こちら、桐生探偵事務所。(瞠目編)

 
 昼下がりのバーガーショップは、学校の授業を途中でエスケイプした女子学生や、サボりを決め込んでいる若いサラリーマン、そして小さな子供を連れた若い母親同士の集団で六割方の席が埋まっていた。
 先程まで四人掛けのテーブルで一人、腕と脚を組んで誰かを待っている女がいた。
 紙コップに注がれたコーヒーを、苛立たしげに一口飲む。
 そのグラビアモデル顔負けの整った顔に、タイトスカートから覗くすらりとした脚を、隣のテーブルに陣取っていた大学生と思しき青年の集団がちらちらと盗み見を続けている。
 出入り口の洒落た扉が開いた。
 その扉を開けて入ってきた姿に、セルフ・サービスの客席から一斉に溜息が漏れる。
 閉じる寸前の扉から吹き込んで来た風が、その少女の肩まで伸びた髪をなぶる。
 ライダー・ブーツに荒いざらしのジーンズ、そして少女には不似合と思われるようで不思議と似合っている革製のB-3ジャケットのボアの上を、細くしなやかな髪が踊る。
 その可憐な少女は席を見渡した。
 ふと、先程まで座っていた女と視線が合う。
 少女は女を意識した風でもなく、歩み寄ると、女の座っている手前のテーブル、背中合わせの席に腰を下ろした。
 「沙織お姉さま、いい場所を選んだものね。」
 少女は背後の女に小さく声をかける。
 先程まで手を突っ込んでいた、ハンド・ウオーマーを兼ねたB-3ジャケットの大ぶりなポケットから右手を出し、前を少し開いた襟の中に差し込む。
 「香織、こうして話が出来るのは何年ぶりかねぇ… おっと、物騒な事考えるんじゃないよ。」
 背後の女もテーブルに視線を落とし、背中の相手に振り返らずに応える。
 「ここならお互いにトリガーも引けないわ。私も賛成よ。」
 少女は脇のホルスターに納めている、ステンレスモデルのコルト・ダブル・イーグル・オフィサーズからそっと手を放した。
 「どうだい、取り引きしないか?」
 女は長い脚を組み替え、天井を仰いで言った。さらりと伸びた少女の髪と、女の明るい色に染めたショートカットの髪が数センチの距離で交差する。
 先程から女の隣のテーブルに座っている四人組の青年達は、女と少女を交互に見比べながらジャンケンを始めていた。
 「何を?」
 訝しげに少女は聞く。
 「“アベリアの星”。知らないとは言わせないぜ。」
 「知らないわ。」
 少女の即答に、女の顔に皮肉な笑みが走る。
 「その様子じゃ、どうやらお前さんも関わってるんだね。搬送ルートを教えてくれないかなぁ…」
 「知らないと言ったでしょ。それに、取り引きってどういう事なの?」
 「あたしはね、スペードのエースを握ってるんだ。」
 「あなたがお父様から巻き上げた、あの玩具の事? なんとかに刃物とはよく言ったものね。」
 「へ、ほざけ… それだけじゃないんだぜ。もうひとつ、お前さんの大切なモノを預かっているよ。」
 「何かしら?」
 「桐生拓也…」
 少女の顔に一瞬動揺が走る。だがそれは瞬きをする瞬間の変化で終わり、元の
ポーカーフェイスを決め込んでいる可憐な顔に戻った。
 「それがどうしたの?私とは関係ないわ。」
 「お〜ぉ… 強がっちゃってぇ… よく見るといい男だね、アイツ。活きはいいし… 沙織姉さんは、ちょーっとだけつまみ食いしてみたくなったよ。」
 「煮るなり焼くなり、好きにしたら?」
 「相変わらずだね、その強情なところ。」
 「お姉さまに言われたくはないの。」
 「そうかい? 今日は無駄足だったね。また会おうぜ…」
