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SCARLET DRAGON 緋龍
碧き双眸の鷲 参
大通りの虹郭茶館で、カール・フォン・ザクマンとリーザ・ルスカは、会う予定になっている筈の客が来るのを待っていた。
「彼の父は石墨で財を作り上げた人でね。でも、貿易で事業を拡大したのは息子である彼なんだ。」
ザクマンはテーブルの隣に座ったリーザに囁き、マルティーニのオン・ザ・ロックを口に運ぶ。
「石墨?そうだったんですか。」
リーザはそっとテーブルの上のジンジャー・エールの入ったグラスに手を伸ばし、一口含んで唇を湿らせた。
「いずれ減速剤として、大量に使用する可能性がある。彼の国に行っても必要であろうと私は判断した。そこで私は合修国にいる友人のツテを使って、ジェフ・プリングルと接触出来るように取りはからって貰った。幸い彼はここ想海に、休暇という名目で滞在している。」
「しかし、博士。我が国と同じく、八洲と合修国との関係は一触即発の状態です。いつ民間貿易がストップされても、おかしくはありませんわ。」
「だから、今の内にストックしておく必要があるんだ。私がまだ大陸にいる間に、彼と交渉をして置きたかった。」
ザクマンは背広のポケットから、いぶし銀で作られた小さな箱を取り出した。
蓋を開き、指先に箱の中身の嗅ぎ煙草の粉末を落とす。
粉末を摘んだ指を鼻腔に押し当て軽く揺らし、最後に鼻腔を指で摘んだ。
ふうと満足そうに溜息をつく。
嗅ぎ煙草はザクマンの癖だった。
その時、リーザはテーブルの向こう側で影が動いたのを視界の隅に捉え、はっとして顔を上げる。
「カール・フォン・ザクマン博士ですね?失礼しますよ。」
突然テーブル越しに現れた男二人は、ソフト帽を目深に被り外套を羽織ったままという出で立ちで、返事も聞かずにリーザ達の向かいに座った。
「貴方達は?」
ザクマンは濃い警戒の色を見せながら、正面の男に聞く。
「私たちは、ジェフ・プリングル氏の使いでね。いや、正確に言うと、使いだったんですが…」
正面の荒削りな顔をした男が、皮肉な笑みを浮かべて答えた。
「ジェフ・プリングルは?私は彼と会う約束をしている。先日手紙を貰ったばかりだった。」
怪訝そうな色を顔に浮かべ、ザクマンは言った。
「残念ながら… 彼は一昨日、この想海で死にました。」
男の鋭い眼光はジェフ・プリングルの死を告げる言葉以上に、強烈に相手の心を射抜く力を持っていた。
「何だって!?」
慌てたザクマンが男に詰め寄る。
「どうしたんだ?一体何があったんですか?」
「煙草、いいですか?」
男は外套のポケットから煙草の包みを取り出し、中から抜き出した一本を薄い唇にくわえる。ちん、と勢いよくオイルライターの蓋を親指で跳ね上げ、ヤスリを回して煙草の先端に火を点けた。
「ギャングの… いや、言ってしまえばチンピラのコソ泥ですが… 滞在していたホテルの部屋で、物取りに襲われましてね。蜂の巣にされていたらしいんですよ。」
男は静かに煙草の煙と一緒に、事の顛末を吐き出した。
「おお… 何という事だ…」
ザクマンはテーブルに肘をつき、頭を抱え込む。
「ご安心下さい、博士。プリングル氏がいなくとも、貴方の身の安全は私たちが保証します。そのように仰せつかっていますので。」
ザクマンの向かいに座った男、ジム・タールの吐き出した紫煙がゆっくりと天井に向けて登り、天井から釣り下げられた豪奢なシャンデリアの周囲で踊る。
ジム・タールの隣の男は、そっと外套の襟元に右手を滑り込ませていた。
