SCARLET DRAGON 緋龍

 

碧き双眸の鷲 碌

 

 ビュイックの後部座席に揺られながら、ジム・タールは隣に座ったザクマンに目線を向けた。
 窓の外に流れる想海の町並みをぼんやりと眺めている、科学者の姿がそこにあった。
 「手荒なお迎えをご容赦下さい。こうでもしなければ、貴方を連れ出す事が出来なかったものですから。」
 ジムはザクマンに英語で話しかける。
 「いや、構わないよ。私はこの想海に来てからというもの、凄惨な場面ばかりを見過ぎてしまって… 驚かなくなってしまった。これが、麻痺というのかも知れないな。」
 ザクマンは背広のポケットから、嗅ぎ煙草の入ったケースを取り出す。煙草の粉末を振り出した指先で、鼻腔を軽く摘んで嗅ぎ煙草を吸い込み話し続ける。
 「戦争の最前線では、もっと酷いんだろうな。それは、兵士ばかりではない。我が国のゲットーでの話も聞いているし、この辺りでの八洲軍の暴虐の限りも… でも、武器を作る側の私たちは、それを実感していない。兵士がどこで何人戦死した、民間人が何人死んだ、などという数字だけでしか知らされていないものでね。」
 「人には役割があるのですよ。身分相応のね。少なくとも我々は前線の消耗品に過ぎない。でも、貴方は違う。貴方は新しい可能性を握っているのですよ、ザクマン博士。」
 ジムは鋭い目つきで、隣に座っているザクマンを一瞥した。
 「新しい可能性か…」
 ザクマンはふぅと一つ溜息をつくと、ビュイックの後部座席に身を沈める。
 「実際にあれが完成すれば、一度に大勢の人が死ぬ。だが、我々の国であれを完成させる事は出来ない。あれを作るには、あまりに開発設備の規模が小さ過ぎるのだよ。おそらく現状のままで行けば、合修国に追い抜かれてしまうだろう。仮に合修国が完成させたとして、その標的は私の国となるか… どのみち、枢軸国のいずれかだろう。私たち科学者にとって、そんな事はどうでもいい。どこの国がどこで使おうと知った事ではない。私たちが知りたいのは、あれがどれ程の威力であるかという事なんだよ。」
 ザクマンは腹の上で手を組み、ゆったりと座席にもたれ掛かった。足下に置いているボストンバッグを睨み、その中身に皮肉な笑みを送った。
 ジムは膝の上に肘を立て、組んだ手に顎を乗せて虚空の一点を睨みながら押し黙っている。
 「自分たちの作ったものを試してみたい。そんな悪魔の囁きがあるから、研究に没頭できるのかも知れないな。」
 「女… 彼女はどうします?一緒にお連れしましょうか?」
 ジムは重い口を開いた。
 「ああ、リーザか… もういい。私には関係ない。あんなスパイなぞに入れ込んでしまった私の不覚だった。」
 「“D機関”が絡んでいるので手出しが難しいのですが、宜しかったら一緒に合修国へお連れしますよ。」
 ジムはザクマンに対しての非難を込め、だめ押しをしてみた。
 「いや、黙ってプロシアに帰していいし、もし君たちにとって邪魔なら…」
 「厄介払いですか?」
 「そんなところだ。」
 ジムは自分の足下に目線を落とし、怒りに顔を歪めて罵った。
 「ブタ野郎め…」
 「え?何ですか?」
 ジムが口走ったブロンクス訛りは、標準の英語を囓っただけのザクマンにとって意味が分からない。
 「いや、何でもありません。出航の手配が整うまで一日か二日、隠れていて頂きます。」
 ジムは何事も無かったように言い放つと、ソフト帽を脱ぎ、オールバックの髪を手で撫でつける。
 再びソフトを被り、目の前のつばを摘んで下げ、目深に被り直した。
 二台の黒塗りのビュイックは、福洲路の人の群の中を縫うようにして進む。
 ふと、ジムは徳興茶館と看板が掲げられた建物に目を向けた。
 「ちょ、ちょっと停めてくれ。」
 ジムの声に、運転手のOSS局員はブレーキを踏む。
 「すまねえ、ヤボ用を思い出した。先に帰っていてくれ。博士を頼む。」
 後部ドアから滑るように路上に降り立ったジムは、口早に指示するとドアを閉じた。
 走り去る二台のビュイックを見送り、通りを足早に横切る。
 「あの女… 間違いねぇ。」
 ジムは今しがた徳興茶館の入り口に消えた、赤いチャイナドレスの背中に広がる黒髪の後を追って、同じ入り口へと向かって行った。

