザは、暗闇の中で笑って答えた。
「訓練で十分に馴染んでいるものです。私は目隠しをして、これの分解と組立をやらされました。」
もう一挺のMP38を麗華も同様に装備する。肩紐でたすき掛けにし、弾帯を腰に巻いた。
リーザは乗車用ゴーグルの紐を後頭部から回し、青い瞳をゴーグルのガラスで覆った。BMW・R66に跨る。
「私が運転しましょう。これでも単気筒の小さいタイプなら、本国で乗り回していたのですが…」
リーザはキックペダルにしっかりと足をかけ、全体重を乗せて一気に踏み下ろす。
排気量600cc、二気筒OHVエンジンが、納屋の中で爆音を轟かせて目を覚ました。
「上出来よ。」
ヘッドライトが灯り、明るくなった納屋の内部で、麗華は狭い側車の座席に乗り込む。
「急あつらえにしては、D機関も良く作ったものだわ。」
BMWのエンジンの震動で震えている、三脚架の部分を側車前面に取り付けられるように改造されたブレン軽機関銃を撫でながら言った。
麗華の膝の上、側車の風防の下に装備されたTM式軽便無線電信機の電源スゥイッチを入れた。これは乾電池と蓄電池、更に交流電源も使用出来る可搬式簡易電信機だ。
「それは?」
リーザは興味深げに電信機を覗き込む。
「ジムを尾行している者からの連絡が、ここに入る仕組みになっているの。これはそもそも海軍のものでね、連中の動きも同時に捕らえる事が出来る。」
「同胞なのに…」
「陸軍と海軍の仲の悪さは伝統らしいの。さて、行きましょう。」
リーザはアクセルを捻る。爆音を轟かせ、側車付きのBMWは開いた納屋の扉から飛び出した。
ジム・タールは包帯を巻いた上半身裸の上から、血の付いたトレンチコートを羽織っただけという出で立ちで、酔楽というナイトクラブに入った。
ジムの姿を見て驚いたボーイの口を押さえるようにしてジムは言う。
「済まない。電話を貸してくれ。」
尾行に気が付いたジムは、ザクマンを軟禁しているOSSのアジトに向かわず、少し離れたこのナイトクラブで連絡を取ろうとしていた。
トレンチコートのポケットに入っていた想海ドルをボーイに握らせると、ボーイはジムに肩を貸すようにして電話を設置した個室に案内した。
「ジム!無事なのか?!」
受話器の向こうで、聞き慣れた男の声が応対した。
「ああ、生憎何とか生きてらぁ。それより、尾けられている。そっちに帰る訳に行かなくなった。」
「今、何処だ?俺達はここから撤収する事になって、丁度今準備をしていたところだ。」
「何だって?」
「撤収だよ。作戦変更らしい。」
「どういう事だ?」
「会って詳しく話す。すぐにそちらに向かう。」
「解った。今、酔楽にいる。」
受話器を置いたジムはふうと一つ溜息をつき、ずるずると床に崩れ落ちた。
「ここに博士が囚われているの?」
側車付きのBMWを停めたリーザはゴーグルを額に上げて、道路向こうの酔楽の看板を睨んでいた。
「待って。どうやら彼、別の場所に私たちを誘い込んだようね。」
麗華は無線機のヘッドホンを耳に当て、熱心に聞き入っていた。
「海軍の連中… 襲撃先を定めたようだわ…」
麗華は耳に全神経を集中させ、必要な情報を収集しようとしていた。
「まずい!奴らは本気よ!襲撃先は、この先の不動産屋のビル!」
麗華は無線機から傍受した情報を纏め上げた。
「博士はそこにいるのね?!」
リーザはBMWのアクセルを煽る。どるんという爆音が未明の町に響き渡った。
「急いで、リーザ!奴らはOSSを壊滅させて、博士を亡き者にするつもりだわ!」
走り出したBMWの側車の中で、麗華はヘッドホンを放り投げ、ブレン軽機関銃の銃把を握りしめた。
その時、走り出したBMWの側を、一発の銃弾がかすめて飛んで行く。
二人の背後から、九五式くろがね四起が迫っていた。四人乗りのボックス型だ。
「私たちもマークされていたようね。」
「飛ばします。レイカ、しっかりと掴まっていて下さい。」
リーザはBMWの進行方向を大通りから脇道に向けた。
急激な操舵に、重い側車が付いて来ない。サイドカーの操縦は通常のオートバイに比べ、大変な技術を必要とする。
九五式くろがね乗用車は、難なくBMWを追尾していた。
そもそも局地連絡用に作られた、軽便な小型自動車である。オートバイ用の空冷エンジンを搭載し、小回りが効き、更には不整地路に強いジープよりも大きなタイヤが装備されていた。
九五式のフェンダーのかどが、路地に積み重ねられていた屋台に使う椅子に接触した。跳ね飛ばされた椅子の山は、がらがらと音を立てて崩れる。
再び、助手席から突き出された四四式騎銃が火を吐いた。
ぱきーんと空気を裂く音を立て、建物の壁に当たり跳弾となって口径7.7ミリ(実際の弾径は7.9ミリ)の弾頭が闇の彼方へ飛んで行く。
路地を抜け、再び大通りに出る。
