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SCARLET DRAGON 緋龍
暁の緋龍 参
「な… なにしやがる!」
頭を抱えていた男は、脳天に喰らった衝撃による目眩が収まったのだろう。突然立ち上がり、麗華に向かって拳を構えた。
「それはこっちの台詞。何してたの?」
麗華は冷ややかな目で男を一瞥した。
「俺らの勝手だろうが!てめえに指図される筋合いはねえ!」
男には武術の心得があるようだ。怒鳴ると同時に、倒れている男と突然の事態の急変に目を白黒させている踊り子を飛び越え、正面の麗華に左拳を放つ。
麗華は男の突きを左手で払い、その手首を掴んで引き寄せる。伸びきった男の肘に下方から右肘をすくい上げるように打ち込む。
ぐぎっ。
肘の砕ける音がした。テコの原理が男の肘の一点に働いて、砕けた肘は伸びきったままで戻らない。
「ひっ!」
男の悲鳴は一瞬だった。伸びきった左腕に沿って滑空するように、麗華の右裏拳が男の顔面に迫る。
ばきっ!
白目を剥いた男の口から前歯が二本飛び出す。男はそのまま派手な音を立てて床に倒れ込んだ。
愛蓮(アイリン)という踊り子は、自分の上に覆い被さるようにして鼻血を流して倒れている男を押しのけた。素早く放り出されたスカートを掴んで引き寄せる。
「あ… あの…」
おずおずと礼を言おうと顔を上げた時、愛蓮の目に映ったものは長くひるがえる黒髪がドアの向こうに消えてゆく所だった。
「…」
二人の男が伸びている床に座り込み、愛蓮はスカートの裾を強く握りしめていた。
各部屋には浴室が備え付けられている。麗華はタオルでくるんだワルサーPPKを脱衣台に置き、大きめなバスタオルで体を拭き始めた。
見事な腰の線に、髪からしたたり落ちる水が珠となって転がる。
ゆったりとした部屋着を着て、ソファーに腰を下ろした。
テーブル上の手元に錐刀(スティレット)を置き、ワルサーPPKの分解にとりかかる。抜き取った弾倉をテーブルに置き、用心鉄を下に引っ張った。簡単に遊底が外れる。剥き出しになった銃身部に機械油をたっぷりとくれてやり、雑布で拭きはじめた。銃身内部は専用のブラシできれいにする。
突然ドアをノックする音。
麗華は錐刀を鞘から抜き出し、右掌に隠してドアに向かう。
「どうぞ。」
鍵を外して素早くドアの死角へと移動した。
開かれたドアから現れたのは愛蓮だった。手には小さな皿を抱えている。
「あなただったの? いいわ、入って。」
麗華は素早くドアを閉め鍵をかける。
「あの… 今日はありがとう…」
恥ずかしそうに赤らめた顔を上げ、頭一つ身長の高い麗華を見上げる愛蓮はまだ小さな少女のように見えた。
「気を付けなさい。ここの奴らはロクなもんじゃないわ。」
「はい。今、いいですか?」
愛蓮は分解されたワルサーPPKの隣に皿を置く。皿には一杯に茘枝(ライチ)が盛られていた。
「もし、良かったら。」
「ありがとう、いただくわ。」
手早く組み上げたワルサーPPKに、七発の7.65ミリ弾が装填された弾倉を銃握の下から叩き込む。かちんと金属を噛む音がして、最高のコンディションに仕立て上げられた小さく頼もしい相棒は麗華の掌の中に収まった。
手を洗いソファーに戻る。
この茘枝(ライチ)という果実は、香りも味も舌触りも最高といわれている。
麗華はライチを一つ摘み上げる。よく冷やされていてひんやりとする凸凹の赤茶けた色をした皮に歯を立て引きちぎった。表面の少々グロテスクで固い皮からは想像も出来ない程の、澄んだ白く輝く中身が現れる。
爪の先で引き剥がすと簡単に皮がむけた。恥じらう乙女のように清楚な白い中身を麗華は口に運ぶ。
