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こちら、桐生探偵事務所。
in 海水浴
「あっちいなぁ…」
桐生拓也はかき氷の入ったカップを額に乗せる。
瞬く間に溶けた氷はシロップと混じり合い、既に木製のスプーンですくい上げられない程に液状化していた。
「くぉら!拓也!何してんのよっ!」
パラソルによって生成された日陰の中、レジャーシートに寝そべった拓也は、額に当てたかき氷のカップをどけて大儀そうに声の主を見上げる。
花柄のビキニに包まれた豊満な姿態が、拓也の視界87パーセントを占めてそびえ立っていた。
高校一年生の少女にしては大柄であるが、古武術で鍛え抜かれた四肢は抜群の均衡を保っている。
「なんだ、倫子か…」
「なんだ、は無いでしょ!いい若いモンが、浜辺でだらだらしてるんじゃないわよ!」
焼け付く砂の上で仁王立ちとなり、腰に両手を当てて拓也を諭す下垣内倫子は、さながら怠惰な生徒を叱り飛ばす体育教師の様であった。
「ぷはぁ〜!泳いだ泳いだぁ!」
倫子の背後から威勢のいい声と共に接近して来た陰は、カモフラージュ柄のワンピース水着に包んだ小柄な体で、拓也が寝そべる側のシートにどっかと腰を下ろし、タオルでしっとりと濡れたサイドポニーの黒髪を拭き始める。
「ひーこ。俺、さっきから見てたけど、息継ぎしないで二・三分もよく潜っていられるな。」
白木姫子はアルミ製の水筒から麦茶をラッパ飲みすると、あごを伝う水滴を右腕で拭って答える。
「忍法・無息の術。なかなかのモノでしょ?次は五分に挑戦よ。」
「よく死なねえモンだ…」
海面は真夏の陽光を浴びきらきらと輝き、沖に浮かぶ小さな島は厳かに海岸で戯れる若者達を見守っていた。
「倫子、あの島まで泳いでみない?」
姫子はその小さな島を指差す。
「よし、競争だぞ。拓也も行こ。」
「俺、やだよぉ…」
「根性なしは放っといて行くぞぉ!うぉりゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
姫子は水筒を放り出し、渚に向けてダッシュした。
倫子も負けずと後を追う。砂浜を走破した二人は海面に飛び込むと、パワフルなクロールで泳ぎ始める。
体育会系熱血スポ根少女のコンビが作り出す、二つの水しぶきが小さな航跡となり沖に向けて驀進してゆく。
それは嘗て、ブルー・キラーのあだ名で米海軍をビビらせた、旧日本軍の誇る九三式酸素魚雷の如くであった。
「だからイヤなんだよ。あいつらに付き合ってたら身が保たねえっての。なぁ…」
拓也は寝そべったまま左側に首を傾けた。
「あ、中村です。」
拓也の隣で膝を抱えて座っている少年は、今沖に向かって突き進んでいる酸素魚雷から輝く瞳を離さずに答えた。
「おめーも泳げよ。何しに来たんだい?」
中村という少年は、幸せそうに一つ溜息をついた。
「そいや大和のヤツ。ちっとも降りてこねーな…」
防波堤から海岸線を見渡せる道端に、一台の赤いマセラティ・スパイダーが停車した。
4.3リッターV8エンジンが野太いアイドリング音を奏でている。
オープントップの運転席から、白い海外ブランドの高級スーツを着た少年が降り立つ。外したサングラスを畳み、シャツの胸ポケットに納めた。
少年はスラックスのポケットに手を突っ込み、家族連れやカップルで賑わう砂浜を見下ろす。
海から渡る風が、そっと少年の髪をなびかせた。
背後で黄色い喚声が上がる。
振り向いた少年は、声の主のOLと思しき二人連れの女にそっと微笑みかけた。
女二人は顔を見合わせると、歓喜の表情で少年に駆け寄る。
「どこから来たんですか〜?」
