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こちら、桐生探偵事務所。外伝
女豹の紋章
perfect
cybernation
Chapter 2
閑静な住宅街を抜け、雑木林が所々に見え始める。
この先は古くから建てられた屋敷が並び、土塀で囲まれた武家屋敷や作り酒屋の社長宅、紙すきの元締めから製紙工場にまで発展させた経営者の自宅など、由緒正しい邸宅が点在していた。
昼下がりの陽光の中。春なら一斉に桃色の花を咲かせるであろう桜並木の影を、その赤いボディに映しながら沙織のR34スカイラインが進んでいた。
低音が響くエグゾースト・ノートは控えめでありながら、その静かで風格のある町の空気にはやはり似合わない。
テールランプの隣のGT-Rのエンブレムが光る。
4輪マルチリンクサスとアテーサE-TSの4WDシステムをベースとした、歴代から受け継がれた「走る血統」のハイ・パフォーマンス・マシンだ。
心臓部のRB26DETTエンジンは、2.6リッター・DOHCツインターボ。このエンジンは、コンピューターや吸排気系に変更を加えるだけで爆発的にパワーが上がる。むしろ一般公道用に、本来のパワーを押さえられていると言っても過言ではない。
組み合わされたミッションはゲトラグ製の6速。そしてそのパワーとボディを、強力な制動力で押さえつけるブレーキはブレンボ製だ。
このGT-Rを沙織は闇ルートのブローカーから入手したもので、正式な登録はされていない。当然、車検証やナンバープレートは全て偽造のものだ。
沙織の赤いスカイラインは、歴史を物語る重厚な門構えの邸宅の前で停まった。
門の鉄柵は閉じられたままだ。表札には“石橋”と流麗な草書体で書かれてあった。
沙織の知っている範囲では、この石橋敏朗教授の自宅は戦前まで伯爵家であったらしく、広い敷地と裏の山も全て石橋家の財産らしい。
スカイラインのドアを開き運転席から滑り降りた沙織は、門の表札の下にあるインターフォンのスゥイッチを押した。
門の上に設置された監視カメラにも気が付かない風を装い、暫く待つ。
「はい。石橋です。どちら様ですか?」
インターフォンからまだ若いと思われる女の声が響いて来た。
沙織は直感的に、声の主は石橋教授の娘である石橋有紀であると察知した。
石橋教授は十年前に妻と死別し、今は娘と二人暮らしであり、後この家にいるとすれば出入りしている家政婦だけだ。
「丈薙大学の者です。ちょっとお話を伺いたいと思いまして。」
沙織は頭の中で次の偽名を考えながら、インターフォンに向かって爽やかに答える。
「生憎、父は留守です。」
「お嬢さんにお聞きしたい事があります。私はシステム工学部の沢井と言います。」
暫く沈黙があって、石橋の娘から返事が帰ってきた。
「…どうぞ。門から入って右手に駐車スペースがあります。そこから玄関にお入り下さい。」
監視カメラで沙織を見ていたのだろう。訪問者が女一人であった事が、娘を安心させたのかも知れない。
きりきりと鉄が摺り合わされる音を響かせ、門の鉄柵が自動的に開いた。家の中から電動門をコントロール出来る仕組みだ。
沙織はスカイラインに戻り、石橋邸の門をくぐる。
有名私立女子校の制服を着た少女が、玄関で沙織を出迎える。
「初めまして。突然お邪魔してすみません。」
沙織の爽やかな笑顔に負けない程の、清楚で爽やかな笑顔が返って来る。
「こちらこそ。私は有紀と言います。散らかってますが、どうぞ。」
にっこりとした笑顔が可愛らしい少女だった。小首を傾げた肩に、ストレートの黒髪が揺れる。
広い玄関から入り、長い廊下を歩いて客間に通される。
年代物だが手入れの行き届いたソファーを勧められ、沙織は腰をかける。
「今お茶をお持ちしますので、少々お待ち下さい。」
少女は一礼をし、客間から出てドアを静かに締める。見事な客への応対と誠意をこめた笑顔に、躾と育ちの良さを伺わせる。沙織は心なしか嬉しくなった。
暫くして客間に有紀が現れた。盆に乗せた暖めたカップを沙織の前に置き、ティーポットから紅茶を注ぐ。
カップから立ち昇る香りはオレンジ・ペコのようだ。
手製と思われるクッキーを盛った皿をテーブルに置き、有紀は沙織の向かいに腰掛ける。
「私に、何でしょう?」
「お父さん、石橋教授は今どこにいらっしゃるのですか?」
沙織の問いに有紀の顔が曇る。
「十日前から… そうなんです、十日前から帰って来てません。研究室の迫田さんから連絡があって、急に出張になったという話なんですけど、父は私に黙って家を空ける事なんてしません…」
ふと沙織の脳裏に、あの迫田と言う男のメガネの奥の陰険な目がよぎる。
「十日前から?」
「そうなんです。出張だから心配するなと、くどい程言われて…」
「出張ねぇ…」
沙織は首を傾げる。
「警察に連絡しようかとも考えているんです。」
「だって、出張なんでしょ?」
