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こちら、桐生探偵事務所。外伝
女豹の紋章
perfect
cybernation
Chapter 4
沙織は開いたドアからよじ登るようにして、運転席に乗り込む。
イグニション・キィを回すと、インタークーラー・ターボ付き4.1リッター直噴ディーゼルエンジンが目を覚ます。
沙織はパーキングポジションのままでアクセルをあおった。
ガレージの中で、野獣の咆吼に似た排気音が轟く。
後部座席背後のラゲッジスペースの闇の中で、搭載した数々の機器のパイロットランプや液晶ディスプレイの類が点滅を始める。
サーモセンサーや高感度指向性マイク、はたまたミサイル誘導システムまでがその役割を果たす瞬間に備えて起動を開始した。
「へへ、ハイドランジャー。あんたが20台もいたら、ひとつの国をひっくり返す事だって出来るんだがねぇ。」
沙織は自信たっぷりの笑顔で、スピードメーターとフューエルメーター、水温計と各種のインジケーターランプが並ぶだけの無愛想なメーターパネルを睨む。
この沙織が“ハイドランジャー”と呼ぶ、昼間に町中で乗り回すと目立って仕方がない巨大な四輪駆動車は、トヨタ・メガクルーザーだ。ボディ色は夜間には闇に溶け込むように、小豆色に塗装を変えている。
自衛隊に納入しているオリジナルに対して、後から取って付けたようなエアコンやパワーウインドウとセンターコンソールの類が、一層このマシンのストイックさを物語る。
この沙織の自信は、リアのラゲッジルームに装備された機器の類と、随所に施された防弾装甲とバックドアに隠されたチャフ・グレネード発射筒、そして車内に満載した武器弾薬と各種破壊工作道具に依るものだ。
その時、助手席のドアが開いた。
その頼りなげな小さな体で車高の高いメガクルーザーをよじ登るようにして、詩織が助手席に乗り込んで来る。
「遅いぞ、詩織。」
「何言ってんのよ!沙織おねーちゃんが急に言い出すからでしょ。火の用心とか戸締まりとか、大変なんだからっ!」
詩織はボブカットにした黒髪を揺らして、助手席に座り直す。
「出撃の時はカッコ付けさせてくれよ。って… 何だよ、お前のカッコ…」
沙織は呟きながら、詩織の頭のてっぺんからつま先まで舐めるようにして眺める。
メガクルーザーの助手席に座る詩織は、スニーカー履きにデニムのジャンパースカート、トレーナーの上から赤いスタジアムジャンパーを羽織っている。
「お前なぁ… それじゃまるでプチ家出少女だぞ… 思いっきし普段着じゃんか。」
「沙織おねーちゃんこそ、“今から悪いことをしに行きます”みたいなカッコじゃない。お巡りさんに停められたら何て言い訳するの?」
「これはあたしのファッションだ。文句言われる筋合いはない!」
沙織はジャンプスーツの上から着込んだ防弾ベストの襟元を、ぐいと掴んで言う。
「いや… 文句とかそういう問題じゃなくってぇ…」
「行くぞ、詩織!囚われの姫君を救出だっ!」
「りょぉかーい!位置を確認しま〜す!」
沙織はオートマチック・ミッションをドライブレンジに入れ、メガクルーザーのアクセルを踏み込む。
最大39キロのビッグトルクを僅か1800回転で発生する、ハイパワーディーゼルエンジンが唸りを上げる。
獰猛な野獣が開かれたガレージから雄叫びを上げて飛び出し、庭を横切ってアジトである邸宅の門を通り抜ける。
「見てろよ、くそったれベティ。ギッタンギッタンに伸してやるからな。」
ヘッドライトが切り裂く闇を、フロントガラス越しに見据えて沙織は呟く。
詰まるところ、沙織の行動パターンはそれ以外の何物でもない。
埠頭の突堤には中型の貨物船が停泊していた。
近くには船から荷揚げされたコンテナが並び、再び出航の手筈を整えている。
その突堤から少し離れた場所で、コンクリートにうち寄せる黒い波が小さく盛り上がった。
波から腕が突き出て、突堤に設けられた古タイヤを張り付けた接岸帯を掴む。
腕の主は自力で体を持ち上げ、水中メガネと酸素ボンベのマスクを外す。
「ふぅ。」
マスクを外して小さく溜息をついたのは沙織だった。
黒いウエットスーツ姿の沙織は、素早く背負った酸素ボンベも外し水中メガネと一緒に海中へ捨てる。
「よっしゃ、先ずは準備オッケー。」
沙織は小さく呟くと、脇に固定した小さな防水バッグを背中に担ぎ直し、接岸帯に足をかけて突堤をよじ登り始めた。
「あれぇー… どーしたんだ?おじょーちゃん。」
突堤の上から声がする。
見上げた沙織の頭の上、約1メートルの距離に、人の良さそうな初老の男の顔が埠頭の灯りに浮かび上がっていた。
「何やってんだぁ?風邪ひいちまうだよ。」
瞬間、沙織の顔が引きつる。
「あ、あはは… こんばんわぁ♪」
沙織は無理な笑いを作り、男に挨拶をする。
「あれぇ、よーく見りゃ可愛らしいおじょーちゃんじゃねえか。どーしたんだ、一体?海は寒いでぇ。」
“わーってるよ、そんなこたー!いいから放っといてくれよ、くそジジイ!”