 昼間の陽光が、二階の部屋の窓を締め切ったカーテンの僅かな隙間から差し込んでいた。
 両手首を革製の紐で縛られたリーザは、床に据えられた固い木製の椅子に座らされていた。
 リーザの目の前に立っている八洲人の男は、頭の天辺からつま先まで、リーザを値踏みするようにしげしげと眺める。
 「女、お前はザクマンに情婦として接近した。計画通りにザクマンはお前に入れ上げている。お前なら何もかも知っているだろう。カイザー・ウィルヘルム理学研究所からザクマンが持ち出した書類は、今ザクマンが持っているのだな?」
 リーザは男から顔を背け、黙り続けている。
 「黙っているならそれでよい。お前を餌にして、ザクマンをおびき寄せる事にする。」
 男は背後にいた二人の男に向き直り、短く指示を告げる。
 「私が帰るまで見張っていろ。女に手出しをするなよ。」
 男はリーザが所持していたベレッタを、片方の男に手渡す。
 男はドアを開き部屋から出て行った。男の後ろ手で、ばたんとドアの閉じる音が室内に響いた。

 昼間の徳興茶館の客の入りは、約半分だった。
 麗華は店内を見渡す。
 テーブルの並んだ店内の隅に、二階へ続く階段がある。
 階段の登り口に、椅子に座った男が一人いた。
 頑丈そうな体躯を自慢げに誇張し、組んだ腕の脇には拳銃の膨らみが見えた。
 その時、階段を下りて来た男の顔を見た麗華は、自然な歩き方で店の鉢植えの影に隠れる。
 男は椅子に座っている男に、一言何かを言って急いだ足取りで店を出て行く。
 麗華は男の顔を、記憶にある名簿の中から探し出した。
 「酒井海軍少佐…」
 小さく呟き、男が店を出てゆくのを目で追う。
 麗華は店内を横切り、椅子に座り見張りを続けている男に近づいた。
 「失礼。上の階に用がありますので。」
 媚びを含んだ笑顔を男に向ける。
 男は一瞬、麗華の美貌に魂を吸い込まれたようになった。
 「あんた、誰だ?」
 はっとして我に帰り、声を絞り出す。
 「ボスに用があります。余計な詮索はなさらない方が得ですよ。」
 男は立ち上がり、女の魅惑より仕事を優先した。後の事を考えると、組織の力の方が恐いからだ。
 「今はボスはいねぇよ。通す訳にはいかないね。」
 男はぐいと麗華に向かって胸を張る。
 「そうですか… 残念ですわ。」
 そう言って麗華は、チャイナドレスの裾を直すふりをする。
 スリットから剥き出しになった脚に男はちらりと目をやり、すぐにまた麗華の顔を睨み付ける。
 「立派なお体… 私は逞しい男性が好きよ。」
 麗華の右手の人差し指が、男の胸をついとなぞる。
 男は麗華の行動にどう対処してよいか分からず、固く緊張して突っ立っていた。
 その時、銀色の光りが、男の胸板に吸い込まれる瞬間を誰が見ただろうか。
 逆手に持った錐刀(スティレット)の鋭い刃が、男の肋骨の隙間を貫き心臓を捕らえた。
 刃が抜かれた後、筋肉が収縮して薄い傷口は塞がる。外部への出血も無い。
 刺された筈の当の本人でさえ、麗華の手の動きと、自分の命を絶った銀色の光りを見る事は出来なかった。
 力が抜けたように倒れようとする男の体を、麗華はそっと自然に支えて椅子に座らせた。
 男のネクタイを直してやる振りをして、ネクタイの裏で錐刀の刃に付いた血と脂を拭き取る。
 麗華はチャイナドレスのスリットに右手を差し入れ、内股に固定した金属製の鞘に錐刀を戻した。
 何事も無かったような優雅な足取りで階段を上ってゆく。

