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こちら、桐生探偵事務所。外伝
女豹の紋章
perfect
cybernation
Chapter8
「血、だな…」
「血ですね…」
蛍光灯の灯りの中、居間のソファーの背後にべったりと広がる血溜まり。
鑑識用手袋をはめた滝と高橋は、顔を見合わせて呟いた。
銃声に驚いた付近の住民からの通報で、動き始めた警察の無線を傍受した滝と高橋は、沙織がアジトに使っている邸宅に一足先に到着していた。
そこで、惨劇の痕を目の当たりにした。
「うわぁ〜ん!僕の沙織ちゃぁん!」
高橋は廊下に飛び出し、一斉射撃でボロボロになった玄関に向かおうとする。
既に頭に血が昇っている若い刑事の肩を、背後から老刑事の手が力強く掴む。
「落ち着け、高橋君!今儂らが悪戯に動いても意味が無いぞ。奴らのアジトはある程度チェック済みだ。後はそこが限定出来れば…」
「そんな悠長な事言ってる間にっ!ん?」
高橋のワイシャツの胸ポケットで、携帯電話の着信音が鳴った。
高橋はポケットから取り出した携帯電話の通話ボタンを押し、耳元に当てる。
「はい。ああ、俺だ。何?…うん、それで……分かった、ご苦労!また何かあったら連絡をくれ。」
携帯電話の通話を切った高橋は、携帯電話用のイヤホンマイクをポケットから取りしながら滝に向かって言う。
「滝さん!先程路上で銃撃戦があったそうです!道路法規を無視して走っていた四輪駆動車が、榴弾砲の攻撃を受けて横転。その後、二輪車が二台の外車を破壊した挙げ句、交機の白バイも追いつかない程のスピードで逃走しているとの事です!」
高橋は携帯電話にイヤホンマイクの端子を差し込み、再び胸ポケットに納める。イヤホンマイクを耳に差し込む。
「おお、それだ!…しかし、話をまとめると無茶苦茶だなぁ…」
高橋の報告に応えた滝の顔にも、僅かに安堵の色が浮かんでいた。
「だから、沙織ちゃんなんですよ!行きますよっ、滝さん!」
「よし来た!後は署の連中に任せよう。」
玄関から飛び出した二人は、屋敷の外に停めてあった黒塗りのクラウンの覆面パトカーに乗り込む。
高橋はイグニションキィを回してエンジンを始動した。
安っぽい内装に、無線機等の必要最低限の機材が並んでいる。パトカーとは実に無愛想な車だが、この覆面パトカーは交通機動隊のものと同じ仕様だ。
交機のパトカーや白バイを甘く見てはいけない。真のメーカーチューンと言える作りに持ってきて、半端ではない訓練を受けた者が操る本物の怪物だ。
高橋はギアをロウに入れてアクセルを踏み込む。タイヤが悲鳴を上げ、沙織の邸宅の門から飛び出す。
高橋の胸ポケットから再び着信音。高橋は素早い操作で通話ボタンを押す。
「ああ、聞こえてるよ。…何?そうか。了解!」
高橋はクラウンのステアリングとギアを操作する合間に携帯電話の通話ボタンを切り、助手席の滝に向かって言う。
「滝さん!先程警視庁に“サイクロン”と名乗る人物から、Eメールで通報があったそうです。奴らの潜伏場所が判明しました!」
「む、そうか。では、あのおじょーちゃんもそこに向かっているのだな。」
助手席に座っていた滝は、静かに腕を組む。
「“サイクロン”って何者なんだろ?メール文は英語だったそうだけど…」
高橋は的確なステアリング操作でクラウンを走らせながら、小さく疑問を呟く。
覆面パトのクラウンが発するサイレンの音に、慌てて道を開ける一般車を眺めながら、助手席の滝は感慨深げに呟いた。
「しかし、最近は便利になったもんじゃわい。儂がFBIにいた頃は連絡ひとつも、ラヂオ型無線機で乱数表片手に四苦八苦したもんだがなぁ。」
「滝さん、またぁ… そんな嘘を…」
夕闇が黒い夜のとばりに変わった町中を、赤い回転灯とサイレンの音が引き裂き、黒いクラウンの覆面パトカーが唸りを上げて突き進む。