沙織は今にも飛びだそうとする言葉を胸の中で飲み込み、満面の愛想笑いで男に答える。
「えっとぉ、仕事なんです…」
「そーかぁ、大変だぁな。ほれ、掴まりな。」
男は沙織に手を差し伸べて来る。
掴んだ男の手は温かく、海水で冷え切った沙織の全身に体温が戻る様だった。
「いや、今日はまるっきりボウズだと思ったんだがね。こーんな可愛らしい大物が釣れるなんてなぁ。」
男は突堤を登って目の前に現れた黒いウエットスーツ姿の沙織に見とれ、そして陽気に「がはは!」と笑う。
沙織の足下に数々の釣り道具が置かれていた。男は夜釣りの客らしい。
「おじょーちゃんはどっから来なすった?何でまた、海に潜ってたんだ?」
答えに窮した沙織は曖昧な笑顔を返す。
だがその笑顔が次の瞬間、きりっと引き締まる。目に精悍な光が甦った。
釣り客の男の背後で、こちらに向けて悠々と歩いて来る二人の男の姿を視界に捕らえたからだ。
目の前の釣り客の男とは違う、危険な匂いを漂わせた男達。
沙織は戦闘本能を全身に漲らせる。
が、不利と悟った。
防水バッグの中に入った武器を取り出すまでに、奴らの弾を何発食らうことか。ましてやこの釣り客の男を、銃撃戦に巻き込む訳にはいかない。
男達はコートの襟に右手を差し入れたままで、沙織の正面の初老の男の背後に歩み寄った。
突然、右側の白人系で金髪を伸ばした男が、沙織の前の初老の男を空いた左手で突き飛ばす。
不意を突かれた初老の男は、冷たいコンクリートの上に転がった。
「あっ!」
沙織は叫んで、突き飛ばされて倒れている初老の男に駆け寄る。
「いてて… いきなり何するんだぁ…」
呻いて起き上がろうとする男は、大した怪我はしていないようだ。
沙織は男に肩を貸して、起き上がるのを手伝ってやった。
「てめえらぁ… 何てことしやがる…」
沙織は男達の方を振り返りきっと睨みつけ、怒りに唇を震わせて呻いた。
「ご老人、お引き取りを願おう。我々はこの女に用がある。」
白人の男は滑らかな日本語で、蔑むように言い放つ。
紳士ヅラした悪党。沙織の最も嫌いなタイプだ。
「ごめんな、おっちゃん。怪我ねーか?」
沙織は肩を貸した男を気遣い、小さく聞いた。
「おじょーちゃんが謝るこたぁないよ。それより、気をつけな。こいつらはマトモじゃないぜ。」
男は沙織の耳元で囁く。
はっとして沙織は男の顔を覗き込む。
男の人の良さそうな顔に似合わない、鋭い眼光と対面する。
「うん、分かってる。」
この男が突き飛ばされた瞬間、沙織は男が反射的に受け身を取るのを見た。柔道か何かの心得がある者に違いない。
この男、刑事(デカ)か?
