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こちら、桐生探偵事務所。(謬見編)
「よ、四百カラット?!」
詩織は先程まで作業を続けていた、ノートパソコンの液晶モニターから目線を移す。
見開いた目は、そのあどけない顔を一層引き立てる。形のよい唇がわなわなと震えた。
「本当なの? 沙織おねーちゃん。」
詩織の目線の先には、バスルームから出たばかりの沙織の姿があった。
ゆったりとしたスエットをはき、素肌の上から直接モスグリーンのTシャツを着て、ごしごしとバスタオルで洗い髪を拭いていた。
「ああ、本当さ。」
事も無げに沙織は言い放ち、髪を拭いていたバスタオルを乱暴に肩にかけ、広いリビングの一郭に作られたホームバーの冷蔵庫に向かう。
沙織は、冷蔵庫からトマトジュースの缶を一本取り出した。
街の灯りを見下ろす高台にそびえる屋敷。
古風なレンガ造りの塀の中に拡がる敷地と、重厚な佇まいを見せる鉄筋三階建ての建物は、二年前に倒産した家電部品製造メーカーの社長宅だった。
今は沙織たちが買い取り、数ある日本での活動用アジトの一つとして利用している。
広いガレージには電動で開閉するシャッターが付き、大型車五台は収納が可能だ。今は赤いNSXとグリーンのロータス・エリーゼ、そして偽装ナンバープレートが取り付けられた黒いシビック・フェリオが静かに蹲っている。
エスティマの姿は今は無い。
更に屋敷には地下室があり、元オーナーの趣味であったワインの貯蔵という本来の使用目的は、沙織たちの手によって緊急用の核シェルターを兼ねた弾薬庫に変わっていた。
まさに沙織たちにとっては最適の要塞といえるだろう。
「“アベリアの星”って知ってるか?詩織。」
沙織は広いリビングをゆっくりと横切り、詩織と向かい合う位置にかがみ込むとテーブルの前、豪奢な絨毯を敷いた床に座り込む。
「知ってるよ。いまだに内戦が続いてるトンゴ共和国の、革命前の国王家のお宝ダイヤでしょ? 今もトンゴ美術館に展示されていて、24時間ガードマンに監視されているって話。」
足を崩して胡座をかいた沙織は、ことんとトマトジュースの缶をテーブルの上に置く。
空いている右手をスエットのポケットに突っ込んだ。ポケットから引き抜かれた右手には、黒光りする金属と強化プラスチックで出来たコンパクトなハンドガンが握られている。
その右手を無造作にテーブルの上に置く。
ごとりと音を立て、グロッグ26が沙織の手からテーブルの上に移動した。
自宅でくつろいでいる筈の時間でありながら、銃を片時も手放さず、常に自分の手の届く場所に置く事を習慣づけているとは流石と言える。
きっとこの沙織という女の、今までに歩んできた18年の人生の中で培った教訓だろう。
左手でトマトジュースの缶を掴み、そのままテーブルに押し付けて固定しながら、人差し指をプルタブに引っかけて引き起こす。
ぱんと軽快な音を立て、トマトジュースの缶が口を開けた。
プルタブを再び人差し指で戻し、缶を掴んだ左手を口元に持って行く。
喉を鳴らして缶の中身半分を飲み込んだ沙織は、テーブルの上のグロッグ26の隣に缶を戻す。
「ぷは〜っ!」
満足そうに溜息をつく沙織に、詩織はノートパソコンのモニターの上からとがめるような目線を送る。
「それは止めなさいよぅ… オジン臭い…」
「うっせぇな、あたしの勝手だろ。だいたい牛乳やオロナミンCを飲む時は、腰に手を当てるのは鉄則だぜ。っとまあ、そんなことはどーでもいいんだけどな… そのアベリアの星が今現在、この日本にあるとしたらどうする?」