 「明後日の午後5時10分。安浦自動車道、観音インターを降りて戸坂方面に向かう。」
 少女の言葉に、腰を上げかけていた女はにやりと笑い座り直す。
 「素直ないい子だね。流石ジジイのお気に入りだ。」
 「そこでケリを付けましょう。」
 一触即発。そんな言葉がぴたりと来るような空気だった。
 「あの〜… 彼女たち、一人ぃ?」
 おずおずと間の抜けた声が、女と少女の横合いから割り込んできた。
 「あのさぁ、僕たちとお話しない? そこ、座っていいかな?」
 女を先程から監視していた四人組の青年だ。少女の方に二人、女の方に二人と分担されている。
 女と少女は同時に、じろりと青年達を睨め付けた。
 「失せろ。」
 「消えなさい。」
 彼女たちの発するオーラが、混んできたバーガーショップを制圧する。
 他の客達が振り返った程だ。
 青年達の顔に貼り付いていた、にやにや笑いが一瞬で硬直する。
 怖い…
 そう実感した。
 美人なだけに、その迫力は凄絶なものだ。
 青年達は一斉に肩を落とし、とぼとぼと出口に向かう。
 「さんきゅー。あたしは約束を守るよ。アベリアの星が目の前で強奪されるのをあんたが指くわえて見てるとは到底思えないけど、余計な手出しはしないほうが無難だぜ。」
 「それはどうかしら?そう言えば詩織にも会えるのね。楽しみにしてるわ。」
 香織は腰を上げた。何事も無かったかのように出口に向かう。
 沙織は口元だけ歪めて笑い、コーヒーの入った紙コップに手を伸ばす。

 古風なレンガ造りの塀の中に拡がる敷地に、小気味よく吹け上がるエグゾースト・ノートを立て、グリーンのロータス・エリーゼが滑り込むように入ってくる。
 ミドシップに搭載された1.8リッターの直列四気筒DOHC(ダヴル・オーヴァー・ヘッド・カム)のエンジンに、同様のMGF用のトランスミッションが組み合わされ、更にその車両重量は690kgという驚異的な軽量化が成されている。その秘密は、ノルウェーのハイドロ・アルミニウム・オートモービル・ストラクチャーと共同で開発されたシャーシにあり、アルミの押し出し材をエポキシ接着剤で接合しバスタブ型に形成したもので、非常に高い剛性を持ちながらその重量は70kgに満たない。
 ロータス社の誇る、本気のライトウエイト・スポーツだ。
 センサーが車の接近を感知し、ガレージのシャッターが自動で開く。
 ガレージの中にロータス・エリーゼを停めた沙織は、開いたドアからすらりと脚を伸ばしてコンクリートの床に降り立った。
 母屋に通じる戸口に向かう。
 広い玄関でパンプスを脱ぎ捨て廊下を歩く沙織の耳に、キッチンから漏れる鼻歌が届いて来た。
 「詩織。」
 沙織は声をかけながらキッチンを覗き込むと、そこにエプロン姿の詩織がいた。オーバーオールのジーンズにトレーナーを着て、ポケットにヒヨコの刺繍が施された薄いピンク色のエプロンだ。
 「あ、沙織おねーちゃん。お帰りなさーい。」
 コンロに置かれた圧力鍋が湯気を立てている。
 「何とか口を割らせたよ。相変わらず強情な女だ。」
 「えっ!香織おねーちゃんと会って来たの?ずるいよ、一人だけで…」
 「遊びじゃないんだぞ。」
 「ま、いいか。また会えるんだから。」
 詩織は小皿をその小さな形のいい口元に運ぶ。味を確認してにっこりと笑った。
 「うん。上出来、上出来。」
 自分に言い聞かせるように頷く。
 「詩織…」
 「ん、なーに?沙織おねーちゃん。」
 「いや… お前、何だかとても楽しそうだな。」
 「そぉ♪?」
