SCARLET DRAGON 緋龍

 

暁の緋龍 あとがき

 

 嗜好品とは毒物なのだ。
 僕はそう考える。
 ニコチン抜きの煙草は煙草ではない。アルコール抜きの酒は酒ではない。
 毒物としての刺激があるから嗜好品として存在し、多くの人の『気晴らし』として親しまれているのだ。
 それは摂取するものには限らない。映画やドラマも、そして読み物にも言えることだろう。
 僕はこの『暁の緋龍』の中で多くの非人道的行為を綴った。オンライン作家となってから多少幾多の殺人行為や性描写を書いて来たが、おそらく本格的にリミッターを外した作品は今回が初めてである。
 殺人行為とは決して美しいものではない。
 僕はそう考える。
 本編の主人公「大道寺麗華」は、目的の為に多くの人間を巻き込む大殺戮を行う。そこには哀れみの感情など存在しない「狂気」に似た魔性があるのみだ。
 そして彼女を駆り立てる衝動は怒りであり、復讐である。
 権力に対して。そして、強きを助け弱きを挫く理不尽な社会構造に対して。
 本編に綴った悪夢の地獄絵図に、最初は嫌悪感を覚え、それが徐々に快感となってゆく過程を感じて頂けただろうか。
 それが『麻痺』というものだと思う。
 毒を摂取すればそれに対して体に抗体が作られ、より強烈な刺激を欲するようになる。
 悪循環だ。当然多用すれば心身を蝕むこととなるだろう。
 だから、刺激物はあくまで嗜好品として楽しむ程度に留めて頂きたい。
 常用は避けるべきである。
 また、本編の様な殺戮行為が現実社会において起こらない事を心から願いたい。

 ところで、この主人公『麗華』の身勝手さに気付いて頂けただろうか。
 僕の書く小説に登場するキャラクターは基本的に身勝手である。
 そのほうがより人間らしくリアルな存在であると僕は思っている。この理論と同時に、人とは所詮身勝手な生き物ではないかという僕からの問いかけも含まれている。
 結局誰も我が身が一番可愛い訳で、何とかの為と言うのは自分に余裕が出来て始めて成される意識であると僕は思う。
 そうした中で助け合い、共存しているのが人間社会ではないかと。
 それはともかく、キャラクターとは少なくとも心の中で『生きている』存在なのだ。作者の理想が作り上げた人形と言えるかもしれないが、『生きている』キャラクターとは舞台の中で勝手に動いてくれる筈だ。作者が動かすものではない。喋らせるものではない。
 魂の宿ったキャラクターには、実在する人格並いやそれ以上に惹かれるものがある。
 これは僕が小説を書くうえでの理想であり、目標でもあるのだが…

 なんにせよ、ここにまた一人、愛すべき女性が誕生した。
 大道寺麗華。
 彼女の痛みと怒りを全て受け入れた時、僕が彼女にしてやれることは愛してやること、そして書き続けることだ。
 僕と同様に、皆様も彼女を愛してやって欲しい。
 救われないかもしれない。報われないかもしれない。
 彼女と共に堕ちる先は地獄だ。

 地獄の中だからこそ、今まで見えなかった光が見えることを願って。

 

2001年11月

 この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、物品、事件等とは一切関係ありません。