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SCARLET DRAGON 緋龍
暁の緋龍 刺
麗華は夜空を見上げた。
満天の星空は地上の穢れを知らない。
たった今まで血と硝煙が交錯する殺戮が、太陽の影に隠れた球体の片隅で行われていた事実を知る由もない。
西の空、高層建造物の天辺に、満月に近い月が煌々と輝いている。
月明かりを浴びた麗華は、歩むのを止め瞳を閉じる。
ふっ。と麗華の吐息が、夜の街を渡る風に消えた。
黒いドレスに身を包む可憐にして妖艶な魔女は、夜な夜な地上に降りて殺戮を繰り返すという月の女神ヘカテだったのか。
麗華は手にしたS&W・M10のラッチを押して弾倉を振り出した。シリンダー・ロッドを銃身方向から押さえ、薬莢の尻が持ち上がった六発の.38スペシャル弾を抜こうとした。
突然、分解して捨てるつもりでいたM10の弾倉を勢いよく戻す。先程一発撃って、空になった薬莢の雷管が撃鉄の前に来るように戻した。
麗華は走った。狭い路地へと身を隠す。
走りながらM10の撃鉄を親指で起こした。ぎじっ、と弾倉が回り次の弾丸が撃鉄の前に来る。スミス&ウエッソンの弾倉回転式拳銃はコルトとは逆に弾倉が左へと回る。銃身内部に彫られた旋条もコルトとは逆に右回りだ。
足音が近づいてくる。二人分。
建物の隙間の狭い路地を走り抜け、反対側に出た麗華は、今しがた通り抜けた路地の向こうに人影を確認した。
路地に銃声が木霊し、麗華の左肩近くを弾頭がかすめる。
麗華はカンに頼ってM10の銃身を、路地の向こうの影に合わせて一発放つ。
空しく夜気の中に消えて行く、.38スペシャルの弾頭。
麗華がこのS&W・M10を殺した相手から奪った理由は、愛銃ワルサーPPKの7.65ミリより.38スペシャル弾のほうが至近距離での殺傷力が格段に上である為だ。
油断なく気配を伺う麗華は、両手に構えたM10をそっと降ろした。
敵の気配が消えた。何処かに去って行ったのだ。
尾けられていた。だがあの身のこなしは、到底組織のチンピラでは考えられないない、相当に訓練された動き。
今は考える暇は無い。麗華も夜の街に身を眩ませた。
麗華がアジトへ帰った時、笑顔で出迎えた愛蓮がいた。
「おかえりなさい。何だか大変な事があったらしいのよ。心配したんだから。」
何も知らない愛蓮は、街で起こった銃撃戦の噂話を夢中で麗華に喋り始める。
「愛蓮。今日、お店は休みなの?」
黒いドレスの裾を広げ、ソファーに腰を降ろしながら麗華は聞く。
「お店どころじゃないよ。紫衣団の奴らがまだその辺りをうろついてるかも知れないのに。」
「そんな事はないわ。」
根も葉もない噂話を本気で信じている愛蓮に、優しく笑って答えた麗華は愛蓮が持って来た盆の上に乗っている湯飲みを受け取った。
上等な茶だった。小さな花が湯の中を泳ぎ、湯気に混じってほのかに花の香りがする。
鼻腔をくすぐる湯気と口の中に広がる滑らかな味は、疲れと緊張が解きほぐされるようだった。
麗華の隣に腰を降ろした愛蓮は突然黙り込み、静かに麗華を見つめていた。
「どうしたの、愛蓮?」
「麗華さん… いつも帰って来た時、血の匂いがするの。」
麗華は愛蓮の顔を見た。先程とは打って変わった暗い表情に笑って答えた。
「そう? 気のせいよ。」
「危ない事をしているの? 私の知らないところで…」
「安全な事なんて何もない。保証なんてないのよ。生きている限り。」
麗華はテーブルにそっと湯飲みを置いた。
隣に座った愛蓮の髪を撫でながら麗華は静かに答える。
「愛蓮、この世には色々な人がいて様々な事が起きているの。あなたの知らないところで、あなたの想像も付かないような事だって起きている…