 テーブルに付いたジム・タールは、海軍諜報部の男が店から去り、女が階段の下で見張っている男と何か話しているのを見ていた。
 ウエイトレスが注文を聞きに来た時、用心棒と思しき男が女の術にかかったようにして再び椅子に座り込むのを見た。
 「ご注文は?何になさいますか?」
 たどたどしい英語でジムに笑いかける、まだ少女と言える若いウエイトレスにジムは手を振って断る。
 「すまない。トイレに行って来るから、後にしてくれ。」
 ジムは慌てて立ち上がり、階段に向けて足早に歩いた。
 椅子に座らされた用心棒を見下ろし、この屈強な男が既にこの世の者ではないことを知る。
 「ひゅぅ… なんて女だ…」
 軽く口笛を吹いたジムは階段の下から、遠ざかる女の足音に聞き耳を立てる。
 左脇に右手を差し込み、コルト1911A1自動拳銃の銃把を握る。
 手の平にかいた汗が、自動拳銃の金属に触れて急速に冷えてゆくのを感じた。

 長い沈黙の時間が続いていた。
 リーザの前にいる二人の男は黙ってを監視を続けていたが、先程からそわそわして落ち着かない片方の男が沈黙を破った。
 何やら母国語で右側の男に語りかけている。耳打ちするようにひそひそと話しながら、リーザに向ける視線にはぎらぎらとした欲情の光りがあった。
 話しかけられた男は相づちを打ち、部屋のドアに向かって歩き、開いたドアから外の様子を確認して再びドアを閉じた。
 「じっとしていろよ、女… 声、立てるな。」
 先程から落ち着かない様子だった男は下手な英語で言うと、渡されたベレッタを部屋の隅のテーブルに置きリーザに近づく。
 リーザの目が恐怖と驚きで見開かれる。
 男の両手がブラウスの襟元に伸び、一気に左右に引き裂いた。
 ブラウスのボタンが飛び、ブラジャーに包まれた白い胸元が露わになる。
 椅子に座らされ、両手首を縛られた状態で身もだえしているリーザの姿が、男の欲情に更に火を点ける。
 男は今にも涎を垂らしそうな表情で、リーザに迫って来た。
 リーザは脚をバタ付かせ、必死の抵抗をする。
 男はリーザの脚をかわして股の間に腰を入れ、片方の手で腕を押さえつけてリーザの胸元に片手を伸ばす。
 ブラジャーの隙間に男の手が忍び込んで来た。激しく揉まれ、リーザは苦痛に顔を歪める。
 男は母国語で何か卑猥な言葉を喋っていた。背後でもう一人の男が、同じように母国語で何か言っている。
 男はリーザの上に覆い被さるようにして、リーザの胸元の吸い付く。
 男の舌がリーザの首筋から、ブラジャーの上を這い回る。
 リーザは激しく首を振って抵抗した。胸元に広がった金髪が、男の唾液でその白い肌に貼り付く。
 男の両手がリーザのスカートの中に侵入して来る。
 内股から徐々に昇ってきた手はリーザの下着の中に差し込まれ、指が茂みの中をまさぐる。
 男の指の侵入を許さないようぴっちりと脚を閉じていると、スカートに差し込んだ男の両手が下着をずらし始めていた。
 強引に引き剥がされた下着は、太股から膝にかけてずり下げられる。
 遂に足首まで下げられた下着は、両足から抜かれる。途中で引っかかった靴が床に脱げ落ちた。
 男は鼻息も荒く、既に股間のもので前を張り出させたズボンを焦りながら脱ぎ捨てる。