 「♪ってのは何だよ?♪ってぇのは!」
 「うふふ… きょおわ〜、ビーフシチューだよ。」
 「二人で食べるのにしては、量が多くないか?」
 「待っててね、桐生くん。」
 「あいつにゃドッグフードでも食わせとけ。」
 「だめだよぉ。この詩織様の愛情をたっぷり込めた手料理で、おなかいっぱいになって貰うんだから。」
 沙織は大きく溜息をつく。話が厄介な方向に転がっている。

 「あ〜っ!てめえらぁ!」
 右腕を肩から吊った少年が、絆創膏だらけの顔を忌々しげに歪めて叫ぶ。
 「な、何しに来やがった?!今度こそやられてぇんだなっ!」
 隣で松葉杖に寄りかかっている少年も叫ぶ。
 「ガタガタ騒ぐんじゃねぇ!てめえらの悪事は全てお見通しよっ!」
 少年達のイキがりに釣られるように、黒いセーラー服の少女が叫ぶ。
 姫子だ。本人は凄みを効かしているつもりなのだろうが、妙に芝居掛かった台詞まわしだ。
 「ちょっと、ひーこ。大袈裟だよ、恥ずかしいったら…」
 背後で制止しようとする倫子の声も聞こえてはいない。
 どん、と前足を踏み出して切ったタンカに、サイドポニーの黒髪が揺れる。
 下校時間を迎えた中洋高校の校門前。
 突如現れた二人の少女を囲んで、不良という分野に所属する生徒との間で小競り合いが起きていた。
 「あ、あのね、あたしたち、立花くんって人に用があるの。またケンカしたかったら、今度にしましょ。」
 倫子の言葉に、少年達の心に残った恐怖が甦る。
 だが、彼らにとってここはホームグラウンドだ。更に人数では負けてはいない。
 一瞬の沈黙の後、再び勢力を盛り返して来た。
 「だからどうしたぁ!この前のお礼をさせて貰うぜ!」
 「そーだ!ちきしょう!二人まとめて伸しちまおうぜ!」
 姫子は更に前に出る。右腕を吊った少年の顔の前、30センチの所まで顔を突き出して腕をまくる。
 「やい!やい!やい!やい!さっきから聞いてりゃ、好き放題のゴタクを並べやがってぇ!」
 その時、すっと姫子の目の前に大きな手が現れた。
 その手は姫子の眼前にあった少年の顔を掴んで、ぐいと後方に押しやる。
 「女相手に、何イキまいてんだぁ…」
 小柄な姫子が見上げるような男だった。
 倫子と姫子を取り巻いていた少年達の輪が、さっと広がる。
 「俺に用なんだろ?」
 現れた大吾は倫子と姫子を見下ろして顎で笑った。
 「立花くんね?」
 確信したように倫子は大吾に声をかける。
 「そうだよ。」
 倫子の真っ直ぐな視線に対し、大吾は応えるように直視して言った。
 「あー!あんたが黒幕だね!?よっしゃ!このひーこさんの桜吹雪、目ん玉ひんむいてとっくと拝みやがれ!」
 姫子はセーラー服のリボンを素早くほどく。
 襟に手をかけて強引に開き、袖から抜いた腕を出そうとする。
 おお…!
 一斉に男子生徒達のどよめきが起こった。
 「やめなさい!ひーこ!」
 倫子の制止が木霊する。
 「ちぇ… 面白くないの…」
 セーラー服から僅かに覗いた肩には、桜の花びらがペイントされていた。
 「せっかくシールまで貼って、さらしを巻いて来たのにぃ…」
 しょんぼりとしている姫子を尻目に、倫子は大吾に歩み寄る。
 「拓也… 桐生拓也が何処にいるか、教えてくれるかしら?」
 歩み寄って来た少女の中で、凄まじい気迫が満ちてきている。
 大吾はその気迫を全身で跳ね返そうとした。
 “この女…”
 拳を交えずとも判る。
 この女も只者ではない。
 “桐生といい、沙織という女といい… こいつら、一体何者なんだ?”