渡部啓介は静かに目を覚ました。
…ここは… どこだろう?…
見慣れない天井が沈黙を続けている。
…そうか。僕はあの連中に襲われて、撃たれて…
体に力が入らない。どうやら、撃たれて重症を負ったせいだ。撃たれた腹部と背中の痛みは既に無い。
腕を動かそうとしてみる。何かが手首の自由を阻んでいた。
金属の冷たく無機質な束縛。
首を横に動かしてみると、手首を締めつけているジュラルミンの枷が見えた。それは渡部が寝かされている台に、頑丈なボルトで固定されていた。
…どうしてこんな事になったんだろう?…
…僕は平凡な普通の研究生だ。普通に学校に通って、普通に寝て起きて、普通に食事をして、普通に人と語って、普通に人を好きになって…
突然渡部の脳裏に、石橋教授とその娘の石橋有紀の顔が浮かぶ。
…有紀!… どこ… どこにいる?!…
渡部は気を失う直前の惨劇を思い出した。
…有紀を助けなくちゃ…
渡部は手足を動かそうとするが、台に固定されたジュラルミン製の枷が手首と足首に食い込むだけだった。
力が入らない。あの力を使えばこのような戒めなぞは、渡部にとって紙細工程度に過ぎない筈。
腹部と背中に受けた銃弾による裂傷の回復の為に、その力を使い切っていた。
何より渡部の精神そのものが、その力を拒絶していた。
気を失う直前の、有紀と詩織という少女の顔が目に浮かぶ。
…あの子たちは無事だろうか?…
渡部の脳裏では有紀と詩織の顔が流れ、別の女の顔が現れた。
風見沙織。彼女は、そう名乗った。
「罰、だったのかなぁ…」
僕は有紀の事が好きだった。彼女が現れるまでは…
だけど、諦めた。それで良かった。
再び腕に力を込める。
ダメだ。力が入らない。
もういい。僕は怪物なんかじゃない。
僕は普通の学生だ。どうしてこんな事に巻き込まれなくてはならないんだ。
…いや… 嫌だ…
恐かった。今改めて、自分から刃向かっていった筈の組織の大人達が恐かった。
自分の力が恐かった。
僕のような弱虫は、あの時の事故で死んでいたら良かったんだ。
全てを否定する胸の内、再び沙織の顔が脳裏をよぎる。
もう会う事もないだろう。
素敵な人だった。乱暴な言葉も、ちょっとだけ見せてくれた笑顔も。
でも僕には似合わない。
僕には有紀がいる。だけど…
「有紀… ごめん… 僕は君を助けられないよ…」
その時突然、どんという衝撃音が渡部の鼓膜を揺さぶった。
天井が揺れ、漆喰の粉がぱらぱらと渡部の顔に落ちてくる。
何が起こったのかと自由になる首だけを巡らせていた渡部の目に、ヘッドライトの光芒が飛び込んで来た。
くぉん…
その独特の排気音は、あたかも主人との再会を喜んでいるようだった。
「サ… サイクロン!」
渡部は驚いて声を上げる。
ぶち破られた鉄筋コンクリート壁の穴から、夜の闇が流れ込んで来る。
もうもうと舞い上がる漆喰と埃が、GSXハヤブサのヘッドライトから発する光の中で静かに踊る。
「へへ… 到着ぅ〜…」
レザーのミニスカートから伸びる長い足の影が、ゆっくりと床に降り立った。
逆光の中に浮かび上がる見事なプロポーションが、台に縛られて首を傾けた渡部の目を射る。
「か… 風見さん…」
「お待たせ。コイツで宅配したら、ピザはいっつも出来立てだぜぇ… あっ…」
腰からふらりと力が抜け、沙織は床にへたり込む。直立したハヤブサに寄りかかりながら、辛うじて再び立ち上がった。
ぜいぜいと荒い呼吸を吐きながら、青い顔に脂汗を浮かべて沙織はハヤブサのシートに上半身を預けている。
「し、死ぬかと思ったぁ〜…」
沙織の小さな呟きを、渡部は聞き漏らさない。
「サイクロン… 僕以外の人にあれをやっちゃいけないって言ったのに…」
バタバタと部屋の壁の向こうから足音が響く。騒ぎを聞きつけた“ベティ”の戦闘要員が廊下を走って来る音だ。
