こちら、桐生探偵事務所。外伝

女豹の紋章
perfect cybernation


 Chapter 3

 沙織は高速道路に設置されている待避所にスカイラインを停めた。
 運転席を降り、ジーンズのポケットに右手を突っ込む。
 ポケットからウェンガー製のアーミー・ナイフを取り出し、栓抜きになった短い刃を起こす。
 スカイラインのフロントノーズにしゃがみ込み、ナイフの栓抜きの先端をナンバープレートの端に差し込んだ。
 この栓抜きの先端は頑丈なマイナスドライバーになっている。
 ナイフでこじ開けられたナンバープレートが外れ、下から別のナンバーが姿を現した。
 この偽造ナンバープレートは接着剤で軽く固定されていたもので、ドライバーでこじれば簡単に外す事が出来る。ちなみに下から現れたナンバープレートも、当然偽造のもので、フロントとリアではナンバーが違う。
 どれ程観察力が鋭い者であろうとも、フロントとリアのナンバーが違う事に気付く者は滅多にいない。ましてや逃走する時に見られているのは、大抵の場合はリアのナンバーだ。
 これはいざという時に、目撃者の情報を混乱させるのに役立つ。
 沙織は同様に、リアのナンバープレートも外してトランクに放り込んだ。
 その時、携帯電話の着信音が、スカイラインの運転席で鳴った。
 沙織はトランクリッドを勢いよく締め、運転席に戻る。
 開いた運転席から手を伸ばし、コンソールに設置した携帯電話ホルダーから携帯電話を取り、通話ボタンを押してディスプレイ上の受話口を耳に当てた。
 「沙織おねーちゃん… 生きてる?」
 詩織の心配そうな声が受話口から響いて来た。
 「ああ、何とかな… って、お前、見てたな?」
 沙織は事も無げに、普通の者が聞けば仰天するような内容を言い放つ。
 「うん。沙織おねーちゃんの行動は全てお見通し。」
 「まったく… 油断も隙もねぇや。監視衛星はレンタルにして正解だったな。」
 沙織は携帯電話を耳に当てたまま、夕闇が迫りつつある澄んだ秋の空を見上げた。
 「ま、無事で何よりね。“ポインター”は大丈夫?」
 「おかげでな。でも、せっかくの玉の肌が傷物だよ。」
 沙織は自分たちが“ポインター”と呼んでいる、赤いスカイラインにそっと手を掛けた。前輪のフェンダーとボンネットの間の、ショットガンの流れ弾によって開けられた小穴を指でなぞる。
 「動き出したね。思ったとおり。」
 「ああ、意外と早かったんで驚いたよ。やはり奴らの仕業かな?先回りして待ち伏せするなんざ出来過ぎてるぜ。」
 「厄介なライバルね。ベティ・グループ。」
 「へっ、面白くなって来やがった。そうだ、“ハイドランジャー”のスタンバイは出来てるか?」
 「いっつでもオッケーよ。」
 「よっしゃ。それと、今晩は何だ?」
 「沙織おねーちゃんの大好きなスキヤキよ。」
 「白菜はあまりたくさん入れるなよ。それから、豆腐は焼き豆腐にしてくれ。」
 「ラジャー!あ、ハイパト(ハイウエイ・パトロール)が動き出したよ。」
 「分かった。さっさとバッくれるとするか。」
 沙織は携帯電話の電源キーを押して、通話を切断する。
 スカイラインの運転席に乗り込み、助手席のシートに横たわっているKPSスーパー・コンプをグローブボックス戻し、閉じる。
 ギアをロウに入れ、静かにスカイラインを発進させた。
 制限速度を遵守して、次のインターチェンジに向かう。

 
 数日後、石橋教授の娘である有紀は下校中の道で、突然目の前に停まった黒塗りのベンツの発する異様な雰囲気に足を止めた。
 ベンツの後部座席のドアが両方から開き、見知らぬ男が二人、有紀を囲む様にして立ちはだかる。
 「石橋有紀さんですね?お父様の事でお話があります。」
 有紀に声をかけて来た男の言葉は、少し広東語の訛りがあった。しかし、有紀に有無を言わせない威圧が十分に込められていた。
 有紀は声も出せず男達に従い、強制的にベンツの後部座席に押し込められる。