 醜悪な肉棒がリーザの前に現れた。
 男はリーザの両膝に手をかけ、両足を力任せに開いて腰を割り込ませようとしている。
 縛られた両手で抵抗しようとするが、男にのしかかられて手の自由を奪われた。
 男の腰が内股に割り込んで来る。スカートをめくられ、リーザの股間が露わになった。
 リーザは男の荒い息から顔を背け、縛られた手で自分のベルトのバックルを握る。
 その大型のバックルの上下に付いたロックを握ると、鷲と鉤十字が刻まれた前面のカバーが下に向けて開く。
 バックルの内部から、バネの力で四連装の.22口径銃身がハネ起きた。
 バックル内部に縦方向に四つ並んだ引き金の一つを指で押さえる。
 斜めに切り込まれた撃鉄が逆鉤から外れて前進し、同じく斜めに切り込まれて撃鉄と噛み合わされるように作られた撃針が実包の尻を叩いた。
 小さな発射音が響き、.22ショート弾の弾頭が男の腹部にめり込む。
 突然の事態に何が起こったのか理解出来ていない男に向け、リーザは再びバックル・ピストルの引き金を押す。
 今度は男の胸に命中した。狙いを定める事が困難な武器であるが、ぴったりと密着したこの距離なら外れる事はない上に、威力の小さい.22ショート弾でも十分な殺傷力がある。
 「ぐあぁ…」
 男は仰け反って身もだえている。
 もう一人の男は何やら大声でわめき散らし、腰から狩猟用の大型のナイフを抜く。
 リーザは椅子から立ち上がると、バックル・ピストルから発射された弾頭を受けて倒れようとしている男を両手で突き飛ばした。
 男の体が、ナイフを構えた男に激突する。
 二人同時に床に倒れ込んだ。
 リーザは縛られた両手で椅子の足を掴み、素早く倒れ込んだ男達に襲いかかった。
 下敷きになった男が、倒れてきた男の体の下から逃れようともがいている。
 誤って刺さったナイフの先端が、覆い被さった男の腹部から覗いていた。
 リーザは足を握った椅子を振り上げ渾身の力を込めて、背もたれの角を下敷きになった男の頭部に振り下ろす。
 どんという衝撃が、椅子の足を伝ってリーザの手に響く。
 再びリーザは椅子を振りかぶり、再度男の頭に背もたれの角を叩きつけた。
 ごしゃりと嫌な音がして、男の体がびくりと跳ねる。
 置かれているベレッタを取ろうとして、テーブルに向けて歩きかけ、リーザは立ち止まって振り返った。
 リーザに椅子で頭蓋を潰された男の上で、.22口径の弾頭二つを食らい、更に背中から腹部にかけてナイフの刃が貫通している男が、口から血の泡を吐きながら呻き声を上げていた。
 リーザは男の側に立つ。
 恨みと怒りを込め、男の顔面に椅子を振り下ろした。
 顔面を潰された男は、死への瞬間が更に短くなった。
 足が折れ、要所要所の釘がねじれ、椅子は大きく歪んでいた。背もたれの角に男達の血と頭皮が付着していた。
 リーザは壊れた椅子を床に放り投げ、テーブルに向かう。
 革紐で縛られた両手で、愛銃のベレッタ1935ピストルを抱きかかえるようにして取り上げる。
 「汚らわしい… 汚物に生きる資格なんてないのよ。」
 手の中のベレッタの適度な重量感に頼もしさを感じながら、リーザは吐き出すように呟いた。