「お一人なんですかぁ〜?」
女達の隠しもしない開けっぴろげの欲望に、少年は慣れた笑顔で対応する。
「あの、お名前は?」
「大和。桐生大和。」
「やまと?さん… 変わったお名前なんですね。軍艦みたいな…」
「ええ、親父が変わったヤツでしてね。このクルマも親父のコレクションなんだけど。」
「おっ金持ちなんだぁ〜… いいなぁ…」
あっという間に、大和の周囲にOL・人妻・女子高生の人集りが出来た。
当然、そんな状況を面白がらない連中も存在する。
「おい!おいったら!どけよ。ここぁ駐車禁止だぞぉ!」
女性陣の輪を裂いて、チンピラ風の男が三人、大和に難癖をつけて来る。
「運転手が車の側にいる限り、駐車ではなく停車じゃないのかい?それより趣味が悪いぞ、あんたの格好。」
大和の指摘どおり、男はブランド物のジャージにセッタ履き、腕にこれ見よがしな金のブレスレットを巻いていた。
「うるせえな!てめえみてぇなヤツ見ると、ムカついてしょうがねぇ!」
「それはお互い様だろう?棲み分けが出来ないんだったら、そっちが消えろよ。」
大和は冷ややかな表情で平然と答える。
「てんめぇ…」
正面にいた男が大和の胸ぐらを掴んで顔を寄せる。
デブの脂ぎったあばた面が迫って来る。大和は一瞬吐き気を覚えた。
「汚ねえ手で触るな。」
大和は男の手首のブレスレットに二本の指を通すと、男の手首をねじ上げるようにブレスレットを高く持ち上げた。
「い!いてててててて…」
頭一つ分背の高い大和の腕に、手首から釣り下げられるような格好となり、男は情けない悲鳴を上げる。
宙づりから降ろされて苦痛から解放された男は、皮膚に食い込んだブレスレットの痕を撫でながら怒りで顔を真っ赤にしていた。
「ちっくしょ!タダじゃおかねえっ!」
怒りに任せて大和に殴りかかった男は、次の瞬間視界一杯に広がった拳を喰らう事になる。
「なんか、あっちが騒がしいね。」
中村という少年が、海岸線道路の防波堤を見上げて言った。
「あのバカ。またおっぱじめやがった。」
拓也はレジャーシートの上で寝そべっていた体を起こす。
「ちょいと手伝いに行ってくらぁ。後頼んだぜ。」
「うん。」
俺は夏が好きだ。
そうさ。誰でも好きだろう。
いや、夏が好きなんじゃなくて…
ほら、あの白いビキニの娘…
いや、最高だぜ。
俺は既に温くなりかけた発泡酒の缶を一気にあおった。
パックに入った枝豆を一つ摘んで、歯と唇を使って中身を取り出し噛みつぶす。
もう少し塩が効いたほうが俺好みなんだが、来る途中のコンビニで買ったんだから我慢する。
お、今度は二人連れ。右側のピンクのビキニが俺の好みだ。
「なぁに、ニヤニヤしてんのさ。まったく、スケベ心剥き出しでやんの。」
声の主を振り返る。
おおっ!ベロアのヒョウ柄ワンピース。
堪んねぇ。直球ストライクだ。
って、なぁんだ、純子じゃねえか…
「なぁんだ、って顔してるんじゃないわよ。はやと、あんたの要望で休みを作ったんだから、ニヤニヤしてないでしっかり泳いで来なさい。」
「海水浴場で泳ぐのはガキと保護者だけで十分だろ、じゅん。」
「だったら何しに来てるのよ?だいたいこうしてる間に、仕事が舞い込んで来てるかも知れないのに。」
純子は俺の隣に腰を下ろし、バッグの中からピンクのラメ入りのシガレットポーチを探し出す。中からマイルドセブン・ライトを一本抜き取ると、ジバンシーで火を点けた。
「どーせ仕事はねーんだから、遊んでた方が得策ってもんさ。」
「なんて怠惰な所長なんでしょうね。まったく、仕事する気あるの?」
「ある!」
「そんな真顔で迫らないでよ。一本ちょうだい。」
俺はクーラーボックスから発泡酒の缶を取り出し、純子に手渡す。