 沙織は運転しているカリーナのウインカーを左折方向に点滅させ、目標のマンションの裏手に向かってスムーズにステアリングを切る。
 マンション裏手の路上にカリーナを停め、運転席のドアを開く。
 この目立たない銀色のカリーナは、GTのエンブレムを外している意外は、一見普通のコンパクト・セダンだ。
 だが心臓部は、6速トランスミッションが組み合わされた1.6リッターDOHCの4A-GEで、これをベースにハイ・カムや強化バルブを組み込み、更に圧縮比を上げるチューニングが施されていた。
 当然、四輪のディスクブレーキやサスペンションも強化されている。
 沙織は黒いレザーのタイトスカートからすらりとした足を伸ばし、運転席から降りる。
 再び運転席に潜り込んで、助手席に畳んでいた黒いコートを引っぱり出し、茶色のセーターの上から羽織った。
 やけに重いコートだった。
 夜のとばりが降りた町で、マンションが林立するこの辺りの裏通りに人の通りは殆ど無い。
 沙織はマンション横の狭い路地に身を寄せ、ポケットから携帯電話を取り出す。
 通話する訳でなく、耳に当てて電話で話をしている振りをする。
 仮に一定の場所に立ち止まっていても、電話で話をしている振りをしていれば誰も怪しまない。
 沙織は電話をしたり、メールを打ったりする振りをして待った。
 暫くして、目標の人物が帰宅してきた。
 助教授の迫田だ。
 沙織はタイミング良く迫田に背を向け、顔を見られないようにしてやり過ごす。
 暗がりの中で、迫田は沙織に気が付いていない。
 携帯電話をポケットに仕舞った沙織は、足音を殺して迫田の後を追う。
 マンションの入り口に入る前に、沙織は迫田に背後から声をかける。
 「お久しぶりね。迫田さん。」
 「き、君は!」
 沙織はコートの内側に装備したホルスターのホックを外し、32連マガジンの付いたイングラムM11を抜き出して銃口を迫田に向ける。
 マンションの入り口には監視カメラが設置されているので、その手前で迫田を捕らえる必要があった。
 「この前はお世話になりました。お陰で楽しいドライブが出来ましたわ。」
 「な、何の事だ。」
 沙織は左手で、イングラムの上に付いたコッキング・レバーを引く。オープンボルト方式の発射機構であるイングラムは、後はこれでセフティを外しトリガーを引けばいつでも弾丸を発射する事ができる。
 「大きな声は立てない事ね。こいつは一分間に千発の弾を吐き出すわ。あなたを蜂の巣どころか、一瞬にしてミンチに変える事だって出来るの。」
 「一体何の冗談だ?早くその玩具を仕舞うんだ。」
 「ハッタリじゃないんだぜ。試してみるか?」
 沙織はセフティを静かに外す。銃左側面のセレクター・レバーを回転させ、フル・オートマチックのポジションにする。
 このイングラムM11は、.45ACP弾と9mm×19弾を使用するイングラムM10のスケールダウン版で.380ACP弾を使用する。
 ショートリコイル・ブローバック機構を必要とする大型拳銃の使用弾である.45ACP弾と9mm×19弾に比較して、中型ピストル用の威力の小さな.380ACP弾を使用する事で反動も少なくなり、銃本体もよりコンパクトに仕上がっている。全長46センチ、重量1.5キログラムと、サブマシンガンの中では最小サイズだ。
 ちなみに、使用する弾薬の『ACP』とは、オートマチック・センターファイヤー・ピストルの略であり、『○○mm×○○』とは『口径×薬莢の長さ』を表記するものである。
 9mm×19とは、世界中で最もポピュラーなNATOの制式弾薬でもある、9ミリ・パラベラム・ルガー弾の事だ。
 「わ、分かった…」
 「ゆっくり歩きな。裏に車を停めてる。」
 沙織はコートの裾でイングラムM11を隠し、迫田を停めていたカリーナの場所まで誘導した。
 ポケットの中の左手で、キーに付いたスゥイッチを押す。ワイヤレス・ドアロック・リモートコントロールで、ドアのロックが解除された。
 「乗りな。あんたの望み通りにお付き合いしてやるぜ。」
 迫田はカリーナの助手席を開く。恐怖と緊張の為か手が震えている。
 迫田が助手席のドアを開ききった瞬間、沙織はイングラムを左手に持ち替え、右手を素早く腰に走らせた。
 ごつっ。
 後頭部を強打された迫田が気絶して倒れるのを、沙織は素早く受け止めて助手席に横たえる。
 助手席のドアを閉めた沙織は、気取った仕草で右手を踊らせる。
 沙織の手首に巻き付いた革製のスリングの先で、砂と鉛を革で巻き上げた凶器、ブラック・ジャックがくるんと回転した。
 沙織はイングラムを、コートに装着されたホルスターに納める。予備弾倉のポウチも仕込んだ重いコートを脱ぎ、バックシートに置く。
 ブラック・ジャックをスカートの腰に差し込み、運転席に座りイグニションキーを回してエンジンをスタートさせた。
 沙織は気絶している迫田の両手を後ろに回し、バッグから取り出した手錠をかける。シートベルトも締めてやり、いかにも寝込んでいる同乗者に見せかける。
 「さて、やっと二人だけの楽しいドライブだよ。」
 沙織はメガネをずらせたままだらしなく気絶している迫田に、皮肉たっぷりの笑顔を送る。