「さあ、そちらのお嬢さんも一緒に参りましょう。当方はあなた方の為に、チャーター便を用意しています。」
ジム・タールはテーブル越しに手を伸ばす。ザクマンに握手を求めていた。
次の瞬間、リーザの動きは速かった。
電光石火の速度で左脇のベレッタ・ピストルを抜き出し、構えると同時に撃鉄を親指で起こしていた。
ジム・タールの隣に座った男は、脇の拳銃を抜き出せないまま全身を強ばらせている。
「おっと、ご挨拶だなぁ。大丈夫ですよ、決してあなたがたの悪いようにはしませんから。」
リーザの拳銃を抜き出す速さに一瞬驚いたジム・タールは、それでも顔色を変えず皮肉な愛想笑いをその荒削りな顔に張り付けていた。
「話が違うわ… その手を仕舞いなさい!」
リーザに一喝されて、脇の拳銃に手を伸ばしていた男は渋々右手を挙げる。
茶館の客の視線が、一斉にこのテーブルに注がれる。
「博士、行きましょう。これは合修国の陰謀です。」
リーザは椅子から立ち上がり、油断無く男達を見据え、同様にベレッタの銃口を彼らに向けていた。
青く美しい瞳が、緊張と茶館の照明の中で宝石のように輝く。
椅子に座っているザクマンの腕を取り、強引に立たせようとする。
「俺達から逃げられるとでも思っているのか?女…」
ジム・タールは愛想笑いの仮面を脱ぎ捨て、本来の凶暴な表情を露わにして呻く。
リーザは次の瞬間、天井に向けて二発、ベレッタの7.65ミリ弾を発射した。
乾いた音が茶館に響き、客は口々に悲鳴を上げテーブルの下に隠れる。
リーザの計算通り、テーブルの上に壊れたシャンデリアの破片が降ってきた。ベレッタの発射音に驚き、身構えたジム・タール達の上にもガラスの破片が降り注ぐ。
ソフト帽と外套のお陰で、割れたガラスで怪我をする事は無かったが、それでもジム・タール達の視界を一瞬奪う。
ジム・タールは、帽子に付いたガラスの破片を叩き落として目を凝らす。その先で、全速力で逃走している二人の背中が見えた。
「ガッデム!何してやがるんだ!早く追え!」
隣の男の背中を叩き、追うように指図した。
他のテーブルから二人ずつ、二組の男が立ち上がり、ジム・タール達と同様に茶館の出口へ向かうリーザ達の後を追う。
彼らも茶館の客になりすまし、網を張っていたOSSの局員だったのだ。
「いいか!女は殺しても構わん!だが、ザクマンは無傷で捕まえろ!」
ジム・タールの怒号が茶館に響いた。
大通りの道端、虹郭茶館の向かいに一台の黒塗りのフォード・セダンが停車した。
急なブレーキでタイヤが軋んだ音を立てる。
フォードのハンドルを握っていた赤いチャイナドレスの女は、茶館の中で響いた銃声に振り返り呟く。
「一足遅かったようね。」
この状況下にありながら、女は慌てた風もなく、むしろ余裕の色さえ浮かべているようであった。
その物憂げな仕草は、女をより濃艶に映えさせていた。
その女、大道寺麗華はフォードの運転席から後方へ乗り出し、後部座席を持ち上げた。
フォードの後部座席の下は隠しトランクになっており、その中で凶暴な武器が無言で出番を待っていた。
木製の握把部を掴み、その本体を取り出す。
同じく後部座席下に収納されていた、百発の.45口径弾を詰め込んだ鼓胴式弾倉(ドラム・マガジン)を取り上げ、その本体に装着する。
遊底槓桿を引き、発射準備を整える。この動作方式は遅延吹き戻し式で、尾筒と閂子の斜面間に生ずる摩擦で閉鎖機の解放を遅らせる機構だ。
トンプソンM1928短機関銃は、麗華の腕の中で静かに息を吹き返した。
リーザとザクマンは茶館の出口に向け、全速力で走った。