あなたは自分の生き方を真っ直ぐに進みなさい。あなたに相応しい道がきっとある筈だから。」
麗華の両脇から両腕を背中に回し、胸に顔を埋めた愛蓮の頭をそっと両手で包み込むように抱きしめた。
顔を上げた愛蓮は麗華の瞳を覗き込む。
今度は両手を麗華の首に回し、その細くしなやかな身体を麗華に押し付けて来た。
重ねた唇は暖かかった。
触れ合う舌の柔らかさを愉しみながら愛蓮の胸を撫でさする。突起し始めたものが服越しからでもわかる。既に指を弾く程の弾力を持っていた。
上着の裾から手を差し入れた。柔らかな愛蓮の胸に直接触れる。固くなった先端を指の間に挟み弄んだ。
曲げた膝を愛蓮のスカートの内部に侵入させ、両足の付け根の奥を膝小僧で擦り刺激する。ガードルで固定されたホルスターの収まったワルサーPPKが、スカートの繊維に引っかかり滑らかに動かない。
だが、徐々に愛蓮のじっとりと濡れだしたものから、流れ出した液体が麗華の太股を伝う。
「んんっ… はぅ…」
耐えきれなくなった愛蓮は、麗華の唇の隙間から熱い吐息を漏らす。
顔を離し、麗華の目を覗き込む愛蓮の目に宿る光には、湧き出す欲情と堪えきれないような切なさが支配していた。
「わたし… 麗華さんの全てが欲しい…」
愛蓮は背中に回した両手で、麗華のドレスの釦を外した。黒い肩紐に指をかけて静かに下ろしてゆく。
麗華の均整のとれた肩から腰のラインと形の整った胸が、蝋燭の明かりの中で露わになる。
ベッドに身体を横たえている麗華は、小さくしがみつくように身体を密着させている愛蓮の髪を撫でていた。
愛蓮は頭を上げ、麗華の腕に乗せる。
麗華の顔を見るなり悪戯っぽく笑った。
「ごめんなさい。驚いたでしょ? わたし、こんなことするつもりじゃ無かったの… 麗華さんはきっとまた何処かに行ってしまう。そう考えた時に、何だかとても辛くて…」
「何があっても私は驚かない。いちいち驚いてなんかいられない。」
天井を見つめる麗華の瞳は、彼方の闇を見据えていた。
それは、数々の見なくてもいい筈の闇を見て来た瞳だった。
「そうね… 私の知らない麗華さんもいるの… でもこうして一緒にいるときは私の知っている麗華さん。だね?きっと…」
湯飲みが倒れたテーブルの上で、こぼれ落ちた茶で作られた水たまりに中に、小さな花が三つ四つ浮かんでいた。
魔都は平和な時を取り戻していた。
昨晩の血で血を洗うような組織同士の抗争が嘘のように、日常の普段と変わらない生活を人々は営んでいた。
“紫衣団”の主戦力は既に壊滅状態だ。“洪氾団”の王は間違いなく、紫衣団を一気に潰しにかかるだろう。紫衣団が再び戦力を整えるまでに勝負を賭ける筈だ。
市場の賑やかな通りの中を、地味な色の普段着を着て歩く麗華の姿があった。
地味に装っているがその美貌としなやかな歩みは、道行く人を次々と立ち止まらせた。
豆腐や粥を売る屋台が並ぶ通りを通過した麗華は、大通りから外れた所に構えた古ぼけた屋台の前の椅子に腰を降ろす。先客はいない。
タンメンを屋台の奥に立つ男に注文する。血色のいい禿頭を光らせた男は、麗華の顔を見るなりにっこりと笑った。
少々乱暴に麗華の前にドンブリが置かれる。つゆに浸かった麺だけの簡素なものだ。
長い髪がドンブリに入らないように片手で押さえ、箸を使って摘み上げた麺を啜る。紅い唇が妖艶に動き、白い麺が吸い込まれる。
「気を付けな、姐さん。どうやら第三勢力が本腰を入れて来たらしいぜ。」
男は流暢な八洲語で麗華に囁いた。
「第三勢力?」
顔を上げて麗華は男を見据える。男の名前を麗華は知らない。だがこの男こそ“D機関”の連絡員であり、麗華にとってこの街での唯一の協力者だった。