この辺りは繁華街から離れており、この時間に通行する車や人影は無い。
「レイカ!伏せて下さい!向きを変えます!」
BMW・R66を操るリーザの声に、麗華は側車の中に蹲る。
次の瞬間、リーザはBMWに急制動をかけた。
車体の向きがぐるんと180度回転する。
サイドカーでフル・ブレーキをかけると、制動が効く本体側は止まろうとするが、制動機構の無い側車にはそれまで走行していた慣性が働き、止まろうとする単車本体が軸となって簡単に車体が回転してしまう。これは、その法則を利用したターンの方法だ。
完全に向きが変わった側車の中で、麗華はブレン軽機関銃の照準を路地の出口に合わせる。
狭い路地から九五式くろがね乗用車が現れた。
側車前面に据えられたブレン軽機関銃が火を吐き、発射速度毎分500発の7.69ミリ弾頭の群が九五式くろがねの車体をずたずたに引き裂く。
九五式くろがねに乗っていた二人の男は、突然の事態に泡を食う暇もなく、くろがねの車体と運命を共にした。
「動いているのは海軍諜報部だけではないわ…」
銃身に熱を持ったブレン軽機関銃の影で、銃把を握りしめた麗華が呟く。
リーザはアクセルを開くと同時にクラッチを繋げ、静かにBMWを発進させた。
不動産事務所の建物の前に、一台の九七式軍用トラックが停車した。
ここはOSSが想海の支部として利用している、事務所の隠れ蓑だった。
幌をかけたトラックの荷台の中で、夜の闇に紛れる黒い迷彩服を着た六人の男が今、度重なる点検を終えた装備であるベルグマンMP35を構えて立ち上がった。
「よいか。我々の目的は、カール・フォン・ザクマンの持つ資料の奪取にある。それ以外は、何も必要ない。これは、諜報部酒井少佐の調査に基づく上層部からの命であり、プロイセンからの要請でもある。突入は一分後。繰り返す、資料以外は何も必要ではない。では、カカレ!」
指揮官らしい男の号令と共に、男達は一斉に荷台の幌から飛び出し、足音を立てず予め各自に割り振られた建物の出入り口へと向かう。
最後に号令を告げた男が、トラックの荷台から地面に降り立った。
鍛え抜かれがっしりとした肩に乗った頭が、灯りの点いた二階建ての建物を見上げる。
彼らは、海軍左瀬暮鎮守府第九特別陸戦隊の中で特に選り抜かれた、特殊精鋭部隊だったのだ。
「なんてザマだよ、ジム。女のケツばかり追い回してるからそうなるんだ。」
ジム・タールの前に現れた三人の男は、椅子座って壁に寄り掛かっているものの、辛うじて無事なジムの姿を見て安心したように軽口を叩いた。
ナイトクラブの喧騒が、この裏部屋に壁を伝って響いて来る。
「面目ねぇ。それより、ザクマンをどうするんだ?」
ジムは一人の男から受け取った、スミス・アンド・ウエッソンM1917大型弾倉回転式拳銃の弾倉止めを押さえながら聞いた。
「今回のザクマンを保護して本国に送るという作戦は、きれいさっぱり帳消しにしろとさ。上からの命令だ。」
「今更何でだ?」
ジムの掌の中に、S&Wの蓮根状の回転式弾倉がせり出して来る。
このM1917は、軍用のコルトM1911の供給不足を補う為に作られたもので、コルトと同じ.45ACP弾を使用する。コルトM1911をはじめとする自動装填式拳銃の薬莢の底部には、弾倉回転式拳銃の弾丸に見られる起縁部(リム)が無い為、これを保持して抽筒させるために半月状のクリップに三発ずつの.45ACP弾を挟み込み、弾倉に装填する方式を取っていた。
併せてコルト社でも同じ形式の弾倉回転式拳銃を製造しており、これは憲兵隊や後方勤務部隊、および海兵隊の一部に使用されていて、戦後間もない頃の日本でも警察用拳銃として、米軍のお下がりを供給されていた拳銃である。
「詳細は聞かされてはいない。ただあの計画は、ザクマンが必要ない程に進んでいるって事だろうな。」
「上のお偉方さんにとって、ザクマンは用無しってことになったのか…」
弾倉を銃本体に納めるかちんという音が、ジムの手の中で響いた。
「そういう事だ。ステーツはザクマンを見捨てたんだよ。」
「哀れだな… 誰か、タバコをくれ。」
一人が差し出した紙巻き煙草を、ジムは一本抜き取って口にくわえる。
しゅっと擦られて火が噴きだしたマッチの軸に、煙草の先端をかざして火を移す。
ジムは満足そうに煙を吐き出すと、脇にある筈のホルスターにS&Wを仕舞おうとする。
血で汚れたコートの下には、包帯だけしか着ていない事に気がついた。
「あ、もうひとつ頼みがある。スーツを一着新調してくれ。」
「予算外だ。朝に市場が開いたら、吊しの安物でも買えよ。」
ジムは煙草を横くわえにして、がっくりと肩を落とす。
「やっぱりついてねぇ… あの女に拘わるとロクな事がねぇや…」
續
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