純子はくわえタバコでしぱっと発泡酒のプルタブを起こすと、左手の指にタバコを挟んで右手の発泡酒の缶から溢れ出る泡を啜り、中身を喉を鳴らして飲み込む。
ふうと溜息をついて、膝を抱え遠くの水面を眺めている。
沖に向けて競泳をしていると思われる女子高生が二人。そして、防波堤の向こうの道路では、チンピラ同士の喧嘩が始まっているようだった。
そんな事は今の俺にとって、どうでも良かった。
目の前を歩く水着の女の子など眼中に無い程、純子は綺麗だ。
ヒョウ柄の水着から伸びた長い足は、通り過ぎる男どもの視線を釘付けにしていた。そして、“なぁんだ野郎付きか”という類の失望の視線を俺に向けて立ち去る。
こんな時、そっと肩を抱いたら盛り上がるんだろうな。
チャンスだ。それも千載一遇の。
俺は町内会の懸賞で当てたレジャーシートについていた右手を、静かにそっと持ち上げる。
こんな時、男は勇気が必要なんだよ。
まぁ、腕の中でうっとりされるか、ビンタを喰らうかのフィフティ・フィフティの賭けさ。
純子の水着の大きく開いた背中に腕を伸ばす。
きっと細くて柔らかくて…
俺はやめた。この状況下で、自慢のマグナムが元気を取り戻したてぇのもあるが、俺の意図を察知したか、純子と目が合っちまって…
次の瞬間、俺は意味もなく右腕を宙に泳がせる羽目となってしまった。
「わはは!夏だ!海だっ!」
女は羽織っていたバスタオルをがばっと開く。ワイヤー仕様の黒い三角ビキニに包まれたその見事なプロポーションは、通りすがりの男共の視線を一気に攫ってゆく。
加えて抜群の美形フェイス。少し伸ばし始めた髪は、肩の上で海風にさらりとなびいた。
「もう… そんなにはしゃがないでよ、沙織おねーちゃん。」
隣で黒髪を伸ばした小柄な少女が、心底呆れた顔をしている。
「詩織!これがはしゃがないでいられるかってんだ!それにしても、久々の日本の海だけどきったねーなぁ…」
「余所と比べちゃダメよ。さってと、私も泳ごうかなぁ。」
少女は羽織っていたバスタオルを脱ぎ、シートの上できれいに畳む。
「あっ!詩織っ!あれ程言ったじゃんかっ!スクール水着はやめとけって。」
「だってぇ… これが一番泳ぎやすいんだもん。」
「いいか。そんなモン着てたら、あっという間に変態オヤジどもの盗撮ターゲットだぞ。」
「えー。どーしてぇ?」
「説明すれば長くなる。こらぁ!あっち行けっ!」
早速ビデオカメラを携えて接近していた男、計三人に足下の砂を握って投げつける沙織。
「くっそぉ、油断もスキもあったもんじゃねぇ。今度来たらグレネード弾をブチ込んでやる。ところで、香織はどこ行った?」
「香織おねーちゃんなら、あそこ。」
詩織の指差す方向。パラソルの陰で折り畳みベッドに横たわる美少女がいた。
白いビキニの少女は気怠げに、その白い肌を陽にさらさないようにのんびりとくつろいでいた。
「香織… 何を呑気に焼きそば食ってるんだ?」
「あら。美味しいわよ、沙織お姉さま。」
「あ、詩織も食べたい。」
「そーいや腹減ったな。よし、まず腹ごしらえだ。詩織、買ってこい。ホットドッグも付けてな。」
「わぁい!」
「武郷様… どうか無茶はなさらないで下さい。」
初老の執事は心配そうに、目の前でフンドシ一枚で準備体操をしてる痩身の老人に声をかける。
「ばかもん!心身共に鍛えずに、何処が日本男児と名乗れようか!見ておれ、この儂の華麗な泳技を!」
武郷玄蔵は三号型装甲艇の甲板から、見事なダイビングを披露しつつ海面へと飛び込んでいった。
See you again …
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