「霧郷(アルヴィオン)諜報部が、洪氾団の王のバックに付いているらしい。仕切っているのはロジャー・ベイカーと言う男だ。」
「私たちの動きを一番煙たがっているのはアルヴィオンだからね。昨日私を尾けていたのも、多分そいつらね。」
「上の奴ら、作戦を変えるかも知れないと言う話だ。」
「私はこのまま動いていていいの? 今更撤収なんて無いでしょうね?」
「特に何も言われてはいない。」
「そうさせて貰うわ。いいところまで行ってるんだから。」
「派手だったね、昨日は。」
「予定通りよ。」
「まあね。」
「頼んでいたものは来てる?」
「ああ、そいつだ。持って行きな。」
男は屋台の長椅子の端に置かれたボストンバッグに顎をしゃくった。
「ありがとう。助かるわ。」
「“登斗”の奴らも物騒なオモチャを作りやがる。ここまで持ってくるのも冷や汗ものだったぜ。」
「何かあった時は、それはそれで運が無かっただけよ。」
「かもな。」
男は禿げた頭を手の平でつるんと撫でた。
愛蓮は市場で揃えた買い物をテーブルに置く。
住民全員が使う共同厨房に愛蓮の鼻歌が響く。
がたんと玄関のドアが開く音がした。
愛蓮は厨房の戸に走り寄り、嬉しそうに輝かせた顔を覗かせる。
「麗華さん? 帰った…」
上がり込んできた男達の顔を見た愛蓮は硬直した。
手から落ちた檸檬が床に転がる。
宛われたアジトへ帰った麗華は、ドアを開いた瞬間異様な気配を察した。
故意に作ったような静けさが住宅の中を支配していた。
玄関から客間に足を踏み入れた時、その気配が形となって現れた。
反射的に身を屈めた麗華の頭上をよぎる、鈍く空気を切り裂く音。
抱えたボストンバッグを床に置き飛び退く麗華が見たものは、振り上げた長い棒を脇に構えた男だった。
先日、愛蓮を部屋で強姦しようとして麗華に倒された男だ。笑った口元の前歯が欠けていて、喋るとそこから空気が漏れている。
「待ってたぜ。俺はどうにも、てめえをブチのめしてやらなきゃ気が済まねえんだ。」
麗華が挫いた左肘を庇うようにして棒を構えている。
だが、得意げに棒を器用に振り回す男は、この棒術に余程の自信あるらしい。
「きえぇぇぇーっ!」
気合いを放って男は麗華に襲いかかる。
回転する棒から間一髪で避け、横方向へと麗華は飛んだ。
代表的な武器である“棍”と呼ばれる棒術は、刀、剣、槍に並んで“四大武器”の一つに挙げられている。基本的に『円』の技法を使う棍と刀に対し、『纒絲(ねじり)』を主体とする剣と槍は難解で、習得するのは長年月の修練が必要と言われている。
麗華は客間の中央に据えられたテーブルの下に飛び込む。振り下ろされた棒がテーブルにぶつかり音を立てる。
円の動きを主体とするこの棍法は、狭い室内では充分にその真価を発揮できない。
麗華はテーブルの下から見えた男の臑を、身体の収縮を利用して蹴り飛ばす。
「ぐうっ!」
男は臑に受けた痛みに呻きながら数歩後退した。
テーブルの下から現れた麗華は開いた両手を交差させ、膝を絞ってやや内股に構える。
男は棒を縦に構え、突きの攻撃に転じた。
目前に迫る棒を前に出した左手で払い、懐に踏み込んだ麗華は払った左手で男の顔を打つ。続けて喉を右手で突き、とどめに充分に体重の乗った右拳を男の腹部に打ち込んだ。
どくっ、と鈍い音が男の腹部で炸裂する。男は棒を放り出して倒れた。
この凄まじい威力を持った突きは、自然に肩を出す伸びやかなものではなく、打った瞬間に肩から脇、腰にかけて引き締めるような打法である。つまり標的に当たった瞬間に身体を一つにまとめ、全身の力を拳に集中させる『整勁』と呼ばれる発勁法である。
これは南拳の中でも特に名門と呼ばれる流派に伝わる高度な拳理だ。
麗華の得意とするこの技は、狭い歩幅と短打そして緻密な手技を得意とする詠春拳である。