「本当ぉ?! だってあれは警戒が厳重で、盗み出されたなんて噂も聞かないよ。」
「美術館に展示してあるのは、最初っから真っ赤なニセモノ。本物はクーデターを起こして共和党政権をおっ建てた奴らが、密かに別の場所に隠していたのさ。ところが今の国内は、その共和党の独裁政権に反発する国王支持派の連中相手に、連日のドンパチ騒ぎだ。」
「それで?」
「タチの悪いことに、いくつかの隣接する国も国王支持派に荷担する始末だ。共和党の連中は武力拡張を計った。実際に使用するしないに関わらず、国内と同時に国外への威圧を込めたハッタリ作戦さ。で、連中は旧アベリア王室からブン取ったダイヤと引き替えに、ある武器製造輸出組織と取り引きをしたんだ。」
「まさか…」
「そう、そのまさか。あのジジイの玩具を買い取ったらしい。」
「おじい様の…」
「何せ四百カラットのダイヤだぜ。国家予算に使えば何年分に相当するか。それで奴らは、“ステルス飛龍”だの“超音速震電”だのをたっぷり買い付けたのさ。」
「じゃぁ、日本にあるというのは?」
「密かに持ち込まれているんだ。近いうちにジジイに手渡される手筈になっている。」
詩織はノートパソコンの電源を切り、起き上がっていたディスプレイを静かに畳む。
その目には、興味と欲望によって燃えさかる火が灯っていた。
「見てみたいな… その大きなダイヤ…」
「そういうこと。そいつをあたしらが横から頂こうって寸法だ。これでジジイとオヤジに一泡吹かせて一石二鳥。」
「上手くいくかしら?」
「当たり前だ。自分を信じる事さ。」
「香織おねーちゃんも、きっと黙っていないよ。」
沙織はテーブルの上のトマトジュースの缶に手を伸ばし、残り半分を一気に飲み下した。
いささか乱暴に空き缶をテーブルに戻すと、左手の甲で口のまわりを拭う。
「詩織、忘れたのか? あたしらの復讐は始まったばかりなんだよ… だけど安心しな、香織をギャフンと言わせてやる手は打ってある。」
「…ぷぷぷ…」
「何が可笑しいんだよ?」
「香織おねーちゃんが“ギャフン”なんて言うかしら?」
「例えばの話だよ!アイツのお陰で轟天号は入院だ。ひでー事しやがるぜ、まったく!」
「沙織おねーちゃんが散弾銃なんかブッ放すからよ。」
「やらなきゃやられるんだぜ。それよっか、詩織こそガブリエルの出力をセーブしてたのか? あれから夕刊やニュースでガス爆発だの不発弾らしいだの、スポーツ新聞にかかっちゃ新手のテロがどうとか、UFOが墜落したとか言いたい放題のでまかせをほざいてやがるぜ。」
「ガブリエルを使えと言ったのは、沙織おねーちゃんだよ…」
「対向車線まで吹っ飛ばしてたからな。当分あのバイパスは使用不能だ。ま、あたしの知ったこっちゃないけどね。ところでどうだ、ガブリエルの機嫌は?」
「メンテをお願いしてるおじさん達から連絡が来てたよ。上々だってさ。」
「オッケー。あとは轟天号が治り次第だ。取り引きまでに間に合うといいが… ともかく、作戦が首尾よく行くか否かの50パーセントは、道具の善し悪しに掛かってるんだからね。」
「残りの50パーセントは?」
「絶対にやり抜く事という意思だ。」
「それより、今度こそ決行時間は守ろうね。」
「わーってるよ。」
沙織は立ち上がった。
当然テーブルの上のグロッグ26を、ポケットに戻すのも忘れない。
リビングの南側一面いっぱいに作られたサッシに向けて歩く。
二階のヴェランダ越しに、街の灯りが広大なパノラマを作っていた。
百万ドルの夜景なんて誰が言ったの?
こんな薄汚れた夜景に、一体どれ程の価値があるというの?