 迫田は目を覚ました。
 頭を抱えて首を振ると、後頭部がずきずきと痛む。
 ぼやけた視界の焦点が合い、周囲の状況が分かって来た。
 窓の無い部屋。目の前にそびえる鉄格子。
 「お目覚めですか?迫田さん。」
 迫田は声の主を視線で探る。
 鉄格子の向こう側。簡素な椅子に腰を掛けテーブルに肩肘をつき、タイトスカートから伸びた足を高々と組んだグラビア美人。
 「な… 貴様、一体何のつもりだ?」
 「質問するのはこっちよ。さて、何から話して貰おうかねぇ…」
 椅子に座っていた沙織は、すっとしなやかに足を組み替える。
 迫田のメガネの奥から発せられた目線が、沙織の太股に集中する。
 どんな状況下であっても、本能的に出て来る。悲しいかな、これは男の性だ。
 ここは沙織が使っているアジトの地下室だ。完全防音となっており、エアコンディショナーの装置も完璧に整っている。
 「まずは、あんたと“ベティ”の繋がりから聞かせて貰おうかね。」
 「ベティだと?し、知らん!何の事だ?」
 「そう?じゃぁ、もっと面白いものを見せたげるよ。」
 沙織はテーブルの上のイングラムM11を掴み上げる。ゆっくりと椅子から身を起こし、同じくテーブルの上に乗っていた三連式の弾倉ポウチから.380ACP弾が32発詰まったマガジンを取り出す。
 ショットガンの弾を受けても壊れない程の強度を誇る、透明なシューティング・グラスをかけ、イヤー・プロテクターを頭から耳に被せる。
 イングラムのグリップの下からマガジンを差し込み、銃本体の上に付いたコッキング・レバー軽快に引く。
 折り畳まれた金属製のストックを伸ばして肩付けし、銃身下に付いたスリングを左手で握ってイングラムを完全にホールドして構える。
 セフティを外し、セレクター・レバーをセミ・オートマチックのポジションに回す。
 10メーター先の壁の隅に、50センチ四方で奥行き1メーター程の金属箱が備え付けられていた。
 中に詰まった砂袋の前には、人型標的の紙が貼られている。
 地下室に発射音が響いた。標的の紙が着弾の衝撃で踊り、弾き出された.380口径のエンプティ・ケースがコンクリートの床に転がった。
 沙織は続けざまにトリガーを引き絞る。
 次々と発射音が反響する地下室の中で轟く。
 セミ・オートマチックで発射された弾頭は、紙製の標的に次々と穴を開けた。
 続けて、セレクター・レバーをフル・オートマチックのポジションに回す。
 沙織がトリガーを絞った瞬間、ダーーーーーッと続けざまに.380ACPの弾頭が吐き出された。
 他のサブ・マシンガンに比べ銃本体が小さく、シリンダーも軽く小さい為、シリンダーの往復速度が圧倒的に早いのがイングラムシリーズの特徴だ。
 あっという間に撃ち尽くしてしまった空のマガジンを抜き、沙織は新たに32発のカートリッジが詰まったマガジンをグリップの底から叩き込む。
 襲い来る反動を押さえつけながら、沙織は二本目のマガジンを空にした。
 再び空になったマガジンを抜き、沙織は迫田に振り返る。
 迫田は耳を押さえてコンクリートの床に蹲っていた。
 背中が震えている。
 「どう?喋る気になったかい?」
 沙織の問いかけに、迫田は恐る恐る顔を上げた。
 哀れな程に怯えきった表情だ。
 「私はベティのメンバーじゃない… ただ、石橋教授の研究が知りたくて… そんな時、あいつらが声をかけてきたんだ。」
 「石橋教授の誘拐は、あんたが手引きしたんだね?」
 「そうだ… 私を研究主任に迎えると言われて…」
 「石橋教授は、今何処にいるの?」
 「知らない。」
 「隠すと為にならねーぜ!」
 「ほ、本当だ!知らないだ!大体、あんたは何者なんだ?警察か?こんな事をしていいのか?人権蹂躙だぞ!」
 「口の聞き方には気を付けろ!それに質問しているのは、あたしだって事を忘れるなよ!」
 沙織はマガジンを抜いたイングラムを、鉄格子越しの迫田に向ける。
 熱を持った銃身の内部が、ほのかに桃色を帯びていた。
 「ひ!ひいぃぃぃぃぃっ!」
 再び迫田は頭を抱えて蹲る。
