SCARLET DRAGON 緋龍

 

暁の緋龍 娯

 

 「喋る! 何でも喋るから… 助けてくれ!」
 男の哀願が客間に響く。
 「そう? いい子ね。最初からそう言っていれば痛い思いもしなくてよ。」
 麗華の声は優しく響いた。
 「た、助けてくれるのか?」
 「あなたは手伝わされただけでしょ?」
 「そうだ!そうなんだ!俺は何もしちゃいない。」
 首を必死で揺すって答える男の切り取られた耳の跡から血が滴り落ちる。
 「誰? あいつは見当が付いてるけど… あいつだけでは無いでしょ?」
 「あいつは将(チャン)と言う。それと、林の兄貴が一緒だった。」
 「二人はどこにいる?」
 「湖心園(ホーシンユェン)という茶館の二階だ。あそこは表向きとは違う売春宿で、林の兄貴はヒモになって女の所に転がり込んでいる。将も一緒の筈だ。」
 「そう。本当ね?」
 「嘘じゃない!嘘をついても仕方がない。でも、喋った以上は俺は兄貴に殺される…」
 「心配しないで。林は私が息の根を止める。」
 「じゃあ、本当に助けてくれるのか?」
 男の情けない顔を尻目に麗華は立ち上がり、客間の奥の棚にあるベンジンの瓶に手を伸ばす。他の部屋からベッドのシーツやカーテンなど燃えやすいものをかき集め、縛って寝かされている男の周囲に放った。
 ベンジンの蓋を開け、男と周囲の可燃物にたっぷりと振りかけた。
 「ど、どうする気だ!助けてくれるんじゃなかったのか!?」
 男は体をばたばたと動かせ、迫り来る死の恐怖から逃れようとしていた。だが動けば動くほど、縄はきつく体に食い込んでゆく。
 堪らず失禁した。ズボンの前が重くぐっしょりと濡れている。
 麗華はマッチ箱から一本マッチ棒を取り出し、箱の側面に擦り付けた。
 ぼっと勢いよく炎があがり、徐々に棒の軸に火が移ってゆくのを眺めていた。
 「愛蓮も言った筈よ… “助けて”ってね…」
 「うわぁぁぁぁぁっ!やめろ!やめてくれ!」
 そっとシーツの上に小さな炎が落とされた。
 ぼんと爆発的に広がる炎は、男の上げる空しい悲鳴も一気に舐め尽くしてゆく。
 死体を焼く時と同じ異臭がただよう。
 火の勢いが大きくなったのを確認し、麗華はボストンバッグを提げて部屋を後にした。
 ふと立ち止まり、炎に巻かれてゆく自分の部屋の閉じられたドアを見た。

 …ごめんね、愛蓮… 私は誰も救うことが出来ない…

 悲しい目線だけを残し、緋龍は燃えさかる炎の彼方に姿を消した。

 数日後の晩、茶館湖心園の店の裏通りに麗華の姿があった。
 愛蓮を輪姦したチンピラと一緒に王が用意した住処を焼き払った麗華は、この数日間あらかじめ用意していた幾つかのアジトのうちの一つに、身を隠して機会を伺っていたのだ。
 長い髪を後ろで束ね、動きやすい労働服を着ている姿は店の裏方で働いている女に見えたか、誰も気に止める者はいなかった。
 湖心園の店の裏口から、店内を通過せず階段へ直接行くことが出来る。
 二階へ姿を現した麗華は、階段を上ったところに立て掛けてあったモップを取り、バケツを片手に提げる。
 並んだ部屋のドアの一つが開き、歳の頃は三十過ぎの商売女が現れた。
 麗華はすれ違いざまにうつむいたまま女に聞く。
 「すみません。将さんと林さんの部屋はどこですか? 掃除を頼まれたのですが…」
 女は胡散臭い目で麗華を睨め付け、さも大儀そうに言い放つ。
 「ああ、奥の向かいどうしの部屋だよ。」
 「ありがとうございます。お二人はいらっしゃいますか?」
 「林は見かけないね、寝てるのかな? 将なら今、真っ最中だよ。」
 悪戯っぽく女は笑う。
 「すみません、ありがとうございます。失礼します。」
 麗華の卑屈な態度に、女の持つ高飛車な性格が誘発されたのだろう。女は汚らしいものを見る目で麗華のじろりと睨み付けた。
 舌を鳴らす。
 「では…」
 礼をして麗華は顔を上げる。
 女の目を見てにやりと笑った。
 女は麗華の目に見据えられた瞬間、頭のてっぺんからつま先まで電流が走ったような衝撃に捕らわれる。
 凄い美人だ。自分など足下にも及ばない程の…
 だが女を打ちのめした衝撃はその美貌だけでは無かった。発散する気だ。そして、目に宿るどす黒いばかりの情念。
 殺される… この目に睨まれて生きては帰れない。
 そんな強迫観念が心に拡がってゆく。
 肥大しきった自尊心が小さくしぼんでゆくのを感じながら、女は麗華にぶつけられた気に必死で耐えていた。
 再び肩を落とし、廊下の向こうに消えて行く掃除婦を女は眺めていた。いや、目が引きつけられたままだったのだ。歩こうにも体が思うように動かない。
 怖かった。
 女は頭を振り、たどたどしい足取りでようやく一歩を踏み出した。
 