滑らかな舌触りと芳醇な甘さが口の中一杯に広がる。絞り出された果汁に舌と喉が悦び、続けて次を要求してくる。
種を吐き出した麗華は満足そうに溜息をついた。
「おいしいわ。あなたもかけなさい、一緒にどう?」
「嬉しい。今日、市場で見つけてずっと冷やしておいたの。隣、いいかしら?」
麗華の隣にぴったりと体を密着させて座った愛蓮は、麗華と同じようにライチを摘み上げ皮を剥きはじめた。
「これにはいろいろ種類があるのよね?」
愛蓮の顔を覗き込むようにして麗華は訊ねる。
「何百もあるそうよ。特に緑色の小さいやつが美味しいの。ここでは滅多に手に入らないけど。」
顔を上げた愛蓮は嬉しそうに答える。
麗華は次のライチの皮を剥いて白い実を口の中に放り込む。皮を剥く手が止まらない程だ。
「あなた、家族は?」
麗華の問いに愛蓮は小さく答え始めた。
「両親の顔はあまり覚えてない。兄弟はいっぱいいたようだけど… 物心付いた時にはもう、私は知らない町に売られていたの。」
田舎の貧しい農家が食いぶちを減らすために、子供を売りに出すことはよくある事だ。特にこの街ではアヘンに並び、それも大きなマーケットを展開していて裏社会の資金を潤している。
愛蓮は麗華の肩に頭をもたせかけて来た。麗華の腕に強くしがみつく。
「大人はきらい… みんなきらい…」
しなやかな体を押し付け、麗華の肩で小さく呻く愛蓮がいた。
数日後、“洪氾団”が本拠地とするビルを“紫衣団”の戦闘部隊が襲撃した。
夜十時、正面から乗り込んだ三十人以上で構成される紫衣団の主力部隊が、洪氾団の本部ビル一階のバーのドアに、短機関銃の銃弾を撃ち込んだのが戦闘開始の合図となった。
資金係の沈(チェン)が殺され、踊り子という名目の商品を売りさばくナイトクラブが爆破された報復である。
襲撃部隊は店内に飛び込み、数人の客を射殺した。続いて逃げまどうホステスと、カウンターの奥で両手を上げているバーテンダーを、短機関銃の一斉射撃によって肉塊に変える。
一瞬にして地獄絵図と化した一階のバーを尻目に、階上の制圧に向かうグループが十人程度階段を駈け登る。
階上の制圧を指揮する男は、三十五・六歳の紫衣団きっての切り込み隊長。長年の“でいり”で場数を踏んでいる男だ。
男は部下に目配せをし二階の廊下に並ぶドアを次々と開かせ、各部屋の中を調べ始めた。
奥にある部屋を調べていた若い男が呼びかける。
その部屋に行ってみると、ホステスらしき女が一人、部屋の隅に蹲って震えていた。
「お願いです… 命だけは…」
怯えきった目と、消え入りそうなか細い声。
背中が大きく開いた黒いドレスと、黒髪の隙間から見える白いうなじ。この異常な事態の中で、それはいっそう艶めかしい。
男はスミス&ウエッソンM10、通称ミリタリー&ポリスと呼ばれる弾倉回転式拳銃の四インチ銃身を女に向ける。
いい女だ。殺すのは惜しい…
女のよがる顔を想像して舌なめずりをした時、男は女の手の中に握られた一挺の小型拳銃に、自分の眉間が睨まれている事に気が付いた。
男が引き金を引くより早く、女の手に握られたワルサーPPKが発射音を吐き出す。7.65ミリの弾頭は正確に男の眉間から侵入し、脳髄を掻き回して後頭部から抜ける。
続けて背後の若い男も、二発の7.65ミリ弾を頭部に受けて即死した。
黒いドレスの女はワルサーPPKの銃口を下ろし、ゆっくりと立ち上がった。
大道寺麗華。
緋(あか)き龍が今、新たな血を求めて動き始めた。
階下から銃声が一層派手に響いてきた。
