SCARLET DRAGON 緋龍

 

碧き双眸の鷲 質

 

 小さくくぐもったような銃声を耳にしたとき、麗華は二階の廊下で壁を背に張り付く。
 内股の革ケースからワルサーPPKを抜き出し、油断なく両手で保持して構えた。
 一斉に廊下に並んだ幾つかのドアが開き、個々の部屋から数人の男が飛び出して来た。
 銃声の聞こえた部屋に向け、男達は殺到する。
 麗華は床に膝をつき身を屈め、ワルサーの撃鉄を右手親指で起こす。
 男達は背後にいる麗華の存在に気付いていない。
 麗華は曲げた膝の上に真っ直ぐに伸ばした肘を置いた安定した射撃体勢で、手前の男の後頭部に照門の隙間から見える照星を重ねて引き金を絞った。
 乾いた発射音と同時に、目の前に拡がった硝煙の向こうで、狙いをつけた男が頭部を大きな金槌で殴れたようになって吹き飛んだ。
 廊下の木製の床に、7.65ミリの空薬莢がちりんと音を立てて跳ねる。
 どさりと倒れて来た男の体に、驚いた周囲の男達は何が起こったのかと振り返る。
 振り返ったのが男達の最後だった。
 自分たちの身に起こった事を理解出来ないまま、男達は次々に7.65ミリの弾頭を頭部に食らい即死した。
 ただ一人、麗華の姿を見た男がいた。男は麗華の位置から、丁度他の男達の影になっていた。
 側で撃たれてもたれ掛かって来る仲間の体を、腕を振って払いのける。
 麗華の放った弾頭が右目から侵入し、脳髄を掻き回して後頭部へ抜けた銃創から飛び出した血が、男の顔に降りかかった。
 生暖かい血を上着の袖でぬぐい去り、腰の拳銃に手を伸ばそうとする。
 麗華は反射的に床を転がる。
 こちらに向けて拳銃を抜こうとしていた男の胸に、床を這うようにして二発撃ち込んだ。
 男は腰の拳銃を抜くことも出来ないまま、胸に二発の7.65ミリ弾頭を受けて後方へフッ飛んだ。
 二発の弾頭は肋骨を突き破り、男の心臓をパンクさせていた。
 素早く立ち上がった麗華は、先程銃声がしたと思しき部屋に向かって叫ぶ。
 「リーザ!そこにいるの?!」
 「レイカ!私なら無事!」
 聞き覚えのある声が返って来た。
 途端に階段を駈け登ってくる足音が響く。
 麗華はワルサーPPKを構え、リーザの声がした部屋のドアに飛び込んだ。
 「レイカ!」
 部屋に飛び込んだ途端、目の前に現れたリーザの姿と、折り重なるようにして倒れている男二人を見て、麗華はこの部屋で起きた惨劇の一部始終を理解した。
 後ろ手にドアを閉め、素早く部屋の隅へと移動する。
 「見事ね。あなたが敵でなくてよかったわ。」
 「それは私も同じ事。行きましょう、博士が狙われています。」
 麗華はワルサーPPKの弾倉止めを押し、弾倉を左手の中に落とす。
 二発の実包が残った弾倉を左手の小指と薬指に挟み、新しい全弾装填された弾倉を内股のケースから抜き出してワルサーの銃把の下から叩き込む。
 古い弾倉に残った二発の実包を親指で次々に弾き出し、空になった弾倉を捨てた。
 二発の実包は、チャイナドレスの胸の合わせ目に差し込む。
 続いて左手で内股の錐刀を抜き、リーザの手首を縛っていた革紐を切断した。
 「弾薬も僅か。私たちこそ、果たしてここを出られるかしら?」
 「レイカとなら、きっとここを脱出できる。私はそう確信します。」
 二人は、顔を見合わせて笑った。
 