 焦りとも困惑ともつかない疑問が、大吾の脳裏をかすめる。
 俺はどうやら、俺の知るべき事ではない世界の出来事に巻き込まれてしまったらしい。
 大吾は口を開いた。
 「そんな怖い顔すんなよ。あいつを… 桐生を伸したのは確かに俺、いや、結果的にだがね。その後で女が連れて行った。」
 「誰、その女は?」
 「“沙織”と名乗っていた。それ以上の事は俺は知らない。」
 「本当ね?」
 「あんたに嘘は言わねえ。」
 「信じるわ。」
 失望の色を残し、倫子の顔に穏やかさが戻ってきた。
 「済まねぇな、力になれなくて…」
 大吾は何故かこの少女に惹かれるものを感じていた。これ程の真っ直ぐな視線を見たのは初めてだ。
 周囲の野郎どもの腐りきった目。爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
 「いいの… あなたは利用されたんだから…」
 「倫子…」
 寂しそうにうつむく倫子の肩を、姫子はそっと抱く。
 その時だった。Vツインエンジン特有の爆音が接近して来る。
 その排気音に驚いた生徒達が道を空ける中、赤いバイク、ドカティ900SSが倫子たちの隣に停車した。
 ブーツの左足が優雅に動き、サイドスタンドを起こす。
 黒い防弾ジャケットを身にまとったライダーが、黒いフルフェイスを脱ぐ。
 セミ・ロングの髪が風に揺れた。
 ドカティに跨るライダーは、倫子に向けそっと笑顔で言った。
 「取り戻しに行きましょう、あなたのステディ。」
 「望月…さん。」
 「久しぶりね、下垣内さん。」
 再開を果たした少女達の間に不思議な空気が流れる。それは友情とも対抗心とも言えるような信頼に満ちた“気”だった。
 「あ〜っ!あの時のぉ〜!」
 横合いから歓喜の絶叫。
 「わーい!また会えたね〜!」
 香織のグローブをはめた手を、姫子は両手で掴んでぶんぶんと振る。
 「あ、あなたは… えっと、白木さん…」
 「覚えててくれたんだぁ!嬉しいなぁ!」
 香織も、くすりと嬉しそうに笑う。
 「時間がないわ。5時10分、安浦自動車道の観音インターチェンジに来て。」
 倫子に言い残すと、香織はフルフェイスを被る。サイドスタンドをブーツの踵で蹴り上げる。
 904cc、4サイクル空冷90度V型2気筒のエンジンが咆吼を上げ、香織の華奢な背中は道路の彼方に走り去った。
 少女達のやりとりの一部始終を見ていた大吾は、小指を立てて倫子に聞く。
 「お前、桐生のコレか?」
 すかさず姫子が割り込んで来た。
 「あっはっはっ!そんなんじゃないよぅ!照れるじゃん!」
 「ひーこ… あんたに言ったんじゃないの…」
 「はい。黙ります。」
 「へぇ… 桐生も幸せモンだな…」
 学校では誰にも見せた事のない笑顔を、大吾は倫子に送った。

 「どうすんのさー、倫子。走ったって間に合わないよ!」
 「タクシー、来ないかなぁ?」
 ばたばたと走る二人の少女。
 「あー、あの不良どもからバイク借りれば良かった。」
 「ひーこ。あんた、運転出来るの?」
 「できないっ!…あっ!」
 突然、姫子は運動靴の底全体を使って急制動をかける。
 姫子の足下で、ざざざざと砂塵が舞い上がる。
 倫子は勢いあまり、背後から姫子の背中に激突する。
 倫子の突進を背中で受けても、姫子の体はびくともしない。
 「いてて… 何よ、急に…」
 「おーい!中村ぁ〜っ!」
 鼻を押さえてぼやく倫子を尻目に、姫子は大声で道路向こうの歩道を走る自転車に手を振る。
 「ちょーど良かったぁ!」
 ひらりとガードレールを飛び越えた姫子は、自転車を漕いでいた少年を取り押さえる様に走り寄る。
 「あ、白木さん…」
 どうやら姫子のクラスメートらしい。
 「ちょっとチャリンコ貸してね♪」
 「何だよ… 急に…」
 「いいから、いいから!急いでんだよ!世界の破滅を止めなきゃなんないんだから。」
 「あ… うん… いいよ、気を付けて。」
 少年は自転車を降りる。姫子の顔を直視した途端、心なしか顔が赤らんでいる。
 「さんきゅー!倫子、後ろに乗って!」
 「ごめんね、恩に着るわ。」
 倫子は自転車の荷台に腰を下ろし、少年に向けて手を合わせる。
 「うん…」
 姫子に気があるのか、少年は顔を赤くしてうつむいたままだ。
 姫子は力強くペダルを踏み込む。
 重量バランスのせいか、また姫子の脚から発生する強烈なトルクのせいか前輪が浮き上がった。
 ウイリーの状態で数メートル走り、姫子はサドルから腰を浮かせて前傾姿勢をとる。
 がくんと前輪が地に着いた。
 「倫子!しっかり掴まっててよ!振り落とされたら死ぬよっ!」
 「わかってるわよ!行け!ひーこ!」
 「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 アフターバーナー全開の自転車が加速を開始した。
 

 

次回、弥勒編へ続く