白鶴拳と詠春拳については創始者は女という伝説が囁かれているが、それはその内股で脇を引き締めて戦うスタイルからそのような創始譚が生まれたのではないかと言われている。
男は腹部を押さえて立ち上がった。咳き込む口から血が滴り落ちる。
麗華の拳は容赦無かった。
男の眼前に飛び込み、前に出ていた足を踏みつける。動きを制した男に、拳と肘による連続攻撃を見舞う。
どん!と、麗華の両手が男の胸に炸裂した。
最後の決めの突きは、熊の手のように指を曲げた先で両手の甲を合わせて打ち込むものだった。これは麗華が学んだ老師に教えて貰った秘伝の打法だ。
洪家拳や南派少林拳にも精通する老師がその集大成を麗華に伝えた。その中でも特に門外不出の殺人技である。これは目標に当たった瞬間に特殊な指の使い方をすることで、打撃を受けた場所の皮膚細胞を破壊する。つまりそこから壊死が広がり、放っておけば体の一部が腐り落ちるのだ。
足下から崩れ落ちるように男は倒れた。完全に気絶していた。
自分の部屋の扉を開けたとき、麗華は目を見開いて愕然とした。
自分のベッドに全裸で横たえられた愛蓮。床にはどす黒い血の塊が溜まっていた。
両腕はベッドに縛り付けられ、ぱっくりと開いた喉から流れ出た大量の血が固まっていた。同じように内股には、固まった血とスペルマがこびりついている。
それは愛蓮が殺された時の凄惨な状況を物語っていた。
静かに愛蓮の亡骸に近寄った麗華は、恐怖と悲しみに見開かれた瞼を指先でそっと閉じてやる。
ぎりっ。
麗華の奥歯が音を立てた。
「楽には、死なせない…」
麗華は静かに部屋を出た。
各部屋を覗き誰もいない事を確かめた麗華は玄関に閂をかけ、見つけた縄を持って気絶している男に近寄った。
男の背中で手首と足首をきつく縛る。
指を曲げ、右手首を押さえて鞘のロックを外した。袖に隠した錐刀が麗華の掌に落ちてくる。
男の前にしゃがみ込み、腿に錐刀を突き刺した。柄を捻ってゆっくりと肉の中をかき回す。
「ぐあぁぁぁぁ…」
脳天を突き上げるようなあまりの激痛に、男が気絶から目を覚ました。
「目が覚めたかしら? 今自分がどうなっているか、分かるわよね?」
麗華は男の腿から抜いた錐刀を、焦点がまだ充分に合っていない男の目の前に翳す。銀色の刃を伝う、赤い一滴の血が光った。
「この仕業はあなた一人ではない筈。答えなさい。一体何人で愛蓮を輪姦したの? 全員の名前を言いなさい。命だけは助けてあげる。」
「へっ! 誰が喋るもんか。なめんなよ!」
恨みを込めた目で男は言い放つ。自分の言葉で萎えそうな意思を必死に奮起していた。
今度は男の肩に錐刀を突き刺す。捻って抜いた穴から徐々に血が噴き出した。
「うぅぅ… 畜生、殺しやがれ!この雌犬っ!」
「そう? では、望み通りに。でも楽じゃないわよ、きっと…」
麗華は左手で男の耳を掴んだ。強く引っ張ると同時に、付け根に錐刀の刃を当てた。
すっと白い断面が広がる。錐刀の刃の鋭さに男は痛みを感じていない。
切り離した耳を前歯が欠けた男の口にねじ込んだ。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
吐き出したものが自分の耳である事を知った男は、恐怖に捕らえられた絶叫を上げる。
涙を流して呻く男の耳の跡から赤い筋がぽつぽつと現れ、それは見る間に大量の噴出へと変わった。
『自由が欲しいか?大道寺麗華。』
…自由? 安らぎ? 幸福? 未来?…
…私はもう、この世に理想を求めたりはしない。
私はもう、社会の被害者ではなく加害者になってやると誓ったの…
續
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