 ジム・タールは二階への階段を駈け登り、廊下の先で折り重なっている死体の山を目にした瞬間、反射的に手前の部屋のドアを開いて飛び込んだ。
 室内は物置として使われていたらしく、埃を被ったテーブルや椅子が無造作に積み重ねられていた。
 ドアを細めに開き、外の様子を探る。
 階下から何か叫き散らしながら、多数の足音が迫って来ていた。
 ジムの隠れた部屋の前を通過し、三・四人分の足音は死体が散乱した部屋の前で止まった。
 「お前ら、出てくる。出ないと撃つ!」
 片言の英語が響き渡り、ドアを蹴り飛ばす音がした。
 ドアが激しく蹴破られる音と同時に、数発の銃声が響いた。
 ジムの位置から、その部屋で起こっている状況は把握出来ない。
 だが廊下に数体の人間の体が転がる音だけは、ジムの耳にも届いた。

 ドアの側の壁に立っていた麗華は、口にくわえていた錐刀を左手に持ち、壊されたドアの向こう側にかざす。
 研ぎ澄まされた錐刀の刃は、鏡のように廊下に散乱した死体の山と、一人残った敵の姿を映していた。
 麗華はリーザに向かって左手の人差し指を立て、廊下に敵が一人残っている事を告げる。
 リーザは部屋の隅に据えられていた小型のテーブルを抱え、ドアの所までやって来た。
 リーザの意図を解した麗華は少し身を引き、改めてドア越しの気配を探る。
 リーザは壊されて開いたドアからテーブルを転がした。
 そのテーブルは丁度廊下にいた男に上面を向けて、ドアから飛び出して来た。
 慌てた男はテーブルの影に麗華達が隠れていると思い込み、手にしていた弾倉回転式拳銃の引き金をガク引きした。
 続けて六発の.38口径弾を受け、テーブルは木の破片をまき散らしながら床の上を踊る。
 弾丸を撃ち尽くして佇む男の額に、小さな穴が開いた。
 男の体は着弾の反動で、逆に前のめりに倒れ込んだ。
 男の額から抜けた穴は、後頭部では子供の拳が入る程の大きさになって血を噴き出している。
 男を一発で仕留めた麗華は、瞬時に部屋の中に身を隠し、再び廊下の気配を伺う。
 廊下には既に敵がいない事を確認した麗華は、リーザに合図を送る。
 部屋を飛び出し、互いに左右に分かれ廊下の壁に背中を擦り付けるようにして、麗華とリーザは階段の方へ進む。
 途端に階段の方から銃声が轟き、麗華の側を銃弾がかすめて通った。
 麗華とリーザは互いに背後のドアを開き、開いたドアから階段の様子を探る。
 いつの間に現れたのか、階段の途中から廊下に向けて一人の男が拳銃で麗華達に応戦していた。