「いえ、あの迫田という人… あ、なんでもありません…」
少女はうつむいてしまった。父の行方を本当に心配しているのだろう。父を思う必死の気持ちを、来客の前で懸命に隠そうとしている様子だった。
間違いなく、石橋教授は十日前から失踪していた。
この少女に聞くより、あの迫田という男を直接痛めつけた方が話が早いかと沙織は考える。
「お父さんに変わった事は無かったのですか?」
「いえ、特にこれと言っては… ただ…」
「ただ?」
「長年の研究がやっと実を結ぶと、言ってました…」
「いい事じゃない?」
「いえ、私には分かるんです。父は悪いことをしている。そんな気がするんです。」
沈黙が客間の空間を支配した。
「ごめんなさい… これ以上は…」
少女の寂しそうな拒絶を沙織は振り払う。
「宜しかったら聞かせて下さい。私は石橋教授にはお世話になっているんです。力になれるかも知れません。」
有紀は静かに口を開いた。
「私には詳しい事は分かりません。でもきっと、父は取り憑かれています。悪魔に魂を売ったみたいに…」
この有紀という娘は、本当に何も知らないようだ。
「私を追放した学会に復讐してやる。それが、父の口癖でした。」
「それって、お約束の台詞…」
呆れた沙織の目の前に、有紀の顔がアップで迫る。
「父は!… でも、父は私には優しい父なんです。だから、戻って来て欲しい。私のお父さんとして帰って欲しい…」
父を思う娘の必死の形相に、突っ込みを入れかけた沙織は一瞬たじろぐ。
「あ、ごめんなさい… 父は出張なんですよね。だから、大丈夫です。」
健気な少女の細い肩を沙織は見つめる。
今、一つの決心が固まった。
「あの… 沢井さんはシステム工学部に在籍されていらっしゃるのですよね?」
突然の有紀の問いに、沙織は慌てて答える。
「え、ええ…」
「渡部さんをご存知ですか?…」
「ええ、知ってますよ。いい人ですね。」
聞かれた相手が知った者で良かった。嘘をどう繕うか迷っていた所だ。
「でしょー!と〜ってもハンサムで、真面目で、優しくて、スポーツマンで、頭が良くて、爽やかで、いつも一生懸命で。とーってもいい人でしょお!」
「え、ええ… そうね…」
沙織は顔を引きつらせながら生返事を返す。
有紀は両手を組み合わせ、きらきらと瞳の中に星を輝かせている。
「あ、ごめんなさい。父が居ないものだから、渡部さんも家に来てくれなくて…」
我に返った有紀は、再び清楚な伯爵家の女子高生に戻る。
この少女の情緒不安定は、父の行方不明が原因なのか、それとも天然なのかと沙織は考える。
「父さんが居ないと寂しいんだね。有紀さん。」
ソファーに座った沙織は、両手でジーンズの膝をぽんと叩いて言った。
「はい…」
「約束するよ。父さんは帰って来る。」
「え?…」
沙織はソファーからすっと立ち上がる。
「あたしに任せておきな。父さんは必ず取り戻してみせる。」
「では、父は…」
「ポリ公には内緒だぜ。ややこしくなるから。」
「あなたは? 一体?…」
呆気に取られた有紀に、振り向いた沙織はウインクだけで返事を返す。
客間から出て行った沙織の背中を、有紀はソファーに座ったままいつまでも見つめていた。
赤いスカイラインは、夕方の混雑した市街地の道路を窮屈そうに走っていた。
ステアリングを握る沙織はちらりとルームミラーを覗き、軽く舌打ちをする。
尾けられている。
後方から一定の距離を置き、アウディA4クアトロとBMW323iの二台が、沙織のスカイラインをぴたりとマークしていた。
市街地を抜け、高速道路のインターに入る。
料金所を抜け高速の本道に入るや、沙織はシフトを3速に落としてアクセルを踏み込む。
檻から解放された野獣の如く、赤いR34スカイラインGT-Rは歓喜の咆吼を上げて加速を開始した。
7000回転で4速から5速へシフトアップ。既に車速は170キロをオーヴァーしている。
制限速度を遵守している一般車両を次々と追い抜き、いい気になって飛ばしていた若造の駆るセリカにパッシングを浴びせる。
「どけ!あほたれ!」
沙織は歯を剥き出して叫ぶ。200キロ近い速度のマシンの中でいくら叫んでも相手に聞こえる訳は無いが、それでも気分の問題だ。
鬼気迫る沙織のスカイラインに、セリカは黙って道を譲る。
緩やかな右コーナ。沙織のスカイラインは、オン・ザ・レールの走りで奇麗にクリアする。
GT-Rは四輪駆動だ。この4WDの最大のメリットは、コーナー立ち上がりのトランクションで、特に天候や路面の悪条件に対しても強い。例えばFR(後輪駆動車)では不用意にアクセルを開けると、リアがスライドしすぎてアクセルを戻さなくてはならないが、4WDではこのような場合でも、フロントが引っぱってくれるので開けたままでいける。
前輪と後輪のトルク配分もコンピューターが適切にコントロールしており、また4輪操舵システムのスーパーHICASは、クルマが曲がる力を検出し、的確な後輪操舵量を制御するヨーレイト・フィードバック制御が採用されている。