 麗華は奥の部屋の前で耳を澄ませる。
 右手の部屋から女の甘い声がする。左手の部屋からは物音がしない。
 女の話どおりだと右手の部屋に将がいる。
 麗華は将から先に襲う事にした。
 上着の前の釦を外し、脇の革製ホルスターに納めた拳銃に手を伸ばす。ワルサーPPKとは違い、太くがっしりとした銃把だ。
 ドアノブは廻った。鍵はかかっていない。
 静かにドアを開いた麗華は部屋の中を伺う。
 入った所ですぐに壁が立ちはだかり、奥の様子は見えない。
 麗華はドアの前にバケツを置き、右手を脇に差し込み左手にモップを持ったまま、足音を殺して忍び込む。女の喘ぎ声が更に大きくなっていた。
 後ろ手にドアを閉じる。内側からかける事が出来る真鍮製の閂を押して回す。
 部屋には大きなベッドが据えられており、その上に一組の男女が組み合っていた。
 仰向けになった男の上に乗った女が髪を振り乱し、腰を激しく動かしている。
 麗華の位置からは女の影になり顔が見えないが、男は将である事は間違いない。
 女の背後に忍び寄った麗華は、モップを横殴りに振る。
 モップ先端の木製の角が、女の左こめかみの一寸(約3センチ)上に叩き込まれた。
 女は絶頂の中、男の体の上に崩れ落ちるように昏倒した。
 これは工作員が任務遂行中の所を一般市民に目撃された場合、その目撃者を殴り倒すには最も有効と言われる急所の一つだ。ここに打撃を受けた場合、当然気絶する訳だが、気絶する前の数分間の記憶が飛ぶ。
 麗華は素早くベッドに飛び乗った。
 気絶した女にのしかかられた男は、驚愕に見開いた目で麗華を見る。
 仰向けになった男の口にモップの柄を突き込む。意識を失った肉布団のせいで男は身動きが取れない。
 「声を立てると殺すわよ。」
 麗華の命令に男はモップの柄を口にくわえたまま、頭を小さく上下に動かす。
 間違いなくあの日に愛蓮を襲っていた男の片割れだ。麗華の蹴りを受けて気絶した男、将だ。
 押さえつけたモップを左手だけで支え、麗華は右手を脇に差し込んだ。
 抜き出された右手には、絶妙のバランスと美しい造形に凶悪な破壊力を秘めた大型拳銃が握られていた。
 ワルサーP38。
 信頼出来る命中精度とシンプルで故障の少ないショート・リコイル・ブローバック機構、そして独創的なアイデアであるダブル・アクション機構は、その後の世界の軍用拳銃の雛形となった名銃だ。更に使用する9ミリ・パラベラム・ルーガー弾は、高速にして有効射程距離も長く、至近距離では十分な破壊力を持った高性能弾丸である。
 通常のワルサーP38に比べ、若干銃身が延長されているように見える。照星の前に突き出したそれには、上方に向けて小さなガス抜きの穴が三個穿たれていた。
 マズル・サプレッサーと呼ばれる、弾丸発射時にガスを上方に吹き出させ、連射時の反動により銃口の跳ね上がりを押さえるものだ。
 このワルサーP38は、八洲の登斗研究所が丹念に作り上げた特別製だ。これは麗華が渡されたボストンバックに入っていたものである。麗華は隠れていた数日間をアジトから郊外の山に出向き、このワルサーの照準調整に費やしていたのだ。
 「林はどこ?」
 麗華は男の口からモップを抜いた。
 「し、知らないんだ… 今日は林の兄貴の顔を見てない。」
 「隠すと為にならないわよ。この背中からでも、あんたのどでっ腹に風穴あけることだって出来るんだからね。」
 ベッドの上に仁王立ちになった麗華が向けたワルサーの銃口を、男は憑かれたように睨んでいた。
 突然奇声を発し、女の体を跳ね除ける。
 麗華は反射的にベッドから飛び降りる。
 「わぁぁぁぁぁぁっ!助けてくれぇっ!兄貴ぃぃぃぃっ!」
 情けない悲鳴を上げ、全裸の男は部屋の出口に向けて駆け出した。
 麗華のワルサーP38が短い発射音で二度吠えた。
 両足の膝を撃ち砕かれた男は、崩れるようにして床に這いつくばる。