背後から迫る足音は、先程会った二人分だけでは無かった。
前もって配置されていた敵。おそらく、合修国のOSS(軍事戦略局)のメンバーだ。
背後から銃声が数発。
リーザが横をすり抜けたテーブルの上で、敵の放った弾頭が当たって炸裂する。木の破片が着弾の衝撃により飛び散り、弾頭は変形したまま跳弾となって茶館の壁に食い込む。
リーザ達はテーブルの間を縫うように走った為に、偶然にも敵の銃弾から身をかわせていたのだ。
前を走るザクマンは、既に息を切らしていた。足がもつれかけている。
出口近くで逃げまどっていた茶館の客の数人が、追っ手の威嚇射撃の犠牲となった。男達の放った凶弾を受け、茶館の床や壁を鮮血で染める。
ザクマンは出口の扉に体当たりをして、茶館の外に飛び出す。リーザは扉の前で向きを変え、跪いて追っ手の一人をベレッタの照星に捉えた。
立てた右膝に右肘を乗せ、ベレッタを両手で保持して引き金を二度引き絞る。
放たれた二発の.32口径の弾頭は、先程ジム・タールの隣にいた男を正確に捉えた。
男は胸に二発の.32口径の弾頭を食らい、握っていたコルト・ポケット.32を放り出して大の字に倒れる。一発は肺を貫き、もう一発で心臓を破裂させられて男は即死した。
男が倒された事で一瞬、敵の追跡と執拗な威嚇射撃が止んだ。
その隙に、リーザは茶館の外に飛び出す。
ザクマンの背中を押し、大通りを横切るように指図する。
茶館の扉が着弾の衝撃で震えた。木の破片と漆喰が、茶館の前の石畳に飛び散る。
追っ手は半ばやけくそになっていた。男の一人が扉を強引に蹴り破る。
敵の数は予想以上に多い。リーザの顔に不安の色が走った。
夜のとばりを降ろした大通りは、立ち並ぶ茶館の明かりで昼間のように明るかった。突然の銃撃戦に驚いた通行人や人力車が立ち止まっている。
リーザとザクマンは、通りを横切ろうとして走った。
その時リーザの視界に、道端に停車していた黒塗りのフォードが飛び込んで来た。
フォードのドアが開き、人影が現れる。
黒いフォードのボディをバックに、鮮烈な赤いチャイナドレス。
長い黒髪が夜風で翻り、その美しさにリーザは一瞬目を奪われた。
だが、その右手に提げた大きな凶器は、凶悪な殺気と洗練された機能美を併せ持つ鉄の悪魔だった。
その女が携えた禍々しい凶器は、絶妙の均衡をもって美しいシルエットにアクセントを加えていた。
優雅とも言える動作でこちらに銃口を向けた、短機関銃に取り付けられた巨大な鼓胴式弾倉を見た時、リーザの心に絶望感が沸き上がる。
ここにも、敵… 絶体絶命。もはや、逃げられない。
「“こっちへ来なさい!車の後ろに隠れて!”」
美しいシルエットの澄んだ声が大通りに響く。
流暢なプロシア語だった。
リーザとザクマンは迷わずフォードの後方に向けて走る。
その時、赤いチャイナドレスを着た女の腕に抱かれていた、破壊と殺戮をもたらす凶器が火を吐いた。
茶館から真っ先に飛び出した追っ手の一人の首から上が、.45口径の連射を受けて消失した。それは短機関銃を操る女の、一点に集弾させる見事な腕を物語っていた。
続いて女は肩付けしていた凶器の銃床を脇に挟み込み、銃口を右から左になぎ払う。
凄まじい連射音が大通りに轟き、硝煙と血しぶきが歓楽街を制圧した。
大道寺麗華はトンプソンM1928短機関銃を腰だめで構え、引き金を引いてはゆるめるという動作を繰り返していた。弾薬の節約と、連射による反動を抑える為である。
.45口径の弾丸は強力な破壊力と、突進する敵を停止させる力(ストッピング・パワー)を持っている。