「ひでーなぁ、まったく…」
初老の男はぶつぶつと愚痴りながら、そそくさと釣り道具を仕舞ってその場を去る。
歩き去ってゆく初老の男は、ふと足を止め沙織の方を振り向く。
沙織は小さく、そして力強い笑顔で頷いた。
男は何か安心したかのように笑い、再び歩き去っていった。
「さて、一緒に来て貰おうか。」
金髪男はウールのコートの襟に隠していた右手を突き出す。
その右手の先にはぞっとするような大型リボルバーが、埠頭の灯りを反射させ7.5インチの銃身を輝かせていた。
ルガー・スーパー・レッドホークの.44マグナムの銃口を突きつけられ、沙織はゆっくりと両手を上げる。
埠頭の灯りの中で、ウエットスーツに包まれている沙織の見事なプロポーションが浮かび上がる。
停泊している貨物船の近くに数台の車が停まっている。
エンジンを掛けたままヘッドライトを点灯している為、その一郭だけが昼間のような明るさだ。
一台のBMWは沙織の記憶にある。先日、沙織のスカイラインを追跡していた車だ。
「さ、沢井さん!」
二人の男に連行されて来た沙織を、先日使った偽名で呼ぶ者がいる。
石橋有紀だ。学校の制服姿のままで縛られてはいないものの、三人の男に取り囲まれて身動きが出来ない状態でいる。
「有紀さん。無事だったようだね、安心したよ。」
沙織は笑顔で有紀に答える。
「どうして、あなたがここに?」
約5メートルの距離を隔てた有紀との会話は、沙織の横でルガー・スーパー・レッドホークを突きつけている金髪男に遮断された。
「一体、何が安心なんだ?」
金髪男は薄い唇に皮肉な笑みを浮かべる。
「女、武器を持っていたら捨てろ。ゆっくりとだぞ。」
金髪男は沙織に突きつけた銃口を上下に揺らす。
沙織はゆっくりと右手の指を、ウエットスーツの首のジッパーにかける。
焦らすように少しずつジッパーを下ろしていった。
ちりちりとファスナーの開く音が、静まり返った埠頭に響く。車のヘッドライトの灯りの中で、沙織の白い胸元が露わになる。
周囲でごくりと唾を飲み込む音がした。その艶めかしい胸元に男達の視線が集中している。
沙織はゆっくりとウエットスーツの胸元に右手を差し入れる。
その胸元から現れた手の中には、小さな発信器が握られていた。
「これが何だか判るか?」
沙織は目の前に右手を掲げる。
「貴様!」
金髪男は大声でわめきちらし、沙織に掴みかかろうとする。
右手に大型リボルバーを握っている為に上手くいかず、沙織はその手からするりと逃げ出した。
「へっ!だーれが好き好んで、この寒空の下で寒中水泳なんてするかぁ!ほらよっ!」
沙織は手の中にあるリモコン・スゥイッチを押した。
ごうんと貨物船の船底から鈍い音がした。
続いて巨大な泡が海面に沸き上がり、貨物船を揺らす。
「ああっ!何という事を!」
「ジーザス!」
男達は口々に叫び、慌てふためいている。
沙織が仕掛けておいた爆薬が、貨物船の船底で爆発したのだ。大爆発こそ起きなかったが、これで船底に亀裂が入りベティの偽装工作船は航行不可能となった。
沙織は一瞬呆気に取られていた、金髪男の右手を蹴り上げる。スーパー・レッドホークが宙に舞った。
間髪入れず、背中に背負っていた防水バッグを手に持ち替え、隣にいた東南アジア系の男の顔面に叩きつける。
顔面に衝撃を食らった男は、後ろ向きに倒れ込む。鼻血を流して昏倒していた。
有紀を取り囲んでいた男達は、一斉に脇や腰から拳銃を抜く。
沙織は身を屈め、全速力で走った。
コンテナーまで、約10メーター。
コンテナーの影に隠れさえすれば、防水バッグの中の武器を取りだして応戦する事が出来る。
沙織の背中で、空気が切り裂かれる音が交差する。
続いて、鋭い銃声が響いて来た。
間に合うか?