 ジムは細めに開いたドアの隙間から、廊下で飛び交う弾丸の応酬を眺めていた。
 「やれやれ、俺の出番がねぇじゃねえか…」
 唇の先で小さく呟く。
 ジムのいるドアの隙間から、階段の影に隠れて廊下の向こうに無駄弾を放っている男の顔がよく見える。
 男はジムの存在に気付いていないようだった。
 「どっちが得かなぁ…」
 ジムはコルトを両手で保持し、ドアの隙間から.45口径の銃口を階段に隠れた男の顔面に向けた。
 男は始めて、少し開いたドアの隙間からコルトを構えたジムの姿に気が付いた。
 信じられないといった表情で慌てて銃口をジムに向けるが、既に遅い。
 コルトの引き金は軽く、そのずっしりとした本体の重量はより射撃を安定したものにする。
 二階をつんざく大口径の発射音とともに、階段に隠れていた男は、圧倒的に太く重い弾頭にかかる五百キロの圧力に吹き飛ばされ、階段を転げ落ちた。
 「聞け、女ぁ!今は休戦だ!」
 ジムはドア越しに叫ぶ。
 「俺が先導するから、背中から撃つなよ!」
 ジムはドアを開き、ゆっくりと廊下に出る。
 ちらりと振り返った時、廊下の左右のドアから姿を現した二人の美女と目が合った。
 「お前は!あの時の…」
 リーザは警戒と怒りを露わにして、ジムにベレッタの銃口を向けようとする。
 そのベレッタに、そっと麗華の左手が覆い被さった。
 起き上がっている露出式の撃鉄の隙間に、さりげなく薬指が挟まれていた。これではリーザがいくら引き金を引こうとも、撃鉄が撃針の尻を叩く事が出来ず、絶対に弾丸の発射は出来ない。
 「罠、かしら… いいわ、その時はその時よ。」
 麗華はリーザ同様の警戒の目で、ジムを睨む。
 ジムは二人に片目をつぶって見せ、コルトを構えて廊下を降りてゆく。
 一階の店内はパニック状態だった。
 我先に出口に殺到した客が将棋倒しになり、更にその上を乗り越えて店の外に逃げようとする客達の発する、狂ったような悲鳴が響いていた。
 店の用心棒が三人、階段から降りて来た麗華達に向けて発砲した。
 着弾した壁が漆喰の粉を散らす。
 ジムは左手で通せんぼをするようにして、麗華達に前に出ないように合図する。
 ジムが手前の柱の影に隠れていた用心棒に向け、コルトの照準を合わせると同時に、麗華とリーザも素早く手にした拳銃の照準を合わせていた。
 用心棒に三人同時の射撃が集中した。
 隠れていたといえど、体の半分以上が柱の影から覗いている。
 男は柱の影から吹き飛ばされ、後には壁に広がった血しぶきが残った。
 仲間の末路に怖じ気づいたか、用心棒たちの射撃が止んだ。
 「今だ。俺が援護する。行け!」
 ジムは麗華とリーザに顎をしゃくって見せた。
 麗華とリーザはジムに頷き、階段から飛び出し店内を駆け抜ける。
 ジムは麗華達が走った方向の、テーブルの下に隠れている用心棒に向けてコルトの引き金を絞る。
 テーブルの下に隠れていた用心棒は更に身を隠そうとしていたが、走りながらリーザが放ったベレッタの7.65ミリ弾によって絶命させられた。
 店の客や従業員は負傷している者以外、殆どが店の外に逃げ出していた。
 ジムも出口に向けて走り出す。
 もう一人、テーブルの影に隠れていた用心棒が、ジムに向けて発砲した。
 その瞬間、ジムは左の脇腹に焼け火箸を突っ込まれたような痛みを覚えた。
 「シット!」
 反射的に男に向け、コルトの引き金を絞る。
 男の体が背後のテーブルを壊して吹き飛ぶのを確認する暇もなく、店の出口へ駆け出した。
 店の前の大通りを横切り、路地裏へと身を隠す。
 痛む脇腹に手をやると、ぬるりとした血の感触がした。
 ぐっしょりと血を吸い込んだトレンチコートが、やけに重い。
 「何やってんだ、俺… 格好付かねぇぞ…」
 下半身が急速に痺れて来る。
 痛みから来る目眩で、もたれかかった路地裏の壁からずるずると崩れ落ちる。
 朦朧とする意識の中で、自分に接近して来る足音が聞こえる。妙に耳に響く足音は、ジムの側で停まった。
 ジムは僅かな視界の中で、人の足を見た。
 きゅっと締まった均整の取れた美しい足首が、赤いチャイナドレスの裾から伸びていた。