 「声を立てるなと言ったのに…」
 怒りとも哀れみともつかぬ麗華の声が低く流れた。
 再びワルサーが銃声を吐き出す。
 「ぐあっ!」
 男は悲鳴を上げて痙攣した。右手の甲に命中した9ミリ弾は、男の人差し指と中指を根元から吹き飛ばす。
 エキストラクターに引き出された9ミリ弾の空薬莢は、麗華の右斜め上を弧を描いて飛び、床に落ちて真鍮の澄んだ音を立てる。
 次の銃声で、男は完全に床にひれ伏した。左上腕を貫通した弾頭は骨を砕き、腕はやっと皮一枚でつながっている状態になっている。
 「うわぁぁぁ… 痛てぇよぉ…」
 男の呻きを尻目に麗華は上着の釦を全て外した。
 上着の前を開き、右の脇に吊っていた異常に長い弾倉を引き出す。ワルサーP38の銃把下の弾倉止めを押し、三発減った通常の弾倉をポケットに仕舞うと、その長い弾倉を銃把底部から叩き込んだ。
 これも特製の二十二発の9ミリ・ルーガー弾が装填された弾倉だ。
 更に右脇の弾倉と並んで頭を覗けている鉄のパイプを引き出す。T字になっているその端を持って振り下ろすと、かちんと音を立てて二段式に収縮したパイプが伸び、ロックの掛かる音がする。
 ワルサーの銃把下後方に取り付けられた凸部に、パイプのT字反対に作られた凹部を合わせて押し込んだ。
 折り畳み式の金属銃床は見事にワルサーP38と一体化する。
 騒々しい足音が廊下に響いた。麗華は戸口から死角となる場所へ移動する。
 激しく戸を叩く音。続いて銃声が幾つも重なって響いた。
 掛けられた閂を撃ち抜いた男達は、戸を蹴り飛ばし部屋の中に殺到した。
 部屋の中に向けて銃を乱射する。倒れていた全裸の男と女は、男達が撃った弾に当たり着弾の衝撃で跳ね上がる。
 麗華は壁の影でワルサーの安全止めと遊底の下、銃把の上方に取り付けられたスゥイッチ・レヴァーを静かに下ろす。
 目に入る物を片っ端から撃ち抜いた男達は、弾倉が空になった拳銃を構えて部屋に入って来た。
 麗華のワルサーP38が鋭い連続発射音を放った。シアーの動きが解放され完全自動(フル・オートマチック)と化したワルサーは、一分間に900発と言う凄まじいスピードで弾頭を吐き出してゆく。
 反動も強烈だ。麗華はワルサーを腰だめに構え両手で保持し、脇に銃床を挟み込んで襲い来る反動に耐えた。
 一瞬にして、部屋に入ってきた男達三人をなぎ倒す。
 無数の銃弾を受け、既に虫の息の将を一瞥した麗華は戸口に向けて移動した。
 部屋の外の気配を伺う。足下の倒れた男が握っていた拳銃を拾い上げる。弾倉回転式だが、何処の製品ともつかない粗悪な模造拳銃だ。
 麗華は戸口に向かってその拳銃を放った。
 拳銃が床に踊る音に呼応するかのように銃声が響く。
 麗華はポケットから携帯用のオイルライターを取り出した。
 上等な造りに見せかけたそのライターの、火打ち石を擦る丸ヤスリと連動した発火蓋のレヴァーを押した。
 ぽっと小さくオイルが染み込んだ芯に火が灯る。麗華は更に強く発火レヴァーを押し下げる。
 しゅぅぅぅんと、灯った火の横から勢いよく火花が吹き出した。
 麗華は火花を吹くライターを戸口に向けて下手投げで放り、素早く部屋の奥に向かって走り伏せる。
 部屋を揺るがす轟音が轟いた。
 ワルサーのスゥイッチ・レヴァーを半自動(セミ・オートマチック)の位置に戻した麗華は立ち上がって、用心深く破壊された戸口の方へ向かう。
 ライターは巧妙に偽装された小型手榴弾だった。これも特製のワルサーP38同様、登斗研究所の傑作特殊兵器だ。
 戸口にはおそらく二人いたのだろう。今となってはバラバラに吹き飛んでしまっていて、仮に家族が見ても誰だか判らない状態だ。
 麗華は、廊下に身を投げ出すようにして飛び出した。
 途端に薄闇に包まれた階段の上段から、毒々しい銃火が襲う。頭上二寸(約6センチ)上空を、空気を切り裂いて弾が通過する。ほとんど同時に.45口径の耳をつんざくような轟音が響いた。