建物の外からも多数の発射音が聞こえて来る。この洪氾団が本拠地とするビルを囲むようにして、周囲の建物から現れた洪氾団の手下による一斉射撃が始まった。
この襲撃は洪氾団にとっては十分に予測していた事態だ。更に潜り込ませたスパイや情報屋によって、襲撃計画の時間と作戦も“洪氾団”の団長、王は把握していたのだ。
袋の鼠。襲撃者が逆に襲われる立場となった。
麗華はドレスの裾をまくり上げ、右腿にガードルで固定されたホルスターに安全装置を掛けたワルサーPPKを仕舞う。
部屋に据えてある大型ベッドに近寄ると、マットレスの隙間に手を差し込み引き抜く。その手には無骨にして凶悪な外観を見せつけるような、往復装填式の散弾銃が握られていた。
麗華はそのレミントンM31を腰だめに構え木製銃床を脇に挟み込み、引き金後部に付いたボタンを押して安全装置を解除する。
待った。
足音が部屋の前に響いてくる。男が三人、開け放たれたドアから飛び込んで来て部屋の惨状を見た直後、散弾銃を構えた黒いドレスの女を視界に捕らえて目を見開いた。
不用心に部屋に飛び込んできた事が、男達の運命を決定づけたのだ。
発射音が轟いた。
上半身右半分が消失した先頭の男を確認するまでもなく、麗華は丸いフォワードグリップを左手で素早く引き戻し、次々と鉛の雨を発射した。
凄まじい反動を押さえつけながら発射する小さな鉛の玉の群は、男達の体をズタボロに引き裂く。排莢された空薬莢が床に跳ねて転がる。
至近距離で発射された散弾は絶大な破壊力を発揮する。散弾とは文字通り弾が広がるのだが、銃身内部の絞った部分によって百発以上の小さな弾は一塊りの群になって飛ぶ。現在の狩猟に使われる上下二連の散弾銃は、上の銃身と下の銃身で絞りの度合いが異なり、それによって遠距離用と近距離用に振り分けられている。
麗華はレミントンの銃床に巻き付けられた革製のポーチから予備弾を抜き取り、底部の装填口に12番の散弾を押し込んでゆく。このタイプは銃身下の筒状弾倉に五発の弾が収納される構造になっている。
最初にPPKで仕留めた男が握っていたS&W・M10を奪い、ドレスの大きく開いた胸元に差し込む。
壁に下がっているカーテンを開く。そこには隣の部屋に続く、大人一人がようやく通れる程度の穴が開けられていた。
“紫衣団”の襲撃に備え、麗華が用意させていたものだったのだ。
突然沸き上がった銃声に、他の部屋を調べていた男達が一斉に惨劇の後の部屋に向かった。
二階の奥の部屋の前は、既に血と肉片の海となっていた。
男達は用心しながら血で滑りそうになる足下に注意を払い、ゆっくりと部屋の様子を伺う。
部屋の中には仲間の死体が転がっているだけだった。
突如として部屋の内部に神経を集中させていた男達を、轟音と同時に無数の鉛玉が襲う。
隣の部屋の開け放たれていたドアから飛び出した麗華の散弾銃の連射によって、男達は次々と仲間の後を追って逝った。
麗華はレミントンの連射を見舞いながら、同じくドアが開け放たれていた正面の部屋に飛び込む。再びレミントンに残った二発の予備弾を装填し、相手の気配を伺った。
絶叫と同時に廊下を無数の弾頭が飛ぶ。相手はやけくそのようになって、拳銃の引き金を引きまくっているのだ。
銃声が止んだのを見計らい、腕を伸ばしてドア越しにレミントンだけを突き出して一発放つ。
反応は無い。
レミントンを構え、そっとドアから出た麗華が見たものは、開かれている廊下の突き当たりの非常階段に通じるドア。
腹部に被弾した男が階段の手すりに寄りかかり、麗華に拳銃の銃口を向けていた。
麗華のレミントンM31が吠える。
散弾をまともに受けた男は衝撃により手すりで一回転して落下し、そのまま地べたに叩きつけられた。