ここは元製薬会社の廃工場だった。残された広い敷地と多くの研究棟は、買い取った“ベティ”にとって格好のアジトだったのだ。
がちゃりと部屋の戸のロックが外れ、ノブが回る。
沙織の目にきりっとした精悍な光が戻る。流れるようなスピードで、ジャケットの脇に右手を差し入れながらハヤブサから飛び退いた。
戸が開き、カモフラージュの戦闘服に身を包んだ男が二人、部屋に飛び込んで来る。彼らの両手には『トランペット』の通称を持つ、銃自体の全長を短く設計できるブルパップ銃床のFA
MASアサルトライフルが抱えられていた。
これはアメリカ軍のM16ライフルのシリーズと同じ、30連のバナナ型マガジンを使用できるように改良されたG2だ。同様に弾薬もSS109とM193が使用出来るようになっている。
二人の男が渡部を監禁していた室内の状態を把握するより早く、渡部を拘束した台の脇から沙織のグロック26が二度吠えた。
一人は右肩に9ミリ弾を受け、着弾の衝撃で体をコマのようにきりきりと回転させる。
もう一人は、右膝に9ミリの弾頭が直撃した。がくっと前につんのめり、顔面を床で強打し昏倒する。
沙織は瞬時に、倒れた二人に飛びかかる。二人ともショックで気絶しているのを確認すると、二人のFA MASアサルトライフルを奪い、同時に腰に巻いたマガジンポーチが取り付けられている弾帯も奪った。
突然、渡部が縛り付けられている台が震動を始めた。小刻みな高周波震動が、渡部の手首と足首の枷を揺さぶる。
奇妙な電磁震動はハヤブサから発せられていた。
ジュラルミンの枷を固定したボルトが、振動で回転しながら持ち上がる。
かちんと音を立てて、弾き飛ばされた数本のボルトが台から落ちて床に転がった。
手足を束縛していた枷が外れた渡部は、ゆっくりと台から起き上がる。丸いレントゲンの時に使う様な台だった。
渡部の着ているトレーナーの腹部と背中が裂け、血が滲んで固まった後が残っている。
「怪我は大丈夫なの?でも、おっどろいたぁ… サイクロン、あんた一体…」
沙織は目を丸くする。
「もう大丈夫。このハヤブサは試作機なんだ。ウチの大学の工学部が密かに開発していた、夢のスーパーバイク…」
渡部は今まで縛り付けられていた台に腰を掛けたような格好で、ハヤブサを見つめながら言った。
「でも、物理的に困難な部分も多くて、更に予算もとうとう底をついたんだ… そんな時、ある組織から声が掛かった。研究に協力する上に予算も出すと。でもその組織は、地下の武器商人だったんだ…」
「それで、こんなエンジンとかバリヤーなんて出来た訳だね?」
沙織もハヤブサをしげしげと眺めながら聞く。
「その地下組織はとんでもない発想の技術を持っていて、その技術を借りてこのハヤブサが完成したんだ。だけど、それは戦争兵器のサンプルとして利用されていた…」
「間違いねぇや… クソジジイ… こんな所にもヤツの魔の手が…」
沙織は歯がみをして呻いた。
「え?何?」
「いや、何でもない…」
「でも、サイクロンのプログラムは僕が作った。僕は兵器ではない、もっと人と友達になれるマシンになって貰いたかった… そんな願いを込めて、僕はサイクロンを作った。」
「それであんたに懐いてるって事か。でもどうして、あんたの居場所を知ってたんだ?」
「サイクロンは個々の生体電磁波を記録して感知する。一度会った人なら電磁波は勿論、容姿や声紋を完全に記録しているんだ。仮に遠くに離れていても、GPSシステムに投影してサーチする事も可能なんだ。」
「なるほどね。あの埠頭で有紀さんを助け出せたのも、あたしの事を覚えてくれていたのもそうか。」
「彼女は以前、大学の研究室に遊びに来た時にこのハヤブサと会っているんだ。生憎石橋教授とは面識が無くて…」
「そうだったんだ… よぉし、敵さんが本格的に動き出す前に、この良く効く鼻にお願いして彼女を助け出そうぜ。」