拳銃や短機関銃で使われる米軍制式弾の.45コルト弾と、同じくライフルの制式である30-06弾とは、薬莢の長さこそ違うが底部(リム)を合わせるとぴたりと一致する。これは共通の製造部品とする事で、生産性を向上させるのに一役買っている。
この百発入った鼓胴式弾倉(ドラム・マガジン)は、他にも五十発入りもあり、装填時には実包を一発づつ押し込んだ後、内部のバネを特殊な鍵で巻き上げなくてはならない。更にこれは携行時にかさばるうえ、泥や埃の影響を受けやすく故障が多いという欠点を持っていた。
後に米軍制式となったM1型は、この鼓胴式弾倉を廃して、故障の少ない二十連および三十連の箱形弾倉(ボックス・マガジン)のみを使用する。本体の構造も簡略化され、銃身に設けられた冷却用のヒダと、銃口に付けられた仰起防止装置(マズル・コンペンセーター)は省かれた。複雑な遊底の遅延機構も単純な後退式となり、指の形に刻まれた前方握把は真っ直ぐな形のものに取り替えられている。
.45口径の反動は大きく、通常の毎分七百発以上の発射速度では麗華でさえ操るのは難しい。そこでこのトンプソンは、完全自動時の発射速度を毎分五百五十発程度に抑えるように調整されていた。
リーザはザクマンに続き、黒塗りのフォードに走り寄る。
短機関銃の銃口から発する火箭が迸り、残忍な破壊力は群がる追っ手を切り裂き、茶館の壁を次々と削り落としていた。
リーザはすれちがいざま、その凶暴な短機関銃を意のままに操る、赤いチャイナドレスの女を盗み見た。
…美しい…
リーザ・ルスカはそう思った。
“Drache”(竜)…
そんな言葉がリーザの脳裏をかすめる。
子供の頃に聞かされたお伽話、胸躍る思いで読んだ騎士の冒険譚、その中で『竜』とは常に邪悪の化身であった。
しかし、ここ東洋では伝説の聖獣として神格化されていると聞く。
人々に破壊と恵みをもたらす、荒ぶる神。
それは短機関銃の銃声という雷鳴を轟かせ、血の雨で街を朱に染める美しき破壊神としてリーザの前に姿を現した。
「ファック!何てこった… とんだ騎兵隊だぜ。」
茶館の床に身を伏せ、ジム・タールは呻く。
敗北感と屈辱に唇を歪め、脇の革ケースから抜き出したコルト1911A1の銃把を握りしめる。右手の中で、力を込めて握った拳銃と接している部分が白く変わる。
ジム・タールの側に、頭部に被弾して倒れた男の死体が転がっている。ぱっくりと割れた頭蓋から、赤い血とゼリー状の脳奬が床に流れ出していた。
「ひでえもんだ。大戦中の塹壕戦を思い出すねぇ…」
ジム・タールは肩をすくめ、安全な場所へ匍匐(ほふく)しながら移動する。
「乗って!早く!」
麗華はフォードのドアを開き、運転席に滑り込む。
後部座席にカール・フォン・ザクマンとリーザ・ルスカが乗り込んだのを確認し、安全装置をかけたトンプソンを助手席に放り、ギアをロゥに叩き込んで乱暴にフォードを発車させた。
ききっとタイヤの軋む音を立て、フォードは走り出した。
大通りの通行人は、鬼のような勢いで迫るフォードに慌てて道を空ける。
後部座席のリーザは、手に握っていたベレッタの撃鉄を中立位置に戻し、脇の革ケースに仕舞った。
「あなたは?」
リーザは身を乗り出し、フォードのハンドルを握る女に尋ねる。
「カール・フォン・ザクマン博士ですね? お迎えに参上しました。私は『D機関』の者です。」
大道寺麗華は前方から目を離さずに応えた。
續
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