これは羊の群どもが作ったニセモノ。
待ってなさい。
あたしが本物のダイヤをちりばめた、百億ドルの夜景を作ってやるから…
そっとガラスに手を添え、街の灯りを眺める沙織の目に不敵な笑みが宿っていた。
これでもかと言う程の違法改造を施された、二輪車の集合マフラーの甲高い排気音が夜気を切り裂いた。
過去の“カミナリ族”の間で大流行し、最近になってリバイバルした“絞りハンドル”と呼ばれるY字型をしたハンドルのバイクの群。そのヘッドライトが映し出す先に一人の高校生の姿があった。
閉店後の深夜のスーパーの駐車場。
そこは、行き場の見つからない若者達のたまり場であった。
改造バイクはざっと十台はいるだろう。前輪を支えるフロントフォークに固定された旗棒に、毒々しいペイントのタンク、そしてアンコ抜きと呼ばれる中身のスポンジを削り落としたシートには、派手な色のチンチラのシートが張られている。
ヘッドライトに映し出された少年の影が、ぬっと前に出る。その少年の後ろには、四人程度の連れがいた。
改造バイクを乗りましていた少年達の人数はゆうに十人を越える。
今、スーパーの駐車場で二つのグループが対峙していた。人数から言えば、ヘッドライトに照らされている少年達が圧倒的に不利だ。
だが、そんな不利な状況もまるで気にしていないかのように、前に出た少年はバイクに跨る少年達に声をかける。
体重75キロに180センチを越す身長に加え、その剛胆で自信に満ちた態度は見る者を無言で圧倒する。
「頭(ヘッド)はどいつだ?」
同じく改造を施されたホンダ・CBXに跨った少年が、ゆっくりとバイクから降りる。
「俺だよ…」
裾の長い特攻服の背中には、チームの名前が大きく誇らしげに刺繍されていた。
バイクから降りた少年は、色の白い細面の顔で正面の高校生を睨み付け、ぺっとアスファルトに唾を吐いた。
「何の用だぁ?どこの高校だ、てめえ…」
背後のバイクに跨った少年達の中から、小さく含み笑いが聞こえて来る。リーダーの少年の凶暴さを知り尽くした、これから始まるショーに期待を抱く笑いだ。
「中洋高校… 立花と言えば分かるか?」
「た、立花!」
リーダーの少年の顔に動揺の色が走る。
「ほぉ、俺の名前を知ってたのかい?」
「けっ!てめえが何しに来やがった?」
慌てて虚勢を張るリーダーの少年は更に一歩、立花大吾に接近して肩をそびやかせて見せる。
「ウチの生徒が世話になったそうだな。礼を言いに来たぜ。」
「へ、通りすがりにガン飛ばしやがったんで、まとめてボコにしてやったまでのことよ。感謝されるまでもねぇや。」
「余所でやったんなら俺も知らねぇけどな… 学校の前でやられたんじゃ、さすがに知らんぷりも出来ないよな…」
「あんたもご苦労なこった…」
「俺の目の黒いうちは、学校の生徒に指一本触れさせねぇぜ。」
「けっ!ほざけ!」
リーダーの少年は言うが早いか大吾に向けて突っかかる。
特攻服のポケットから出した右手の拳にはチェーンが巻かれていた。拳の破壊力を数倍にする効果があるそれを、リーダーの少年は大吾と会話を交わしながら密かに用意していたのだ。
だが、それは当たればの話だ。武器とは、使い慣れない者にとっては逆に偏った自信を産み、結果として墓穴を掘る事になりかねない。
チェーンを巻かれた重い拳が大吾の顔を粉砕する。予定だった…
渾身の一撃はあっさりとかわされてしまい、逆に反撃に対して無防備な隙を作ってしまう。
頭を横に捻って拳をかわした大吾は、左のフックを少年の鳩尾に叩き込んでいた。
拳が手首まで埋まった。
腹を押さえて前屈みになろうとした少年の横顔に、大吾は上げた右足を屈伸させ突き飛ばすように蹴り込んだ。
勝負は一瞬でついた。リーダーの少年の体は横殴りに吹き飛んで、停めていたバイクの前輪に体を打ちつける。
バイクが玩具のように倒れ、転倒の衝撃で壊れたバックミラーのガラスが飛び散る。
更に大吾は、倒れ込んだ少年の体を蹴り飛ばしてとどめを刺す。
捨てられたボロ雑巾のように少年の体が飛び跳ねた。
突然、今まで耳障りなアイドリング音を立てていた改造バイクの群が、次々とエンジンの吹き上がる音を立てる。
バイクを降りていた者までが慌てて跨り乱暴に発進させる。
ヘッドライトとテールランプの灯りが交差して、深夜のスーパーの駐車場からバイクの群は這々の体で逃げ去っていった。
駐車場に静寂が戻る。
大吾たちのグループと、倒れて起き上がることも出来ないリーダーの少年と、そのバイクだけを残して。
「さてと… コイツはどうする?マッポでも呼んでやるか?」
大吾の後ろにいた少年が言う。
「いや、意識はあるみたいだ。動けるようになったら自分で帰れるさ。」
大吾は一つ大きな溜息をついて答えた。
その時、背後の少年のポケットから、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
携帯電話を取り出して、静かに一言二言応答した少年が大吾に駆け寄った。
「あいつら… 全員やられたらしい…」
「なんだと? あれ程の人数でイキまいてた筈だが…」
「ああ、何とか動けるようになったヤツが電話して来た。」
「桐生一人にか?」
「いや、詳しい事はよくわからない…」
大吾の顔に至福の笑みが浮かんだ。
それは旧知の友人に会ったような喜びの顔だった。
桐生拓也… 会ってみたくなった。
次回、蠕動編へ続く
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