その時だった。突然明るいスポットライトが辺りを照らし出した。
いや、スポットライトではない。
それは一台の大型バイクが発する、ヘッドライトのハイビームだった。
くぉんくぉんと、聞き慣れない排気音が響き渡る。
突然の闖入者を一同が見守る中、そのバイクのライダーはフルフェイスのヘルメットを被ったまま、ゆっくりとバイクから降りる。
ライダーが離れたバイクは、センタースタンドを下ろしているように直立していた。
たん、とライダーは地を蹴る。
人間業とは思えない程の凄まじいスピードだった。
有紀を取り囲んでいた男達は、銃口を向ける暇もなくライダーの強襲を受けた。
端の男はライダーに蹴り飛ばされ数メートル吹っ飛び、コンクリートに叩きつけられ気絶する。
有紀の肩を掴んでいた男は、慌ててマカロフ・ピストルの銃口をライダーに向ける。
ライダーはそれより早く、男の首目がけて腕を伸ばしラリアットを叩きつけた。
背後の車に男は倒れ込み、ボンネットが男の体の形にへこむ。だらしなくボンネットの上に伸びた手から、マカロフ・ピストルが滑り落ちる。
もう一人いた男は、目の前で展開された惨劇にどうする事も出来なかった。
ライダーの背中が目の前に迫る。
しゅっとライダーの体が回転した。ライダーは軽く地面を蹴って、後方に向けて回し蹴りを放つ。
ローリング・ソバットをまともに食らった男は、肋骨を数本へし折られて地面を転がる。
自分を拉致して包囲していた屈強な男達が、一瞬にして倒されるのを目の当たりにして、有紀は何が起こったのかも理解出来ていない。
ライダーは立ち尽くしている有紀の体を、そっと優しく抱え上げた。
沙織の蹴りを食らった金髪男は、痺れている右手でルガー・スーパー・レッドホークを拾い上げる。
左手で右手を保持し、沙織にフロント・サイトを重ねようとする。
右手に力が入らず、上手くいかない。
沙織は防水バッグの中から、プラスチック製の奇妙なストックを取り出していた。
ストックの後部の蓋を開くと、中から重いスライドと強力なリコイル・スプリングを装備したストレート・ブローバックの大型拳銃が出て来る。
H&K・VP70だ。
VP70はヘッケラー&コック社が開発した、取り扱いが簡単で安価な警備用、軍用向けのダブル・アクションのセミオートマチック・ハンドガンだ。
このホルスターを兼用したショルダー・ストックを銃の後方に装備する事により、スリー・バースト・サブマシンガンとして使用でき、ストックの前方にセレクター・レバーが用意されている。
「ファック・ユー!」
金髪男は罵声を吐き散らし、スーパー・レッドホークのハンマーを親指で起こした。
「サイクロン!」
有紀を抱きかかえているライダーの澄んだ声が響いた。
突然、操縦者を失っている筈のバイクが、タイヤの音を軋ませて走り始めた。
沙織に向かって真っ直ぐに突っ込んで来る。
身構えた沙織の前で、バイクは急に向きを変える。
その時、.44マグナムの轟音が埠頭に響き渡った。
沙織に向かっていた筈の.44マグナムの弾頭は、向きを変えていたバイクの手前で青白い光に阻まれベクトルを変え、空しく夜空へと飛び去って行った。
沙織の前で停車したバイクは、その車体の前面を覆ったカウルの下から、二本の補助輪を突き出して車体を立てている。
青いカウルには、大きく“隼”という文字がペイントされていた。
バイクは、スズキ・GSX1300Rハヤブサだ。
再び、.44マグナムの轟音。
金髪男が再度発射したマグナム弾は、先程と同じように青白い光の阻まれて弾き飛ばされた。
「な… で、電磁バリヤー?!」
VP70にストックを装着し終えた沙織は、驚きに目を丸くする。
まるで自らの意思を持っている生物の様に、自分で車体の向きを変えた青いGSXハヤブサは、スーパー・レッドホークの銃口を沙織に向けている金髪男に向けて猛然とダッシュした。
金髪男の側をすり抜ける。
バチバチと電流が空中でスパークした。
金髪男は青白い火花に体を包まれ、気絶した体をゆっくりとアスファルトの上に横たえる。
GSXハヤブサは見事なスラロームを披露し、ライダーの側に帰ってゆく。
ライダーは有紀を抱きかかえたまま、側に帰ってきたGSXハヤブサに跨る。
明らかにガソリンを燃焼させるレシプロエンジンのものではない、くおんという独特の排気音を残し、GSXハヤブサはライダーとライダーに抱きかかえられた有紀を乗せ、埠頭の闇の彼方に消え去った。
残された沙織はVP70を片手に辺りを見回す。
あと周囲に残されたものと言えば、あっという間に倒された“ベティ”の工作員達の無様な姿だけだ。
「へぇ、やるじゃん…」
沙織はウエットスーツの開いた胸元のジッパーを閉じる。走り去っていったライダーの声に聞き覚えがある事を思い出し、ふっと笑った。
To be continued …
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