 「では、質問を変える。今日、石橋有紀を拉致ったのも“ベティ”だな?」
 ベティ・グループとは国際テロ組織だ。冷戦終結後、巨大な後ろ盾を失った世界中のテロ支援国家が出資し合い設立した組織で、情報活動や破壊工作を中心に様々な荒事をやってのける私設組織である。
 構成員は五千人とも七千人とも言われ、その主要メンバーは主に元ワルシャワ条約機構下の工作員で占められていた。その活動内容は多岐にわたり、要人誘拐から暗殺、テロ団体への支援や技術指導までも行っている。
 「知らない… 私は知らない!」
 「そうかい?」
 沙織はイングラムに三本目のマガジンを叩き込んだ。
 かちんとマガジン・キャッチが、マガジンに刻まれた溝を噛む音が響く。
 今度はトリガーを絞っては緩め、絞っては緩めという点射をする。
 マガジンに装填された弾薬の半分を撃って、沙織は撃つのを止めた。
 既に紙製の標的は中心部からボロボロになっていた。
 頭を抱えたまま、迫田はぽつりぽつりと話し始めた。
 「今夜、尾方埠頭にフィリピン船籍の貨物船が来る… 実は船籍から何から全て偽装の、ベティの工作船だ… そこで石橋有紀の身柄を海外に移す。」
 「石橋教授に対して、人質って訳ね。」
 「そうだ。教授はどうしても白状しないらしい。『全てはある人物に預けている』と言って、それ以上の情報を提供しないからだそうだ…」
 「それで娘を… じゃぁ、教授は海外に?」
 「いや、国内にいるという話だ。娘とは会わせずに、電話か何かで脅迫だけをするつもりらしい。」
 「なるほどね。きったねーやり口だぜ。それで、石橋有紀を船に引き渡すのは何時だ?」
 「今夜、午前二時…」
 「本当だな?」
 「嘘じゃない。これは奴らの連絡員から聞いた事だ。」
 「オーケィ。まだ間に合うぜ。」
 迫田の肩が小刻みに震え始めた。顔色も蒼白だ。
 「殺される… 喋った私は奴らに消される…」
 沙織は鉄格子越しに迫田の前に跪き、立てた右膝にイングラムを持った右腕を乗せる。
 「心配するな。あんたは暫くここに居てもらう。それから後は、あたしの口利きで公安に引き渡す。いいな?」
 すっかりしょぼくれた迫田は、こくんと小さく頷いた。
 「あ… あんたは何者なんだ?」
 迫田は顔を上げて沙織の顔を見た。
 「言ったろ!質問してるのはあたしだ。答える必要は無い。」
 沙織はイングラムの銃口で、迫田の目の前の鉄格子をガツンと叩いた。
 その時、ボブ・カットにした黒髪に幼い顔立ちの少女が地下室に入って来た。
 手に持った盆には三人分のティーカップが乗っている。
 「一息入れてお茶にしましょう。あら… 前が見えないよぅ…」
 舌足らずな喋りに育ちの良さを伺わせる、清楚でおっとりとした風格を持つこの少女。
 彼女の名は結城詩織。沙織とは腹違いの妹だ。
(*注2)
 無煙火薬といえど、これだけ連射をした後だ。地下室にはもうもうと硝煙のベールが立ちこめている。
 「準備しろ、詩織。出撃だ!」
 沙織は号令を一発。鉄格子の隅で蹲っている迫田にくるりと背を向けた。
 「あ、待ってよ、沙織おねーちゃん。」
 「そいつに餌と水を与えておけ。この件のカタが付くまで、ここで大人しくしてて貰う。」
 地下室を出た沙織は黒いジャンプスーツに着替え、防弾繊維を織り込んだ戦闘用ベストを羽織る。
 勝手口から表に出て、その先のガレージの横に付いた出入り口からガレージに入った。
 ガレージの壁に付いたシャッターの開閉ボタンを押す。
 きりきりと音を立て電動シャッターが開き、真っ暗なガレージに庭の外灯の灯りが流れ込んで来る。
 その灯りの中で、乗用車ではなく軍用車両に近い、一台の巨大な四輪駆動車の影が蹲っていた。
 その無骨なボディは、眠りを覚ました肉食獣のように猛々しい。
 「出番だぜ、“ハイドランジャー”。」
 ボディに反射する僅かな灯りの中で、沙織は不敵な笑顔を浮かべる。

(*注2)詳細は「こちら、桐生探偵事務所。」第六部を参照の事。

 

To be continued …