だが、同じ高速性能を重視した4WDであるランサー・エボリューションやインプレッサとは根本的に別物だ。FFベースであるランサーやインプレッサと違い、スカイラインはFRベースである。だから高速時の車体の挙動や、それを操るコントロールの方法も全く違うと言ってもいい。
沙織はちらりとルームミラーを覗く。
沙織のGT-Rを追跡していたアウディとBMWは、既に影も形も見えない。
尾行を振り切る事に成功した沙織は、次のインターで降りるつもりでいた。
ところが、突然前方に壁が現れる。沙織の行く手の二車線を塞ぐようにして、二台のトラックが並走していたのだ。
あっという間にトラックに追いついた沙織は、ダブルクラッチとヒール・アンド・トゥにより、エンジンの回転数を4速にミートさせる。続けて、スムーズなシフトダウンとフットブレーキでGT-Rを減速させた。
「ダムッ!何トロトロ走ってやがるんだっ!」
苛立たしげに前方のトラックに向け、沙織はパッシングを浴びせかけた。
沙織の合図にまるで動じる事もなく、二台のトラックはのんびりと並走している。
速度は80キロにまで落ちる。
覗いたルームミラーに、遙か後方の車線からアウディとBMWの影が見えた。
その時、前方に視線を移した沙織は、右側のトラック荷台のコンテナーの扉に付いた小さな窓が開くのを見た。
その小さな窓から、鉄の筒が覗く。
沙織はその筒の正体がショットガンの銃口だと気が付く瞬間、反射的にフルブレーキをかけながらステアリングを左に切る。
コンテナーの小窓から覗いていたショットガンの銃口が火を吐いた。
目標を外れたショットシェルの群は、空しくアスファルトを削る。群から外れた数発の小さな鉛の玉が、スカイラインのボディにめり込んだ。
「ガッデム!」
沙織はステアリングを操作し、GT-Rの車体を立て直す。スピードも落ちていた為、スピンからは逃れる事が出来た。
沙織のGT-Rは前方を優々と進むトラックと距離を置く。ショットガンの有効射程外の為か、再び撃って来る様子は無かった。
巻き添えを食らうのを避ける為、後方のアウディとBMWも接近しては来ない。
「そーかい… てめえらもグルだった訳だ…」
沙織は歯ぎしり混じりに呟く。
左手を伸ばしてグローブボックスを開く。
開いたグローブボックスに左手を突っ込み、ステンレスの輝きを放つセミ・オートマチック・ハンドガンを取り出す。
KPSスーパー・コンプだ。
これは、ドイツのペーター・シュタール社から独立したKPS社で作られている、オメガ・マッチを発展させたコンバット・シューティング用のモデルだ。
ファクトリー・チューンと言える数々の付属パーツの中でも、特にスライド上部に装備されたエイム・ポイント・ピストル・スコープや、銃口部のマズル・サプレッサーが目を引く。
カートリッジは既にチェンバーにも装填済みだ。
沙織は親指でリングタイプのハンマーを起こし、ワイドタイプのセフティレバーを上げてセフティ・ポジションにして膝の上に乗せる。
「そうと判りゃ、手加減はしねぇぜ。」
沙織は静かに呟き、アクセルペダルを踏み込む。
電動ウインドウの開閉スゥイッチを押さえ、運転席の窓を全開にする。
一瞬にして二台のトラックに追いついた。
前方は緩やかな左カーブ。
沙織は膝に乗せたKPSスーパー・コンプを右手で掴み、親指でセフティレバーを押し下げた。
コンテナーの小窓から覗いたショットガンが沙織のGT-Rに再び狙いを定める前に、窓から突き出した沙織のKPSスーパー・コンプが、続けざまに三度吠えた。
右側のトラックの後輪左タイヤが、三発の10ミリ弾を食らってバーストした。
バランスの崩れた右側のトラックは、左にハンドルを取られて重心が傾き、すぐ隣の左側を走っていたトラックに接触する。
左のトラックは接触の衝撃で、左側のガードレールにぶつかり火花を散らす。
右のトラックは完全にコントロールを失い、横転しながら左のトラックの横腹に突っ込む。
その瞬間、右車線が空いた。
沙織はセフティをかけたKPSスーパー・コンプを助手席のシートに放り投げ、素早くステアリングを切って空いた右車線を走り抜けた。
覗いたルームミラーの中で、二台の横転したトラックが二本の車線を完全に塞いでいた。
アウディとBMWは目の前で横転した仲間のトラックに阻まれ、沙織のGT-Rの追跡はこれ以上は不可能となる。
再び、赤いスカイラインGT-Rのエグゾーストから歓喜の咆吼が上がる。本来の野獣の走りを取り戻したのだ。
「このあたしを舐めんじゃねぇぞ。」
閉じかけた電動ウインドウから吹き込む風が、沙織の髪をさらりとなびかせた。
To be continued …
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