 ジムは目を覚ました。
 そこは、薄汚れた里弄(リーロン)住宅の一室だった。
 固いベッドの上で寝返りをうつと、脇腹の傷が軽く悲鳴を上げる。
 そっと顎を引いて腹部を覗くと、上半身裸にされた上に包帯が巻かれてあった。
 血を吸い込んだズボンは、黒いシミの部分が硬く乾燥していた。
 少し熱がある。痛みを堪えて傷口を触ってみた感じでは、忌々しい弾丸は腹部を貫通したのではなく、脇腹の肉を一インチ程度削り取って行ったようだった。
 傷口の上から軟膏が塗られ、その上から油紙を貼って包帯が巻かれていた。
 「ちぇ… ここはまだ天国じゃねぇのか。」
 暗く汚れた天井を見上げて呟く。
 ドアの開く音がした。
 あのチャイナドレスの美人が、ドアから姿を現す。
 「お目覚めかしら?」
 女は妖艶に微笑んで、ジムの寝かされたベッドに近寄って来る。
 「やっぱり、天国かな…」
 「何を言ってるの?」
 「何でもねえ。俺を助けたのはあんたかい?」
 女はベッドの横の椅子に腰を下ろす。
 「そう。色々喋って貰いたくてね、あれからあなたを盗んだ車でここに運び込んだ訳。もっともホテルは既に死体の山で、警察が包囲していたから帰る事も出来なかったの…
 傷はまだ痛む?モルヒネを打っておいたわ。きっとこれがなければ、あなたはそのベッドの上でのたうち回っている筈よ。」
 「一体何を喋ればいいんだ? 俺はあんたらの派手なドンパチに巻き込まれただけの、哀れな観光客なんだぜ。」
 「OSS(カンパニー)の局員ね?お名前は?」
 「ジム・タール。シケた貿易商だ。カンパニーなんて知らないぜ。」
 「ザクマン博士を連れ去ったのはあなた達でしょう?海軍諜報部の仕業にしては、動きが早すぎると思ったの。博士をどこにやったの?それだけでも教えて。」
 「口を割らなきゃ、拷問でもするつもりか?」
 「そうねぇ… いろいろ試したい方法もあるんだけど…」
 女の笑みは更に凄絶さも増していた。
 「あんたのような美人を目の前にして、俺は身動き取れない負傷兵。これ以上の拷問はないぜ。」
 「加勢してくれた事には感謝してるわ。どうして?」
 ふう、とジムは仰向けになり、天井を睨んで溜息をついた。
 「自分でも分からねえよ。俺は、やりたい事をやりたい時にやる主義なんだ。」
 「説明不足ね。」
 「あんた、D機関なんだろ?あんたの名前は?」
 「緋龍(フェイロン)。私は売れっ子の歌手よ。D機関なんて知らないわ。」
 女、大道寺麗華は静かに笑う。
 「お互い、そういう事にしとくか?」
 ジムは肩をすくめて言った。
 「質問に答えなさい。あなたがお望みなら、その指の生爪を一本一本剥がしてみてもいいのよ。」
 麗華はぴしゃりと冷たく言い放つ。
 「くそったれ… この忌々しい傷口が塞がったら、あんたを思いっきりレイプしてやるからな。」
 「出来るものならやってごらんなさい。」
 麗華ののんびりとした口調と、それとは反比例の凄みを帯びた鋭い視線が、ベッドの上のジム・タールを射抜く。
 「やめた。おっかねーや…」
 ジム・タールは肩をすくめ、ベッドの脇のテーブルに手を伸ばし煙草を探ろうとする。
 「いてててて…」
 次の瞬間、ジムは顔をしかめ、ベッドの上でもがいていた。
 見かねた麗華は、テーブルの上からジムの煙草を取り上げくすりと笑った。
 ジムの煙草の包みから紙巻き煙草を一本摘み出し、麗華は自分の唇にくわえる。
 テーブルの脇に置いてあったマッチを取り上げ、しゅっとマッチの軸を箱に擦り付けた。
 妖艶な唇がマッチの灯りで輝く。
 「ジム。あなた、まるで子供みたいね。」
 麗華は煙草を指に挟み口から離し、煙を吐き出しながら言う。
 「そうかい?よく言われるんだけどね。」
 ジムはふてくされたような態度でベッドに仰向けになり、顔を皮肉に歪めて答えた。
 「坊やはおとなしくしてなさい。」
 麗華は指に挟んでいた煙草の吸い口側を、仰向けになっているジムの唇に差し込んだ。
 「ああ… そうさせて貰うか。」
 ジムの唇の先で煙草の火口がぴんと跳ねる。
 紙巻き煙草は、女の匂いと口紅の味がした。
 「何か欲しいものは?」
 冷ややかでありながら、どこか母性の包容力を伺わせるような麗華の目線と言葉が、ベッドの上のジムを見下ろして聞く。
 「ジン・フィズを…」
 煙草をくわえた唇の隙間から、煙を吐き出しながらジムは呟く。
 「生憎ここにはないわ。」
 「だったらコーヒーを… そうさな、そこのバケツに一杯入れてくれたら充分だ。それと後、俺のハジキを返してくれ。」
 ジムは部屋の隅の床に置いてあるバケツに、顎をしゃくって言った。
 「どちらも無理な相談ね。コーヒーはカップで我慢しなさい。」
 くるりときびすを返し、部屋を出て行く麗華の背中に広がる黒髪を、ジムは扉が閉じるまで眺めていた。