 転がったまま廊下に伏せた麗華は、銃火の発した場所に向けて半自動のワルサーP38の引き金を絞る。
 突き抜けるような鋭い発射音に呼応するかの様に、階段の上段から第二弾の狙いを点けていた男が、頭部を巨大なハンマーに叩かれたようにしてのけぞり、後方へ吹き飛んだ。手にしたコルト・ガヴァメントを放りだし、階段を音を立てて転げ落ちてゆく。
 廊下を駆け抜け、階段を二段飛びで降りた麗華は、踊り場まで落ちて倒れている男を飛び越えて、更に一階へ向かって駆け下りる。
 一階の茶館は既に大騒ぎとなっていた。階上で起きた銃声と爆発音に危険を察知した客と従業員が一斉に出口に殺到していた。つまづいた一人の上に他の者が倒れ込み、将棋倒しの惨事となっていた。
 ビリヤード台の影に隠れた用心棒たちが数人、階段登り口に向けて銃声を放っている。
 次々と壁にめり込む銃弾を避けて、麗華は階段へ後退した。
 踊り場まで登った麗華は、ホルスター右脇の二十二連弾倉を一本引き出し口にくわえる。先程、階段上で倒した男が持っていたコルト・ガヴァメントを拾い上げ、腰に差した。
 ポケットから、紙巻きたばこ『ほまれ』の箱を取り出す。蓋の紙を裂いて中身のたばこを一本引き出す。箱から半分抜け出た状態になったたばこに、オイルライターで火を点けた。
 たばこの芯が火を噴き出す。麗華はすかさず、『ほまれ』を箱ごと階下に向けて放り投げ身を伏せた。
 爆発音と凄まじい閃光が一階の茶館に拡がった。
 これは、何の変哲もないたばこの箱に見立てた閃光型手榴弾だ。
 麗華はワルサーP38のスゥイッチ・レヴァーを完全自動の位置に下ろし、一階に躍り出る。
 階段登り口に神経を集中していて、突然の閃光に目をやられた用心棒たちを、ワルサーの連射で次々と血だるまに変えてゆく。
 弾倉が空になり、遊底が後退した状態で止まる。銃把下の弾倉止めを押して空になった弾倉を落とした。口にくわえていた新しい弾倉を銃把に叩き込む。
 既に銃身は相当な熱を持っている。遊底止めに親指を伸ばし、下に向けて押さえた。かちんと音を立て、前進した遊底が弾倉上部の初弾をくわえ込んで薬室に送り込む。
 ワルサーを左手に持ち替え、腰のコルトを右手に持った麗華は、店の厨房に続く出入り口に向かった。
 コルト・ガヴァメントには、銃把後方にグリップ・セフティと呼ばれる安全装置が存在する。手の小さい女にとって、太い銃把に加えこの安全装置のせいで指が引き金まで回りきらず射撃が困難となるのだが、指の長い麗華には何の支障もない。
 厨房には男が一人立っていた。右手に料理用の大包丁を持っている。
 「待ってたぜ。あんただったのか… あの沈と紫衣団の奴らを片っ端から潰して、ついでに俺の子分をバラしたのは…」
 「あんたは?」
 麗華は直感的に判った。この男が林。そしてこいつは八洲人。
 生まれた国を追われてこの想海(シャンハイ)に居着き、様々な生業で生計を立てている八洲人は大勢いる。この男もその口で、流れてきた先のこの街でゴロツキとして生きているのだ。
 「俺が林だよ。会いたかったぜ。驚いたよ…」
 「どうして?」
 疑問を口にした麗華の顔は無垢な少女のようだった。
 「どんなおっかないヤツかと思いきや、とびっきりの美人だぜ。」
 「そう?」
 男は包丁を正面に構える。狭い厨房の床の上で、じりっと一歩を踏み出した。
 「銃を仕舞え、女! 俺と勝負しろ!」
 麗華の右手のコルト・ガヴァメントが轟音を上げる。
 .45口径の重い弾頭は男の体を軽々と吹き飛ばした。
 男の握っていた大包丁が派手な音を立てて床に転がった。
 「何言ってるの? 馬鹿。」

 
 『第二七条 任務遂行中ニ於イテハ如何ナル場合モ個人的利権並ビニ怨恨ニヨル行動ハ慎ミ、マタコレヲ禁ズ』

 …悪いけど、あんたらのルールには従えないわ。
  これが私に許された、せめてもの自由…