階段を小走りに降りて行く足音が聞こえる。もう一人逃げ出していたのだ。
部屋には既に生存者がいないのを確認した麗華はレミントンを捨て、逃亡中の足音を追う。
ドレスの胸元に差したS&W・M10を抜き、左側に付いたラッチを押して弾倉を振り出す。.38スペシャル弾の尻が六発、輪状に装填されているのを確認し弾倉を戻す。
階下では既に銃声も止み、完全に紫衣団の襲撃部隊は壊滅させられていた。
男は被弾した右足を引きずりながら必死で逃げていた。中心部から外れた散弾の弾が数発、右足と右脇腹にめりこんでいた。
動くたびに体が悲鳴を上げる。血を落としながら逃げているのだが、構っている余裕は無かった。
“殺される…”
死への恐怖が男の大脳皮質を活性化させ、分泌ホルモンが体を駆けめぐる。気のせいか少しだけ痛みが和らいで来た。
汗で滑る手に握ったトカレフTT-33を強く握りしめた。トカレフの遊底後部に露出した撃鉄は起きあがっていて、いつでも7.62ミリ弾を発射できる状態にあった。
トカレフTT-33には安全装置機構は無い。強いてあると言えば撃鉄を中立状態で止め、撃針から数ミリ離した状態を安全装置と言う事だろう。
構造上はコルトM1911を真似ていたのだが、寒冷地での使用、すなわち機関部の凍結や手袋をはめた上での使用を考え、徹底的な簡略化により生産コストを下げる事にも成功した軍用銃である。
だが、男は限界だった。生き延びる気力さえ萎え始めていた。
目に付いた民家のドアに飛び込んだ。少し休みたかった。
貧しい家の居間には、中央に粗末なテーブルが据えてあり、部屋の隅に人の気配がする。
母親らしき女が小さな娘を庇うように抱き、部屋の隅で蹲っていた。
母親の肩越しに男を見ている娘は、まだ四・五歳程の小さな子供だった。きょとんとした顔は到底、自分たち親子の身に災厄が降りかかっている事を理解していない。
女は嗚咽を噛み締めるようにして涙を流している。近くで派手な銃声を聞き、尋常でない事態が起こっているのは分かっていた。その不幸が、この貧しくても平和に暮らしている親子に飛び火をしたのだ。
「た… 助けて…」
女のうわずった声が流れた。
男はトカレフを親子に向けた。騒がれては困る。だが、銃声を響かせる事は自分の居場所を教えるのと同じだ。
「子供を渡せ…」
男は子供を人質に取る事を考えた。少なくとも弾よけ程度でも役に立つ。
「い… いや…」
女は激しく首を振った。乱れた髪が娘の顔に被さり、娘は目を白黒させる。
「早く渡せ。それとも二人とも死ぬか?」
男はトカレフの銃口をぐいと親子に突き出した。
その時、狭い民家に一発の銃声が響く。
男は額に開いた穴から血と脳奬を吹き飛ばして床に倒れた。
開け放たれたドアの前に、一人の女が立っていた。黒いドレスをまとい、細く白い手にS&W・M10を構えた美しき死神。大道寺麗華。
突っ伏して倒れた男の頭部から、どくどくと床に黒い血が広がってゆく。
「ひっ!… 許して… 許して下さい!」
泣き叫ぶ母に抱かれた娘は麗華の顔を見上げる。
娘と目が合った時、麗華はにっこりと笑った。
それはこの魔都“想海”に来て以来、誰にも見せた事のない麗華の笑顔だった。
黒いドレスの裾と黒髪を翻しドアの向こうへ去っていった麗華の後ろ姿を、娘はいつまでも目で追っていた。
…お母さん…
麗華は思いを振り切るように首を振る。
大道寺財閥に捨てられ、貧困の中で結核を患って死んでいった母の顔。
麗華が覗く鏡の中に、いつもその顔があったのだ。
續
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