沙織は先程奪った片方のFA MASライフルのスリングを肩に掛け、もう一挺をあっと言う間に分解していた。バラバラにした部品を部屋のあちらこちらにばらまく。
腰に奪った弾帯を巻き、グロック26のマガジンキャッチを押してマガジンを取り出す。新たに9ミリ弾がフル装填されたマガジンをジャケットのポケットから取り出し、グリップの下から叩き込む。
部屋の中で、かちんと小気味の良い音が響いた。
「できないよ…」
「えっ?」
渡部の呟きに沙織は振り返る。
「出来っこないよ、そんなこと… あいつらは武器を持っている。あいつらは、人が殺せるんだ!」
渡部は台の上に座ったまま、両手で頭を抱え込んでいた。
沙織は渡部を見下ろして静かに声をかける。
「あの時、有紀さんを助け出したのはあんたじゃない?」
「もう嫌だ!こんな力なんかいらない!こんな争いになったのも、そもそも僕の体が悪いんだ。関係のない彼女まで巻き込んでしまって… いずれ、僕のコピーが世界の何処かで作られる。そしてまた多くの争いが始まって、もっとたくさんの関係の無い人が巻き込まれていくんだ。もう、たくさんだ!」
顔を上げた渡部は、沙織の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「石橋教授の研究ね。体内の細胞を極限まで活性化する生体改造。それがヒトの染色体に適合出来たのは、ちょっと前の話。その最初のモルモットがあなただった…」
沙織は渡部を冷ややかに見下ろして言う。
「半年前のバイク事故で、僕は間違いなく死んでいた。あのまま死なせてくれたら良かったのに… 君も僕の事を狙って接近して来たんだろう?あいつらと同じに…」
「そうだよ。」
沙織は事も無げに言い放つ。
「でもね、今は違うんだ。今のあたしの頭の中は、妹を取り戻す事だけで一杯なんだよ。」
「無理だよ、そんな事。奇跡でも起きなきゃ…」
「やってみなくちゃ分かんねぇよ。奇跡なんてぇのは、起きるもんじゃないんだぜ。起こすもんだ。」
沙織は右肘を伸ばし、右手に握ったグロック26の銃口を斜め下に向ける。
スライドに添えた左手を勢いよく引いた。
ビシッと音を立て、チャンバーに装填されていたレミントン製の9ミリパラベラム弾が、エキストラクターによって引っぱり出され、エジェクターに弾き出されて宙に舞う。
エジェクション・ポートを斜め前方に向けていた為に、弾き出された9ミリのカートリッジがきりきりと回転しながら沙織の目の前をかすめ、頭上で勢いを失い落下して来た。
沙織は眼前に落下して来る9ミリのカートリッジを、左手で掴むようにして受け止める。
左手に握ったカートリッジを親指と人差し指で挟んで摘み出し、沙織の小指の先程度の太さのそれを、ぐいと渡部の顔の前に押し出す。
鉛の弾頭を覆ったフルメタル・ジャケットの被甲が、蛍光灯の光を反射させてきらりと輝いた。
「この弾丸(ブレット)の威力は凄まじい。ドタマに直撃でもしたら、間違いなくオダブツだ。だけどね、コイツは人殺しの道具なんかじゃないんだよ…
力さ。悪党どもをブチのめす力。少なくとも、あたしにとってはそう。
コイツはあたしといつも一緒さ。そして、コイツは絶対にあたしを裏切らない!」
沙織の目線に射抜かれ、渡部の中にわだかまっていたものが音を立てて崩壊する。
何か、今まで閉じ隠っていた殻のようなものが破れたような気がした。
9ミリパラベラムの弾頭と沙織の目を交互に見比べ、渡部は小さく頷いた。
「行こうか。大切な人を取り戻すんだ。」
沙織の顔に戻った笑顔に、渡部は力強く返事を返す。
「うん。」
To be continued …
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